青竜の花嫁は正直乗り気じゃなかった
「僧侶シャズナ。世界の歪みを正し、聖なる魔法を操る選ばれし者よ。其方には我が教団の守り神---第37代目青竜のブリアントラスタージュ・ノルー・マギノ・シュ・ストラストルノーゼ様との婚姻を許す」
「…婚姻?」
いやあ本当に長い旅だった。
軽い気持ちで---1年程度の修行のつもりで魔物の討伐に向かったらうっかり勇者のパーティに合流してしまい、気付いたら6年も旅していた。しかも魔族が生まれる根源たる、歪みの泉と呼ばれる水源を死ぬ気で壊すところまで達成した。流石に勇者に付いて行っただけのことはある。まあ破壊しても、いずれまた生まれるものなのだけど。
勇者と共に王都に帰り、王都の神殿で偉い人に謁見するとなんと私は嫁入りするのだと言われた。
「青竜との婚姻、ですか…?」
「うむ」
「お断り、という選択肢は…」
「ない」
「ですよね」
もちろんなかった。
「何故私なのです?竜の番は幼い頃から竜と共に育てられるのが習わしでしょう」
竜の里から卵のまま送られてきた子竜は、卵が孵る頃に生まれた女と生活する。竜はその街の結界そのものになり、次の竜が送られてくるまで街に住み着く。役目を終えると番を連れて里へ帰っていくらしい。
「その番が数年前に亡くなってしまったが、そのせいで青竜様が荒んでしもうてな。それ以来女は近寄れんのだ」
「あ、私これでも女です」
偉い神官はふふっと鼻で笑った。鼻で笑われた。
「お前ならそう簡単には殺されんだろう」
なんて物騒な嫁入りなんだ。
「嫁はいらん」
竜の巣と呼ばれる離れの神殿に行くと、主に開口一番にそう言われた。人の体の大きさなんて軽々と超える竜は、低い声でそう言って私を睨む。神官はそそくさと消えた。竜に凄まれると流石に怖い。とても1人じゃ太刀打ちできない。巨人に踏まれた時より怖い。
「そうは言われても私の立場というものもあるのです」
「知らん」
凶悪な尻尾をぶんぶん振り回しながら、青竜は鼻から聖なる炎を吐きだした。部屋の温度が一気に上昇する。暑い。
「私を拒否しても次の花嫁候補がここに来るだけだと思いますが」
「寄越すなと伝えろ。女がいなくとも役目は果たす」
「…無駄ですよ。番以外は受け付けないということなのか、そもそもヒトの女では駄目なのか、どちらですか?それによって私も対応を変えますので」
番…つまり、既に死んでしまったパートナーのことが好きで好きで仕方なくて、他の女は受け入れられないというならまだ分かる。竜は情が深すぎるから、番を喪うと衰弱して死ぬなんてのもあながち嘘でもないし…
「ミーシャは…」
寂しげに竜が目線を床に投げかけた。
お、番のことが好きすぎてのパターンか。ならやりようがある。
「でしたら私に考えがあります。幸い私は貴方との結婚にこれっぽっちも興味がありません。だからみんなには結婚したフリをしておきましょう。貴方が他に番になれそうなヒトを見つけたら身を引きますし」
「…ほう」
「だからお互い、付かず離れずの距離を守りましょう。私はこの神殿で寝起きすることを命じられていますので---あちらの部屋を借ります。貴方はここで眠るのでしょう?私、貴方に干渉したりしませんのでご安心ください」
にこ、と笑って友好的に振る舞うと、竜は安心したようにどでかい頭を私の目の前に持ってきた。竜が口開いたら喰われるような気がして、冷や汗が背筋を滑り降りていった。
「良かろう」
竜はど低音の声でそう言い、低い声で何かの呪文を呟いた。ぴかっと身体が眩く発光し、思わず目を閉じる。
目を開くと、そこには巨大な青竜はいなかった。
代わりに竜の玉座には------あどけない美少年がいた。
「は…え…っ?」
「なんだその顔は。俺様の顔に何か付いているか?久しぶりにヒト化したからか?」
鱗と同じ真っ青な髪に、銀色の瞳の美少年が、私を不思議そうに眺めていた。年は15か16くらいだろうか。声変わりはしているが、低くなりきっていない声が非常に可愛らしくそして麗しく、甘美な響きが脳を溶かすようだった。
「えっと」
「お前、名前は」
「シャズナと申しますが」
「俺様のことはノルーと呼べ。番らしく振る舞うならその方が良かろう」
美少年改めノルーは、私に握手を求めた。惚けた顔で握手を交わし、こちこちに固まった私をノルーはこんこんと拳で叩いた。遠慮がなさすぎる。
「…ああ、俺様があまりにも美しいから、見惚れたか?」
「いえ、全然。これっぽっちも。私はどちらかというと美形を見ると警戒してしまうもので。驚いただけです」
「ふーん」
とは言ったものの、これはかなりまずい。目を奪われるとはまさにこのことかと…思わず見てしまう、目を逸らせない、なんて状態に初めて陥った。ばく、ばく、と心臓が音を立てている。顔に血が集まるのを感じる。
対するノルーは冷静そのもので、私には全く興味が無さそうだった。
「それでは公式行事の時はお側に侍りますが、それ以外は存在を無視していただいて構いませんので」
「待て。お前は俺様の世話役だろう」
「…まあ、そうかもしれません」
嫁イコール世話係。世の中の方程式はそんなところだろうか。
「だったら世間話くらいはしていけ」
「はあ…」
「…この姿が嫌なら竜に戻るが、大抵の人は話し辛いという」
「竜のほうでお願いします」
全力で竜のほうをお願いした。
ノルーは、また大した興味もなさそうにふうんと返事をした。気怠げなその姿がやけに様になっていて、さらに顔に血がのぼる。興味のない目に色気がある。その目はやばい。
何から何まで好みど真ん中だ。
これまでの人生では誰かに目を奪われることも、恋することもなかった。誰よりも恋に憧れていたのに、これまでほんの少しでも誰かに心を奪われることがない人生を送ってきた。12の時に僧侶になると決めたのも、周りの女の子達と感性があまりにも違いすぎると悟ったからだった。僧侶になれば洗練された男に会えるだろうと思ったのだ。しかし僧侶になっても私の感性は、もとい異性への興味関心は同期たちと違っていた。どんなイケメンを見てもときめかない。俗っぽさが駄目なのだと思っていたけれど、相手が俗っぽさのない禁欲的な僧侶でもだめならばと旅に出た。広い世界を見れば1人くらいと思ったのだ。
見事にいなかった。たとえ吊り橋のど真ん中で勇者と2人きりになろうとも、死にそうになったところを戦士に格好良く助けられても、だ。胸の高鳴りは今日まで感じたことがなかった。恋への渇望と情熱は、そのまま研究に向いた。悲しい干物生活の始まりである。
でもその理由がやっと分かった。
私は人外クラスでイケメンではないと恋をしない仕様だったのだ。今更気付いたけれど、遅すぎる。今更ノルーに「恋愛したいです」なんて口が裂けても言えない。私のプライドが許さない。
「なんだ?」
「…早く竜に戻ってください。そのお姿は目に毒ですから」
「失礼な女だな」
いっそ魔女になりたい。魔族化して本能が求めるまま叫びたい。美少年最高。
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「ノルー様、お食事です」
「私は今研究中なので話しかけないでくださいねノルー様」
「ノルーさま…もう眠い…」
「ちょ、でかいから寝台に入ろうとしないで」
おかしい。なんだかんだでノルーが懐いてきている。まだ高々1ヶ月なのだけど…朝食中にお喋りしよう、から始まり私が本気で寝落ちするまで離してくれない。それどころか一緒に寝ようとしてくる。無理だから、その竜の体じゃ無理だから。私の人間用の寝台が耐えれないから。
私は本当に研究に修行に忙しいんだけど…
神殿の貴重な古文書を読み解くのに日々を費やしたいのに、ノルーは悉く邪魔しに来る。竜は暇らしい。旅のあれこれを聞きたがり、話せばそれはそれは楽しそうに聞いた。外の世界への憧れもそれなりにあるらしい。守りの竜は砦からは出られない。だから外の世界を見るのは役目を終えた後…に、なるらしい。
いやそんなことはどうでもよくて。
「だからってヒト化しない!」
ぽん、とまばゆい光に包まれて美少年に変化したノルーが気楽に人の寝台に潜り込んできた。
「何故だ?お前が竜では大きすぎると言ったからこの姿にしたのに」
多分寝台に潜り込むことの意味を知らないのだろう。邪推する私の心の方が余程汚いのだろうけれど…
「お前の話は面白い。もっと沢山聞きたい」
「軽い気持ちで女性の寝台に入らないものです」
「細かいことはどうでも良い。早く話せ」
掛布を2人で被り、遠慮なくノルーは私に顔を寄せた。
「お前、良い匂いがするな」
私は食料か。
怖くなったので後ろにじりじりとずれて距離を取っていく。ついでに魔法でノルーとの間に結界を張った。ノルーは結界をコンコンと叩き、はあ、とため息をこぼした。
「何をそう警戒している」
「顔の良い男にはアレルギーが出ますので」
「そうか、壊すぞ」
「え、壊」
ノルーが力を込めて結界を叩くと、私の結界が音を立てて壊れていった。ありえない。強度と持続力は神殿の中でもトップクラスの私の結界がこんなに簡単に壊されるなんて…!
「ほら話せ」
プライドごと崩され呆然とする私にノルーがのしかかり、顔の横に両手が置かれる。逃げ場がない。
男に免疫のない私。輝くばかりの美少年に押し倒されて平気でいられる訳がなかった。
「…おい?」
目眩が。
気がつくと夜が明けていた。
私の隣でノルーがすうすうと寝息を立てていた。驚きすぎてころころ転がって寝台から落ちて腰を打ち付ける。痛い。ノルーのせいだ。
そのまま這って自分の部屋から脱出した。
そのまま外にある泉に服を着たままどぼんと浸かった。冷たい泉で目がすっきり冴える。ついでに真っ赤になった顔の温度も下がる。
(さいっていいいいい)
免疫のない乙女を組み敷くなんて!
流石に前は番がいた青竜、遠慮を知らない。…とはいえその程度でキャパオーバーを起こして失神する私も私だけど。
いかん、本当にいかん。一目惚れだけじゃなくて普通に絆される。このまま懐かれると後戻りできない。それは困る。プライドとか色々…意外と人懐っこい性格まで好みだなんて予想外すぎたのだ。好きにならないようにするほうが難しい。今ならまだ引き返せる、はず…とにかく精神を集中させて、
「おい」
ばしゃばしゃと顔を水で叩いていると、背後から声を掛けられた。起きてきたノルーだった。
「今すぐ出ろ。結界が乱れる」
「…結界?」
聞き返すと、ノルーはイラっと眉を吊り上げ、自分もどぼんと泉に身を投じた。ノルーが上げた飛沫が顔に飛ぶ。ノルーは泳いで私の隣までやって来た。
「ここは俺様の結界の中心点だ。下手に邪念まみれの人間が入ると結界が乱れる」
なるほど、だからこれ程までに清浄な泉なのか。穢れのかけらもない泉は、教会の中でもそう見られない。まさに聖水というべき澄み渡った水だ。とても冷たい。それでいて心が綻ぶような暖かさを感じる。
罪悪感を感じて出ようとすると、ノルーは面白そうに続けた。
「入りたいなら正式に番になる必要がある。なるか?」
そう言ってノルーは私の腹に指をトンと突き立てる。ヒッ、と喉からか細い声が出て、私はノルーを突き飛ばそうと腕を振り上げたが、全然効果がなかった。…僧侶の腕力などあってないようなものだけれども。
「番になると加齢が緩やかになるから、向こう60年くらいは今の容姿のままになるがそれでも良いか」
「ま……待て」
誰が番になると言った。
「痛くはないぞ?」
「ではなく」
ブンブン首を振ると目眩がした。
「とりあえず竜の姿に戻ってもらっていいですか?冷静に話がしたいし泉から出ますので」
「竜だと儀式がやり辛い」
「しなくていいですから」
ひいい、こっちを見る目が格好良すぎて平静保てない…このまま何度か頼まれると多分頷いてしまう。ノルーは面白半分で番にしようとしているのだろうけれど、うっかり番になったら私は身も心も本当に後戻りできない。物理的に。それに自分だけ好きになって辛い思いをするのは耐えられない…一生続く片思いが苦しいものなのは、古今東西どこの文献にも記されていることだ。私は過去に学ぶ女なのだ。そんな辛い思いはしたくない。
ばしゃばしゃ、と水を叩いて必死で抵抗していると、ぶふっとノルーが笑った。
「ここで考え事はしないほうが良いぞ。泉に思考や感情が溶けて俺様に伝わるから」
「は」
嘘だあ。そんなこと聞いたことない。そんなことができるならもっと書物に残して歴史的に研究されているはずだ。
「嘘ではないぞ。竜の秘技だからな。書物に残すことは不可能だ。そもそも人の脳では理解すらできぬ。この事実を神殿でも知っているのは極数人だろうな」
と、さも当たり前のようにノルーは言った。
今私の思考に対して返事して…きた…?
「だから溶けると言っただろうが」
ぎゃっ
ぎゃっ……
どこ、どこまで、ばれて……
「全部」
当然の如くノルーがそう答え、一瞬意識が遠のいた。
が、羞恥心は失神より逃げを要求した。私は容赦なく魔法を放ち、ずがんと音を立てて分厚い結界を組み立てた。ノルーの周りに結界を張る。私はばしゃばしゃと音を立てて泳ぎ、陸に戻って全速力で駆けた。閉じ込められたノルーはコンコンと結界を叩いているが、そんなにすぐには破壊されないだろう。たぶん。
そして、今まで生きてきた中で一番速く走った。巨人に踏み潰されそうになった時より全力で走った。
「何を怒っているんだ」
夜になるまで書庫にこっそり篭った。やはりノルーはあの結界を割るのに数分はかかったらしい。ノルーは私を探し回ってウロウロしていたけれど、それくらいなら隠れるのは容易い。冒険者としてある程度隠れて行動する術さえ身につけていれば、隠れんぼに慣れていないノルー程度は敵ではない。流石にお腹が空いて夜ご飯を貰いに行ったら、ノルーが食卓で待っていた。食事に手をつけず、ヒト化してぶすっとした顔をしていた。
「…怒ってはいません」
「別に恥じることではない。俺様は他の竜と比べても美しい方だから、お前が見惚れても仕方あるまい。それで番になりたいと思うならそれでも構わん」
椅子に座って、料理にフォークを刺した。ノルーも与えられた食事に手をつけ始める。私は返事をしなかった。
ノルーは分かっていない。
本当に、怒ってはいない。
ただ死ぬほど恥ずかしかっただけ。隠している胸の内を曝け出してしまったことが恐ろしく恥ずかしかった、だけ。今ならパーティの一員である魔女が理性を失って素直になりすぎたことを死ぬほど後悔していたのが理解できる。これは恥ずかしい。消え去りたい。伝えるつもりのなかった好意が伝わっていたのは居た堪れない。しかも成就する見込みなし。
可哀想にすら思われているだろう。もう既に私は耐えられない。
「お見合いをしましょう」
「何故」
「貴方に相応しい相手を見つけます。そうすれば私は用済みですから。私はまた旅に出たい。研究もしたい。…ここに縛り付けられたくはありません」
ぼそぼそと答えると、ノルーは詰まらなさそうに私から視線を外した。
「それがお前の望みなら努力はしよう」
ぽそり、傷付いたように悲しく吐き出された言葉は聞かなかったことにした。
その日のうちに神殿の神官に面会し、ノルーと私は相性が悪いから他の候補者を募るように言った。私とノルーは会話はできる間柄なので、他の女との仲立ちも可能とも。神官は素直に来週には何人か用意すると答えてくれた。
自分の部屋に帰ると当たり前のようにノルーが私の寝台で眠っていた。馬鹿じゃないの。私は離れたいって言ったのに、どうして近寄ってくるの。ノルーを否定するようなことを言ったのに。嫌いになってもらわないといけないのに。
辛いだけの恋はしないと決めていたのに。
呼び寄せられた番の候補たちと会う前に、私はノルーに一つだけ約束した。相変わらず存在を無視しているのに、ノルーは夜になると必ず私の寝台で眠っていた。今だけ、これが最後、と言い訳して同じ寝台で眠り、ノルーが目を覚ます前にそっと起きて消える。ノルーの寝顔を見ているだけで癒された。相変わらず好みど真ん中の超美形。許されるならずっと見ていたい。でも---見ているだけでは私は幸せになれない。辛いだけ。
「ノルー様」
「どうした」
竜の姿をしている時を見計らって話しかけると、ノルーは尻尾をぶんぶん振って此方を見下ろした。
「明日から見合いの相手がきます」
そう言うとノルーの尻尾の動きがぱたりと止まって、力なく神殿の床に尻尾が垂れた。
「どうか優しく振る舞って、気に入られてくださいませ。女性には見合いが終われば私から気に入ったかどうか訊ねます。気に入ったと返事があれば---夜、私の冒険の続きをお話ししましょう」
ノルーは目をきらりと光らせた。
その日の見合い相手はご機嫌で帰って行った。ノルーはとても優しくしてくれたと、そう言っていた。何よりも顔が麗しく、一目で心を奪われましたわ、と。私はもやもやしたけれど、それを表情には出さず、左様ですか、と返事をした。
その夜はやはり寝台に潜り込んできたノルーに、話し疲れて眠るまで私の冒険譚を聞かせた。私がうとうとと微睡み始めると、ノルーはぴたりと私の身体を抱きしめて眠った。なぜか抵抗できなかった。好みど真ん中の顔に抱きしめられたから?
それなのに、2度目の逢瀬になるとノルーは豹変した。満面の笑みで面会に臨んだ女性が大泣きしながら出てくる。さすがの私も首をかしげた。
「ノルー様。彼女はお気に召したと思っていましたが」
「竜の姿が恐ろしいと言った」
ノルーはそう言って、面倒臭そうに頭を振った。それからと言うもの、1度目は気に入った素振りを見せるが2度目になると竜の姿を見せてわざと怖がらせるか、何か物語を語らせつまらなかったから却下だの、結界もろくに張れない女は嫌だのと、拒否した。
「竜の姿でも怯まず、話が面白く、それでいて簡単には破れぬ結界を張るような女が良い」
ノルーの好みはそこらしい。顔ではないのか。
「前の番もそんな人だったのですか」
堪らず訊ねると、ノルーは表情を曇らせた。
「ミーシャは、竜の姿が嫌いだった。話してもくれなかった。結界も、張れなかった」
---それでも好きだったのね。
なんだか、胸が痛い。好みじゃなくても惹かれるのが、本当の恋なのだろうか。私は。
神官が最後の1人を連れてきた。
「やはり私しかいないわね、最初から分かっていたわ」
「あら久しぶりね万年二位」
神官が呼び寄せた女の中に私のライバルがいた。ライバルというか、敵視されているだけなのだけど。何をしても私に勝てず、ずっと二番手。だから私に突っかかる同い年の僧侶。もちろん彼女は優秀だ。さらに優秀な私がいるだけで。
「歪みの泉も先に壊してしまったわ、ごめんね?」
ぎりぃっ!と彼女は歯ぎしりした。彼女のパーティも泉を破壊せんと猛進していたのだが、私たちの方が先に到達して破壊してしまった。
「構わなくってよ!青竜の番になれば僧侶としてはこれ以上ないほどの出世よ。番になれば、私は今以上の力が持てるもの。もうあなたには負けないわ」
「はいはい」
ぐふ、と笑う万年二位を連れて神殿に戻る。ノルーの元へ送り届け、ぎしぎしと痛む胸を抱えて書庫へ。ちっとも頭に入らない古文書を読み、面会が終わるのを待った。
面会が終わる時間に外で待っていると、満面の笑みの万年二位が出てきた。
「どうだった?」
「最高よ。私とても気に入られたわ。また来て欲しいと言われたもの」
ノルーがそんなことを言うのは初めて聞いた。おめでとう、じゃあノルー様にも話を聞いてみるわね、と小さな声で返事をして、私は神殿に入っていく。
ノルーは人の姿のまま、ぷらぷらと足を動かしていた。
「ノルー様。どうでしたか」
「あの子は良かった。また会いたい」
「…そうですか。でしたらまた呼びましょう」
ずき、と胸が痛んだ。
日を置かず、万年二位はすぐにやってきた。また満面の笑みで面会に臨み、満面の笑みのまま出てきた。2度目の逢瀬でも、ノルーは豹変しなかった。万年二位は余程上手くやったらしい。たしかに万年二位なら、ノルーの要望は全て満たす。
魔物慣れしている彼女なら竜の姿には怯まないだろう。冒険に出ていた彼女ならノルーに面白い話ができただろう。僧侶の彼女なら結界はお手の物だ。
ここから出るのもすぐになるだろうと、私は少ない荷物を纏め始めた。
万年二位は毎日会いに来た。私は神殿の外で日々を過ごすことが多くなり、少しずつノルーとの距離が開いていった。しばらく1人になりたいとノルーに言うと、ノルーは寂しく頷いた。それ以来ノルーとは食事を一緒に摂ることもなくなった。もちろん寝台に入ってくることも。
私は一番大きな神殿の隅っこで古文書を読み解き、片手に地図を持って次はどこに行こうか悩んでいた。そういえば共に旅をしていた勇者は魔女を嫁にして故郷へ帰ったと聞いた。一度彼らを訪ねてみたい。それから私の故郷の神殿に行って、それから…
「青竜様には最早私という仲立ちは不要でしょう。万年二…げふん、アルストリアさんがいますから、世話は彼女がしてくれるでしょう。私は暫く旅に出たいのです」
と神官に申告して、私は旅に出る準備をした。入れ替わりに私の部屋には万年二位の荷物が押し込められた。
申告通り、私は旅に出た。
まずは勇者の故郷へと。勇者の故郷で久しぶりに親友の魔女に会い、大きくなったお腹を撫でた。僧侶らしく、祝福の言葉と加護を掛けておいた。魔女の身体には加護は通らないけれど、お腹の子供にはきっと届く。幸せそうに微笑む魔女を見て、私も幸せになったような気がした。ああきっと、私はこういう素朴な幸せが欲しいのだ。ノルーを想って、報われない恋はしたくない。勇者が魔女を慈しむような、魔女が勇者に全幅の信頼を寄せているような。そんな恋がしたかった。私に普通の恋愛はできないらしい。
それから私の故郷に帰った。
故郷の神殿は相も変わらず小さくて加護の薄い粗末な石造りの小屋だった。でも落ち着く。私が僧侶を志した場所。始まりの場所。全然清らかではない聖水に手を付けて、私の力で浄化した。ノルーの泉ほど清浄にはならなかったけれど、十分以上に聖水と言えるほどの清らかなものになった。これでこの村には魔族は近寄らないだろう。この神殿に仕えている僧侶に浄化の仕方を教え、それから神官に面会した。私の昔のお師匠様だ。何も変わっていなかった。ここは時間が止まったよう。
何日かぼうっと過ごしていると、王都からの遣いがやってきた。
私は姫様に戻って来るように言われたらしい。
仕方なく王都に帰ると、城ではなく神殿に連行された。
「…城は?私はエスメラルダ姫に呼び戻されたのですが」
神殿で神官が困った顔をしていた。私も困り顔で尋ねると、神官はふるふると首を振った。
「青竜様がな、お前がいなくなってすぐにまた暴れてふさぎ込んでしもうたのだ」
「万年二…げふん、アルストリアさんは何を?」
「暴れる姿を見て、恐れをなして辞退した」
何してるんだ、全く。万年二位め。だから万年二位なのだ。
でもどうして暴れたのだろう。何故ふさぎ込むのだろう。
だからって私を呼び戻しても、どうしようもないのに。
「私には何もできませんよ?…私たち、相性よくもありませんでしたし」
と言ったけれど、神官は納得しなかった。
引き摺られるように竜の巣に放り込まれ、外から鍵を掛けられた。仕方なくノルーを探し始める。神殿の奥でノルーは竜の姿のまま丸まって眠っていた。凶悪にしか見えない尻尾も今日は元気がなさそうに見えた。
「ノルー様」
声を掛けると、ノルーは片目を開けた。片目で私をじいっと見つめ、ぱたりと閉じた。これは、所謂無視だ。私は今無視された。だったら用はないだろう。帰る。絶対に帰る。
踵を返した瞬間にノルーの尻尾が動いた。私の足を、目に見えないほどの速さで払って転ばせた。普通の人だったら絶対に足折れてる。私は各種加護付きだから耐えているけれど。
「…………」
ノルーを睨むと、また片目を開けただけのノルーがこちらを見つめていた。私は何事も無かったかのように立ち上がり、歩き始める。
「どこに行く」
ノルーがやっと声を上げた。恐ろしいほど低い声だった。
「帰ります。やはり私は不要でしょうから」
「何故そう思う」
「無視された上に攻撃されれば普通はそう思います」
私はすたすたと歩きながら答えた。ずし、と音がして、背後からノルーが四足歩行で迫る。早足になるが、やはり巨体には負ける。ノルーは私の体を無遠慮に噛んだ。噛んだというより、牙で掴み上げた。
「ちょっと!」
「やはりお前の本心はわからん」
ノルーはそう言って、私を外まで連れて行った。そしてノルーの聖なる泉に私を噛んだまま飛び込む。
ざぶん、と大きな音と飛沫を立てて冷たい水に飲み込まれた。心が聖なる水に溶けていく感覚がわかるような気がする。どこまでも優しくて、抗えない感覚。
なんとか水面に浮き上がり、必死で呼吸する。鼻に水が入って痛い。げほげほと咳き込んでいると、ノルーはいつの間にかヒトの姿をしていた。
「こうして泉に浸けてもやはりわからん。思考も感情も溶けても、お前の態度と行動は全くわからん」
「な、なに、」
「どうしてそうも一致しないんだ」
ノルーは心底不思議そうに首を傾げた。
「最初から説明されないと訳がわからないわ」
「お前は俺様の番になりたい」
「は」
ノルーは滔々と語り始めた。
「だから番にしてやろうと言った。なのにお前は嫌だと言って逃げた」
「……」
「俺様には全然わからない。望みを叶えてやると言っているのに、どうして拒否する?」
それは、まるで憐れみのよう。可哀想な私の願いを叶えてやっているだけ。なんて報われない。
「報われない…?」
ノルーは勝手に私の思考をうわ言のように呟いた。
「どうしてアルストリアを番にしないの?彼女だって番になりたいはずだわ。それに他の子でも」
「誰でも番にするわけがなかろう」
「私なら良いっていうの?」
「ああ」
うそだ。アルストリアと私に大した違いはないもの。私でいいならアルストリアでもいい。
「俺様は人間の女は好きじゃない。番になると言われて一緒に育ったミーシャも、俺の姿が恐ろしいから近寄りたくないと言って逃げ出した。他の女もそうだ。それに女は嘘ばかり吐く。だから嫌いだ」
「え」
あれ、前提、が。
番は死んだはず、では。
「いや人間の男と駆け落ちしたぞ。その後は知らんな。知りたくもない」
「ちょっとよくわかんない」
「結論ミーシャは番ではない」
しかも別に好きでもなかった、ってこと?ただ女嫌いだから寄せ付けないようにしていた、それだけ?
「うむ、そうだ」
「……女嫌い」
「そうだな」
「私は女ですが」
「知っている」
ぽかんとする私を、ノルーは引き寄せた。
「番になれば分かる」
私は全力でノルーを引き離す。ばしゃ、と水が跳ね上がり、私はノルーから少し離れた。全力の拒否だった。
番になれば後戻りできない。このよく分からない関係にも、ノルーも、私には続けられない。
「い、嫌」
「……そうか。お前が本心から望まないと言うなら、無理強いはしない。ただ、」
私に分からないのは、ノルーの気持ち。
ただの哀れみで私を番にしようというなら、その気持ちはむしろ私への侮辱。だったら私はノルーから離れることを選ぶ。後戻りできない恋になる前に身を引く。
「ただ、側にいてほしい。他に誰も要らない」
ノルーはそう言って、また私を引き寄せた。今度は抵抗できなくて、されるがまま。
「憐れみでも、侮辱でもない。俺様の自分勝手な要求だ。お前は他の誰よりも勇敢で賢く、話も面白い。良い意味で女らしさもない。退屈でもなければ、五月蝿くもない」
「それ、って」
私のことが、好きってこと?
ノルーはこくりと頷いた。
「ど、どうして先にそれを言ってくれないの」
「…気付いているものと思っていたが」
「どこをどう切り取ればそう思えたの」
「俺様の求愛を試していただろう?」
ノルーは透明な水を眺めて言った。
「求愛」
思わず呟く。ノルーの行為のどこが求愛だったのだろうか。
「一緒に眠るのは、好意があることを意味する」
「…好意が、ある」
「拒否しなければ、そちらも好意があると見なす」
拒否…途中からしてないような気がする。
「女は男の好意を試すため、無理難題を押し付ける。男は認められるまでそれを叶える努力をする」
あっ。
まさか、まさか。
私がお見合いを提案したのを、無理難題と思った、のか。求愛を受け入れて試しているように、見えていたのか…そうか、あれは求愛だったのか…
だったら、ノルーは最初から私のことが。
「…竜は言葉より態度で好意を示す」
「私は態度より言葉が欲しいのです」
じとっと見つめると、ノルーは気まずそうに目を逸らした。
「正直に言えば、初めて会った時から度胸のあるところが気に入っていた。…それから、話をしてみれば面白くて、もっと長く話したいと思った。お前となら長い余生を共に楽しく過ごせるかもと、そう思った。…お前が自ら泉に入り、心の内を曝け出したことで、可愛く思った。本気で番になってほしくなってしまった」
本当に最初から、ノルーは私のことが好きだったらしい。だったらそう言ってくれたら私は…
「泉でお前の真意は見えていたのに、見合いをさせられた挙句に距離を置かれて傷付いた」
「だ、だって…。でも、アルストリアのことを気に入っていたでしょう?」
「アルストリアはお前の話を沢山話してくれるから気に入っていただけだ。話すネタが尽きたようだから追い返した」
容赦ないな…。流石に万年二位が可哀想だ。
「今更だが、竜は情が深く、一途だ。俺様は多分お前を諦められない。だから無茶な手を使ってお前を呼び戻した。…お前は俺様から真剣に逃げ出すか、あるいは大人しく番になるか、どちらかしか選択肢はないぞ」
答えはもう決まっている。感情の溶けきった泉に、私の答えは綺麗に溶けた。きちんと理解しつつもノルーは私に答えを促す。
「私を、許されるならばノルー様の番にしてほしい」
「二言はないな?」
こくりと頷くと、ノルーはあの日と同じように私の腹に指を押し当てて、呪文を呟いた。唱え終わると同時に身体が脈を打つ。どくん、と心臓が一層強く鼓動を打ち、身体が内側から作りかえられていくような感覚に襲われた。
「あ、ぁ…うっ…」
痛くないって前に言われた筈なのだが、結構な激痛が身体中を襲う。体から力が抜けて、泉に沈み込みながらノルーを睨みつけた。
泉に完全に沈むと、何かが聞こえた。
それは声。男の声だった。ノルーの少年らしい声だ。ノルーの声は、私が愛おしいと言っていた。可愛いとも。ノルーの内なる声だった。
ああ、これが泉に溶けるということかと、理解した。私がノルーの番になったことで泉に溶けたノルーの心が聞こえるようになったらしい。
ノルーに手を引かれて水面に浮上する。
「ぶはっ」
水を吐き出し、ぜーぜーと息をすると、ノルーはにっこり笑った。
「シャズナ、我が番よ」
名前、初めて呼ばれた。変な感じ。
「痛かった」
「きちんとその気持ちは感じた」
変な感じ。私は人では無くなった。竜の番になった。
痛みを感じたことに、ノルーは内心猛烈に反省していた。それが分かったから、これ以上怒ったりはせずに微笑んでおいた。ノルーはうっとりと私を見つめる。愛おしいと、本気で態度で示してきた。気恥ずかしいような、嬉しいような…
「慣れろよ」
ノルーは無遠慮に私の頬に口付けを落とす。
「ぎゃっ」
急に甘めに接されると、やっぱり目眩が。
ノルーがそんな私を見てぶふっと笑った。