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片想い 上司編

作者: アガサ9


素敵な人。



カーテンからこぼれた夕陽がデスクに影を指し、手元が見えるように点けたランプ。

ぼんやりと浮かぶ、分厚い眼鏡の真剣な眼差し。


私だけが見られる彼の表情にしばし見惚れる。


ヒョイと顔を上げられると、私の表情筋はすぐに無表情を取り戻し、目の前の書類を彼に差し出す。



「上長、こちらもお目通し願います」



「はいはい、承知しました」



眼鏡の奥の瞳が優しい。

鉄面皮でクール、冷徹女と噂されるこんな私にも、温かい笑みをくれる。



好きです。ずっと。新米の頃から。



想いが言葉になれば良いと、時に思う。

いつも聞かれてしまうとものすごく困るけれど、不意に、無性に伝えたくなる。



届けば良いのに。



「ハイ、では、次はこれを頼むよ」



ニコニコと微笑む想い人は、そんな私の気持ちに気付かぬまま。



「はい」



私も気付かせぬまま。



一体、いつまで続けられるのだろう。

この(しあわ)せな時間を。

心は虚しく、ただただ、彼と二人きりという欲求だけを満たす時間を。




ビシャビシャと雑巾を洗う。

その度に想い出す。まだこの部屋で二人きりで仕事をする前。ずっと昔のこと。女性グループが出来上がった室内で、なんとなく私は週に一度掃除をしていた。



でも理由はちっぽけで。

埃が溜まることが嫌なのと、あの人の机に堂々と触れるから。


……それだけ。そのために冬でも春でも夏でも

厭わず私は掃除をする。



ある日、彼が女性の一人に言った。

いつも掃除をありがとうございます、と。


彼は当時からとても人気があり、彼女はそのまま嬉しそうに会話を続けていた。


そして私は彼女たちのグループに呼ばれ、わかってるわよね?と釘をさされた。

言うなれば、私だけがしていた掃除を、彼女たちと一緒にしていた掃除、にするようにという意味付け。なんだそれ。



「これからは、私たちも掃除してやるんだから、ありがたく思いなさいよ?」



ぼんやりと頷くしかない。


私は彼の机や椅子に、もうサワレナイ。

変態か。気持ち悪いよな、こんな自分。

反省と片想いの気持ち悪さと、彼女たちへのある意味虚しい羨望。


悔しさなどなかった。私も彼と会話をしてみたかった。手柄を自分のものにして、それを実力行使で手に入れようとする女性たちが羨ましかった。



彼がいる際、彼女たちはあからさまに掃除を始めた。ただ、うまく絞りきれていない雑巾の水が、ぶよぶよとしばらく机に残る。



不快な顔を浮かべた同僚を見て、内心で笑う。





そんな折のこと。

言葉は突然わたしの目の前に降ってきた。



「好きだ」



あなたのことが。上長を好きなのは知ってる。

でも、そんなあなたが好きだ。



奇特な人もいたもので、掃除をする私に好感を抱いたのかどうなのかは不明だが、突然背の高い後輩に告白された。



上長を好きなことがバレていたのは、脅威だった。



彼は、自分はあなたをいつも見ていて気付いたのです、と言う。

私はその日から、あの人の姿すら見ることができなくなってしまった。



いまどんな表情をしているのか。

チラとでもこちらを見たか。



誰にも読まれないように、静かに想っていたかった。




戸棚の陰で後輩に抱き寄せられても、私はやっぱり上長がこちらを向いてくれないかとその身体ごしに彼を見ていた。



人の温もり。でも私が欲しいのは、あの人の温もりだけ。



やんわりと身体を離すと、口づけされそうになる。


知ってみたい興味と、自分を守りたい気持ち。



私の迷いを知ったように彼は言った。



「僕が教えてあげますよ。そのテクニックで、彼を誘惑すれば良い」



その言葉に僅かに緩んだ身体を固定される。




やっぱり、、と言いかけた唇に、形の良い後輩の唇が重なり、


私の口内は彼のおもちゃになってしまった。

力の抜ける身体をさらに強く抱きしめて、口付けを深められる。



絡み合う舌の温度に気持ち悪いと鳥肌を立てながら、どうしようもなくその熱に惹かれてしまう。



目の端に、机に向かう彼。




好きだ、


やっぱり彼が、



ふと顔を上げた彼と目があう。


眼鏡の彼の視力では、離れた戸棚。暗がりの中にいる私たちなど見えるわけがない。



そう思いながら、やはり、好きだと思いながら、私は違う男にキスをされていた。



ごめんね、と言うと、後輩は諦めませんよ、と笑う。



上長とするキスはどんなものなのか。



一度その感触を知ってしまうと、いつしかそればかりが頭を支配する。



部署の入れ替えがあり、優秀であった私は彼の秘書的な役割としてそばに残った。



二人きりの毎日。倖せで、ひたすら独りよがりの。




「上長、キスしたことありますか?」



滑るように口をついた。その日は雪で真っ白に庭が覆われていた。



「おおっと、なんだい、いきなり」



穏やかな瞳がいたずらな光を宿して微笑む。



「私も随分歳をとってるし。そんな質問無意味じゃないかい?……それにしても、君もようやく異性に興味が出てきたの?」



堅物で通っている私をからかいの目で見る。



ドキドキする。もう5年もこうして二人でいるのに。




「ふふ、そうですね。ちょっと聞いてみたかっただけです。あ、上長、こちらの書類……」



ん?と立ち上がり、私の手元を覗き込む。

彼の眼鏡を、静かに後ろに回ってそっと外すと、極度の近視の彼は一瞬立ち眩んだ。



「マイラ?」



肩に置いた手は震えていたと思う。



「上長、ごめんなさい」




一度で良いんです。その一度を胸にこれからずっと生きていきますから。


謝って、少し背伸びして、

冷たいローブを抱きしめて、顔をすり寄せた。



「おいおいおい」



珍しく焦った声をした彼に、がしっと肩を掴まれる。ずっと、この身体の感触を知りたかった。



首に手を回して、驚愕した瞳を見つめたまま口付けた。少し斜めに。



一瞬すぎて、よくわからない。もう一度、もう一度。


固まった彼の、思いのほか柔らかい唇を少し噛んでみると、は、と少し開いた


チャンスだ、と舌を入れてみる。



肩に入る力が少し強くなったが、そんなのはどうでも良い。


ぎこちなく口内に舌を這わせると、突然上長が私の後ろ頭に手を当てた。



ん、、




首の付け根を掴まれ、大きく口を開かされる。



柔らかく熱い彼の舌が、口の中を支配する



倖せだ。



うっとりと、それに身をまかせる。

誘惑できたのかどうかなんてどうでも良かった。彼が自ら私に口付けているという事実に、息の苦しさに、ぞくぞくとこみ上げる快感に瞳が潤む。



どれくらい時間がだっただろう?


ぐったりと彼にもたれかかる私に、優しく肩を貸しながら彼は言う。



「……説明してくれるよな?」



頷くのも面倒で、私は手を伸ばしてキツく彼を抱きしめる。



「好きです」




「ずっと前から、ずっと……好きです」




小さな声。震えてしまった。



固まる彼の身体。離されないようにぎゅっとくっつく。





ああ。


やってしまった。もう二度とあの笑顔は見られないのかもしれない。


それでも、彼を感じてみたかった。




無言のまま、いたわるように私の髪を撫でる彼の手が。

止まらないように願いながら、私はこぼれる熱い雫を彼のローブに染み込ませていた。


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