平和な修行とおぞましい悪夢
第二章突入です。
数日おき投稿、もしくは定期的な週末投稿を目指します。
人は齢を重ねると、意固地になり、鈍感になり、諦めることに慣れる。
あるべき姿を追い続けられる人間なんて一握りだ。
その一握りの者達が、自己を高め続けた結果どうなるのかと言うと、どうやらおかしくなってしまうみたいだ。
「我に従え!」
「くっ、うぅぅっ! あああっ、こんなこと、したくないのにぃぃぃっ!」
ニーナの羞恥を含んだ絶叫が森に木霊する。
昨晩も遅くまで作業をしていた秀人は、いつも通り朝寝坊してゆっくりと眠っていたのだが、ニーナの叫び声で目を覚ました。
一体何事かと思い様子を窺うと、どうやら家の庭から聞こえて来るようだ。
秀人が自室の窓を開けて庭を覗いてみると、ニーナが犬のおすわりの体勢で、今まさにフィッツにお手をしようとしているところだった。
「おはよう、二人とも。何を騒いでんのかと思ったら、今日は犬プレイ?」
「ち、ちがっ! あたしだって、したくてしてるわけじゃない! あああ、止まらないよお」
と言いながら、フィッツが差し出した掌に、ニーナの軽く握られた拳がポンと乗せられた。
「はーい、ニナわんよく出来ましたねー。今朝はこれで十回も上手にお手が出来ました。そろそろ飽きてきたから別の芸にしようかなー。そうだ、ちんち――」
「絶対に嫌! ぜっっったいに嫌!」
フィッツによるニーナの魔法修行が始まって数日が経つ。
ニーナは五歳の頃、自らの魔力が原因で養父を亡くす事件を起こしており、それ以来、魔法を使うことを意識的に避けてきた。
豊富な魔力量を誇るも、十二年間に渡って魔法を封印してきたニーナは、フィッツに言わせれば、カットも磨きも施していない馬鹿でかい原石なのだそうだ。
順を追って正しい魔力運用と魔法を身に付けていけば、持って生まれた資質もあるだろうが、ある程度はニーナが望む方向に属性適応していけるらしい。
「ニナわーん、もっと魔力をうまく循環させないと、恥ずかしい芸をどんどんさせちゃうよー!」
「別に犬真似とかさせる必要ないじゃない! ヒデトも見てるだけじゃなくて注意してよ!」
ニーナは秀人に助けを求めるが、魔力操作訓練が始まってから一貫して、
「黒歴史を量産するがいい」
と言って取り合わない。
フィッツがニーナにさせているのは、傀儡対抗という名の訓練である。
傀儡と呼ばれる、魔力で他者の身体を術者の思い通りに操る魔力干渉に対して、魔力の循環を無理矢理に本来あるべきかたちに戻すことで対抗するという訓練法だ。
魔力循環が効率的かつ力強くなれば、魔力干渉を受けた時点ではじき返すことも可能となる。
魔力を体内で思い通りに巡らせるという魔力操作の初級レベルは、初日に言葉で簡単に説明しただけで、いきなり傀儡対抗の実践をスタートさせたフィッツだった。
「フィッツ・フォン・リンナエウスが命じる……棒を取って来―い!」
そう言ってフィッツは全力で森の中に木の棒を投げ込んだ。
「はああっ! ぐ……や、やっぱ無理ぃ!」
一瞬、持ち堪えるかに見えたニーナだったが、結局は対抗できずに森へと四足で疾走していった。
「いやー、思ったより遠くまで飛んでっちゃったねー」
フィッツは清々しい笑顔で森を眺めていた。
「ニーナはどのくらい上達してるんだ?」
「んー、そうだね。だんだん強くしていってるからニーナちゃんは気が付いてないけど、魔力操作だけなら、そろそろ宮廷魔導士団に入れるくらいは上達したんじゃないかなー。だが、我の傀儡を破るには十年早いわー」
「ふむ……生長の早い麻を毎日飛び越えて跳躍力を鍛える忍者みたいだ」
「あー、いいねー。ニンジャ好きだよニンニン!」
フィッツの知識は秀人から得たもので、忍者という存在がいることは知っているが、カモフラージュして潜んだり、水から筒だけを出して呼吸したり、手裏剣や苦無という名前の武器を使う超人的な素早さを持った存在、くらいの認識だ。
「ニーナちゃんにはこのまま魔力操作を短期間で習得してもらうよー。同時に身体強化も身に付くから自衛手段になるしねー」
そう言っているところで、木の棒を口に銜えたニーナが、行きと同じように四足歩行で帰ってきた。
木の棒を地面に吐き捨て、フィッツに対し、ううう、とまるで犬が唸るように敵意を向けている。
「なかなか様になってきたじゃないか、ニナわん」
秀人がそう声をかけると、キッとニーナに睨まれた。
「いやー、結構遠くまで投げたんだけど、思ったより取って来るのが早かったねー。偉いぞ、ニナニンニン」
「女の忍者はくノ一」
「偉いぞ、クノイチ!」
「クノイチってなんなの! っていうか、この仕打ちはなんなの!」
「はーい、ニナわん疲れたでしょー? 伏せ!」
フィッツは腕を斜め下に軽く振りながらニーナに命じた。
「まっ、また! うう……くうぅぅぅぅ……はあっはあっ、駄目だあぁ」
またもやニーナは対抗しきれずに伏せをしてしまうが、先ほどよりも長い時間、堪えることが出来ていた。
秀人は、フィッツのスパルタカリキュラムがうまく機能していると思った。
フィッツが集中して魔法を使用するときは腕を振ったり掲げたりすることを知っており、つまりは先刻より魔力干渉を強めたにも関わらず、ニーナの対抗時間が伸びていることに気付いたからだ。
「で、なんで犬プレイしてんの?」
「趣味だよー」
「そっか」
と秀人は呟き、ちらっとニーナを見た。
「あたしは違うわよ! フィッツの趣味よ! あたしは断じて違うんだからね!」
そんな秀人にニーナは強く反論する。
「……だからねって語尾、ひさしぶりに聞いたけど、やっぱいいもんですな」
しかし秀人はなぜか満足そうに微笑むのだった。
「この家、変人しかいないよお。来るんじゃなかったかも……」
森の中の、蔦に覆われた古い館。
建物も庭も、長い間、人の手が入っていないのであろう、ひどく荒れている。
そっとドアを開ける少女。
人気のない館のエントランスは当然、燭台に火が灯っているはずもなく、引き込まれてしまいそうな深い闇が広がっている。
少女はそっと闇の中に足を踏み入れた。
ゆっくりと館内を進んで行く少女だが、次第に何かに追われているかのように背後を確認しながら早足になり、遂には追い詰められて廊下の突き当たりのドアに後ずさる。
響く少女の悲鳴。
切り裂かれた腹部からは臓物がこぼれ、血が滴る。
少女の腹から溢れるおびただしい血液の赤が、まるで発光しているかのように鮮明であった。
「きゃあああっ!」
ニーナは悲鳴を上げて飛び起きた。
悪夢を見て飛び起きたのは、いつ以来だろう。
養父を亡くした頃は、たびたび悪夢を見たものだった。
その度に、世話になっている人間に静かにしろと怒られたものだ。
まだ動悸が激しい。
目を瞑ると今しがた見た悪夢の光景が――見たこともない場所、面識のない少女の凄惨な姿が、ありありと思い出せる。
隣のフィッツの部屋から物音が聞こえた。
おそらく、自分の悲鳴で起こしてしまったのだろう。
謝罪に行くべきだろうかと逡巡したが、暗い廊下に出ることが怖く感じられ、結局、翌朝に謝ることにした。
「それにしても、なんだったのかしら…………だわさ?」
同時刻、事件は起きていた。
タザフ国城下町の全住民が、同時に悪夢を見て、悲鳴を上げて飛び起きたのだ。
だが、深夜だったこともあり、家族全員が同じ内容の悪夢を見たにも関わらず、誰しもが偶然だろうと思い、そのまま就寝した。
その時間まで起きていた者だけが、街中の家という家から響いた悲鳴に戦慄したのだった。
次回は8/24(水)10時に投稿します。