閑話休題 店主の恋
「ニーナちゃん、ニーナちゃん、最近、絶対にマスターおかしいよね? 心ここにあらずっていうか、何ていうか。まるで――」
「おい! それ以上言ったら俺達自身にダメージが!」
ニーナに話しかけているのは国家保安諜報部のジョンストンとケリーだ。
あの事件から数日経ち、食堂が営業再開した後、すぐに二人はやって来た。
二人は元々、この食堂の常連だったのだが、託宣によってドリューがニーナを標的としてからは指令を遂行するしかなかった、ということだった。
立場上、仕方なくとはいえ、本音のところでは気が進まなかったことも併せて力説し、国指定の保護対象となったからには、自分達が筆頭になってこの店を守るという誓いを立てたのだった。
店主は、二人の組織への忠誠心と心意気に感嘆したが、理由はどうあれニーナに危害を加えようとしたのは事実なので、とりあえず二人を一発ずつ殴ってから許したのだった。
さして力を込めたようには見えなかった店主の拳に、綺麗に水平にふっ飛ばされた二人は、これから何があろうと店主に敵対しないようにしようと思った。
あれから三日経つが、二人の顔の痣はまだ消えていない。
ちなみに、自分を刺したドリューだけは十発殴らないと許さないと店主が豪語していたのを聞いた二人は、店主とドリューが顔を合わすことがないように祈るのだった。
「ジョンストンさんとケリーさんも気付いてしまったんですね。営業再開初日に仕入れに行った後から変なんですよね……。何かあったのかな、っていうか、あれは絶対に――」
「駄目だ、ニーナちゃん! 寿命が縮んじまう!」
「え? いいじゃないですか、マスターが恋したって。あ、マスター」
三人の話し声が大きかったからか、気になった店主がちょうど店先に出てきたが、ニーナの恋発言を聞いた途端、顔を赤くしてまた店の奥に引っ込んで行ってしまった。
恥じらう店主と一瞬目が合ってしまった三人だが、ジョンストンとケリーは見てはいけないモノを見たという表情になり、ニーナは二人とは対照的に優しく微笑んでいる。
「ぐあぁあっ! 目が!目があぁぁぁああ!」
「ニーナ様がわろうとる。瘴気を吸い込んじまう! マスクをしてくだされえ!」
二人の被害は甚大だ。
「二人とも大袈裟なんだから。ちなみに、マスターが誰に恋してるのかも、大体わかってるんですよね」
「うぐ! 知りたい……知りたいが……」
「これ以上、知ってしまうともう平凡な日常には戻れない気がする……」
「暗部の人達にここまで言わせるなんて。マスターって周りの人から一体どんなふうに思われてるのかしら?」
「脳筋」
「一生童貞」
ニーナの疑問に間髪入れずに返答する二人だったが、ニーナに睨まれてしまい、更に言葉を重ねることは出来なかった。
「いいじゃないですか、誰が誰に恋したって。恋は素敵だわ。マスターが恋してるのはですねぇ、二つ先の角を曲がったところにある――」
「待って待って!」
「まだ心の準備が!」
「お茶屋のお姉さんだと思いますよ。あの日にマスターが行った仕入れ先で出会う女性って言ったら彼女しかいないから、たぶん正解ですね」
「あーあ、聞いちまった。お茶屋の若い店主って言ったら、この近所じゃ有名な美人じゃねえか。ありゃ高嶺の花だぜ」
「でもよ、これまでも買い付けに行ってたわけだろ? なんで急にこんなことになったんだ?」
「うーん、そこがわからないんですよね。これまでもお姉さんのことを美人だとは言ってましたけど、特別に意識してる感じはなかったんだけどなあ」
ニーナはなぜこのタイミングなのかが腑に落ちない様子で、腕を組んで首を捻っている。
「こんにちはー」
「大将、肉が食いたい」
そこにフィッツと秀人がやって来た。
この二人は事件以来、半焼した食堂の片付けの日も含めて毎日来ている。
「あ、師匠とヒデトだ。はいはーい、そっちに座って!」
現在、ニーナはフィッツの家に住み込みで指導を受けている。
フィッツ曰く、ニーナはまだ魔法を日常的に使うことに慣れなければならず、特別な修行をする段階ではないとのことだ。
そのため、昼前から夜にかけては、以前と変わらず食堂に働きに来ている。
かくして、店主は赤髪の看板娘を手放さずに済んだわけである。
毎日、朝と夜に顔を合わせていて慣れたのと、たった数日で秀人の朴念仁っぷりを痛感したニーナは、見事に対秀人赤面症を克服したようだ。
今日も秀人は肉料理を、フィッツはニーナが勝手に選んだスタミナ食を口に運んでいる。
「皆で賑やかに話してたのってさー、もしかして大将の恋話だったー?」
「そうなんですよ。ジョンストンさんもケリーさんも、マスターが恋してるって聞いたら気味悪がっちゃって。あたしは素敵だと思うんですけどねえ。どう思います?」
「んー、僕は恋をしたことがないからねー。何とも言えないかな? ヒデはどう?」
「俺もギャルゲはあるけど、リアルのはしたことないからよくわからん」
「この二人に聞いたあたしが馬鹿だったわ」
そうこうしているうちにフィッツと秀人の食事は終わり、いつも通りフィッツが食後のハーブティーを注文したところで、店主が店先に出て来てお茶を淹れ始めたのだが……。
「お、おいおい、なんだよ、あの手つきは……」
「ああ、やっぱり気色悪いぜ」
店主は、これまでもハーブティーを淹れる際は茶葉の扱いに注意していたものだが、様子がおかしくなってからはまるで神々しい物に触るかのようにしており、尚且つ若干恥じらっているのだ。
「ううぅ、なんて表情しやがるんだ」
「目の毒だぜ」
「ちょっとマスター、マスターってば。あたしが出しますからね。はい、師匠」
ハーブティーを淹れ終わった後、フィッツに出すのも忘れ、物思いに耽るように虚空を見つめ、溜め息を吐くマスター。
「はぁ、アンジェリカ……」
「っていうのが、お茶屋のお姉さんの名前なんです」
店の奥に向かいながら漏れ出た店主の独り言に、ニーナが説明を加えた。
「揺るぎねえ。マジで恋してやがる」
「なあ、ウソの旦那。マスターに何が起きてるかわかんねえのか?」
「わかるよー」
「いやいや、さすがに師匠でもわかるわけないでしょ……って、え? わかるんですか?」
ニーナは驚きのあまりトレーを取り落とし、ジョンストンとケリーの二名は思わずガタンと椅子を倒しながら立ち上がった。
秀人だけは雰囲気に付いていけず、座ったまま暇そうに水を飲んでいる。
「な、一体、何が起きてるんで? 教えてくれ、旦那!」
「わかった! ウソの旦那が絡んでるんなら、陰謀だ。陰謀に違いねえ! そうだろ、旦那!」
食ってかかるジョンストンとケリーに、フィッツはいつも通りの笑顔で答えた。
「あれはねー、僕のかけた回復魔法のせいだよー」
「…………え?」
「…………はぁ?」
「……えっと……ちょっとあたしにもわからないんですが、マスターが突然恋に目覚めたのは師匠の魔法のせいなんですか?」
「んーでも、普通、恋って急なものなんでしょ? じゃあさー、僕の魔法のせいでも、大将が勝手に恋に落ちたのでも、変わらなくないー?」
「え? え? でも、師匠のせいなんでしょ?」
「そうだよー」
「……ちょっとこの人が何言ってるかわからなくなってきたんですが。師匠のせいだったなんて、あたしは知りませんでしたよ」
「エリクシア?」
今まで沈黙を貫いていた秀人が口を開いた。
「そうだよー。ヒデの歌にビビッと来て考えた魔法だねー」
「アニソンを真に受けてトンデモ効果の魔法を作るなんて……こんなの、普通じゃ考えられない」
フィッツと秀人で会話が進んでいるが、他の三人は完全に置いて行かれてしまっていた。
堪らず、ニーナが口を挟む。
「ちょ、ちょっと師匠、賢者の水って回復魔法の最高峰ですよね? 副作用で恋しちゃうなんて聞いたこともないんですけど」
「俺も知らねえ」
「同じく」
ジョンストンとケリーも初耳だったらしく、顔を見合わせて首を捻っている。
「フィッツの使ったエリクシアは、俺が風呂上りに口ずさんでいたアニメの歌の歌詞をパクった魔法だ。この曲が出た映画版は賛否両論だが、俺は良かったと思ってる。特にシェリルが良かった」
「え? ……アニ、メ? ってなんですか?」
「ああ、わからなくても無理はないよ。時空の違う世界の話だからね。でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。問題は、魔法の効果が切れても恋が冷めるわけじゃないってことだ」
「ヒデの歌にピンと来たのは事実だけど、パクったんじゃないよ、影響を受けたんだよー。、でねー、ちょっと魔法の効果をいじったんだー。禁断のエリクシアって、好きが発動する化学なんでしょ?」
「そうだけど、おっさんに恋を覚えさせる歌では断じてないよ」
店主に恋をさせた犯人は自分だと自白したうえに、それは最高クラスの魔法の効果を気分でいじった結果だということを平気な顔で言ってのけるフィッツと、口を開けば意味不明な言葉を放ち続ける秀人に対し、この先うまくやっていけるだろうかと大きな不安を感じたニーナに出来ることと言えば、苦笑いしかないのだった。
これにて第一章は終幕です。
秀人のセリフにはちょくちょくネタが出て来ますが、
わかりづらいものが多かったらすいません。
ちょっと書き溜めてから第二章をスタートさせたいと思います。
あと、今更ですが、ルビ振りされているのが既存の魔法で、
片仮名表記のみの魔法がフィッツのオリジナルもしくは既存魔法のアレンジです。