ウソの魔導士の嘘
「フィッツは初めからニーナに目星を付けていたのだな」
「はい、ニーナが幼い頃に起こした魔力暴走……ギルバートを亡くした時のですな。その際にフィッツは偶然にも近くにいたそうです。魔力嵐の残滓が、ニーナに纏わりついているのを見て、魔力嵐の発生源としての確信を持っていたようです。その後、彼女の成長を見守るため、関わり合いにならない程度に様子を窺っていたとか」
「ジーク、余は有能な部下を持って嬉しいぞ」
「ええ、あいつは王の部下ではないと言い張るでしょうが、ね」
ふっふっふ、くっくっくと悪だくみを行っているような雰囲気でジークハルトと話しているのは、タザフ国第三十二代国王バルザック・イェールナート・タザフである。
口髭と顎鬚を蓄えた威厳のある風貌であり、年齢は四十代後半だが、身のこなしや体格からは若々しい印象を受ける人物だ。
二人は薄暗い部屋で誰にも聞かれることなく……というシチュエーションでもなく、城の中庭に天幕を張ったオープンな場所で会話をしており、周囲には近衛の騎士や魔導士が控えている。
昨日起こった市街地での魔力暴走事件の報告を兼ねて、国王とジークハルトは昼下がりのティータイムを楽しんでいる。
「ドリューは聊か過激なところがあるからな。おそらく、老人どもの言葉を真に受けて、ニーナを亡き者にしようとしていたのだろう。情報分析力と行動力には目を見張るものがあるが、いかんせん真面目すぎるのだ」
「確かに優秀な人材ではありますな。元から当たりを付けていたフィッツと違い、ゼロから調査を始めてほぼ同時にニーナに行き当たっていました。まあ、普段から国中に耳目を放っておりますから、流れ者の割り出しは早かったのでしょう」
ジークハルトの言葉を聞き、国王は軽い溜め息とともに肩を竦めた。
「して、今回の件で、街中に被害は出たのか?」
「いえ、被害といえば食堂が半焼したのみです。隣接する家屋への延焼もなく、魔力嵐による人的被害もなしです」
「街の一区画を飲み込む、中規模の魔力嵐が起きたというのにか?」
国王は事前に簡単な報告を受けていたものの、やはり驚きを隠せない。
「はい。これについてはフィッツのオリジンのおかげとしか言えませんな。諜報部が食堂を襲撃した時間帯、食堂周辺の住民は皆、本当なら今夜から行われる建国祭の日程を一日間違え、式典を見るために城門前広場を目指していたというのですから」
「約三十戸に住む人間、子どもから老人まで全員が勘違いしていたと。……ふふ、さすがにあり得んな」
「ええ、魔道の深淵に至るには、私もまだまだ精進が足りないと、そう思わせられる一件となりました」
「かつて、名門オルベスク家の麒麟児と呼ばれた、ジークハルト・オルベスクをしてそう言わしめるオリジン・マジックか。賢人の域に到達する者の業はいかほどに深いのか、想像もできんな」
「到達者の多くは案外能天気なものですがね。……む、この香りは素晴らしいですな」
「そうだろう。何を隠そう、この茶葉はフィッツからの賄賂だ」
ほう、とジークハルトが興味深げに声を漏らした。
「今回の一件でニーナを手元に置くことを認めろという意味だったのだろうな。賄賂などせずとも、フィッツのところでニーナが育てば、行く行くは国益に寄与する人材になるのだから、余としても願ったり叶ったりだったのだ。当然のことだが、人の可能性は、生かさなければ花開かん。利用できるものは利用していかなければ、人間の世などゆっくりと絶えていくのみだからな。ふっふっふ」
「事態はフィッツが望んだかたちに収まり、同時に王の狙い通りになりましたな。くっくっく。……さて、私はそろそろ事後処理に戻ります」
国王とジークハルトがフィッツから贈られたハーブティーを飲み終えた頃、男二人だけのお茶会はお開きとなった。
半焼した食堂では、明日にでも営業再開しようと、店主、ニーナが急ピッチで復旧作業をしており、そこに暇を持て余したフィッツと秀人が手伝いに来ている。
ここは商業区であるため、近所の住人は自宅を商店としている者が多いのだが、短時間でも手が空けば食堂の片付けや修理に来てくれている。
作業が一段落して小休止を挟んだところで、ニーナがおずおずと口を開いた。
今、店内には昨日の事件関係者の四名しかいない。
「あの……あんまり大騒ぎになっていないみたいだし、近所の人達の協力態勢にびっくりしてるんですが……本当に、嵐に巻き込まれた人はいなかったんですか?」
「だから何度も言ってるじゃねえか。この区画に住んでる皆はなぜか今日の建国祭が昨日だと勘違いしてたんだと。だから、あの時間帯にも関わらず人っ子一人いなかったそうだぜ」
「うーん。自分で事件を起こしといてこんなこと言うのもなんなんですけど、都合が良すぎるっていうか……。ちょっと聞くと間抜けな話にも思えるんですけど、これって奇跡みたいなことですよね」
幸運にも被害者は一人もいないことに安堵しながらも、何か引っかかってしまうニーナだった。
「んー? ニーナちゃんの日頃の行いがいいからじゃないー?」
フィッツは比較的綺麗なままの椅子に座って、いつもの笑顔で話しかけてくる。
一見、何もしていないように見えるフィッツだが、風属性と水属性の魔法を器用に使って、店内の煤や汚れを落としながら、焦げた匂いを取り去っている最中だ。
店主はそんなフィッツを横目でじろりと睨みながら話を続ける。
「ニーナの日頃の行いはいい。それは認めるがな。問題は、今年の建国祭の日程が例年より一日早まる噂を数日前から流してた奴の特徴が、どうにもそこの兄ちゃんとしか思えないところなんだが」
「そうですよねえ。いくらフィッツさんが人好きのする感じだからって、そんな簡単な嘘を皆が信じちゃうかなあ」
「何にせよ、怪我人も出なくて、ニーナも無事。なら文句を言うのは筋違いだろ、常識的に考えて」
辛辣な物言いで言葉を挟んできたのは、棚を拭き掃除している秀人だ。
「…………はい」
咄嗟にニーナは顔を赤らめて俯く。
「……おいおい、まだそれ続いてんのかよ。まあ、大事にならなかったのは、兄ちゃんの嘘を近所の皆が信じ込んじまってたからこそだ。さすがはウソの魔導士様だぜ」
「ねー、結果良ければすべて良し、だね」
「俺は嘘吐きは嫌いだがよ、兄ちゃんには感謝してるぜ。――よっと!」
「あ! マスター、またそんな重い物を持ってる! 怪我が治ったばっかりなんですから無理はしちゃ駄目ですってば!」
夕食営業用の酒の入った木箱を抱えた店主に、ニーナが注意をした。
「フィッツの回復魔法を受けたのなら、だいじょうぶだろう。むしろ、前よりも身体の調子がいいくらいじゃないか? 効果と引き換えに若干、癖があるのが難点だがな」
皆が戸口のほうを振り向くと、いつの間にかジークハルトが立っていた。
「やあ、ジーク。君も手伝いに来てくれたのー?」
「あ、いや、昨晩の目撃者を探しているついでに寄っただけだ。まあ、私にもできることがあるなら手伝うが?」
「え、いいんですか? それじゃあ、ヒデトさんが拭いてくれた棚の乾拭きをお願いしちゃおうかな」
そう言ってニーナは雑巾を絞り、ジークハルトに手渡した。
「おい、ニーナ! その人は近衛魔導士長だぞ。掃除を頼んじゃ、さすがに悪いぜ」
「ジークはこの国の魔法使いのなかで一番偉いんだよねー?」
「え? そうなんですか? そうとは知らずに、すいません」
ニーナは謝るが、当のジークハルトは受け取った雑巾が乾いていることに気付き、驚愕の表情をしている。
「おい、何をした? まさか……」
「何って、熱風で乾かしたんですが」
「無詠唱……しかも、ごく自然に。集中する素振りも見せなかった……」
「ニーナちゃんほどの魔力の塊なら、できて当然だよねー」
「はあ、やはりフィッツに託したのは間違いだったかもな。すぐにでも国に欲しい逸材だ」
ジークハルトは溜め息を吐きながら呆れたように首を振った。
「ニーナちゃん、魔法を使うようにしたんだねー」
「お前、本当に魔法が得意だったんだな」
「はい、これからフィッツさんのところで魔法の勉強をして、人の助けになるためには、まずは魔法を使うことに慣れなきゃと思って。あたし、五歳の頃から魔法を使わないようにしてたから」
魔法については悲しい記憶もあるはずなのだが、目標を見つけたニーナの表情は活き活きとしており、困難な壁が立ちはだかろうとも乗り越えていけそうな力強さを感じさせた。
「早速前進してるんだねー。師匠は嬉しく思うぞよ」
「何事もはじめの一歩から。ジャブで葉っぱを掴むところから」
「…………はい」
だがやはり、ヒデトには弱いらしく、すぐさまニーナの頬に朱がさす。
「ニーナ……最早なんでもありなのか? 俺にはヒデトが何を言ってっか全然わからねえんだが」
店主は呆れ果てた様子で肩を竦めた。
次回は明日8/13(土)の10時に投稿します。