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ご主人様は、結局、その日の内には帰ってきませんでした。
冒険者の救助がそう簡単に行くはずないのは、なんとなくですが想像できます。だからこれが普通なのでしょう。ウムさんが言っていたように。
わたしの心配なんて杞憂以外のなにものでもなく、それでも大丈夫かなぁと心配になってしまうのは、わたしがまだ彼のことを殆ど知らないからに違いありません。
現在時刻はマルロクサンサン。お日様が昇ってちょうど森の木々を超えてきたあたりです。メイド長さんが起きてきたのが、廊下からの物音でわかりました。
ここまで早起きなのはご主人様のためではありません。
「やっべ、めっちゃ面白いじゃないですか」
ページを繰る指が止まらないとはこのことです。
ご主人様から借りた『ハッツェンロットの英雄譚』、これがもうわたしの趣味嗜好にストライクでして、笑あり涙あり、友情努力勝利の冒険活劇。敵が味方になり、そして味方に裏切られ、嗚咽を堪えながらも前に進んでいくハッツェンロットたちの旅路に……、
「わたし、涙を禁じ得ません……っ!」
昨日の夜に読み始めたのが運の尽き。睡魔に負けてぶっ倒れるまで読み耽り、続きが気になって睡眠すら浅くなる始末なのです。
特に四巻の最後、魔術師ムガルムガルが不死王デンダートを自らの肉体と引き換えに封印するシーンなんて、思わず声が出てしまいました。
一番ムガルムガルに理解を示すのが、喧嘩ばかりだった盗賊のバジエだというのも、心憎い演出だと思います。
残念なのは以下続刊ということで、六巻以上の先が書庫にないことです。早く読みたい。早く読みたいのに、読めない。うぅ、生殺しです。
ハッツェンロット、そして彼が率いる一行自体は歴史書にも出てくるくらい有名な勇者。この小説はそれをフィクション的に強調して、ゴーレムやらドラゴンやらと戦ったり、囚われのお姫様を助けに行ったりしています。
「『好きにしろよ』『……止めないの?』『なんだ、止めて欲しいのか?』『いいえ』『お前の魂、見つけてやるからな』『……精々そうして頂戴』」
自分の腕で自分を抱きしめます。魂さえ残っていれば、いつか、どこかで必ず再開できる。そう信じているから。
そうです。誰よりもリアリストであったはずのバジエが、魂だなんて不確かなものを口にしているのです。肉体は有限、しかし魂は無限。不滅の存在を信じれば、死は終焉ではない!
「……くーっ! 格好いいなぁ、痺れるなぁ! メイド長さんもそう思いません、か……?」
「私は僧侶キルケリアとハッツェンロットの恋路の行方が気になりますね」
開かれた扉のわきに、メイド長さんが立っていました。既に身支度は万全で、凛々しい印象すら感じさせる様相のまま、完全体でそこにいます。
冷静な彼女とは裏腹に、というか彼女が冷静であればあるほど、わたしの頭の中の温度が上昇していきます。
「見ました?」
ご主人様なら「端折るな」とでも言われてしまいそうでしたが。
メイド長さんはわたしの疑問符を受けて、にこり微笑みました。
「お上手ですね」
「……」
「ど、どうしました。崩れ落ちて」
「いつから居ました?」
「『やっべ、めっちゃ面白いじゃないですか』の少し前から」
「あぁ、そこから……」
「申し訳ありません。ノックはしたのですが、返事がないもので、失礼かと思いながらも」
「いえ、いいんです、わたしが悪いんです……でも、どうかしましたか?
「朝早くからで申し訳ないのですが、帝都まで向かってもらえませんか。マスターもいないので、私はお屋敷と地底窟のことで手いっぱいになってしまいそうなのです」
「それは構いやしませんけど」
帝都はわたしの暮らしていた奴隷館があるところです。ホームグラウンド、庭と言っても過言ではないでしょう。
それを見越してメイド長さんも声をかけてきたのだとは思いますが。
「何をすればいいんです?」
「お願いしたいことは単純で、ただ報告書を提出してもらいたいだけなんですが、直接渡す必要がありまして。
本来ならマスターが持参し、口頭でのやり取りなども行うはずだったんです。ただ、急な依頼が舞い込んでしまいましたから」
「報告書を渡すだけですか? 帝都に行って?」
だとしたら子供のお使いレベルです。それでも、一日中書庫に籠って本を読んでいては、腐ってしまうのも事実。わたしは二つ返事で引き受けました。
「移動手段は馬車ですか? わたしがここに来るときはポータルを使ってきましたけど」
「起動できるだけの魔力はありますよね? でしたらポータルでお願いします。なるたけ早い方がいいと言われておりまして、あちらは忙しい方ですから」
その表現から察するに、受け渡しは事務的なものというよりは、個人を相手にしたものなのでしょう。ご主人様との質疑応答も本来行うはずだったというのですから、別段不思議ではありません。
地底窟、ダンジョンの管轄……となれば、やはり国土地理院でしょうか。帝都には本部もありますし、原隊もあったように記憶しています。
帝都暮らしが長いと言えど、あの辺りは行ったこと殆どないんですよね。政治的な要衝とかで警備がやたらに厳重だから、散歩をするだけでじろじろ見られてしまいます。
ちょうど本を読み終えたばかりということもあって、タイミングとしてはばっちりでした。そのままメイド長さんから封筒に入った書類一式を受け取ります。
標準サイズの書類で、封が符によって魔術的にされていました。汚損、及び第三者の開封を防ぐような術式になっています。
ポータルは、このお屋敷の外、出てすぐの入り口にありました。転入と転出、二つのそれが双子のように並んでいます。
メイド長さんはわたしに一枚の地図を渡しました。
「しるしをつけておきましたので、お願いいたします。くれぐれもお気をつけて」
「わっかりました! 任せてください!」
手をぶんぶんと振りながら、わたしはポータルを起動させました。
ポータルとは汎用の簡易転送魔術が登録されたオベリスクのことを指します。
魔術を使える人も使えない人も、遍く存在には魔力――マナが宿っているとされています。それを少し消費して、内蔵されている魔術回路にマナが満ち、転送魔術が起動するのです。
便利な代物では当然あるのですが、一日の起動回数に限りがあるということで、日常的な足の代替とはなっていません。
普通は各地の拠点と拠点を結ぶために設置されていて、個人が所有できる代物では到底ないはず。ご主人様のお屋敷にあるのは、その役目が特殊であるからなのでしょう。
素早く駆けつけること。そして地底窟へ挑む人々にとって便がいいこと。両方の解を同時に満たす要素です。
わたしは魔術を使えませんが、ポータルによってその恩恵は受けることができます。なんて便利な世の中なんでしょう!
瞬き一つする間に帝都へ着いてしまいました。目の前には「ここは東ポータルです」と書かれてあって、商業地区はどこそこ、住宅地区はどこそこ、行政地区はどこそこ、そんな案内がされています。
一日の起動回数に限りがあるとはいえ、帝都にやってくる人はちょっとやそっとじゃききません。混雑を緩和するために、帝都はポータルが計四つ、東西南北におかれています。
わたしは地図に目を落としました。さて、どこへ行けばいいのやら……。
「あ、これは凄いなぁ」
地図に書かれた赤い丸印が囲う文字。
『国土地理院』。
「しかも本部じゃないですか。帝都中の冒険者の総本山……」
予想通りと言えば予想通り。
地底窟が国土地理院の管轄下にあるのなら、まったく不思議ではありません。とはいえ、いざとなると緊張もします。
国土地理院についてからの手筈は簡単で、これを守衛さんに見せれば案内してくれる、そうメイド長さんは言っていました。既に先方へ連絡は伝わっているはずです。気張ってもしょうがないことはわかっているのですが。
国土地理院は行政地区の中にあります。帝都は行政、商業、住宅、娯楽と四つの地区に大まかに別れています。柵や線で明確に区切られているわけではないですが、それでも行政地区に踏み入ったなとわかる程度には、鋭い警備の眼がはってありました。
商業地区のような活気があるわけでもなく、住宅地区のような朗らかさがあるわけでもなく、娯楽地区のような煌めきがあるわけでなく。
徹頭徹尾芯の通った空気が通っています。
わたしはそんな空気の中を足早に進み、ついに目的地である国土地理院へと到着したのは、おおよそ十五分後。横に大きな五階建ての四角い建物、その周囲は柵で守られ、門扉の脇に二人の守衛が立っていました。
二人はわたしを見つけると真正面から捉えるように少し姿勢を変えました。
よく訓練されている、と思います。
「あのぅ……」
「どうしました。道に迷いましたか?」
一人の尋ねにわたしはふるふると首を振ります。
「あ、いえ。マキア・アルコーネの使いの者で、地底窟に関する資料を届けにきたのですが……」
「それは伺っておりますが、失礼ですがご本人様ではありませんよね?」
「……はい。えっと、ご主人様は、昨晩地底窟へ救助に向かわれたきり、まだ帰っていないのです。ですからわたしが代理できたのですが……」
不穏な感じでした。二人の兵士さんが顔を見合わせたあたりで、わたしはそう思います。
連絡が伝わってない公算が大なんですけど。
「すいません、ちょっと確認してみますね」
「お願いします」
こんな子供のお使いじみたことすらできなかったら、わたしはもう、明日と言わず今日中に荷物をまとめて出ていかなければ申し訳ありません。
「すいませんでした」
通信機で誰かとの話を終えたらしい兵士さんが、わたしへ向き直って頭を軽く下げました。
「ただいま確認を取りましたところ、連絡を受けておりました。すぐにお通しいたします」
ほっと一息。よかったぁ。
「ただいま係りの者が向かっておりますので、彼女の案内に従ってお進みください」
「わかりました」
わたしも一礼して門扉をくぐります。
いたって普通の建物、と言った感じです。無機質で、飾り気のない、シンプルなつくり。入ってすぐにひさしと玄関、板目のくっきりした通路が見えてきます。
そこをぱたぱた走ってくる人影がありました。尖った耳に一際目立つ、太陽をかたどった耳飾りが印象的です。
「お待たせして申し訳ありません。クルイェン・スケゥラと申します。よろしくお願いします」
エルフでした。と言っても、クルイェンと名乗る彼女は金髪でなく黒いショートカットで、肌もどちらかと言えば黄色みを帯びていました。瞳も白目と黒目がまんまるで、人間と同じです。純血ではなく、人間との混血――ハーフエルフに違いありません。
基本的に瞳の形や毛髪の色彩について、エルフのそれは劣性なので、あまり顕現してくることはないのでした。代わりに長くとがった耳や、すらっと高い鼻などは殆どの場合現れてきます。
こんなことを言うと手前味噌かもしれませんが、エルフ族との混血による最大の特徴は、その美貌にあります。
クルイェンさん。彼女もまたその御多分に漏れず、さわやかさを感じるボーイッシュさを兼ね備えた、美人さんでした。
「マキア・アルコーネ様の代理のかたですね? 中をご案内いたしますので、はぐれないようについてきてください」
言われたとおりはぐれないように注意しつつ、クルイェンさんについてゆきます。
「ね、ね」
「?」
兵士さんたちが見えなくなった辺りでクルイェンさんはこちらを振り向きました。子供っぽく、快活な笑みを浮かべると、自然と八重歯が目立つ格好となります。
「純血のエルフってほんと? ハーフはいっぱいいるけどさ、純血って全然いないじゃん。気になって、案内買ってでちゃった」
「本当ですよ。でも、まぁ、ハーフと何が違うかって言われたら、どうなんでしょう」
見てくれは確かに違いますが、でも、そんなことを言ったらきりがありません。純血の人間同士、デミゴッド同士だって、生まれや血筋、遺伝の現れ方によって随分と見てくれは変わります。
「まぁそうだよねぇ。でもやっぱり美人だと思う」
「や、や! そりゃ、世間的にはそうなってますけど、よくわかんないです」
「あら、そうなの。でもそっちのほうがいいよ。お高く留まってるのもだめじゃん? ねぇ?」
いや、ねぇと言われましても。
苦笑するわたしを尻目に、にこにこ笑いのクルイェンさん。
「あ、あの、わたしはこれを」
と封筒を差し出して、
「どなたに渡せばいいんですか?」
「あぁ、それね。一応名目はジィ様になってるけど、多分全員に見せることになると思うよ。さっき集まってたしさ」
「……全員?」
「聖騎士全員そろい踏みしてるの。院長と色々やりとりがあるんだってさ」
ジィ。
聖騎士。
そのどちらの単語にも聞き覚えがありました。
「嘘でしょ?」
思わず敬語も消し飛びます。
もし仮に、本当にもしもの話ですが、個人個人の『世界への貢献度』を測れたとしましょう。当然その中には国王や、各重要行政部の長、各貴族領主が軒並み名を連ねるはずです。
そして冒険者の中から選出されるのが、帝都の誇る四人の聖騎士なのです。
規格外の戦闘力を持ち、ありとあらゆる過酷な任務を、自らが率いる小隊のみで達成していくその姿はまさに英雄そのもの。勇者ハッツェンロットの名前は小説か歴史書の中にしか存在しませんが、戦乱の無いこの世界で救国の主とさえ呼ばれうる存在。
「嘘じゃないよ。え? 何も聞いてなかったの?」
「……はい」
そんな時間もなかったので。
「気持ちはわかるけど、別にそこまで怯えなくても平気だよ。ジィ様だって、もうだいぶ丸くなったんだから」
「丸くなった、ですか」
「そ。昔はそりゃもう傍若無人でさ、仏に会いては仏を殺し、祖に会いては祖を殺し……みたいな。ところ構わず乗り込んで、喧嘩吹っ掛けて殲滅して、そんなひとだったけど」
「なんですかそれ」
ただの悪魔じゃないですか。
「今は丸くなったんだって。いろいろあってさ。だからもう大丈夫、らしい」
らしい、ねぇ。
伝聞に伝聞を重ねたところで、恐ろしさも安心もあまりありませんが。
「聖騎士に限らず、やっぱり特異なひとは、性格も変わってるよ。だけどそれが即ち悪人ってわけじゃない。そこはね、勘違いしてもらっちゃ困るかな。
あたしはトリプルスピン様の部下なんだけど、部下思いのいい人だよ。聞いたことあるでしょ、《真白き》トリプルスピン」
「はい」
「っと、ちょうどいいタイミングで到着です」
クルィエンさんが立ち止まったのは、両開きの大扉の前。プレートには「会議室」と書かれていました。
「多分すぐ終わるとは思うよ。書類渡して中身を検めるだけだと思うから」
だといいのですが……。
体を強張らせていても仕方がありません。いくら相手がお偉いさんだからと言って、別に粗相をした瞬間にとって喰われるわけでなし。わたしはわたし、ご主人様の奴隷であり、今は使いの者。堂々としていればいいのです。
そう自らに言い聞かせ、真鍮製のドアノブを強く回しました。
「……?」
ぐぐぐ、と手応え。反対から押さえつけられているような、圧搾された空気があるような、そんな……。
さらに一歩踏み込みます。すると一気に扉がひらき、わたしは思わずつんのめってしましました。
「あっ、その、失礼します!」
あるいは失礼しました、だったかもしれませんが。
部屋の中央には一枚板の上等なテーブルが鎮座しており、椅子に座って四人がこちらへと視線をやっています。
計八つの視線。それはわたしを見ているようで、決してわたしになぞ興味はないのだと、一瞬でわからせてくれました。
「しっかし残念だ! マキアの野郎、今度こそぶっ飛ばしてやろうと思っていたのによぉ!」
「後始末をするのは誰だと思ってるんだ……?」
「だから脳筋は困るんですよ。早く死んでくれませんか」
「ちょ、ちょっと。みなさん、もう少し外面をよくしたらどうなんですの」
東の聖騎士――《砦崩しの》ガルダロス。
西の聖騎士――《七剣八刀》シャーサーク。
南の聖騎士――《燃ゆる苛性》ジィ。
北の聖騎士――《真白き》トリプルスピン。
扉を開けたときに感じたのは、彼ら四人の圧力だということに、わたしは遅ればせながら気が付きます。
国土地理院が誇る四人の筆頭戦士。剣であり盾、そして同時に至宝。いくらわたしが無教養と言えど、この四人の名前と顔を知らないほどではありませんでした。
通された部屋がここであることに間違いはなく、そしてわたしの役目を考えれば、手の中にある封筒を提出しなければならないのは明白です。ですが、それはつまり、ご主人様はこの四人を相手取る予定だったということで。
……どれだけの胆力が必要なのか、想像も尽きません。
「おう、嬢ちゃん! てめぇがマキアの使いか! あいつは元気か! じゃねぇと困る、あぁ困っちまうぜ! なんせ決着がついちゃいねぇんだ、逃げられまくりでな!」
大口を開けて笑う《砦崩しの》ガルダロス様は、その二つ名の通り、自身が率いるたった一部隊で敵軍の砦を落としたこともあるそうです。軍人あがりの冒険者は少なくありませんが、その嚆矢とも呼べるもののふが彼。
口調と威勢に見合うだけの体格の良さ。全てが大きく、足も腕も、わたしのお腹周りくらいの太さはあるように思えました。
「あの男がここに来ないのは、もしかするとお前のせいかもしれないぞ?」
冷静に言葉を投げかける《七剣八刀》シャーサーク様。均整な顔立ちの美青年といった風体で、実質的にこの四人の中でのリーダー格を務めているそうです。
民衆からの信頼も篤く、次期国土地理院長は彼になるだろうとのもっぱらの噂です。
「どうだっていいじゃあないですか。時間をかけるのも煩わしい。さっさと終わらせてしまいましょう」
四人の中でも一際小柄で、相反する棘を吐き出すのが《燃ゆる苛性》の二つ名を持つジィ様。先端が燃える髪の毛と、煌々と燃える右目を持つその姿は、炎の精霊とのクォーターだからだそうです。
わたしのどこが一体気に入らないのか、こちらをじっと睨み続けてきます。
「わざわざご足労頂いたのに、あぁ、本当にごめんなさい。封筒を受け取りますわ」
口調と風体が相反するのは《真白き》トリプルスピン様も同様でした。鋭い瞳に流れるような金髪、まるで貴族王族然とした存在感とは真逆な腰の低さ。
彼女は聖騎士であると同時に、稀代の魔術師として名高くもあります。ギムナジウムの特別顧問として教鞭を振るっていると聞いたこともありました。
わたしは為す術もありません。言われるがままにトリプルスピン様に封筒を渡します。
紫のマニキュアが塗られた爪でさっと符をなぞれば、魔術回路をマナが走査し、いともたやすく封筒は開きます。
そのままトリプルスピン様が、そしてジィ様、ガルダロス様と中身を流し読みしていって、最後に読み終わったシャーサーク様が、小さく頷きました。
「うん。問題が噴出しているのは、予想通りではある……。あいつの代わりに帝都まで、わざわざ申し訳ないね」
あいつ、とはご主人様のことでしょう。わたしは言葉を受けてぶんぶんと首を横に振ります。
「い、いいえっ! わたしはご主人様の、ど、奴隷でひゅかりゃ!」
緊張のあまり言葉を噛みまくってしまいました。大笑いしているガルダロス様に、なぜだか物凄い顔を顰めているジィ様が視界に映っています。苦虫を噛み潰したという表現がここまであう方を見たことはありません。
……わたし、何か粗相をしたでしょうか?
「とりあえず地底窟の方はあいつに任せておけば問題ないだろう。秘宝の噂はともかくとして、新しいFOEは捨て置けないが、人員を割ける状況でもないしなぁ」
えふおーいー?
そう言えばご主人様も、救援の話が出たときに、そんな単語を口走っていたような気がしますが。
「シャーサーク、このエルフに情報を漏らすつもりですか? 馬鹿なんですか?」
「ん、まぁそうだな。とりあえず、きみ、すまないが退出してくれないか? 係の者に案内させるから」
勿論否やがあるはずもなく、わたしは流されるままに、会議室の扉を背に閉めました。
目の前にはクルイェンさんが壁に背中を預けて待機しています。彼女はこちらに気が付くと、軽く右手を挙げて挨拶。わたしもぺこりとお辞儀を返します。
「どうだった?」
「……みなさん、予想以上に『濃い』です……」
「あっはっは! そりゃそうだろうさ!」
わたしの言葉の何が琴線に触れたのかはわかりません。笑いながら道を指し示すクルイェンさん。
「さっきもいったじゃないか。あれだけ桁外れに強かったら、寧ろまともじゃないほうがまともに見えてくるってもんだよ。薄かったら不自然だ。善悪とかはまるっきり別にして、あの四人は確実にどこかブチ切れてるね」
おっと、これはアフレコで頼むよ――からから笑いながらも遠慮がありません。
「あたしゃトリプルスピン様の部下だけど、まぁあの人が一番まともっていうか、害はない。それでも突出した――まるで普通じゃない才能が、叡智が、あの人には備わってることは確信できる」
《真白き》トリプルスピン。ギムナジウムの特別顧問。ポータルの基礎理論を確たるものにしたのも彼女だったはずです。
魔術師の中の魔術師との誉れも高い彼女の部隊に所属しているということは、クルイェンさんもまた魔術師なのでしょうか。
「あぁ、そうだよ。ちょっとそうは見られないけどね。
ギムナジウムであの人に師事されてたんだ。卒業と同時にそのまま、って感じ。だから結構付き合い自体は長いんだ」
「はー、ギムナジウム」
ということは、かなりのトップエリートということになります。
まぁ、聖騎士率いる一団に属することができているという時点で、エリートなのは当然といえば当然。きっとギムナジウム卒のひとなど珍しくもないのでしょう。
それは既にわたしの知っている小集団の像ではありませんし、抱いている冒険者と言うイメージとも随分かけ離れたものでした。泥臭い賞金稼ぎ、一攫千金……欲と野望に塗れた雰囲気はそこにはありません。
知と理論、才能を基礎として打ち立てられた、壮大なインテリゲンチャの塔。
きっと隊ごとに特色があるのでしょう。たとえば、トリプルスピン様は魔術師を多く擁し、ガルダロス様は兵隊あがりがおおい、というふうに。
「あたしは特別入学者だから、本当の天才とは全然違うけどねぇ。それでも、やっぱりギムナジウムに入るのが、国土地理院入って冒険者やるには一番いいし」
「特別入学?」
なんだかそっちの方が凄そうな字面ですが。
「うん。あれ、聞いたことない? ギムナジウムって、魔法が使えれば基本的に入れるんだよ。青田刈りってやつ」
「あぁ、そうですよね。魔術を学ぶところなんだから」
最初から魔術を使えるなら、十分才能があることが見込まれるわけですし。
「ん?」
クルイェンさんは怪訝そうに首を傾げました。
「違うよ?」
「え?」
今度はわたしが首を傾げる番です。
「魔法が使えればって話なんだけど」
「ですよね? ギムナジウムは魔術を学ぶところですし」
「なにが?」
はぁ?
何が、「なにが?」なんでしょうか。
どこかわたしたちの会話は根本的に食い違っているような……。
「ギムナジウムが魔法を使える人を特別優遇するってのは、将来冒険者として送り出すことを前提としているからってだけで、魔術の才能とは、……あぁ」
得心いったように頷かれました。わたしはまだ理解に、理解が、追いつく気配さえ見せません。
「でも、え? うそ。知らないの?」
「なにが? なにを、ですか?」
「いや、ごめん。びっくりして。そうなんだ、知らない人もいるんだぁ……」
「あの、だから、なんのことです?」
「魔術と魔法って別物だよ?」
魔術。
魔法。
それらが別物?
「魔術ってのは、『魔』力を用いた、あるいは用いる技『術』のこと。技術である以上、そこには理論だった体系が存在してて、そこに基づいて行使されるわけ。そして、技術ってことは、普遍的。汎用的。マナっていう原動力さえあれば、いつでもどこでも誰にでも、魔術は行使できる」
そう、例えばポータルのように?
「メジャーなのは符だよね。あれは符に書かれた魔術式にマナを流すことによって、術式が起動し、放つことができる。別に式を書いた人とマナを流す人が一緒である必要はない。回路にマナを流す、それさえすればいい。
でも、魔法は違う」
国土地理院の玄関が近づいてきました。わたしは意識して歩く速度を落とします。
「魔法の『魔』は同じくマナのことだけど、『法』は方法とか法則とか、そういった手段のことじゃない」
こと――『じゃない』。
否定を強調するためか、少しその部分だけ、不自然に語勢が強まりました。
「魔法の『法』の意味は、現象。あるいは表象。個人個人のマナによって引き起こされる、世界へ働きかける何らかのちから。式も符も使わない、本人にしか導き出せない、一種の才能。ワンオフの能力。それの総称が魔法。わかったかい?」
「……!」
わたしはぶんぶんと首を振りました。
なるほど。魔の意味こそ対応しているけれど、術と法の意味は対応しているようで対応していない、と。だから言葉が混ざり合って、不思議な誤解を招いてしまったのかもしれません。
んー……でも、わたしは確かに、魔術すら使えないのですけどねぇ。
まぁポータルは問題なく使えましたし、結局のところは相性だったり体質によるところもあるのでしょう。炎の魔術が得意とか、氷の魔術が得意とか、そういうマナの属性に近いなにかが。
もう少し話を聞いていたかったのですが、残念ながら限界まで遅めた歩みでも、ついに玄関まで辿り着いてしまいました。
道案内はこれにておしまい。わたしは名残惜しさを十分感じつつ、背負って帰ることにします。
「お疲れ様。久しぶりにエルフに会えて楽しかったよ。あなたにエヶラクゥイ様の加護がありますように」
そう言って、小指で鼻の先と額を一度ずつ、ちょんちょんと触りました。
それはエルフ族の原始宗教で、あなたの無事を祈ってますという意味を示す、お別れの挨拶です。わたし自身久しくやっていなかったその作法が、まさかこんなところで見られるとは思ってもいませんでした。
わたしも当然微笑んで、動作を返します。そうしてお互いに手を振りあって、今度こそ国土地理院から離れました。
太陽はまだ中天に差し掛かる気配すらありません。商業地区では、店がぱらぱらと開店を始めていて、ようやく本格的に街が動き始めています。
散策と洒落込もうとして、頭を振りました。ここにいるのは戦災孤児としてのわたしではなく、奴隷としてのわたしなのです。任されたのは「封書を国土地理院まで持ってゆくこと」。それ以外の指示を受けてはいません。
であるのなら、踵を返してさくっとお屋敷まで戻るべきでしょう。いつご主人様が返ってくるかもわからないのです。その時に何を求められるかもわかりませんから。
あるいは体を求められるかもしれませんしね!
「……あはは、はぁ」
自分で言って虚しくなってきました。
ポータルに戻る途中で数人の学生らしき人たちとすれ違いました。思わず距離を取って、身を縮こまらせてしまいます。
アカデミーでしょうか? それともギムナジウムでしょうか? どちらにせよ、わたしにはついぞ縁のなかった存在です。彼らを見送るわたしの瞳には、もしかしたら羨望の色さえ宿っているのかもしれませんでした。
わたしもそれなりに長く帝都にいましたが、学校へ行ったこともなければ、在籍している学生と話したこともありません。彼らは所謂「才能のある」人種で、相対するとなおさらわたしの奴隷という身分が、戦争孤児と言う立場が、負い目のように思えてしまうのです。
勿論それは差別です。わたしが奴隷を、戦争孤児を、差別しているゆえの負い目に違いありません。
いつかはわたしもきちんと彼らに胸を張れるようになるのでしょうか。
マキア・アルコーネの奴隷であると誇り高く名乗りをあげられるようになるのでしょうか?
そんなことを考えながら歩いていると、ふと視界の隅に、冒険者ギルドが入ってきました。国土地理院管轄の冒険者ギルドでは、冒険にまつわる様々な業務を取り扱っています。
さすが帝都、国土地理院直属のギルド。なかなかに店がまえも立派。
ご主人様が地底窟の管理人をやっているということは、ご主人様も、地底窟も、ギルドに情報が登録されている可能性はあります。
わたしはご主人様についてあまりに知らなさすぎました。気にならないと言えば、当然嘘になります。
「……」
中に入っちまえよ! ちょっとくらいならバレやしねぇって!
そうです、これはあなたのため以上に、ご主人様のためでもあるのです。
あ、あれぇ? 天使と悪魔が仲良子よしでわたしを勧誘してくるのですが?
とはいえ、ならばどこに臆する必要がありましょうか。ちょっとくらいの道草なら大丈夫でしょうと腹を括って、高を括って、わたしはギルドの扉を開きました。
冒険者ギルドの壁には大きく「新規案件」と書かれた掲示板があり、そこには沢山の依頼書、あるいは手配書が重ねて貼られていました。
ざっと見積もっても五十は超えるそれらの紙にわたしは呆気にとられます。報酬の下は五万から上は二百万まで。「生死問わず」から「自警団に引き渡しのこと」まで。「要山岳地帯特殊免許」、「耐毒技能保持者限定」なんてのもありました。
新規案件でないものは、どうやらファイリングされているようです。各テーブルに無造作に置かれているそれを一冊手に取り、わたしはにんまり笑顔を作ります。
「手配書で一番凶悪なのってどんなんですかねー!」
わたしはうきうき気分で手配書の束に目をやります。不謹慎だとはうっすら思いましたが、好奇心にはどうやっても勝てないのでした。
「……なにこれ」
写真はありません。名前もありません。
ただ、通り名と罪状が書いてあるだけ。
《絶対領域》と《達人》。
罪状は、ともに「国土地理院の調査隊を壊滅に追いやったことによる」。
危険度はSSS。
報酬は未定。
一瞬だけ呼吸が止まりました。
それも当然かもしれません。国土地理院は帝国が誇る調査兵団です。その一隊が壊滅させられたということは、即ち帝国の威信に泥が塗られたも同義なはず。こうして手配書が出回っていること自体が聊か不思議にも思えて……。
であるのなら、この手配書は少しばかり意を異なっているのかもしれません。
この二人を打ち倒すべし、ということではなく。
この二人と出会ってはならない、という悉皆周知のために。
であるのなら危険度SSS、そして報酬未定にも納得がいきます。そもそも設定されていないのです。それほど規格外の化け物。
世の中にはそんな存在もいるのだと納得し、ここでようやく、ほぅ、と息を吐くしかありません。
「まぁ魔術も使えないぽんこつエルフにゃあ、まるで関係ないお話ですねぇ」
おっと、自分でぽんこつと言ってしまいました。
ぺらぺらと惰性でページをめくっていきます。いるわいるわ、手配中の凶悪犯罪者。あからさまに悪そうな人相の山賊から、かわいらしく微笑む少女まで、千差万別の有象無象が所狭しと犇めいていました。
手配理由も大なり小なりバリエーションに富んでいます。殺人、強盗といった犯罪から、禁呪の開発を行った、違法な魔道具の流通といった知能犯、果ては百件以上の食い逃げまで。まるで見本市。
ファイルから顔をあげれば、新規案件とは反対の壁に、「ランキング」と題された何かが掲載されていました。
四隅に符の貼られた羊皮紙の上に、一から二十まで、恐らく冒険者の名前だろうと思われる文字が並んでいます。その横には何らかの数字も羅列されていて、じっと見ているうちに、いくつか上昇していくのがわかりました。
それを見てなんとなく察します。魔術的な手段で、リアルタイムで数字が増えていくのです。何人冒険者がいるのかは知りませんが、ここに載っている名前は、世界でも指折りの強者なのでしょう。
横の数字は強さの数値化でしょうか? それとも獲得賞金額? なんにせよ、有能度合いの指標には違いありません。
当然二十人の上位には、先ほど出会った四人の聖騎士も名を連ねています。
というか、トップがガルダロス様でした。
見てくれ通りの強さなのだと、その事実はある種すとんとわたしのなかに落ちてきさえします。砦崩しの名は伊達ではないと。
二位がシャーサーク様で、トリプルスピン様が四位、八位にジィ様の名前もありました。やはり、といった感じです。驚きよりも納得が先に来ます。あぁ、やっぱりね、という具合に。
でなければあれほどの圧など出せやしないでしょうから。
並行して、あの四人とタメを張れるくらいの人がいるということにも驚きです。何者ですか、三位のアラル・コンドウさんって。五位以下の人たちも、埒外な強さを誇ることは想像に難くありませんが……。
まるでわたしと住む世界が違います。
「おっと。長居しすぎるのもまずいですね」
流石にそんなタイミングよくご主人様が戻ってくるとも思えませんでしたが、少し調べてみたいことも増えました。早々にここを去ることにしましょう。
ギルドの利用者もだんだんと増えてきました。こころなしか、誰も彼もがわたしをちらちら見ているようで落ち着きません。純血のエルフが珍しいのか、女子供が一人で利用するのが場違いなのか、それともその両方なのか。
自意識過剰だと笑われるでしょうか? だとしたら笑い話で済むだけ居心地も悪くならないのですけど。
出ていくときに金髪の男性とぶつかりました。彼はこちらを見て、まるで品定めをするかのようにわたしを一瞥した後、ぺろりと唇を舐めます。
男性の口が動きました。言葉自体はわたしの耳には届きませんでしたが、それでも怖気は走りました。
間違いでなければ、彼はきっと……。
犯したいな。
そう言ったに違いないのですから。