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こんな世界はどうですか!?  作者: お腹空い太郎
第一章
2/26

1-1

 窮屈な書庫は少し埃っぽく、たまに鼻がむずむずしてきます。

 大して広くもない部屋の三方向に本棚を敷き詰めただけの、簡易と言えばあまりにも簡易な書庫。中心には年代物のデスクがあって、上には本と藁半紙が散乱していました。

 木は鉄刀木でしょうか? 意匠から察するに東方のもの。随分と高級品に違いないのでしょうが、美しい木目に垂れたインクも含め、ふさわしい使われ方をしているようには思えません。


 そこに鎮座ましますのは何を隠そうわたしのご主人様。読書に没頭しているのか、先ほどからページをめくる指だけが動いています。


「……」


 鋭い目つきを隠すかのように前髪は少し長く、精悍な印象を受ける


男性。四十にはなっていないでしょう。二十より下にも見えません。ただ、雰囲気だけが熟達しています。

 マキア・アルコーネ。わたしがご主人様について知っているのは、ただそれだけ。名前だけ。


「……」



 わたしはスツールの上から視線を送ってみるのですが、ご主人様は一向に気づく気配が有りません。


「……」


「……」


「……あのぅ」


「なんだ」


 声を出してようやく返事が返ってきました。ともすれば突き放しているように思えるほどの声音。しかしそれが素であることを、わたしはこの一週間で理解していました。


「本当にいいんですか?」


「端折った話をするんじゃねぇ。そんな仲でもねぇだろう」


「じゃあ、あの、僭越ながらっ」


「おう」


「言われたら何でもしますよわたし!」


「……」


 マカイオオダイコンニャクを見るような眼でした。到底他人に――まぁエルフですが――向ける視線ではないです。


「掃除と洗い物は奴隷館でもやってたから、きっと大丈夫! 料理も上手だって評判でした! 夜伽だって、全然もう、ばっちこいです! 処女ですけど、本を読んで一通りはわかってるんです! 買われた時から覚悟はしてきたんで!」


 やけくそ交じりに胸をどんと叩いてみます。


「……それで」


「わたし奴隷ですよね!?」


「あぁ、そうだ」


「買われてから一週間、ずっとここで本を読んでるだけってのは、肩透かしっていうか……」


「飽きたか? この書庫に一応五〇〇冊くらいはあるはずなんだが」


「や、そういうことじゃなくてぇ……」


「もっと奴隷らしいことがしたい?」


「そう! そうです! それともご主人様はわたしの奉公心を試しているんですか! 夜に部屋をそっと訪ねて、おもむろに服を脱ぎだした方がいいんですか!?」


 夜は更け、燭台に乗せられた蝋燭も短くなった頃。

 わたしはそっとご主人様の部屋の扉をノックするのです。お屋敷に寝ている他の従者が目を覚まさないよう、静かに、そっと、たった二度。こん、こんと控えめに。


『誰だ? 入れ』


『ご主人様、夜分遅くに、申し訳ありません……』


 ご主人様はちびた蝋燭の灯りで本を読んでいて、こちらには目もくれません。

 透けたネグリジェしか身に着けていないことにも、気づきません。


 私は焦れて、するりと、そのネグリジェすら肌を滑らせるのです。


 そこで初めてご主人様はこちらを向いてくれるのでした。


『後生です。抱いてくださいまし……』


 なーんてね! なーんて!

 背徳的すぎます! まったく!


「ご主人様ったら、ほんとに助兵衛なんですからー!」


「欲求不満なのか?」


 にべもない応対。まるでとりつくしまもありゃしない。


 なんてひどい誤解でしょうか。わたしは本を危うく投げ捨てそうになりながら、ぎりぎりで踏みとどまって抗議を続けます。


「乙女にそんなこと言っちゃだめです! そういうことじゃなくて、わたしの存在意義っていうかぁ……」


「家事、雑役、セックス。そんなイメージは過去の遺物だ。帝国はきちんと奴隷の扱いに関する条約に批准してる」


「あんなの形骸化してるんじゃないんですか?」


「んなわけねぇだろう。ギムナジウムにもアカデミーにも進学しなかったやつらがどれだけいると思ってんだ」


「そんなの知りませんよぉ。わたし、セメスター制度で奴隷館にいたわけじゃないですもん。『大戦』の戦災孤児枠ですから」


「戦災孤児なら戦災孤児らしくしてろっつーの」


「くよくよしてたって不幸が寄ってくるだけですよ? 何事にも前向きに! 全力で!

 ……あ、落ち込んでた方がいいってんなら、そうしますけど」


「……いい。俺が馬鹿だった」


 呆れ顔のご主人様でした。


 たった今言ったことは嘘じゃあありません。わたしは決して強がりでこうしているわけではないのです。

 故郷が消失したのは物心づく前でしたし、ショックがそもそも少ないというのもあります。が、何よりも、わたしは結果としてご主人様の『奴隷』となりました。ならば全力で何らかのお役に立ってみせましょうと、そういうわけなのです。

 まぁ、想像していた『奴隷』は随分と実態とかけ離れていたようですけど。


「俺の屋敷の衣食住は、全てメイド長一人で事足りる。お前が手を出したぶんあいつの仕事が増えるだけだ」


「夜伽も?」


「夜伽夜伽うるっせぇんだよこのポンコツエルフ! 奴隷生活長すぎて、頭ン中が蕩けたか!」


 ぽ、ぽ、ぽ……、

 ぽんこつですと!? 言うに事欠いてぽんこつとは、まったく酷い言い草じゃありませんか!


「だってぇー! 本当にメイド長さん一人で足りてるんですもぉーん! わたしの立場がぁ、プライドがぁー!」


 このやる気をどうやって発散しろというのでしょうか!


 大屋敷とは言えないまでも、お屋敷程度の大きさはあります。そこを一人で――いえ、三人で管理しきっているのですから、彼女はあまりに有能なのでしょう。

 だからわたしの出番もないのですが。


「勝てねぇ分野で勝とうとすることが間違ってんだよ! じゃあなんだ、お前分裂できんのか!?」


「できませんよぉ! わたしスライムじゃないですし!」


「なら黙って本読んどけ! 次ァこれだ!」


 ペーパーバックがわたしの鼻っ柱を直撃しました。


「ぶへぁっ! ちょ、ちょっとぉ、顔に向かって投げないでくださいよぉ」


「今日も元気ですねー、お二人さんはー」


 ノックもせずに扉を開けたのはメイド長さん……の2番目。首に黄色いネックレスを欠けている方は、トリと呼ばれています。

 彼女は人型スライムで、自切によってもう一人の自分を生み出すことができるらしく、その能力でもってしてこの屋敷の管理を全て行っているのでした。


 青く透き通った肌に、眼や髪の毛の造形は刻まれていますが、あくまで見てくれだけ。一応給仕服は着ていますが、果たしてスライムにも羞恥心と言う概念はあるのでしょうか? 

 気にならないと言えば嘘になります。


「おう。お前は今日もほんわかしてるな」


「三分の一ですからー」


 三分割すれば運動能力や知力も三分の一になるとかならないとか。


「で、どうした」


「大変なんですよー」


「端折った話をするんじゃねぇ。そんな仲でもねぇだろう」


 これがご主人様の口癖なのでした。


「すいませんー。ダンジョン許可証発行希望者が来てましてー」


「あ? そんなんウムの仕事だ」


「そうなんですけどー、都軍引きつれてー、小隊規模なんですよー」


「都軍? 帝都直属のやつらか? そりゃ確かかよ」


「三本の剣に茨冠の紋章ですからー、間違いないと思いますけどー」


「騙るにはリスキーすぎる、か。なるほどな」


「ねぇ、ダンジョンってなんですか?」


「お前は話に入ってくんな」


 酷いですねぇ。

 とはいえご主人様の命令なら聞かないわけにはいかないのでした。お口にチャックを徹底します。


 まぁ、話に入ってくるなとは言われましたけど、話を聞くなとは言われてません。

 精々聞き耳を立ててやることにします。


「で? 目的と人数は。言い分もコミで」


「詳しい話はウムちゃんが聞いてますけどー、多分ー……秘宝?」


「わかった。お前に聞いた俺が馬鹿だった」


「そうですねー、まったくー」


 ご主人様は頭を掻き掻き立ち上がりました。わたしも慌ててついていきます。

 てっきり止められるかと思いましたが、ご主人様は以外にもこちらを一瞥したっきりで、すぐにぷいと進行方向を向いてしまうのでした。


 お屋敷の入り口へ向かえばメイド長の三番目――ウムさんが、青いネックレスをぷらぷら揺らしながら、来訪者に応対していた、はずなのですが。

 鎧を身に纏った大男が二人と、その前に貴族然とした少年がいて、対峙するように少しだけ成長したウムさんが。

 ネックレスは青だけじゃなく赤もまた揺れています。


 貴族のナリをした背の低い少年が何事かがなりたてています。茶髪の長髪にそばかす。赤ら顔なのは地でしょうか? それとも興奮しているから?

 ひざ丈の絞りズボンに白いハイソックス、リボンタイは金糸で縁取りの刺繍がされています。わたしは階級制度に疎いのですが、そんなわたしをして少年が位の高い立場なのだとはわかりました。

 親の七光りに眉を顰めるつもりはありませんが、うるさく喚かれるのは少しだけ嫌な気持ちになります。


 大男が身に着けている鎧には、トリさんの言った通り、肩に三本の剣と茨冠の紋章が刻まれていました。


「だぁかぁらぁ、金ならあるって言っているだろう!? 倍のさらに倍だ、四倍だぞ!」


「『だから』って言うなら、こっちも『だから』と言うだけ、です。だから、ダンジョン攻略は最大でも五人まで。十人で入ることはできないです」


「なんでだよ! どういうことだよ!」


「おい、クソガキ」


 言い得て妙でした。ですが、その言葉はあまりにもクリティカルすぎると、わたしは思うのですが。


「誰だ!?」


「責任者だよ。管理者のほうが近いかもな。

 地底窟挑戦者の選定と救助を任されている。あー……以後、お見知りおきを? 合ってんのかこれ」


「マスター、説明は必要です?」


「いや、いらん。ってか合体したのな」


「えぇ。流石に三分割では対処に当たれないと判断したです」


 確かにメイド長さんは頭身も高くなって、言葉遣いも丁寧で、なんというか、こう、怜悧な印象が漂っています。造形も少し人間に近いかたちで彫が深くなっていました。


「そうか、お前が責任者か! ならなんとかしろ! こっちは選りすぐりを十人も集めたんだ、十人もだぞ! なのにパーティは五人までって、どうなってんだ!」


「どうなってるもなにも、言葉のとおりです」


「くそスライム! お前には訊いてない!」


「……」


 すぅ、と二人の瞳が細められたのを理解しました。きっと背後に控える大男さんたちもわかったのでしょう。慌てたのか視線を交わします。


「……いいか、よく聞け。いくつか話がある」


「な、なんだよ」


 どすの利いた声に、簡単に少年はたじろぎます。


「まず一つ。どうして五人までなのか。

 地底窟の中は入り組んでいる。広いところは地底湖を初めとして死ぬほど広いが、狭いところは這いずって進まなきゃならん。十何人も一気に投入して、満足な戦闘を行える余裕はない。地底窟自体に与える影響も未知数だ。

 さらに、全滅の可能性を考えるのなら、救出と脱出を手早く行う必要がある。一人助けるためにはその三倍の人でが必要になる」


「そっ、そんなのは弱い奴らだけだろう……! こっちは都軍の中でも一際腕の立つやつらを選んだんだ、その辺の冒険者とは格が違う!」


「選んだのはお前が?」


「はっ、誰がそんなことをするものかよ! お父上が見初めた強者だぞ!」


「なるほど」


 と納得するご主人様。わたしは何が何やらちんぷんかんぷん。


「なら、二つ目の前に三つ目ができたな。

 お前のお父上様とやらは、どうやら随分お前のことが大事らしい。こんなぼんくらでもいないよりはマシなんだろうが、可哀そうなことだ。

 人の装備にとやかく言うつもりはないが、後ろのやつらの装備は、都軍でも護衛のほうをやってるやつらのものだろう。大方息子をなるたけ危険に晒したくないんだろうが、それは少し、時と場合が違うんじゃねぇか? しかもご本人がそれを理解してないときてやがる」


「お前っ、お父上を――!」


「お坊ちゃま、今日のところはこれで……」


「なぜだっ!? お前ら、お父上が馬鹿にされたんだぞ!? いいのか、いいのかそれでっ!」


「今この場で全てを解決するのは、あまりに性急すぎるかと」


「都軍も大変だねぇ。スポンサーの息子か? 別になんだっていいけど、こっちゃ無駄死に減らすためにせっせこ管理者なんてやってんだ。ルールを守らずあわや大惨事、なんてのは困るぜ」


「……進言します」


「納得してくれるかは限らない、か。まぁいいけどな。

 ほら、行った行った」


「……絶対に吠え面かかせてやるからなっ!」


 大きな音を立てて少年たちは去っていきました。


「吠え面のガキに言われたところでな」


「お手を煩わせてしまい申し訳ありません」


「ん? まぁしゃあねぇべ。流石に帝都の貴族にまでツテはねぇからな、またやってきたら、そんときゃそんときだろうが」


「ジィ様に頼るというのはどうです?」


「悪いが却下だ。高くつきすぎる」


「そうですか。失礼しましたです」


「……あの、なんだったんですか、いまの」


 素朴な疑問を口にしてみます。

 ご主人様もメイド長さんも、そこでようやくわたしがいたことを思いだしたようで、びっくりした視線を向けてきました。


「まぁ、なんだ。俺は実は、結構偉いんだってことさえわかっておけばいいさ」


「や、エルフの奴隷買えるんですから、それはわかってますけど」


 わたしが買われた時のことを思いだします。

 この人は即金で、ぽんと――どしゃっと金貨の入った袋を放り投げ、わたしを買っていったのです。


 一応これでも純血のエルフですから、多分、かなりのレアものなのだという自覚はあります。魔族も人間もエルフも精霊も、最近は混血が進んでいますから、言い方はよくないですがわたしは「希少種」なのです。


「だから余計にわかんないんですよねぇ……」


 何を目的に、この人がわたしを買ったのか。

 ただの好事家にしては腑に落ちないところも多いです。


「ガキを相手にしてたら小腹がすいたな。なんかつまめるものあるか?」


「クラッカーの類か、ピンチョスなら手早く出せるです」


「酒のつまみになっちまうな。ま、いいか。それを用意して書庫に持ってきてくれ」


「御意です」


「ポンコツエルフ」


「ぽんこつじゃありません!」


「うるせぇよ。お前は俺と一緒に書庫だ。本を読め」


「うー、わかりましたけどぉ……」


 わたし、読書仲間として買われたんじゃあないですよね?


 家事手伝いでもなく、性奴隷でもないなら、他に思い当たる節は有りません。奴隷館ではセメスター制度を基にする職業マッチングも業務のうちですが、わたしがそれで売られたのでないことは、わたしが一番よくわかっているのです。

 大体ダンジョンって。管理者って。なにそれ? って感じ。


 前人未到の地は山ほどあって、そこを数多の冒険者たちが攻略し、国の勢力拡大に貢献していることくらいは知っています。恐らくはそのうちの一つに違いないのでしょうけど。


 新聞くらい読んでおけばよかったかなぁ。でも新聞くらいはこのお屋敷にもありそうだなぁ。そう思いながら書庫へとたどり着けば、既にクラッカーサンドが丸皿の上に載って、デスクの上に置いてありました。


 手早くとは言っていましたが、あまりにも手早すぎる……!


「わたしが到底追いつける領域じゃないです……」


 なるほど、この屋敷の衣食住に、わたしの出番はやはりなさそうでした。


「なに落ち込んでんだ?」


「なんでもないですよーだ!」


 大袈裟に叫んでみます。ご主人様がとったのにあわせて、わたしもクラッカーサンドを頂きました。大口を開けてぽいっと。


「あ、美味しいですね」


「多分市販のやつだぞ」


「奴隷の身分でしたからねぇ。初めてとは言いませんけど、馬鹿舌だと思われるのも心外です」


「そっち中身なんだった?」


「チーズですね。なんだろ。ブルーチーズかな」


「俺のもやるよ」


「え? ご主人様が触ったやつですよね? 嫌ですよ、ばっちぃ」


「代わりに甘いのを寄越せ。糖分が足りねぇ」


「子供じゃないんですからぁ……」


 しょうがないなぁ、とあえて聞こえるように呟いて、もらったクラッカーサンドをそのまま口の中へ放り込みました。まろやかな香りと味。このブルーチーズもやはり市販のものなんでしょうか。だとするならばかなりの高級品かもしれません。


 咀嚼アンド咀嚼。

 ばりばりぼりぼりもぐもぐごっくん。


「……」


「なんですか? わたしの食べるとこ、そんな面白いです?

 でしたらすいません。わたし、奴隷生活が長かったもので、教養やら礼儀作法ってものが最低限しか身についてないものでして――」


「んなこた奴隷商から何度も聞いたわ。あなた色に染めてくださいとか、身の毛もよだつ言葉と一緒にな」


「染めないんですか?」


「未来永劫ねぇな」


「わたしの存在意義……」


「てめぇは奴隷ってもんを短絡的に考えすぎてる」


 深い深い嘆息を頂きました。


「そうですかね」


 それはつい先ほども聞いたばかりの言葉ではありますが。


 呆れ顔のご主人様は冗談めかしていますけど、わたしは実は、結構本気……というより、真面目だったりするのです。

 教養のない頭なりに考えた結果、という感じで。


「これでもわたし、ご主人様には凄い感謝してるんですよ」


「そらそうだ。身請けしたんだから、感謝してもらわなきゃ困る」


 ご主人様がいかなる理由でわたしを買ったのか、それはまだわかりません。ですが、重く音のしたあの袋に見合う価値を、この人はわたしに見出してくれたのです。自身ですら不相応だと思うほどの価値。それに応えようとしないのは礼儀知らずというものでしょう。

 ひとまずは読書仲間に甘んじているとしても、きっとわたしがお役にたてる時が来ると信じて。


「別に、『御情けを――』って懇願するわけじゃあないですけど、感謝の気持ちを表現する機会を求めているわけでして」


 身よりも、寄る辺もない純血のエルフ。追い出されては往く当てなし。わたし自身が気づかない打算がそこにはあるのかもしれませんが、感謝の念は本物です。


 もぐもぐ。


 酸っぱさと柔かい甘味が交互にわたしの味覚を刺激します。ホイップクリームにイチゴですね。


「所謂ところの『奴隷』だったら、それが家事とか、セックスとか、多分そういうことなんだと思うんですけど。というか、わたしもそれ目的の奴隷になるのだとばかり思っていたんですけど」


 さにあらず。ご主人様の考えていることは露知らず。


「『けどけどけどけど』うるせぇなぁ。俺はお前をそんなくだらんことのために買ったわけじゃ……」


 そこまで言ったのに、ご主人様は口を止め、視線を手元に落としました。

 そうして自嘲気味に笑い、


「……どうだかな」


「チャンスあります?」


「ねぇよ」


「そんなぁ!」


「俺がてめぇに求めてることはただ一つ、本を読め! それだけだ」


「あぁ、これ」


 わたしの顔面へと投げつけられていたペーパーバックをぷらぷらやって見せました。

 まださわりしか読んでいませんが、伝奇物――というよりジュブナイル小説のようです。魔族、エルフ、人間、精霊が互いに争いを繰り広げる中、神の加護を受けた一人の英雄が戦乱の世を治めていく。そんなお話。

 いえ、というより、これは……。


「歴史小説、といったほうが正しいんですかねぇ」


 四種族が覇権を争っていた時代はこの世界にも確かにあったと聞いています。それは十年二十年じゃ足りないほど昔。当事者は全て滅び、語り継がれる中で変容、改竄されたお伽噺の乱雑な集合体。

 今は種族間の壁などとうになく、ハーフも珍しくはありません。寧ろ純血に価値が出る始末。


 ですが、もし伝承されるような戦国時代があったのならば、あまりにも皮肉なことだと思います。種族の境という火種を消せば、今度は国の境と言う火種が生まれてしまったのですから。


 誰もが「大戦」と呼ぶそれの原因が、パイの取り合いにあることは明らかです。進歩主義の行きつく先。拡大主義の帰結。植民地主義が生んだ惨禍。

 今となっては、経済の永遠の成長を信じる人は誰一人としていませんが、とはいえ欲望が尽きないのもまた事実。人間だけでなく、魔族だろうが精霊だろうがエルフだろうが、それは変わりません。

 資源。水。肥沃な大地。負けないように。惨めな思いをしないために。


 停戦協定は結ばれたとはいえ、本質が変わったかと問われれば……どうでしょう。政治経済を語るには、わたしはあまりにも無学すぎました。


「『ハッツェンロットの英雄譚』。こういう娯楽小説は寧ろ好物ですけど、ご主人様も読むんですね」


「俺を単なる堅物だと思うなよ」


「や、そもそも堅物だと思ってないです」


 じろりと睨まれました。堅物だと思われたいんでしょうか。


「その本自体は勿論創作だけど、世界を救った……っつうか、人間界の救世主、伝説の勇者様は、本当にいたらしいぞ」


「え、そうなんですか?」


「王国にな、ミイラがあんだよ。その勇者様のミイラが」


 種族的には雑多な帝国と違い、王国は人間が多く住んでいます。勇者――人間の英雄と聞いて、別段不思議なことではありませんでした。


「ミイラ」


 どういうものか、話には聞いたことありますが……。


「昔の人の考えることはよくわからんですねぇ」


「威信高揚のイミテーションかもしれんけどな」


「何した人なんですか?」


「……さぁな。どうだったっけかな。多分ギムナジウムの歴史書に載ってるとは思うぞ」


 と立ち上がるご主人様。自身の背後にある本棚、並ぶ背表紙を指でなぞり、三冊抜き出してまたしても放り投げてきました。


「わ、ちょっ」


 一度に三冊は無理ですって!


 一冊はキャッチしたものの、二冊はばさばさと音を立てて落ちていきます。

 読書家なのは間違いないのですが、どうにもこの人、本に対しての愛着はないみたいです。本を投げたり開きっぱなしにしたり、扱いが乱雑に過ぎますから。


「どんどん読む本が増えていく……」


 知識も教養もないわたしにとって、それらを身に着けるのは必要最低限の行いで、かつ火急を要します。奴隷たるわたしが浅学であればあるほど、畢竟それはご主人様の顔に泥を塗ることになるのですから。

 まぁご主人様が仕事を与えてくれるまで、暇など絶賛もてあまし中ですし。別段問題なぞありゃしないでしょう。


「ダンジョン? 地底窟? に関する本とかもあります?」


「なんだ、気になるのか」


「ていうか、ご主人様が管理者やってるなら、そりゃあ……」


 存外偉いのだ、と先ほど言っていましたが……。

 ダンジョンだろうが地底窟だろうが、どっちにしろ剣呑な単語に違いはありません。そしてそれを管理している。まるで公務員のようでもありますが、ご主人様から公僕のにおいがしないのもまた事実。

 わたしがいた奴隷館にやってくる役人は、大抵物腰が柔らかく、嫌な感じの瞳をしていました。ご主人様にそれはありません。


 まぁ、少々目つきは悪いですけど。


「ご主人様って何者なんです?」


「俺は俺だ。そして俺が例え何者であったとしても、お前が俺の奴隷である事実は変わりゃしない」


「ま、そうですけど。それでも気になるのは普通の感性だと思いますよ」


「ごもっともで」


 全く悪びれた様子の無い謝罪を頂きました。


「ダンジョンってのは、結局あれですか。成長戦略ですか」


 限られたパイを取り合うからこそ争いが起きるのだ――それは大戦を経験した全員が得た教訓です。

 今や資源も権利も奪い合うのではなく見つけに行く時代となりました。未踏の地が山ほどあるのなら、そこには無限の可能性が隠されているのだと、誰しもが目の色を変えています。

 かくして大冒険時代の到来。一言で表せば『成長戦略』。


 永遠の成長は望まないまでも、出来うる限りの成長を。


「まぁそうだな。帝国領土内にある、地下へ地下へと続く謎の遺跡を指して、地底窟だとかダンジョンだとか呼ばれてる。管轄は国土地理院、主な出土は純度の高いマナ結晶」


「国土地理院ってことは、ご主人様はそこの職員ってことですか?」


 帝国お抱えの冒険者集団、それが国土地理院。とするなら、ご主人様がわたしを容易く買えるほどの給金を貰っていても不思議はないのですが。

 しかし、わたしの予想とは裏腹に、ご主人様は首を横に振りました。


「いや、俺は違う。管理者なんてやってるのは、まぁなんというか、付き合いというかしがらみというか」


 煮え切らない返事でした。言いたくないというよりは、本当に表現のしようがないといった体に思えます。


「余談はさておき、地底窟――世間ではダンジョンのほうが通りはいいけどな――ありゃ正直なとこ、何が何だかわかってない代物だ。

 恐らく旧世代の遺物、遺構の類だってのは共通認識としてあるが、じゃあいったい誰が、何のために作ったのかってのはちぃとも判明しやしねぇ。名のある学者やら調査団が十も百も調べに行ってだ」


「凄いところなんですか?」


「良くも悪くもな。

 理解できねぇ技術と知識で創られてるんだ、人によっちゃ垂涎ものの場所だろう。そして同時に、尋常じゃない瘴気が立ち込めている。まともに立ち入れるつくりにゃなってない。魔物もわんさかいるしな」


「それでも人は向かうんですね」


 先ほどのおぼっちゃまのように。


「こういう場所にはつきものだからな」


「? なにがですか?」


 そこでご主人様は唇を歪めました。


「秘宝」


「あるんですか?」


「俺に聞くなよ。誰も見たことはない。あるんじゃないか、ってな。ただ、マナ結晶が出土するだけにしては、あまりにも手が込みすぎてる。『きっとそれだけじゃない』。そう思わせるだけの雰囲気は、確かにあるな。

 どうだ、ありがちだろ」


「ありがちかどうかはわかんないですけど……へぇ」


「世界をひっくり返せるような兵器だとか、竜をも操るオーブだとか、死者を生き返らせる杖だとか、ありとあらゆる叡智を収めた魔術書だとか。まぁいろいろ言われてる」


 言うなれば浪漫だな。ご主人様はそう言いました。


「ポンコツ、お前は何が欲しい?」


「ぽんこつじゃないですってー!」


 奴隷に関する条約に違反する扱いだと思います!


「言動に気を付けてりゃそんな謂れもなくなるさ」


 と、そのとき部屋がノックされました。びたん、びたんという魚が跳ねるような音。メイド長さんは水でできていますから、なのでこればかりは仕方がないのです。


「どうした、入れ」


「あ、くつろいでるとこ、ごめんね、マスター」


 青いネックレスの三番目、ウムさんでした。先ほどまでは一番さんと合体していたはず。どうやら一悶着も終わってまた分裂したのでしょう。


「打電、本部から。救出要請、だって」


 救出要請。


 誰の、と尋ねるほど愚かではありませんでした。それはおおむね二つの意味で。


 ご主人様に救出の要請が回ってくるようなのは、たった今言及されていた地底窟以外に考えられないこと。

 そして、一瞬で真剣なまなざしとなったご主人様に水を差すような真似はできるはずがないこと。


 びりびりとした威圧感を感じます。ともすれば、気に中てられて息をすることさえ忘れてしまいそうになるほどの。

 意識的に吸って、吐いて、高鳴る鼓動を押さえつけながら、わたしはご主人様を注視していました。まるで今ここに来て初めて、ご主人様の本当の姿が顔を出したかのように思えたからです。


「状況は」


「第二階層四段、五人パーティが壊滅状態。うち一人は死亡が確認。残る三人は生死不明。緊急信号の発信者も、ヒトヨンサンナナに連絡途絶」


「FOEか。第二階層……土蜘蛛だな」


「だと、思う」


「把握した。すぐに出る。状況次第では、数日戻らん。留守を頼んだ」


「御意」


 二人のやり取りはスムーズで、こういった会話を幾度となく繰り返してきたことが見て取れました。

 ご主人様は背筋をぴんと伸ばし、大股で足早に、真っ直ぐ前を見据えて、書庫を出ていきました。その姿から伝わる力強さと言ったら!


 すっかり蚊帳の外となったわたしですが、ウムさんはそんなわたしを一瞥して、にこりと微笑みかけます。幾分かぎこちない笑みでしたけど、言わんとしていることはわかりました。

 大丈夫だよと彼女は安心させようとしてくれているのです。

 ならばいつまでも気張る必要もありません。詰まった息を大きく吐き出しながら、一気にスツールに体重を預けました。


「誰かが、助けを、呼んでるんですか」


「うん。過酷な環境、だから、珍しいことじゃない。レスキューが本職の人も、いないわけじゃあないんだけど」


 ダンジョンの構造上、少数精鋭でなければ難しい、と。


 冒険者の増加は、必然的に冒険者を相手にした職業の増加を意味しています。装具であったり、新しい魔術の研究開発だったり、中には「冒険者狩り」や「『冒険者狩り』狩り」もいるとかいないとか。

 ご主人様のような救助者もまた然り。しかも救助なんて、下手すれば共倒れにだってなるのですから、より実力が求められるに違いありません。


「ご主人様って強いんですか?」


「強い、よ。めっちゃ強い」


 即答でした。しかもめっちゃとは。

 ご主人様の強さについてまるで理解が及びません。生まれてこのかた、喧嘩はともかくとして、戦闘に縁がないわたしです。当然と言えばそれも当然。

 ですが、ご主人様が管理人の責務についているのは、案外そのあたりが理由じゃないかとも思うのです。


「数日戻らないと言ってましたけど」


「……まぁ、普通、かなぁ。長くて、一週間くらい? 戻らなかったことも、あった、ような」


 考え考え喋るウムさんでした。


 それにしても、数日。数日ですか。

 急な暇を持て余す――と言えるほど忙しかったわけではありません。寧ろ暇を持て余しすぎていたきらいすらあるのですから、わたしは参ってしまいます。

 ご主人様はわたしに何も言いませんでした。ならばひたすら書庫に籠って読書に耽っていればいいのでしょうか。


 ……今はまぁ、それくらいしかない、かな?


「まぁ、そうかも」


 考えを見透かされてしまったようです。次の仕事が待っているのか、ウムさんは後ろ手に扉を閉めながら、残った隙間からこちらを覗き込んでいました。


「明日になったら、多分、お願いすることもできる、から。今日は、もう、遅いし。のんびりしていて、よ」


 ぎぃ、ばたん。

 閉まった扉をぼんやり眺めつつ、「のんびり」と呟いてみました。


 わたしの奴隷生活、こんなんでいいんでしょうか?


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