2-6
「邪魔するぞ」
「……邪魔するのかよ」
わたしたちの姿を認めたテシアくんは、少し驚いた顔で応じます。
街で最も大きな病院、そこの一室にはベッドが四床あって、うち二つが埋まっていました。
金髪にやられた兵士さんです。
テシアくんは二床の間の椅子に腰をかけ、苦しそうに二人を見ています。鎮痛剤が効いているのか二人とも眠っていますが、胸にきつく包帯を巻いた姿や、右腕の先がなくなった姿は、ただ見ているだけのわたしをして心が痛くなってくるほどでした。
「なにをしにきた」
そういう彼の瞳は真っ赤になっています。わたしたちが入ってくる気配を察して咄嗟に拭ったのかもしれません。
それが貴族の矜持、はたまた男子の強がりといったものなのだと思いました。そしてわたしは、それを尊いと思います。
「『なにをしにきた』ってこたぁねぇだろう。お前は――お前たちは、うちの奴隷の恩人だ。礼を言いたい」
お礼を言いたいともともと提案したのはわたしなのです。直接金髪を倒したのはハルルゼルカルさんですが、彼らが稼いだ数秒が命運を決したのもまた事実。その礼を忘れるほどひとの心をなくしたつもりはありません。
ご主人様に頭を下げさせるなんて――でもご主人様の所有物だから、監督責任が云々で、あれ?
違います! そんなことはどうだっていいんです!
「テシアくんのおかげで助かりました。そして、ごめんなさい」
「……なんで謝る。礼を言われる筋合いは確かにあるかもしれないけど、謝られる謂れはないぞ」
「え。だって、兵士さんたちが……」
「雇い主は僕だ。彼らは僕を守ろうとした。それは契約の一環にある。当然のことをしたまでで、お前が謝る必要はない」
「それは違います! だってわたしのせいで……!」
「お前がいなければ?」
そこで言葉を飲み込みました。先ほどハルルゼルカルさんとご主人様の会話から感じたことを、心の根が乾かぬうちにわたしは裏切ろうとしていたのです。
「……もし、わたしにできることがあれば、言ってください。なんでもします」
「……」
テシアくんはわたしを見て、はは、と軽く笑いました。困ったようにも見えて、わたしをばかにしているようにも見えて、喜んでいるようにも見えて。
「お前がか?」
「ご主人様が」
「俺がかよっ!」
うそです。じょーだん、です。
「わたしはご主人様の所有物ですから、勿論このひとの許可がないとなんもですけど、それでいいなら。微力でいいなら。なんとかします。させて、ください」
「……こいつらにその言葉を直接聞かせてやってくれ。そうすれば大層喜ぶだろう。このご時勢で、冒険者になるよりも、誰かを護る道を選んだんだ。本望だと、僕は思う」
「……はい」
そうですね。やっぱりきちんと、このお二方にもお礼を言わなければなりません。
「で?」
「え?」
「は?」
しんみりとした空間を一気に引き裂くご主人様の「で?」。
「こいつらはわかった。それでいいならそれでいい。じゃあお前はどうなんだっつー話だ」
「僕……?」
「アッカマー家の人間が、わざわざダンジョンに潜ろうだなんて奇矯なことをするものかよ。理由があんだろう? 欠員補充の斡旋くらいなら、できねぇこともない」
確かテシア君のフルネームがテシア・アッカマーだったはず。貴族だというのは身なりでわかっていましたけど、ご主人様がわかる程度には有名なのでしょうか。
「ね、ね。テシア君って結構有名なんですか」
小声で尋ねてみます。
「小僧は有名じゃねぇ。家長と兄貴二人の名前は、知ってるやつは知ってるだろうな」
「……家は関係ない。僕は僕のためにダンジョンに挑んでるんだ」
「……」
それが嘘であることは一目瞭然でした。でなければこんな少年がどうしてダンジョンに挑戦するでしょう。ここでもやっぱり、貴族の矜持と男子の意地、そんなものが透けて見えます。
先ほど尊いと言いましたが、その実そんなものが一体何になるのか、わからないのはわたしがおかしいのでしょうか。貴族でも男子でもないわたしには、しがらみだとか義理だとか、そういったものがどうしてもぴんと来ないのです。
想像することができないわけではありません。貴族には貴族のふるまいがあります。かくあるべしと育てられたなら、それを全うするように動くのは当然のことです。
ただ、その家訓が彼にここまで切羽詰った表情をさせるのなら、それは間違いというものではないでしょうか。
ご主人様は何も言いません。他人のことを考えるのが苦手と自ら述懐していましたが、それゆえの愚かさを発揮する人にも思えません。
「……ま、無理強いはしねぇよ。管理者として言わせてもらえば、面子が変わったのなら、その届出は出してもらわねぇと困るがな」
「あぁ、それはこっちが落ち着いたら行くよ。どうせタイムリミットも……」
そこまで言って、ぴたりとマキアくんの動きが止まりました。
「……斡旋はいらない。代わりに、手伝ってくれないか」
「悪いがそりゃできねぇ相談だ。こっちにも都合ってもんがある」
ご主人様の返答は至極真っ当でした。大体巻き込まれたくないと言っていたのはマキアくん自身では?
「いや、違う。別にダンジョン攻略を手伝ってほしいってことじゃない。ただ顔を貸してほしいだけなんだ」
「……色々わけがありそうだな。こっちは恩がある立場だ。そこまで無碍に突っぱねるつもりはねぇ。……が、当然事情は教えてもらえるんだろうな」
意外にもご主人様が乗り気なのが驚きです。そういった煩わしさを不得手としていそうに見えましたから。
ただ、単に恩を返すという以上の真剣みを帯びていたのが気になりました。一体テシアくんの話のどこがご主人様の琴線に触れたのか、わたしにはわからずじまいです。
テシアくんは軽く周囲を見回し、廊下のほうにも人気がないことを確認してから、小声で
「あんたがさっき言ったことと関係がある。お父様と兄様についてだ。
アッカマー家のことを少しは知ってるんだろう? いまうちは、表ざたにはなっちゃいないけど、家督争いの真っ最中だ。今度開かれるパーティで、どれだけ有能な支援者をお披露目できるかが、その時点での候補者の実力になる」
と言いました。
うわ、めんどくさそう、と顔にでないようにするのが精一杯です。
「それに出ろってか? 自慢にゃならねぇが、俺は有能な支援者とは程遠いぞ」
口は悪いし、覇道を往くし、ですもんね。
……な、なんですか。こっちをそんなじろりと睨みつけて。
「あぁ、それはいいんだ。僕の支援者の体で、お父様をお守りしてくれればそれでいい」
「……お前の親父を守らなきゃならない事態になるって?」
釣られてご主人様の声も自然と小さく、低くなっていきます。
「可能性は高いとは言えないけど、楽観視してもいられない。一気にかたをつけに来るとしたら、いろんなひとが出入りするパーティの日が一番リスクが少ないと思うし」
「親父が死ねば家督は、ってことかよ」
「理解が早くて助かる。まぁ、そういうことなんだ。
アッカマー家は、現在僕を含めて三人の後継者候補がいる。とはいっても、僕は最初から相手にされちゃいない。だから、実質二人さ。正室と側室の、それぞれ長兄が争っているかたちになってる。
現時点で有力なのはレイド兄様。三人の中では最年長で、側室だからなのか、凄く家督にこだわってるんだ。対するユリイカ兄様は正室で、僕の直接の兄にもあたる」
……なんともどろどろとした話しじゃありませんか。
アッカマー家の家督争い。なるほど、確かに現家長が亡くなってしまえば、その時点で最も有力なレイド兄様とやらが家督を引き継ぐ可能性は大いにあります。側室が正室を越えられるともなれば、その執着も強いでしょう。
テシアくんは相手にされていないと自虐していましたが、彼自身はどうなんでしょう。家督を狙っているのか、それとももっと別の何かがあって、この話を持ちかけてきたのか。
それともテシアくんとしては彼の実のお兄さんに家督を継いでもらいたいのでしょうか。
「パーティの間だけなら可能だが、一週間、一ヶ月は無理だってのは、わかってるだろう。実の兄貴を押し上げる根本的解決にゃならねぇぞ」
「そこまで頼むつもりはないさ。それに、ユリイカ兄様は、心の優しいかただ。そもそも家督を継ぐつもりはない。向いてもいないだろう」
「継ぐつもりがないのに?」
思わず声が出てしまいました。
ということはつまり、政争の具ということですか。有力者の傀儡と。
「あぁ。ぶっちゃけた話、正室派と側室派の争い、みたいなところが大きい。擁立された兄様たちが乗り気かそうでないかというだけなんだ」
「なら放っておいてもいいんじゃねぇのか」
「それは」
「ご主人様、それは違います。だめです」
テシアくんよりもわたしのほうが素早く言い切ってしまいました。まぁ、問題はないでしょう。ご主人様だってわたしから言われたほうが面子も立ちます。
「どうせ側室派に決まってしまうのなら、ではありません。
どうせ側室派に決まってしまう、からこそ。
だからこそ、無用な犠牲は避けねばならないのです。テシア君はそう思ったからこそ、わたしたちを頼ってくれたんです」
誰が好き好んで実の父親を見捨てたりできましょうか。
ご主人様は目をぱちくりさせて、小さく「そうか、そうだな」と呟きました。わかってくれたのだと、思いたいですが。
「ご主人様」
テシア君の力になってください。
本来ならわたしが、わたし自身の手で、力で、返していかねばならない恩。だけれどそれは難しいのです。歯がゆいことに。
「……しゃあねぇな。そこまで薄情になった覚えもない。いいぜ、手伝ってやるよ」
「やったぁ!」
ご主人様、大好きです!
「すまない。恩に着る」
「頭を下げんじゃねぇよ。このポンコツみたいに大喜びしていろ」
「なっ、ぽっ!?」
「だが、これで貸し借りなしだ。あとのことはてめぇで始末をつけろよ」
「わかった。覚えておく」
そう言ったテシアくんの表情が、思ったより優れていないことが気がかりでした。