甘党さんのバレンタイン
ふと立ち寄ったスーパーで綺麗に並べられたチョコレートのコーナーを見て、バレンタインというイベントごとを思いだした。
今日の日付はといえば、二月一二日。二日前まで迫ったそれに気づかないで過ごしてきたのは、単に興味がなかったからというだけではないだろう。思い返せば今朝のニュースでも取り上げられていた気がする。だとすれば、まぶしいほどのチョコレートを見てようやくそれを思い出した僕は潜在的にこのイベントを無かったことにしようとしたのだろう。
そんなことを考えて店内を歩くと、特設されたバレンタインコーナー以外にもチョコを用いた商品が普段より大々的に売られていることが見て取れた。
一通りの買い物を終えレジで会計をしていると、左から右に流れていく購入品にため息が漏れた。
店員の若い男は気にもせず機械的にバーコードを読ませ、金額を告げていく。
僕と一切縁のない彼には到底わからないことだろうが、僕をよく知る誰かであればそのため息の理由を的確に言い当てることができたと思う。
少々不満を滲ませつつ、八三八円の会計を丁度の金額で支払い店を出た。
普段なら空に近いスクールバッグが偶然にも教科書類で埋まっていたため、合えなく五円追加で購入した買い物袋を覗く。
カスタードプリン。あんぱん。ミルクティー。抹茶ケーキ。等々。
甘いものが詰められているが、チョコ加工のあるものはひとつも入っていなかった。
甘いものは好きです、けれどチョコレートは苦手です。などということは一切なく、これもまたこの時期特有の潜在意識なのかと疑い、首を振る。
そのわけのわからない潜在意識とやらは買い物を始める数分前から単なる意識に変わっていたわけで。
悩ませれるのは女の子だけじゃないですよと、僕はバレンタインに叫びたい。
僕が叫んでみたところで、バレンタインさんは一か月後にホワイトデーさんを呼ぶくらいしかしてくれないのだけど。
いっそ自分にチョコを与えておいて一か月後に三倍高級なチョコを買う手もないわけではない。考えるとそれは結果的に六倍くらい一人損なので踏み切るわけにいかない。
そんなことを考えつつ、ようやくたどり着いた我が家。
大学一年生一人暮らし。両親がどうにか許してくれた貧相なアパート。
ここでの生活ももう一年になるのかと寒空の下、寂しい買い物袋片手に意味もなく感傷に浸った。
「おーい。何突っ立ってんのー」
その声は上からだった。
いよいよお天道様も僕を馬鹿にし始めた……わけではなく。
アパートの二階、丁度僕の部屋の前あたりに人影があった。
「寄り道とは感心しないなぁアマトー先輩」
笑いを堪えるような表情で、楽しそうに言う少女は高校の制服姿に紺色のマフラーを巻いていた。
「君にそういわれる覚えはないよ、それに安藤だから」
明らかに寄り道という服装と、僕と同じ買い物袋を指して言った。
「いいえ、あなたはアマトーです。その買い物袋の中身が証明してみせます」
「残念ながら、今日の僕にアマトーを証明するものはないんだよ」
つまり、チョコ成分が足りてないと言外に。
「それはつまり、これですね」
まるで、僕の心を読んだように。事実、この少女であれば僕の心くらい読めてしまうのかもしれないが。
少女が買い物袋から取り出したのは、言うまでもなく、むしろ見るまでなく、チョコレートだった。
「アマトー先輩のことだから、プライドという謎の潜在意識に邪魔されて買えなかったでしょう?」
悪戯気に笑う彼女が、僕には神々しく映っていた。
「わかってますって。あげますから! そんな目で見ないでください」
どんな目だったのか、知りたくないと思った。
受け取ったビニール袋の中身は大量の板チョコだった。これさえあれば、どうにだって調理はできる。
そんな大事なものを買い置きしてないなかった自分を改めて悔いつつ、彼女の手を握って礼を言う。
「ありがとう。これで生きていける」
「そ、その代わり、今度またお菓子作ってくださいよ」
握られた手を振りほどきながらそう言われ、一か月後の予約だろうかと考えた。
「もちろん。甘いものなら作ってあげるよ」
君にならいつだってと。これも当然、言外に。
彼女は満面の笑みで頷いてから「それでは」と手を振って階段を下りて行った。
彼女の影が見えなくなるまで見送ってから、家に入ることも忘れて板チョコを齧る。
パキッとチョコの割れる音と同時に携帯が鳴った。
着信したばかりのメールは今見送ったばかりの彼女からで。
『ちゃんと家に入ってから食べるように。』
本当に、僕のことなどお見通しなお叱りと。
『PS.明後日は控えるように!』
僕の心までお見通しな注意だった。
バレンタイン前日なお話をバレンタイン後日に投稿する!
時間を歪めるハートフルバレンタイン(意味不明