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☆8 武熊忍の困惑

 私と惑村さんの交換バイト生活は一カ月も続いていた。

 よくもまぁ、バレないものだ。


 惑村さんは、私のことを友人と認識して、学校でも話しかけてくるようになった。

 しかし、その内容はほぼ、『真雪くんについて』だ。

 したたかなお嬢さまは兄との見合い話を利用して弟と知り合いたいらしい。

 バイトに恋にと、貪欲なお嬢様だ。


 しかし、段々、雲行きがあやしくなってきた。

 なんと、お嬢さまはバイト先の男子大学生と恋仲になってしまった。


「すごく格好いい人で優しいの」


 バイトが終わった後、是非、夕食を、と誘われて、とても女子高校生が行くような店ではない高級イタリアンの店でそう告白された。


 同じバイトなので、彼のことは知っている。

 確かに顔も性格も良い。


 でも、優しさなら真冬兄さまに勝てる人なんかいないわよ!

 彼には悪いけど、私だったら、真冬兄さまの方を選ぶわよ!

 

「へぇ〜」


 そんな感想しか出てこない。


 同行者に倣って、ディナーコースを注文する。

 ランチならまだしも、ディナーは懐に痛い。


 バイトを変わってくれたお礼に、惑村さんがおごってくれると申し出たが断った。


 武熊家の家訓。


 他人に借りを作るな。それは弱みになる。


 惑村さんに御馳走になる訳にはいかない。

 こちらも社会勉強とは言え、一所懸命働いて、自分で稼いだバイト代がある。

 女子力強化のために、目につけていたワンピースは諦めないといけなそうだけど。


 アンティパストを優美に食しながら、惑村さんは可憐にため息をつく。


「彼ね、私のこと、天使みたいだって」


 嬉しそうに頬を赤らめる彼女に、その表現はさほど外れてはいない。

 

「お金持ちのお嬢さまなのに、ちっとも偉ぶってなくて、社会勉強でバイトもしているなんて、尊敬するって」


「ちょっと待って! 自分がお嬢さまだって、バラしたの?」


「ええ、そうよ。

だって、恋人に隠し事なんていけないわ」


 無邪気に微笑む天使に、私は危機感を抱いた。

 あの男子学生が、惑村さんを利用したり騙したりするような人柄には思えないけど、人間、分からないものだ。

 もう少し、様子を見てもいいんじゃないか。


「デートとかしているの?」


 探ってみると、案の定、嫌な答えが返って来た。


「してるわ。

実はね、この間の日曜日もこのお店に来たの。

彼、イタリアンが食べたいって言うから。

そうしたら、こんな立派なお店は初めてだって、喜んでくれたわ」


「―――お支払いは……」


「……? 私が払ったわよ。

小野寺清掃のバイト代は私、知ってますもの。

あんなお金じゃ、ここの支払いをしたら無くなっちゃうわ。

だから、武熊さんも遠慮しなくていいのよ」


 小野寺清掃の時給は、良い方ですよ。

 私も、そこでしか働いてないから確実とは言えないけど、高校生や大学生のバイト代にしては、真っ当以上の金額だ。

 そりゃあ、こんな高級店で一週間に二回も食事したら、すぐになくなってしまうかもしれないけど。

 彼が好きだと言っていたのは、某イタリア料理店のチェーン店とか、もっと手頃なお店のものだったはず。

 

 だからって、払ってもらうなよ。

 男だろ。

 せめて、折半しようよ。

 私は断るわよ。

 

「大丈夫。自分で支払うから」


「みんなそう言うのね。彼も、すっごく嫌がって固辞したけど、結局は折れたわ。

お揃いのブレスレットも、他の食事代も。

その度に押し問答するから、ちょっと面倒なの。

どうして素直になってくれないのかしら?」


 運ばれてきたウニのパスタを、綺麗にフォークに巻き取りながら、小首を傾げる。


 あの男子学生にも矜持はあるが、お嬢さまの提案する物品の金額を前に、譲らざるを得ないのだろう。


「素直なのは、私に対する気持ちだけだわ。

いつも俺の可愛い天使って……」


 そこからは、いかに惑村さんが恋人に愛されているかについて惚気られ続けた。

 『天使』という単語を、一生分聞いた気がする。

 当たり前だけど、両親には内緒の恋人だ。

 まさか小野寺家の御曹司に嫁がせようと目論んで潜入させたバイト先で、別の男と付き合うことになろうとは、露とも思っていないだろう。


 ―――自分の娘を政略結婚の駒にしようとしたのだから自業自得だ。

 おかげで真冬兄さまが変な女に引っかからずに済むことだし。



 デザートのティラミスを頂き、帰る前にトイレに寄る。


 客席を通っている時に、他のお客さんにジロジロ見られた。

 こんな高級店に高校生がいるから珍しいのだろうか。

 他の学校ならともかく、志桜館の制服なら、わりとあり得る存在のはずだ。

 やはりあれか、志桜館の制服のくせに品が無い、とか思われているのだろう。

 嫌だな……家に帰るまで、トイレ、我慢すれば良かった。



「忍? 忍じゃないか? どうした、こんなところで」


 トイレを済ませて、席に戻ろうとしたら、声を掛けられた。


 このお店の雰囲気にぴったりの見事な身だしなみの真冬兄さまだ。


 私室の適度に砕けた服装か、ラボ内の得体のしれない薬品の染みがついた白衣姿ばかり見慣れているので、ちょっと驚いた。

 格好良いじゃないの! 真冬兄さま!


「しのぶー?」


 はっ! どうやら見とれていたらしい、訝しげな顔で真冬兄さまが大きな手を目の前で振っていた。


「何?」


「……どうしてここにいるの?」


「真冬兄さまこそ……よく会いますね」


 バイト先で会うのは分かる。私のシフトは惑村さんシフトなのだ。

 すなわち、真冬兄さまと出会うべくして出会う用シフト。

 だけど、このお店でまでそれが適用されているとは思えない。

 いくら小野寺家の上層部の陰謀でも、だ。


「俺? ……接待だよ。お仕事。

ちなみに接待される方」


 小野寺家の嫡男は、さもうんざりしたように、ネクタイを緩めた。

 

「お疲れ様です」


「ホント、疲れるよ。

で、忍は? 高校生にしては、いいお店で食べているね」


「ば……バイト代が出たので! 友人と……一度、ここで食べてみたいねーって、ずっと憧れていて……ごめんなさい。

分不相応でした……」


「そんなことはないよ。ここ、美味しいよね」


「―――はい。すっごく」


 脳内で先ほど食べた味を反芻する。

 ウニのパスタが美味しかったなぁ。

 惑村さんの後味が悪い話を聞きながらでなかったら、もっと美味しかったのに。


「満足したみたいで良かったね」


 事情を知らない真冬兄さまは、我がことのように喜んでくれた。

 その後、思いついたように「何で来たの? 一緒に帰る? 乗せて行くよ」と、誘ってくれた。

 ここには惑村さんの家の車で来た。

 お嬢さまのバイト先のお友達を、運転手の人は気持ちよ迎え入れてくれた。

 今も、店の駐車場で待っているだろう。


「いえ、友達が待ってるので……」


「忍のお友達? なら俺も挨拶していこうかな」


「だ、駄目!!!……だめです」


 せっかく、惑村さんを真冬兄さまから引き離しているのに、こんな所で引き合わせたら、意味が無い。


 大きな声が出かかったのを、急いで音量調節をする。

 それでも、静かな音楽が流れる店内で、何人かのお客さんと、ウェイターが振り向いた。

 テーブルの上に置かれたガラスに入ったキャンドルの灯が、風も無いのに、大きく揺れた気がした。


「お願い、止めて下さい。

恥ずかしいから……」


「俺が?」


「違います!

そうじゃなくって、過保護だって思われたくないだけです」


 友達同士の会食に親でも兄でもない真冬兄さまがしゃしゃり出てくるなんて、おかしいじゃないの。


「分かってるよ。忍が嫌なら止める。

でも……俺に紹介出来ないような男とは付き合うなよ」


「はぁ?」

 

 また店内の注目を浴び掛けた。

 どんな誤解をしているんだ、この御曹司は!

 私が真雪一筋だって、知っているくせに。


 そう思って、真冬兄さまの顔を見上げると、私たちの席の方に視線を向けていた。

 志桜館の白いセーラー服は薄暗い店内でも、明るく目立った。

 幸いにも、惑村さんは後ろを向いていたので、真冬兄さまには、『志桜館の女の子』としか把握できないだろう。


 けれども、なぜか、その惑村さんのセーラー服を見て、真冬兄さまの目が細められた。

 なんだかひどく冷たく怖い顔に見えた。


「真冬兄さま?」


「ん?」

 

 声を掛けると、すぐに普段の柔らかな表情に戻った。

 この店の、雰囲気のある照明の加減のせいで、見間違えたのだろう。


「じゃあ、俺は先に帰るよ。

お友達によろしくね。

気を付けて帰るんだよ」


 激しく頷くと、手を振って別れた。


 

「遅かったのね」


 惑村さんは彼氏からの連絡に返事を打っていたらしく、背後の騒動には気付いていないようだ。

 助かった。


「ごめん。ちょっと……お腹が……」


「食べ慣れないものを食べて、胃がビックリしちゃった?」


「怒るわよ」


「え?」


 本人は悪いことを言った意識はないらしい。

 それが余計に腹立つのは、私の心が狭いからだろうか。


 手慣れた様子でウェイターを呼び、会計をする惑村さんが、またもや、私に「おごるわよ」と提案してきた。

 これ、どうも本当に好意でやってるんだろうけど、持たざる者としては不愉快なのよね。


 しかし、そう言った惑村さんにウェイターが告げた。


「そちらのお客さまのお代は頂いております」


「……? そうなの?

いやだ、さっきお手洗いに立った時に払ったのね。水くさい。

無理に奢ったりなんかしないわよ」


 心外そうに言われたけど、覚えがない。


 そんな私に、ウェイターは恭しく一礼した。


「小野寺さまより、お嬢さまの分はお支払い頂きました」


 しまった……真冬兄さまに奢られてしまった。

 

「小野寺???」


 惑村さんは眉を顰めた。


「こっちの話。

私の分は払ったから、ごめん、もう帰るね」


「え……」


 「ええ?」と戸惑う惑村さんを置いて、私はレストランを後にした。

 

 予想した通り、真冬兄さまが車の前で待ち構えていた。

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