☆6 武熊忍のアルバイト
志桜館学園高校のスポーツ科学科は午後最後の授業時間から、『体育の授業』という名目の部活の時間になる。
その代わり、朝練もないし、夕方の帰宅時間も早い。
クラブチームなどに所属している生徒が多いから、そちらの時間を優先しているのだ。
他の学科の生徒たちが練習しているのを横目に、早く帰るのは気まずいかと思ったら、私たちが居なくなった後のほうが、伸び伸びと出来て楽しいらしい。
いくら金持ち学校とは言え、場所も器具も限りがあるからね。
今日の私は家の道場ではなく、バイト先に向かう。
週三日で通っている、清掃会社のバイトだ。
いろんなビルに清掃事務所を構えている小野寺家の清掃会社なので、バイトも直接、それぞれの場所に向かう。
私の担当は、小野寺清掃の研究部門が入っているビルである。
まだ市場に出ていない洗剤の開発なども行っている部門なので、それなりに信頼されている人間が選ばれるのだ。
ちょっと自慢。
もっとも、厳しいセキュリティーで守られたラボ担当までは至っていない。
あそこは薬品も取り扱うし、研究の最前線なのでバイト風情ではおいそれとは近づけないのだ。
それなのに、それなのに……だ。
なぜか今日からバイトを始める、という女の子がそこの担当に指名された。
どういうこと?
おまけに、現・社長である海老原さんまで来ている。
明らかに特別扱いされている女の子の顔を、思わず見てしまった。
すると、その顔に見覚えがあった。
惑村楓嬢だ。
名門名家の子女たちが通う志桜館学園では、失礼な話だが、豊作の学年と不作の学年がある。
小野寺真雪を有する私たちの学年は、男子の部ではまずまず豊作、と言われている。
『まずまず』と言うのは、真雪は五男で家を継ぐ可能性が低いからだ。
それでも真雪自身の価値に加え、小野寺家と知り合いになれる魅力は大きい。
ちなみに、近年稀に見る大豊作と言われたのは、真人兄さまの年だ。
かの大財閥・雨宮家の御曹司に、その従兄弟、小野寺家の三男に加え、新興ではあるものの飛ぶ鳥を落とす勢いの新堂家の長男の四人が同じ学年に揃っていた。
幼馴染仲良し四人組は『志桜館の四天王』と呼ばれ、高等部の一般入試の倍率は跳ね上がった。
おまけに、雨宮家の御曹司は双子で、その妹も通っていた。
その学年は『輝かしい学年』とも『リアル乙女ゲーの世界』とも称されていた。
私もその頃の高校の文化祭に真雪と行ったけど、女子のテンションがすごかったことだけは覚えている。
対して、女子の部は不作。
これと言った家柄の娘がいない。
そんな中、惑村家は頭一つ、ぬきんでた存在だった。
つまりお金持ちだ。
そんなお金持ちのお嬢さまが、なぜか新入りのバイトとして、社員たちに挨拶しているのだ。
首をひねる私に、海老沢社長が柱の陰から手招きしている。
「忍ちゃん、忍ちゃん」
「お久しぶりです。海老沢さん……っと、社長!」
「いいよ、海老沢さんで。
ところで、あの子、知ってるよね?」
恵比須顔の人の良さそうな社長が聞いてきた。
「知ってますよ。惑村さんでしょ?
あんな金持ちのお嬢さまがなんだってバイトなんか……」
「それがねぇ」
海老沢さんは説明してくれた。
『社会勉強だ』、と。
『だからあの子がいい所のお嬢さまなのは内緒にしてくれないか』、と。
結論から言うと、それは嘘だった。
この私を騙そうなんて、海老沢さんは酷い。
と言うか、小野寺家の上の方が酷い。
制服に着替え、作業の確認をした後、夕方の清掃に赴く私に惑村さんの方から話しかけて来たのだ。
「武熊さん?」
「はい、なんでしょうか惑村さん」
「……私のこと、知ってますよね?」
知ってますよ。
不作の年の唯一の希望、と男子たちから言われている惑村嬢ですよね。
羨ましいほど長い髪の毛を作業し易いように一つにまとめ、やぼったい作業服を着ているけど、小ウサギのように白くて、黒い大きい目が印象的で可愛いお嬢さまだ。
声も可愛い。
女子力が有り余っている。
「お願い! 助けて下さい」
「ええ!?」
突然の救援要請に、惑村家が事業に失敗して小野寺家に借金の形に売り飛ばされて、働かされているのかと思った。
まさか、小野寺の家に限って、そんなことはあり得ない。
ただ、売り飛ばされかかっていることは確からしい。
「実は、私、ここの長男の真冬さんとお見合いをすることになったんです」
早く仕事に取り掛かりたいのに、長い打ち明け話が始まってしまった。
掻い摘んで説明すると、そろそろお年頃も過ぎかけそうな小野寺家の長男を結婚させようという動きがあるらしい。
しかし、肝心の本人が乗り気ではなく、帰国後に持ち込まれた見合い話をけんもほろろに断っているらしい。
そこで一計を案じた年寄りどもが、『ドキっ☆出会ったあの子は運命の子』作戦を実行に移したそうだ。
作戦名は勝手に付けましたごめんなさい。
なんでも、小野寺家の夫婦の出会いが、小野寺清掃でバイトしていた女子高校生だった奥さまを見初めたことに始まるらしい。
小野寺の奥さまって、その家の子女が一人でもいれば大豊作の学年と言われる雨宮家の出身じゃなかったっけ?
なんだかいろいろ複雑な事情があるそうだが、仕事の時間がどんどん無くなっていくので、省略。
あとで父に尋ねてみよう。
つまり、まったく結婚するそぶりも彼女も居ないような真冬兄さまも、父親と同じような手で出会いの機会を作ってあげようという話らしい。
いつも見ていた一所懸命に仕事をする好ましい女の子が実は自分のお見合い相手だった、というシチュエーションだ。
その白羽の矢が立ったのが惑村さん、という訳だ。
確かに、小野寺家の冬馬さまと奥さまは十四歳差だっけ? かなり年が離れているけど、息子も同じロリコンとは限らないよ。
惑村さんと私、同い年だよ?
十七歳だよ?
真冬兄さま、二十九歳だよ? おっさんだよ?
論外でしょう。
誰が考えたか知らないけど、そんな無謀な作戦に乗って、いくら小野寺家だからって、まだ高校生の娘を生贄に差し出す惑村さんの両親が怖い。
さらに言えば、そんな訳の分からない条件を飲んでバイトに来る惑村さんはよほどお嬢さまなのだろう。
と、思ったら、どうやら惑村さんにも言い分があって、真冬兄さまと結婚するつもりは毛頭ないらしい。
「だって、真冬さん、すごく年上だし、顔も怖いし。
はっきり言って、恋愛対象としてはあり得ない。
……私、真雪くんの方が好きだし」
正直、イラっとした。
真雪を好きだという女の子なんて、その辺に掃いて捨てるほどいる。
問題は真冬兄さまに対しての感想だ。
真冬兄さまは確かに年上だし、強面だけど、よく知りもしないのに、そんな風に言うことないと思う。
惑村さんに、真冬兄さまの何が分かるっていうのよ。
顔は怖いけど、性格はすごくいいのよ。優しいのよ。大人の魅力なのよ。
あんたみたいな乳臭い女の子なんか眼中にないわよ。
「じゃあ、どうしてこんなバイトを?」
ややキツイ口調になったけど、構うものか。
この子が小野寺家の若奥さまになったら、私、武熊家を出る。
「だってバイト、してみたかったんだもの!
こんなことでもないとお母さまは許してくれなかった。
真冬さんとのお見合いは絶対に嫌だけど、バイトはしてみたいの!」
「はぁ?」
海老沢さんの言葉は思いもかけず真実を伝えていた。
お嬢さまは社会勉強で『バイト』なる庶民の生活を体験してみたかったらしい。
見上げた心構えだけど、いちいち言い方に引っかかるものがある。
「だけど真冬さんに見初められたら困るから、彼のいない所で働きたいの。
私の配置、真冬さんに出会うようになっているから。
でも、絶対、ではないのよ。
会うも会わないも偶然任せだから。
運悪く会えませんでしたって言えば、それで納得してもらえるはず。
縁がありませんでした、残念ですって言えば大丈夫よ。
そこで、武熊さんが私と変わってくれると嬉しいなぁって」
えーっと、殴ってもいいですか?
あ、駄目。
そうですよね。
悪い子じゃないけど、自分のお願いはなんでも叶えて貰えると思ってる典型的な我儘お嬢さまだ。
誰が言いなりになるか! ……と一喝したいところだけど思い直す。
惑村さんは可愛い。
真冬兄さまがコロっと騙されてしまう可能性がなくは無い。
武熊家の家訓。
小野寺家に近づく危険は身を呈して守れ。
私は今、惑村楓という、自分勝手なお嬢さまから、真冬兄さまを守るために戦うのだ!