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☆13 武熊忍の帰宅

 外には上の兄、武熊円たけくままどかが待っていた。


円兄まどかにい!」


 思わず駆け寄りたくなったが、グッと我慢した。

 兄も『男』だ。

 私の周りは男ばかりだ。そんなつもりはないのに、周囲からは男に媚びている女に見えたいたのかと思うと、もうどうしたらいいのか分からなくなった。


「なんかやらかしたんだって? 海老沢社長から連絡を貰ったよ」


 わざわざ迎えに来てくれた兄はそう言った。

 優しい―――そうだ、たまに意地悪だけど、兄二人は、基本的に優しい。

 血の繋がった実の兄弟だもの。

 人の目を気にするなんておかしい。


 車高の高い、大きくてゴツイ車の助手席に乗る。


「バイトをクビとは……いい社会勉強になったな」


「うん」


「どうした? そんなに落ち込むなよ。

海老沢社長も何か誤解があったかもしれないって……もっとも、事実が事実だから、罰則を避けれないけど、申し訳ないことをしたって……」


 兄の横顔を見た。

 それから、後ろを向いて、すでに遠く過ぎ去った小野寺清掃の研究所の方を見た。

 あそこの玄関を出た瞬間、霧が晴れたように視界が明るくなった気がする。


 長い、長い、ため息をついた。


「忍?」


「円兄……私、すごく疲れたよ」


 嘘を言ったり、人を謀ったりするのは柄では無かったのだ。

 いくら真冬兄さまの為とはいえ、あんなこと、するべきではなかった。

 ううん、真冬兄さまの為という名目で、やっぱり私は惑村さんに嫉妬していたのかも。

 可愛くて、小野寺家に婚約者候補として見初められた。

 そして、優しい『兄』を奪う存在。『妹』としての私の場所を奪う存在。 


「みたいだな。何があった?」


「何も……ううん……惑村さんがね……」


 私は惑村さんと自分との間の出来事を話した。

 兄は小野寺家の警備を任されている一人だ。

 一応、知っておいた方がいい。


「そうかぁ。真冬さまの花嫁候補はそんな怖い女の子だったか。

見方を変えれば頼もしいが……権謀術数は小野寺の家風ではないかな。

もっとも、忍の話が本当かどうかも分からないけどね」


「信じてくれないの!?」


 身を起こしたら、シートベルトが戒めるように胸に食い込んだ。


「兄としては無条件に妹を信じるよ。

お前はそんな子じゃない。

けど……兄さんは小野寺家を守る役目があるからね。

心配するな。真偽はちゃんと、調べれば分かるよ」


 運転席から大きな手が伸びてきて、頭を撫でられた。

 力が強すぎて、首が窓の方に曲がる。

 いたたたた。


「もう! 髪の毛が乱れる!」


「……その頭、ひどいぞ。もうちょっとなんとかならんか?」


 気にしていることを言われて、頭を隠すように抱えた。


「頑張ってるんだけど、これ以上は無理なの!」


「子供のくせに色気づいて……切っちまえばいいのに」


「円兄まで! そういうこと言うんだ!」


「そういうことって?」


 惑村さんに身体を使って男を誑かしていると言われたことは黙っていたんだ。

 いくら兄でも言いにくいよね、そんなこと。


「色気づいてるって……」


「―――いや、別にお前に色気があるとか言ってる訳じゃないぞ。

何、勘違いしてる。しっかりしろよ」

 

 呆れたような声で言われて、恥ずかしくなる。

 そうだ、惑村さんこそ思い違いをしているのだ。

 私が男に色目を使っても、滑稽なだけじゃないか。

 あの子に振り回されている自分に腹が立つ。


「ねぇ、円兄? 真雪がスペアって、どういうこと?」


 小野寺家には私が知らない事実が存在していて、それを部外者の惑村さんが知っていることが、悔しかった。

 私は負けず嫌いなのだ。

 そうでなかったら、空手や合気道の大会で優勝なんか出来ない。


 妹の問いに、円兄はハンドルを握ったまま、しばらく迷った。

 

「あー、そうだなぁ」


「もったいつけないで、教えてよ!」


 兄の様子に焦れた。これでは惑村さんの言う通りだと語っているも同じだ。

 

「言い方は悪いけど、その通りだね。

真雪さまは真冬さまのスペアだ」


 赤信号で車が停まった。私の息も、一瞬、止まった。


「知っての通り、小野寺家には五人の兄弟がいる。

頼もしい話だが、資産のある家で男ばかり五人もいると将来的に諍いの種になるのではないかと、冬馬さまと真白お嬢さまは思われたようだ。

とにかく、ご長男である真冬さまは、嫡男としての教育を施し、後の息子たちは、それぞれ、自らの興味と才能を伸ばすことに心血を注がれたんだ。

特にご次男の幸馬さまとは一歳しか違わなかったから、かなり気を使ったようだよ。

幸馬さまに、自分が小野寺家を継ぐ可能性があると、下手に思わせるのはいけないと思っていたんだ」


 車は動きだしたが、渋滞にハマって、ノロノロとした進みだ。

 ちょうど良い。

 私の知らない小野寺家の内情を知るには、時間は必要だ。


「幸い、みなさん、賢く、分別を持った立派な方にお育ちになって、自ら選んだ道に進んだけど……ここで問題が生じた。

なんだか分かるか?」


 円兄さまの悪い所は、学校の先生みたいに、私に考えさせることだ。

 

「えーっと、何?

真冬兄さまが廃嫡になったら、誰も跡を継ぐ人がいない? とか???」


 悲しいかな、結局は惑村さんの話をなぞった。

 それで、円兄さまに感心されても、ちっとも嬉しくはなかった。


「そういうこと。

そんなことはあり得ないし、考えたくないけど、真冬さまの身に何かあった場合、その代わりができるご子息が一人、必要なんだ。

ある程度の御曹司教育を施し、かといって、兄を脅かすにはまだ幼い年の離れた弟……それが真雪さまだったんだよ。

徳馬さま……という話もあったんだけど、ちょうどその頃、真雪さまが生まれたんでね。

十二歳も離れていればスペアとしては、申し分ない」


「そんな……」


 他の兄弟たちは小野寺家から離れ、好きなことをしているのに、真雪だけは束縛されるなんて。

 しかも、訪れる可能性が著しく低いことの為に、だ。


 いいや、縛られているのは真雪だけではない。

 真冬兄さまもだ。

 生まれた時から小野寺家の御曹司として、別格の扱いを受けてきた。

 その代わり、彼はそこから逃れられない。

 長男として生まれた宿命だから仕方が無いけど……ラボで『自分は期間限定の研究職だから』と言った時の真冬兄さまの顔が浮かんだ。

 とても、寂しそうだった。


「そんな顔をするな。真雪さまは大丈夫だ。

要は真冬さまがご結婚されて、お子さまがお生まれになればいいだけの話だからね。

―――そう、真冬さまがご結婚さえすれば……小野寺家も安泰なんだけど……」


 はぁ、と妹とは違って、兄は短くため息を吐いた。

 なるほど、小野寺家のご当主夫婦が真冬兄さまの縁談を急ぐ気持ちが分かった。

 でも、それって、真雪は解放されるけど、真冬兄さまはますます拘束されるだけだ。


「―――なぁ、忍?」


 言いにくそうに円兄さまが私の名前を呼んだ。


「何?」


「お前、誰か好きな男とか……その、いるのか?」


「はぁあああ?」


 この話の流れで、なぜその質問になるのか意味が分からない。

 そして、どう答えていいものか。

 好きなのは真雪だけど……。


「兄さんには関係ないでしょ!」


「関係なくはないだろう!

本当に大丈夫だろうな?

兄さんに言えないような男と付き合うような真似はするなよ」


「やめてよ。私のこと、信用していないの?

真冬兄さまと同じようなこと言わないで」


 惑村さんと一緒にイタリアンレストランで偶然、出くわした時にそんなこと言われた。

 兄って、妹の彼氏のことがそんなに気になるものかしら?


「……真冬さまに? 言われたのか?」


「失礼しちゃうわよね」


「ああ! イライラする!

円兄さま! 帰ったら手合わせしてよ!」


「稽古はお前のストレス解消法じゃないぞ」


「分かってるよ! だけど傷ついた妹に、そうやって正論振りかざさないで!」


「はいはい、お姫さま。仰せのままに」


「―――お姫さまじゃなーい!!!」




 その内、車は小野寺邸内の武熊家にたどり着いた。


 車を降りるなり、陽光が差した。


「忍!」


 真雪だった。


「大丈夫か? なんかバイト先で騒動を引き起こしたとか聞いて……でも、忍がそんなことするとはとても思えなくて」


「まゆきー」


 感動のあまり胸がいっぱいになる。

 許されるなら、抱きつきたい。


「お菓子食べるか? お前が欲しがっていたモデルガンやるぞ」


 私のことを精一杯気を使ってくれた。

 嬉しい。

 なのに、円兄が私を道場に引きずって行く。


「お前が手合わせして欲しいって言ったんだぞ!」


 言ったけどさ。邪魔しないでー!


 帰って来た真兄も交えて、兄妹三人で稽古をした。

 私はその通り、苛立っていたし、兄二人はもともと稽古に入れば鬼気迫るものがあったし……道着に着替えてやって来た真雪と、道場仲間一同、あまりの迫力に、恐れをなして遠巻きに見られてしまった。


 最終的に、やってきた父が、私のあまりの乱暴な稽古の仕方に、「今日のお前はこの道場に相応しくない」と怒鳴り、家に帰るように命じた。

 私もさすがに、自分のひどさを理解しつつあったので、大人しく従った。


 心の乱れは型の乱れ。

 

 久しぶりに幸馬兄さまの所に行こうかな。


 小野寺家の次男を思い浮かべた。

 彼は哲学や宗教などの精神世界を勉強している世捨て人のような人物なのだ。

 

 あの話を聞いた後だと、兄のことを慮って、経営とか商売とかの世界から遠い所に身を置いたと穿った見方をしてしまうが……そういう訳で、心を落ち着けるには絶好の兄さまなのだ。


 『小野寺家に最も近い使用人の娘だからって、いい気になって主家の息子たちに色目を使ってるんだって、もっぱらの噂よ』


 そんな私に惑村さんの言葉が響いた。

 くそ……こんなことトラウマにしたくないけど、気になってしまう。

 会いに行きたいけど、変な噂になったら嫌だ。


 真冬兄さまの部屋にも行き辛い。当然、真雪にも相談出来ない。

 

 私……つくづく、『男』にばかり頼っていたのだと愕然とした。

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