常陸小田氏の乱 狐女の祟り(一)
翌至徳四年(一三八七)五月。
恵尊の叛意が露見した。
勧誘のため送った使者が相手の武将に捕縛され、小田城に若犬丸を匿っていることを白状させられたのだ。
訴えを受けた鎌倉府では、まさに晴天の霹靂。
祇園城討伐では先手を勤めた小田が何故変心したかと、公方氏満は直ちに恵尊を呼びつけ、同行していた孫四郎及び嫡男治朝を捕らえた。
さらに一族の本拠小田城を制圧すべく、上杉朝宗を大将に軍勢を進めさせる。
小田氏討伐。
この報は、直ぐさま常陸にもたらされ、各々に領地を持つ恵尊の次男治親、三男清重らも小田城に集い、にわかに城内は合戦の準備に慌ただしくなった。
若犬丸は郎等を下野小山に向かわせたが、幾度送っても、彼らが小田に戻ってくることはなかった。すでに鎌倉府が手を回し、下総の結城氏に小山の動向を見張るよう命じたからだ。
小山・小田間の断絶。
この日のためにあった密約は無に帰した。
合戦の日まであとわずかという夜、若犬丸はいたたまれず城を抜け出した。
月の光が山さぶ筑波を照らす中、一心に馬を走らせる。後ろを、ただ一人の郎等となった兵次の馬が追いかけた。
合戦を恐れてのことではない。むしろ窮地を救ってくれた直高に恩を返す好機である。
しかし、思う。
今回の鎌倉の沙汰は、自分が小田家にもたらした災厄ではないかと。
己れには狐の祟りが憑いている。その己れが、世話になった小田氏にまで祟りを拡げたのではないかと。
すでに呪いは成就し始めている。小山の正統は己れ一人になったのだから。
――呪いは自分のそばにいる全ての人に不幸を撒き散らすのか。
いや、呪いを別にしても、小山若犬丸という存在に関わっただけで鎌倉から成敗される対象となるのだ。これ以上、小田家の人々に迷惑はかけられない。自分が筑波から遠く離れれば、氏満の怒りもおさまり、小田氏への懲罰も緩められるかもしれない。
――五郎殿、六郎、七郎、鬼高、鬼安・・・・・・
家族同然と思っていた人々の笑顔が過ぎる。
――この人たちを不幸にしてはいけない。
昨年の今ごろは祇園城の奪還を叶えていた。しかし、二ヶ月ほどで落城の憂き目に遭い、敵方にあった小田家に匿われ、今般彼らに類が及ぶや逃げ出すとは何という皮肉だろう。
けれど、逃げ出す、といっても行く当てはない。奥州田村氏のもとへとも考えたが、
――しかし、それでまた彼らに火の粉がかかっては・・・・・・
頭の中で逡巡しながら、馬に鞭あてる。
――どこでもいい。一刻も早く、この土地から遠い場所へ。
天空の月を見上げた。
あの晩と変わらぬ月。
若犬丸が辛く悲しいときにばかり現れる女を思い出す。
そして、あの夜の決意。
――家名の再興を・・・・・・
だのに心が揺らぐ。
いっそ小田城に向かう討伐軍へ単騎で身を投じようか、とまで思い詰め、手にした弓を握り直す。
そんな若犬丸の目の前に、突然何かが立ち塞がった。驚いて竿立ちになる馬に、振り落されまいと必死でしがみつく。
前脚を地面に落とした馬は、興奮して辺りをぐるぐると廻った。
「どうどう」
馬の首を撫でながら落ち着かせる。そして体を傾げ、目の前に立ち塞がるものを見た。
月明かりのせいで、髪も衣も何色とつかぬ女性だった。
ただ顔の、紙のような白さが際だち。
波打つ髪を揺らめかせ、大きな瞳で若犬丸に近づく。
――誰かに似ている。
その誰かを知りたくて、女の顔を間近に見ようと馬を下りた。
「若犬丸」
己れの名を呼ぶ声に聞き覚えがあった。
はっとして右手を差し出した。怖がらせないように、弓手を後ろ手にして。
女も同じように手を差し延べる。
けれど、互いの手と手が合わさった瞬間、女の体がぐらりと崩れた。
人の容をしていたそれは、泥に変じ、ぼとぼとと音を立てて土の上に落ちた。
うわぁっと背後で声が上がり、驚いた兵次が馬ごと退くようすを耳がとらえる。
若犬丸は、
「出てこい! 狐女っ。こんなことをするのはお前しかいない!」
道の先の虚空を睨みつける。すると、そこからくすくすと笑い声、そして袿姿の女が現れる。
「いやぁねぇ。あんたって女っ気がないから、気を利かせて好みの女を用意したっていうのに。やっぱりだめねぇ。触れられたら術が破れちゃった」
こんな夜更けに供もつけず、女人が外出をするのは考えられない。
扇で顔の下半分を隠しているが、その月色の肌や人をからかうような目つきに見覚えがあった。
「言い忘れていたけれど、お久しぶりってところかしらねぇ。だいぶ大きくなって」
若犬丸は黙ったまま背中の胡簶(矢筒)へ手を伸ばした。
「剣呑ねぇ。そんな無粋なもの。あんたって武器を向けなきゃ私と話もできないの?」
弓矢を構えられて、なお平然と見返す女を睨み、眉間を矢壺にとらえた。
「狐女、また私に仇を為しにきたのだな」
「ほほ、また(・・)などと誤解もいいところよ。その誤解を解きに来たのに」
若犬丸は皆まで言わせず、弓弦を手放した。ビュッと音を立てて矢は走り、狐女の額に命中する。
しかし、それは残像に過ぎなかった。
気付けば狐女は宙を舞い、若犬丸の目の先三尺のところへ逆しまの姿で浮かんでいた。
衣の袖や裾をゆらめかせ、髪は八方に拡がり、その先は蛇のようにのたうつ。
扇越しに目と目が合った。
「駄目ねぇ。これ以上は近づけない。あぁ、そんなもので私を害せられると思う? もう一度試してみてもいいけれど、その前に従者の首をねじ切るわよ」
唇に薄く笑みを浮かべる。
二の矢をつがえながら後ろを振りかえると、兵次が顔を引き攣らせながら、宙に浮いていた。
「あわわわわわ」
恐怖で言葉にもならぬらしい。
若犬丸の体は指一本たりとも動かすことができない。弓を構えたままの姿勢で唇がぶるぶると震える。 怒りの余り。
「私をなぶりものにしてさぞ楽しいであろうな」
思わず叫んだ。
「お望み通り、秀郷公の正統は私で絶える。さぁ、私を殺すなり何なり好きにしろ。ただし、他の者には手を触れるぬな」
犠牲は己れ一人で十分だ。
構えていた弓を下ろした。
「皆のために城を出てきた。小田の人々を救うために。お前の呪いのせいで・・・・・・」
しかし、狐女はあざ笑うようにくるりと体の天地を替えると、若犬丸を見下ろして言った。
「いやぁねぇ、それが誤解だっていうのよ。私だって、この数百年のうちに気持ちが変わるわよ。あんたの一族のことなんてどうでもよくなったのよ。なのになんでかしらねぇ。正統はあんた一人になっちゃうし。そのくせ、あんたは私にまとわりついてくるし」
よくわからないわと肩をすくめる。
「誰がお前などにまとわりつくか」
愚弄されたと思った若犬丸は目に怒りの色をにじませた。
「あら、あんたが呼んだから私はここへ来たのよ。あんたが私を思って、だから今会うことができたのよ。私のこの顔、思い浮かべてなかったなんて言わせないわよ」
手にしていた扇をすぅっと下げて、その顔を月の下に晒す。
――あぁ、この顔だ。
若犬丸は思い返す。
最後に会った晩も散々に自分をなぶりものにした狐女。
だが、それで良かったのだ。
「お前には、礼を言わねばならないな。あの晩、お前のおかげで小山家再興の意志を固めることができたのだから」
正しく嫌味に聞こえるように言ってやった。
「あらやだ、私の言葉に発奮しちゃったの? 逆効果だったわねぇ」
狐女の薄ら笑いは相変わらずだった。
「今度はなぜに現れた」
「なぜ? それはさっきも言ったでしょう? あんたが私を呼んだからよ」
「嘘だ。私はお前など呼んだりしない」
「そちらこそ嘘をついてるわよ。ねぇ、私のことを考えていたでしょう? 考えて考えて。だから私はここに現れることができたのよ」
――考えて? あの時、自分は何を考えていた?
若犬丸は己れへの回答の代わりに、
「お前は妖しだ。妖しは人の弱きにつけ込む。人の運命を歪める」
目を閉じ、顔を背けた。
「そうよ。それが妖しの仕事だもの。でもね、これだけは知っておいて、いくら妖しの私がたぶらかしたからと言って、結局、運命なんて道を選んだ人間の責任じゃなぁい? ねぇ? あんたは今迷っている。それを私のせいにしようとしている」
全てを見透かすような瞳。
「皆のために城を出てきた? それ本気で言ってるの? 自分が逃げなければ愛する人は救えない? 狐の呪い? いい加減にしてよっ。いつもいつもあんたたちは、都合のわるいことを魔物や妖しや、果ては神仏のせいにする。もう、うんざりよ! 私はあんたと何の関係もない」
狐女が大声を上げ、それから体の力を抜いた。
宙に浮いていた兵次がするすると鞍の上に下ろされ、ぐったりと馬の首にもたれかかる。
「さぁ、決めてよ。己れの為すべきことを」
「私が逃げても小田家が救われるとは限らないんだな」
「そうよ。それに神仏じゃあるまいし、先のことなんて聞かれたって私にわかるわけないじゃない」
「私は疫病神ではないのだな」
「あぁ、やめて。その言葉、大嫌い」
「ともに戦えば、活路もあると」
「それは運と実力次第よ」
狐女はにっと笑った。
「ならば我らは勝てる。私も五郎殿も腕に覚えがあるのだから」
今度は若犬丸が笑う。
「すごい自信ねぇ。自分を買いかぶり過ぎじゃない?」
「買いかぶりというか、ならば、その目で見ておれ」
若犬丸は馬に飛び乗った。手綱を操り、馬首を廻らせ、もと来た道を駆け戻る。兵次もその後に続く。
残された狐女はじっとその背中を見送った。
これで我らが縁も断たれると。
若犬丸の死をもって。
――ねぇ、あんた、知っていたのに。妖しは人をたぶらかすのが仕事だって。
狐女は周囲を見回した。
――この辺りもずいぶんと変わっちゃったな。
変わらぬものといえば、浮かぶ筑波の山容と月の光くらいであった。




