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ミリタリア  作者: 山辺一
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序章

 

 世界を腐らせる雨が降っていた。

 電車の窓の外を陰鬱な風景が流れていく。新水内駅前にはくすんだ灰色の塔のような高層ビルが建ち並び、地上では車がのろのろと行き交っていた。活気のある大都市のようにも見えたが、よく目をこらせばシャッターを下した商店が並んでいるのが見えた。

 

 今にも雨が降りそうな鉛色の空を見て、坂本は家から傘を持ってくれば良かったと早くも後悔していた。

 

 同僚の内山が出社してこなくなったのは十日前のことだった。仕事熱心なあの男にしては珍しいなと思っていたが、昨晩仕事を終えて帰ろうとしたところで上司に呼び止められ、様子を見に行ってくれないかと言われた。どうも悪い予感がした。


 不意に電車が揺れて止まり、ドアが開くとむっとするような暑さの空気が流れ込んできて眼鏡が曇った。車内から洪水のように溢れ出す人波に乗って彼も電車を出た。

 あたりはまだ六月なのにサウナのように暑かった。乾いた暑さではない。全身に膜がからみつくような、脇の下から汗がわいてくるようなじっとりとした暑さだ。何度もハンカチで汗をぬぐわなければいけなかった。

 広い駅構内を歩き続けようやく南口に辿り着いた。見上げると駅の天井とさして変わらない色の雲が空にかかり、街の上にのしかかっているようだった。

 やっぱり上司からの頼みは断ってくればよかったと思いながら、坂本は住宅街を目指して歩き始めた。


 水内はニュータウンと都心の中間にあるような街だ。例に漏れずバブル崩壊以後の不景気のあおりをまともに食らった街は、空き家が多くどことなく寂しい。駅のまわりにはファーストフード店やパチンコ屋やゲームショップが軒を連ねているが、少しそこから離れれば、あたりはたちまちホームドラマのセットのような一戸建ての家が建ち並ぶ住宅街が広がっている。彼は歩いている途中で何度も迷いそうになり、そのたびに地図を確認しなければいけなかった。

 内山の家に近づくにつれて、次第にあたりの街並は寂れたものになっていった。空き家がちらほら目立つようになり、風俗店やラブホテルもぽつぽつと見えるようになる。護岸された寒々とした枯れ草の茂る川に沿ってトタン張りの家々が建ち並んでいる。つぶれた工場や埃をかぶったシャッターの合間をまばらな人影が行き来している。

 彼の家は丁度、住宅街とさびれた繁華街の中間あたりにあった。右隣には傾いた屋根の廃屋が、左隣には薄いスープのような色の塀の、ごく普通の家が建っていた。

 内山家の前庭は荒れ果てていた。手入れされていない雑草が伸び、もうたっぷり一ヶ月は人が住んでいないように見えた。窓は閉じられてカーテンがかけられ、家の中からは物音ひとつしない。

 坂本は玄関口の前に立ってインターホンを押した。

 返事はない。

 ドアノブに手をかけると、あっけなくノブがまわった。ドアが音もたてずに開いて、暗い廊下が見えた。

 坂本は恐る恐る中に足を踏み入れた。

 家の中は異様なほど涼しかった。空調の大きな音が響いていた。廊下のくすんだ色のフローリングが踏む度に軋む。坂本は後ろ手でドアを閉めて奥へと歩いていった。 

 電気の消えた廊下の果てに居間があった。誰もいない。小さな声でおそるおそる内山を呼んだが返事はなかった。 

 居間の奥には小さな階段があった。空調の音はそこから響いていた。まるでそこだけおまけにつくられたようなそれを、彼はなぜかのぼってみたくなった。意を決して最初の段に足をかけた。

 坂本はそこで動けなくなった。見えない壁が目の前に立ちふさがっているかのように足が動かない。空気は凍ったように冷たいのに身体からは汗がにじんでいた。階段の先にあるのは何の変哲もない木のドアだった。しかし彼には、それがなぜか異様な場所につながっている扉のように見えた。

 坂本はやがて緩慢な動きで階段をのぼりはじめた。一歩のぼるのにいやに時間がかかった。やがて最上段に辿り着くと、彼はドアノブに手をかけた。

 覚悟を決めてドアを開くと、中は子供部屋だった。壁には幼稚な絵のポスターが貼られ、床には昔のおもちゃや菓子の袋、マンガやゲームソフトが散乱している。しかし何よりも異常なのは部屋中に漂う胸の悪くなるような腐臭だった。

 その源を目でたどり、坂本は部屋の隅を見て愕然とした。

 ――人が突っ伏している。体格から見てまだ子供のようだったが、まるで動かなかった。光の絶えた部屋の中で青白く光るパソコンを前に倒れ込んでいる。Tシャツから伸びる、異様にやせ細った枯れ枝のような手が机にしがみついていた。 

 坂本はそっと少年に近づいた。肩に手をかけて、彼の身体に指がめりこんだ。内側から腐敗が始まっているのか異様な臭いが漂っていた。とっさにここから逃げたいと思ったが足がすくんで動けなかった。

 彼は震える指を少年の背中から離して、ふとパソコンの画面に目をやった。なにかを書きかけているのか、白い画面の半分ほどを文字が埋めていた。画面の右端にはタイトルがあった。

                         『ミリタリア』

 

 

 

 




 

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