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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
戦間期
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戦間期 10 欧州の敗北


明治29年、12月。


木枯らしの吹く帝都・東京の参謀本部に、長きにわたる沈黙を破って、ある一団が帰還を果たした。

春にアフリカ大陸へと派遣されていた、『エチオピア軍観戦武官』たちである。


出発時には10名いた若きエリート将校たちの姿は、8名に減っていた。残りの2名は、アドワの荒野において、イタリア軍とエチオピア軍の凄惨な戦闘に巻き込まれ、異国の土となって果てたのである。


「……よく生きて戻った。殉職した二名の魂は、靖国にて厚く弔う。……して、報告を聞こう」


作戦室の上座に座る滝脇慶家大佐の前で。

日焼けし、頬のこけた観戦武官の長は、鞄の中から、泥と血の染み込んだ分厚い野帳(手帳)を取り出し、静かに口を開いた。


「結論から申し上げます。……『硬直化した欧州の正面戦術は、すでに死に体』に御座います」


武官が語る『アドワの戦い』の顛末は、参謀本部の幕僚たちを深く戦慄させた。

アフリカの未開の国と侮り、勝利を確信していたイタリア軍。


彼らは欧州の平原で戦うのと同じように、密集した陣形を組み、大砲を並べて「正面」から堂々と進軍した。彼らの頭の中には、火力で圧倒すれば野蛮人はすぐに逃げ散るという、傲慢な前提しかなかった。


しかし、エチオピア帝国軍の戦い方は、白人の想像を絶するものだった。


「エチオピア軍は、イタリアの砲火を正面から受けるような愚行は犯しませんでした。彼らは峻険な地形を完璧に利用し、兵を細かく分散させる『散兵線(さんぺいせん)』を展開。イタリア軍の砲火を無力化しつつ、その死角から忍び寄りました」


武官は、黒板にチョークで地形図を書き殴った。


「そしてイタリア軍が、予想外の抵抗に前進を止め、陣形が伸び切ったその瞬間。……エチオピア軍は、隠していた圧倒的な『数の暴力』をもって、イタリア軍の背後と側面を完全に包囲したのです。

正面からの撃ち合いしか想定していなかったイタリア軍は、側面からの攻撃に脆くも崩壊。……結果は、近代的な白人軍隊の『完全なる殲滅(全滅)』でした」


作戦室は、水を打ったように静まり返った。


欧州の列強とて、無敵の神ではない。地形を読み、兵を分散させ、敵の硬直した陣形の隙を突いて背後から喰い破れば、有色人種の軍隊でも白人を完全に鏖殺(おうさつ)できる。


慶家は、血塗られた野帳をめくりながら、その漆黒の瞳に冷酷な歓喜の光を宿した。


「エチオピア軍の用いた戦術は、我が軍が目指す『理戦論』の優位性を、そっくりそのまま証明している。

密集して正面から突っ込むだけの欧州式の歩兵など、機関銃と散兵線の前ではただの的(まと)に過ぎん。ロシアがこの時代遅れの戦術に固執している限り、我々に勝機は必ずある」


異国の地で流された2名の血


それは決して無駄にはならなかった。彼らが命と引き換えに持ち帰った「欧州軍隊の致命的な欠陥」という真実は、やがて大日本帝国軍がシベリアの凍土で大国ロシアの軍隊を包囲し、すり潰すための、最も確かな『死の教科書』となったのである。


―――


明治30年(1897年)の年明け。 


帝都・東京は、前年に連続して国土を襲った自然の猛威から力強く立ち直りつつあり、来るべき20世紀という新しい時代への熱気に包まれていた。


しかし、三宅坂の陸海軍参謀本部の一角、常に分厚い遮光カーテンが引かれた作戦室の中だけは、外の喧騒から完全に切り離された、冷え切った静寂と紫煙に満ちていた。 


部屋の中央には、満州の大平原とシベリアの凍土を精巧に再現した、巨大な砂盤(戦術沙盤)が鎮座している。


その砂盤を囲むように立っているのは、日清戦争において実戦の地獄を潜り抜け、滝脇慶家自らが手塩にかけて育て上げた若きエリート参謀たちであった。

彼らの顔には、極度の疲労と、それ以上の「底知れぬ恐怖」が刻まれていた。 


「……また、我々の負けだ。三個師団による縦深陣地が、わずか半日の図上演習で完全に崩壊させられた……」


「馬鹿な。我が軍(演習上のロシア軍)の正面火力は、滝脇大佐の軍の三倍はあったはずだぞ。なぜ、火力の薄い部隊に陣地を抜かれるのだ……!」


参謀たちが震える声で呟き、盤上の赤い木駒(ロシア軍)を力なく倒す。


その盤面の向こう側で、軍服の第一ボタンまで隙なく留めた滝脇慶家大佐が、指揮杖の先端で盤上の青い木駒(日本軍)を弄びながら、冷酷なまでに無機質な視線を放っていた。


年が明けてからというもの、慶家は参謀本部において、この図上演習(クリークスシュピール)を狂ったような頻度で繰り返していた。


目的は一つ。『より高度な戦術機動の構築』である。


過去の戦術(絶対防御)からの脱却


日清戦争において、慶家が用いた基本戦術は極めて明白であった。


すなわち、あらかじめ強固な塹壕と陣地を構築し、敵の波状攻撃を徹底的に「護り」の構えで受け止める。敵が焦り、怒りに任せて火力を使い果たし、息切れを起こした終盤戦において、温存していた戦力で一挙に逆襲(カウンター)に転じ、盤上からすり潰すというものである。


逆に、敵が護りに徹している場合は、情報戦と謀略によって敵の内部を崩し、その隙を突いて要塞を陥落させてきた。


これは、かつての戦国時代において、彼(徳川家康)が長篠の戦いなどで用いた「待ちに徹して敵の突撃を破る」戦術の、極めて近代的なアップデート版であった。相手の攻めを吸収し、終盤の複雑な局面で読み勝ち、圧倒する。それは慶家の魂の根底にある盤上遊戯(将棋)の定跡にも通ずる、冷徹なるカウンター哲学であった。


しかし。


相手が大清帝国ではなく、数百万の兵力と無尽蔵の大砲を擁する『大国・ロシア』となった場合、この戦術には明確な「限界」が生じる。


(……ロシアの巨大な質量(大砲の波)を相手に、ただ陣地に籠もって受け身に回れば、いずれ陣地ごと木端微塵にすり潰される。かといって、ロシアが構築した要塞線に対し、欧州の軍隊のように正面から密集して突撃すれば、エチオピアでのイタリア軍と同じように、機関銃の餌食となって全滅するだけだ)


攻めても地獄。守っても地獄。


列強の圧倒的な物量という『理不尽』を前にして、いかにして味方の血を流さずに勝つか。


慶家がこの数ヶ月、自らの手足となる参謀たちを仮想のロシア軍に見立て、図上演習の中で執拗に模索し続けていたのは、自らが構築したその「受けの陣形」の穴を、自らの手でこじ開けるための対抗策であった。


そして、幾度となく繰り返された盤上の死闘の果てに、慶家が一つの完成された解(システム)として組み上げたのが、後の世(第一次世界大戦末期)においてドイツ軍が編み出すことになる戦術の先取り――『浸透戦術(インフィルトレーション)』であった。


「……諸君。なぜ君たちの強固な陣地が、わずかな兵力によっていとも容易く崩壊したのか。その理由が分かるか」


慶家は指揮杖を置き、作戦台の上に身を乗り出した。


「君たちは、欧州の古い軍事教本に毒されすぎている。敵の陣地を抜く際、我が軍の全砲門を何日も撃ち続けて『面』を更地にし、その後、数万の歩兵を横一列に並べて強引に突撃させる。……そんなものは、戦術でも何でもない。ただの命の浪費だ」


慶家が図上演習で見せた動きは、これまでの常識を根底から覆すものであった。


彼はまず、何日も続くような無駄な砲撃を行わなかった。代わりに、攻撃開始の直前、数十分というごく短時間に、すべての砲兵火力を一点(敵陣地の鉄条網や通信線)にのみ集中させる『短時間集中砲火(ハリケーン・ボンバードメント)』を行った。


そして、砲撃が止んだ直後。


横一列の歩兵突撃の代わりに放たれたのは、重装備を捨て、小銃や手榴弾を持った『小規模な機動部隊(突撃歩兵)』の無数の群れであった。


「我が部隊は、君たちが配置した強固なトーチカ(防御拠点)には、一切目もくれなかったはずだ。彼らは強固な敵を『無視(迂回)』し、陣地と陣地の間に生じたわずかな隙間(穴)を縫うようにして、背後へと深く、早く入り込んだ」


最前線の防御陣地は、放置された。


しかし、隙間をすり抜けた日本の小部隊は、ロシア軍の後方にある「砲兵陣地」や「指揮所」を次々と急襲し、通信線を切断した。


結果どうなるか。最前線の防御部隊は、どれほど強固な陣地に籠もっていようとも、後方からの弾薬補給と命令を絶たれ、完全に孤立し、疑心暗鬼の中で自壊していったのである。


慶家は、砂盤の上に積まれた仮想の山の頂から、コップの水を静かに垂らした。 


水は、砂の斜面にある石(防御拠点)を避け、もっとも抵抗の少ない窪みを縫うようにして、複雑な筋を描きながら麓へと流れ落ちていく。 


「面に強引に大きな穴を開けようとするから、無理が生じるのだ。」


慶家の声が、静まり返った作戦室に響く。


「水を見ろ。砂の城に一つでも穴が空けば、水はそこへ集中し、瞬く間に穴を拡げ、その城の内側から食い破っていく。

ロシアがどれほど強固な陣地を創り上げようと、正面から叩き割る必要はない。

敵の背後に回り込み、わずかな亀裂を生じさせるだけで、巨大な組織はパニックを起こし、大崩壊を誘発するのだ」 


参謀たちは、慶家の恐るべき戦術理論に息を呑んだ。


正面火力の短時間集中と、側面・背面への機動的な小規模部隊による強襲。それは確かに、極めて少ない犠牲で敵の重厚な陣地を無力化できる、魔法のような戦術に見えた。


しかし、一人の優秀な参謀が、震える手を挙げて異議を唱えた。


「た、滝脇大佐。……理屈は分かります。しかし、そのような戦術は『机上の空空論』ではありませんか?

部隊を細かく分け、各個に敵の隙間を浸透させるなど……。

通信手段が限られている最前線において、中央(我々)からの命令が届かず、部隊が勝手に動き回れば、軍としての統制は瞬く間に失われ、各個撃破されてしまいます!」


欧州の軍隊が、なぜ横一列に並んで密集突撃を繰り返すのか。それは「兵士を将軍の目の届く範囲に置き、一つの巨大な機械として統制するため」である。


部隊を細かく分けてしまえば、将軍のコントロールは効かなくなる。それは軍隊の常識からの完全な逸脱であった。


だが、慶家は全く動じることなく、冷たく言い放った。


「その『統制』という名の傲慢さが、国を滅ぼすのだ。

私が、なぜ日清戦争の前から、お前たちに現場の判断を優先させるように組織を組み上げてきたと思っている?」


慶家にとって、この戦術には不思議な感覚など一切無かった。


かつて戦国時代。通信機などない山野において、武将たちは大将の命令を待つことなく、刻一刻と変わる戦況に合わせて自らの判断で機動し、敵の隙を突いていた。


近代の軍隊は、規律を重んじるあまり、兵士から「考える力」を奪いすぎたのだ。


「現場を信頼し、彼らに裁量を委ねるというのであれば、さらに『少数』を信頼せよ。

将軍が数万を動かすように、小隊長は自らの判断で数十名を動かし、分隊長は数名を動かす。

大隊単位での機動が許されるなら、小隊単位、分隊単位での自律的な機動もまた許さなければならない。

末端の兵士一人が、将軍と同じ目で戦場を読み、最も弱き一点を自らの判断で食い破る。

……その『個の自律』と『教育』こそが、我が大日本帝国軍が列強を凌駕するための唯一の鍵だ」


現場の判断に任せられるように組織を組み上げていった以上、小隊単位での変幻自在な機動を許容するのは、慶家にとって「当たり前の帰結」であった。


「……恐ろしい。これほどの戦術を完成させれば、もはやロシアの防御陣地など恐るるに足りません」


参謀たちは、自らの上官が創り上げた『浸透戦術』の悪魔的な完成度に、畏敬の念を抱いて平伏しそうになっていた。


だが、慶家はそこで演習を終わらせなかった。


「……阿呆め。これで完成だと思っているのか?」


慶家は、盤上の駒をすべて元の位置に戻し、今度は自らが『防御側(ロシア側)』に立ち、参謀たちに『攻撃側(日本側)』を持たせた。


「良いか。もしロシア軍の中に、私と同じ思考に至る『本物の化け物』がいた場合。あるいは、我々が守勢に回り、ロシア軍がこの『浸透戦術』に似た機動で我が軍の隙間を突いてきた場合、どうなる?」


参謀たちは顔を見合わせた。


「そ、それは……防御側の陣地が食い破られ、崩壊を……」


「違う。……そこが、軍事というものの『業(ごう)』の深いところだ」


慶家は、指揮杖で自らの陣地の中央に、ぽっかりと『小さな穴(意図的な空白地帯)』を構築した。

「敵が、水のように隙間を縫って浸透してくることが分かっているのなら。

『初めから小さな穴を空け、そこを受け皿として、敵の水を意図的に受け止める』こともまた……戦術として当然の帰結として出てくるのだ」


慶家が構築したのは、単なる固い陣地ではない。


前線をわざと薄くし、敵の機動部隊(浸透部隊)に「突破できた」と錯覚させ、陣地の奥深くへと誘い込む。

そして、敵が細長く伸び切り、補給線と切り離されたその空間(受け皿)の周囲に、あらかじめ温存しておいた圧倒的な十字砲火(機関銃陣地と予備兵力)を配置しておく。

いわゆる『弾力縦深防御(だんりょくじゅうしんぼうぎょ)』という、後年において浸透戦術を完全に無効化する悪魔のカウンター戦術すらも、慶家はこの明治30年の時点で同時に生み出していたのである。


敵の攻撃を強固な「面」で弾き返すのではない。

柔らかく吸収し、誘い込み、自らの陣地の奥深くで完全に包囲して圧殺する。 


相手の攻めを吸収し、終盤で複雑に絡み合った陣形の中から致命傷を与えるという、盤上における極限のカウンター。


「ここで如何に、『詭道(きどう)』を用いれるかが戦いを決する」


『孫子』の兵法――「兵は詭道なり(戦争の本質は、敵を欺くことである)」。


敵に「勝てている」と錯覚させ、最も希望に満ちた瞬間に、絶望のどん底へと叩き落とす。


陣地を固めるのも、隙間を縫うのも、わざと穴を空けるのも。すべては相手の心理を操り、自滅の罠へと誘導するための冷酷な計算(騙し合い)に過ぎない。


「名誉ある突撃も、騎士道も、この近代戦においては何の価値もない。

敵の弱点を欺き、こちらの弱点を偽装し、誘い込み、すり潰す。……何処まで行っても騙し合い。所詮、戦争とはそんなものであると、骨の髄まで理解しろ。」


慶家のその言葉は、凍てつくような殺気を伴って作戦室に響き渡った。


参謀たちは、盤上を見つめたまま、もはや一言も発することができなかった。


彼らは理解したのだ。目の前にいるこの男は、単なる戦術家ではない。


人間の持つ「慢心」「恐怖」「錯覚」といったあらゆる心理を数字に変換し、味方の命を生かすためならば、どれほど卑劣で残虐な騙し討ちであろうと息を吐くように実行する、真の『戦神(バケモノ)』なのだと。


世界がまだ、色鮮やかな軍服と横一列の銃剣突撃という牧歌的な戦争観に浸っていたこの時代に。


帝都の薄暗い作戦室の中で、大日本帝国は、人間の血と泥に塗れた20世紀の「真の戦争の姿」を、誰よりも早く、そして誰よりも冷酷に設計し終えていた。

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