日清戦争 4 第一次黄海海戦
陸戦において『臨津江の戦い』という一方的な殺戮劇が繰り広げられていたのと全く同じ頃。
朝鮮半島へと続く大日本帝国の「生命線(海上兵站線)」を断ち切るべく、大清帝国・北洋艦隊の一部が出撃し、黄海において日本海軍との海戦が勃発していた。
しかし、この海戦もまた、開戦の銅鑼が鳴る前からすでに「勝敗の計算式」は残酷なまでに完了していたのである。
清国海軍の出撃は、半島での敗報に狼狽した北京政府からの、極めて場当たり的で性急な命令によるものであった。
この致命的な焦りは、北洋艦隊から「最大の牙」を奪い去ることになる。清国が世界に誇る東洋一の巨大戦艦『定遠』と『鎮遠』は、日頃の訓練不足と突然の出撃命令に機関の立ち上げや弾薬の積載が間に合わず、あろうことか港(威海衛)に取り残されてしまったのだ。
主力艦を欠いたまま、出撃を強行させられた清国艦隊の陣容は、巡洋艦7隻、水雷艇4隻。
対する大日本帝国海軍は、万全の態勢で待ち構える巡洋艦8隻(新鋭艦を含む)の遊撃艦隊であった。
数の上では拮抗しているように見える。しかし、その実態は天と地ほどの開きがあった。
清国海軍の艦艇は、長年にわたる官僚の「横領」と「腐敗」によって、完全に内部から食い破られていたのである。
整備予算は西太后の離宮(頤和園)の建設費や高官の懐へと消え、ボイラーは石炭の質が悪く規定の速力を出せない。あろうことか、砲弾の中身すら火薬ではなく「砂」や「セメント」が詰められている有様であった。
結果として、出撃した清国の巡洋艦のうち、まともに戦闘行動が行える艦艇は半数にも満たなかった
大砲が撃てない、撃てても弾が爆発しない。速力も出ない。
そんな鉄の棺桶に乗せられ、完全武装の日本艦隊の前に引きずり出された清国海軍の将兵たちは、絶望の中で一つの、そして時代遅れの極端な戦術にすがるしかなかった。
「――全艦、前進! 敵艦に突撃し、衝角をもって沈めよ!!」
衝角戦術。
それは、艦首に取り付けられた巨大な鉄の角を敵艦の横腹に突き立てて沈めるという、大砲の威力が低かった数十年前(リッサ海戦の時代)の遺物である。
大砲の撃ち合いで勝てない以上、肉薄して自らの船体を丸ごと質量兵器としてぶつける『特攻』しか、彼らに残された道はなかったのだ。
黒煙を猛烈に吹き上げながら、清国の巡洋艦群が陣形を崩し、一直線に日本艦隊へと突進してくる。大中華の意地と、死の恐怖を紛らわせるような怒号が黄海の波間に響き渡った。
しかし、突進してくる清国艦隊を双眼鏡で視認した日本の艦隊司令部は、一切の動揺を見せなかった。
彼らの頭脳には、滝脇慶家が陸軍の枠を超えて海軍にまで叩き込んだ『理戦論』の冷酷なロジックが完全に浸透していた。
「……敵艦隊、単縦陣を崩し、一直線にこちらへ突進してきます。発砲は散発的、衝角戦術を企図しているものと思われます」
「愚かな。速力で劣る艦が、どうやって追いつくというのだ」
日本の艦隊司令官は、冷ややかに命じた。
「全艦、取舵(左へ回頭)。敵の突進軌道を外し、アウトレンジ(安全圏)を保ちながら、速射砲にて敵艦の上部構造物を薙ぎ払え」
日本艦隊は、突撃してくる清国艦隊を闘牛士のように冷酷に躱した。
日本の巡洋艦群は、整備の行き届いたボイラーが叩き出す20ノット近い機動力を活かし、決して敵を近づけさせない。常に清国艦隊の側面や斜め前方の「有利な位置(T字の横棒)」をキープし続けた。
そして、彼我の距離が最適に保たれた瞬間。
日本艦隊に搭載された新鋭の速射砲群が、一斉に火を噴いた。
ドゴォォォォォンッ!!
ダダダダダダダダダッ!!
それは海戦というよりも、一方的な『射撃訓練』であった。
清国艦隊の突撃は、日本艦隊の絶え間ない砲弾の雨(雨霰)によって、文字通り物理的にすり潰されていった。砲弾は次々と清国の巡洋艦に命中し、火薬が詰まっていない清国の反撃の砲弾は、日本の装甲を叩いて虚しく海へ落ちていく。
「火災発生! 舵が、舵が効きません!」
「機関室浸水! これ以上は進めない!!」
突撃を試みた清国の巡洋艦は、日本艦隊に肉薄することはおろか、その数十倍の砲弾を上部構造物に浴びせられ、次々と火ダルマになって黄海の上に停止した。甲板は血の海と化し、指揮系統は完全に沈黙。
護衛の水雷艇も、接近する前に日本艦隊の副砲と機関砲の弾幕に捕まり、ハチの巣にされて次々と轟沈していった。
数時間後。
黄海に浮かんでいたのは、黒煙を上げて沈みゆく清国巡洋艦の残骸と、命からがら逃げ惑う数隻の敗残艦の姿だけであった。
日本側の損害は、敵の散発的な砲撃による軽微な損傷と、数名の負傷者のみ。文字通りの「完全勝利」である。
訓練不足、腐敗、そして時代遅れの突撃戦術。
精神論と面子だけで動いた大清帝国の艦隊は、圧倒的な「システム」と「計算」によって動く大日本帝国海軍の前に、なんの戦果も上げることなく無残に海のもくずと消えた。
この一方的な海戦の結果により、黄海の制海権は完全に大日本帝国の手中に落ちた。
朝鮮半島で戦う日本陸軍の背後(兵站)は絶対的な安全を保証され、逆に清国陸軍は本土からの補給を完全に断たれることとなる。
―――
第一次黄海海戦の凄惨な敗報が北京の紫禁城に届いた時、大清帝国の中枢は恐慌と、そして耳を疑うような「激怒」に包まれた。
彼らの怒りの矛先は、日本の新鋭艦隊に敗れ去ったこと以上に、「東洋一の巨大戦艦たる『鎮遠(および定遠)』が、あろうことか旅順港に係留されたまま、一発の砲弾も撃たずに無傷で遊兵となっていた」という一点に集中した。
自らの無謀で性急な出撃命令が招いた準備不足であり、横領によって石炭すら満足に買えなかったという「国家システムの腐敗」が根本原因であるにもかかわらず。
プライドと保身に凝り固まった大中華の朝廷が取った行動は、近代国家の軍事組織としては到底信じがたい、文字通りの『暴挙』であった。
「――戦わずして国威を汚した腰抜け共め! 現場の責任者(提督・艦長たち)を悉く捕縛し、更迭せよ!!」
朝廷の高官たちは、自らの失態を完全に棚に上げ、すべての罪を「前線指揮官の怠慢と怯懦」に擦り付けたのである。
これにより、かろうじて海軍の近代戦術を理解し、絶望的な状況下でも艦隊をまとめようとしていた実戦経験豊富な指揮官たちは、次々と軍職を剥奪され、あるいは処罰された。
代わりに艦隊の指揮権を与えられたのは、海戦の「か」の字も知らない宮廷の機嫌取りや、皇帝への忠誠を声高に叫ぶだけの無能な政治将校たちであった。
ただでさえ腐敗と敗北によってどん底にあった北洋艦隊の士気と指揮系統(脳髄)は、自国の政府によるこの無慈悲な責任転嫁によって、完全に、そして修復不可能なまでに破壊されたのである。
それでもなお、清国は失われた黄海の制海権を何とかして奪還し、傷ついた帝国の「面子」を繕わねばならなかった。
実戦指揮官を失い、烏合の衆と化した海軍上層部が下した命令は、極めて短絡的で力任せなものであった。
「急ぎ、ありったけの動かせる艦艇を『旅順港』に集結させよ! 巨大な要塞の砲台と艦隊の砲門を合わせれば、倭奴(日本軍)の艦隊など容易く粉砕できるわ!」
各地に分散していた巡洋艦、砲艦、旧式の木造船から水雷艇に至るまで。文字通り「浮くものなら何でも」といった有様で、清国の残存艦艇が次々と遼東半島の先端、北洋艦隊の絶対的拠点である旅順港(Lushun)へと急ぎ集結させられた。
旅順の湾内は、鎮遠・定遠の二大戦艦を中心に、大小の艦艇で黒山のように埋め尽くされた。
清国の首脳陣は、要塞の巨大な大砲群に守られ、湾内にひしめく大艦隊の威容を見て、「これで制海権は我が国の手にある。日本軍は手も足も出まい」と自惚れ、安堵の息を漏らした。
しかし。
東京の参謀本部でその『旅順港への大集結』の報告を受けた滝脇慶家は、肩を震わせて低く嗤った。
海軍の運用において、艦隊を一つの港に密集させることは、外洋での機動力を完全に放棄したことを意味する。それは「要塞に守られている」のではない。
「自ら巨大な袋の中に逃げ込み、入り口の紐を縛られるのを待っている『袋の鼠』」に他ならないのだ。
「彼らは、海戦というものを全く理解していない。動けない艦隊など、ただの鉄の的だ。……これで、海軍が敵を追い回す手間が省けた」
慶家は、海図の上に置かれた「旅順」の文字の上に、冷たい万年筆の先を突き立てた。
「敵の全戦力が一箇所に固まってくれたのだ。ならば、海からではなく……『陸』からその袋を破り、背後から要塞ごと海へ叩き落としてやればいい」
清国が面子を守るために行った「艦隊の旅順集結」という絶望的な悪手。
それは、日本軍が次なるフェーズ――すなわち、『難攻不落の旅順要塞の背後からの強襲と、北洋艦隊の完全殲滅』へと駒を進めるための、これ以上ない完璧な「標的の固定」となったのである。
―――
明治27年(1894年)初秋。
帝都・東京、三宅坂の陸軍参謀本部。
薄暗い作戦室の巨大な地図台を囲む男たちの顔ぶれは、これまでの大日本帝国軍の歴史において、およそ考えられない「異例中の異例」の光景であった。
陸軍の将校たちが立ち並ぶその中心に、あろうことか海軍軍令部長をはじめとする海軍の最高幹部たちが肩を並べ、共に作戦の指示にあたっていたのである。
陸軍と海軍は、本来であれば予算と手柄を奪い合う犬猿の仲である。しかし、滝脇慶家が事前の根回しと『理戦論』をもって海軍に頭を下げ、論理の正しさを叩き込んだことで、この極東の島国は世界に先駆けて「陸海統合の統帥という奇跡的な脳髄を完成させていた。
「――北洋艦隊の主力が旅順に集結し、袋の鼠となった今。我々海軍の独力で、あの難攻不落の要塞ごと艦隊をすり潰すのは不可能である」
海軍軍令部長が、陸軍の参謀たちに向けて素直に頭を下げ、現状の知見を述べた。
「ゆえに、陸軍の力が必要だ。海軍は制海権と兵站線を死守する。その代わり、陸軍は陸伝いに背後から要塞を強襲し、敵艦隊の息の根を止めてもらいたい」
「御意」
慶家は静かに頷き、万年筆で地図の上に鮮やかな赤い矢印を引き始めた。
「これより、我が軍は清国に対し、陸海一体となった巨大な包囲殲滅戦へと移行する」
慶家が引いた矢印は、極東の地図を縦横無尽に切り裂いていった。
参謀本部が固めた当面の作戦方針は、以下の通りである。
* 【平壌の打通】
まずは朝鮮半島北部に集結している清国軍の主力を粉砕し、鴨緑江の向こう側へと完全に叩き出す。これにより、朝鮮半島を日本軍の絶対的な安全地帯(兵站拠点)とする。
* 【遼東半島の孤立化と陥落(旅順攻略)】
平壌を突破した勢いのまま、清国本土へ上陸。海軍の封鎖と連動して遼東半島の根元を切り飛ばし、東洋一の要塞・旅順を陸側(背後)から強襲して陥落させる。
* 【山東半島への攻勢(海軍基地の無力化)】
旅順を失い、さらに南の威海衛などへ逃げ込むであろう清国海軍の残存艦隊を完全に無力化するため、沿岸部の海軍基地群を軒並み陸海からの挟撃で制圧する。
* 【満州・沿岸部への陽動】
上記の主作戦から清国軍の目を逸らすため、陽動部隊を満州方面および渤海沿岸部へと派兵。敵の防衛線を間延びさせ、兵力を分散・消耗させる。
それは、大清帝国という巨大な竜の「手足」を陽動でもぎ取り、首(平壌)を刎ね、最後に心臓(海軍基地)に杭を打ち込むという、あまりにも壮大で冷酷な殺戮のロードマップであった。
戦というものは、机上の空論通りには進まない。あらゆる局面に於いて、全力で考え、最悪を想定し続けなければならない。
地図を見下ろしながら、慶家(家康)の脳裏には、かつて前世において自らの主君でもあった天下人――織田信長の戦い方が鮮明に蘇っていた。
信長は、自らは京(中央)に座し、北陸には柴田勝家、中国には羽柴秀吉、関東には滝川一益といった具合に、各戦線に軍団長を配置して『戦場(戦術)を完全に一任』した。中央は兵站と大局的な方針だけをコントロールし、現場の戦いは現場のプロフェッショナルに任せる。
それこそが、広大な領土を同時に制圧するための最も合理的なシステムであった。
慶家は、その信長の「方面軍司令官制度」を、近代的な兵站システムとして極限まで洗練させていた。
参謀本部が作成したこの作戦計画書には、当然「何月何日までに平壌を落とす」といった大まかな目標期日は記されている。しかし、慶家が真血を注いだのはその先――『無数の予備作戦(分岐・if-then)』の構築であった。
『もし、平壌攻略で自軍の損害が20%を超えた場合。即座に作戦はプランBへ移行し、進軍を停止して補給を待つ』
『もし、秋雨が長引き泥濘で大砲が運べない場合。プランCへ移行し、秋山支隊の騎兵のみを迂回させ、敵の兵站を焼いて冬まで膠着させる』
『もし、清国軍が予期せぬ場所から反撃してきた場合……』
損害の多寡、天候、季節、弾薬の残量、疫病の発生率。
あらゆる局面において「こうなれば、こう動く」という場合分けの分岐が、まるで巨大な樹木の根のように幾重にも張り巡らされていた。
天才的な閃きに頼るのではなく、「いかなる不測の事態が起きても、絶対に軍が瓦解しないための算盤」を、事細かに敷き詰めたのである。
「……以後の戦争指導について、一つ通達しておく」
作戦の全容を説明し終えた慶家は、居並ぶ陸海の高級将校たちを見据えて、静かに、しかし絶対的な重みを持って言った。
「参謀本部は今後、『現場の戦闘(戦術)に対する一切の口出し(マイクロマネジメント)』を放棄する」
室内がどよめいた。中央の統帥部が、現場の指揮権を手放すというのか。
「我々参謀の仕事は、各師団への『物資(弾薬と食糧)の完璧な配分』と、『この大盤(世界地図)の操作』のみに限定する。
平壌を右から攻めるか左から攻めるか、どの丘に大砲を置くかなどという些末な戦術は、現地で泥と血に塗れている前線指揮官(現場の将官たち)の裁量に一任せよ。安全な帝都の机にしがみついている我々が、数日遅れの電報で現場に知ったかぶりの指示を出せば、軍は必ず死ぬ」
慶家は、地図の上に置かれた駒をポンと叩いた。
「我々は、彼らが存分に暴れ回るための『血(物資)』を絶やさず送り込み、彼らが迷った時のための『予備作戦(選択肢)』を提示し続けるだけでいい。……手足を動かすのは現場だ。我々は、ただ冷徹に脳髄としての機能を果たす」
信長の合理性と、家康の緻密さ。
二つの天下人のエッセンスを近代軍事学のフォーマットに流し込んだ滝脇慶家の『理戦論』は、ここにきて大日本帝国軍という組織を、かつてないほど洗練された完全な「殺戮機械」へと進化させていた。
中央(参謀本部)は大盤のみを冷酷に見つめ、現場の指揮官たちは無限の兵站と予備作戦に支えられて自由自在に牙を剥く。
大清帝国を完全に解体するための巨大な歯車が、異音一つ立てることなく、滑らかに、そして絶望的な速度で回り始めたのである。




