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ゲヴェドースの子どもたち

作者: 伊佐凪セヂ
掲載日:2026/04/24

 深い闇の奥底で、〈それ〉は静かに声を上げた。


 おおおお……

 おおおおお……

 おおお……怨……


 呻き声にも似た〈それ〉は闇に溶け込み、そして――



     ◇



「TSってのが最近は流行っているんだって?」


 自称・超常現象研究家の二宮にのみや禁次郎きんじろうはそう言って、パソコンの画面をのぞき込んでいる。


 室内だというのに白いメトロハットを目深まぶかにかぶり、サングラスまでかけた胡散臭うさんくさい外見の中年だ。いかにもな肥満体型であり、突き出た下腹には黒いポーチが窮屈そうにおさまっていた。


 彼が見ているのは、流行の小説投稿サイトというやつだった。

 今は色々あるよねぇ、誰でもが物書きとして物語を発信できるいい時代になったもんだ。え? なぜ僕がそんなサイトを覗いているのかって? 嫌だなぁ、いま言ったばかりだろう。「誰もが物語の創作者足りえる時代」なんだ。こういうところにね、都市伝説の根っこが転がっていると、僕は信じてやまないのさ――そんなことをのたまった。


 話を聞いているのは田川たがわという、大柄な中年男性だった。

 職業はいわゆる映画監督……なのだが、ディレクターとしてうだつの上がらぬ彼のもとには、怪しげなオカルトビデオの撮影依頼しか来ない。それこそレンタルビデオ屋の奥で埃をかぶっているようなたぐいのB級作品ばかりだった。


「……お前、TSってのは性転換の事だろう? 俺も知っているぜ。生まれ変わったら令嬢になって異世界で無双とか、そういうのだろ」


「いいや違うんだな」と二宮は言う。「TSってのはそういう転生物語とはかなり違う。正しく表記するならTranssexual。肉体の物理的な改変と言える……」


「で、それが今度の企画とどう関係あるのよ」


 企画――という言葉を田川は強めた。

 彼ら撮影チームは近々、中国山地へおもむくことになっている。それは、最近になってちまたを騒がせ始めた、とあるUMA(未確認生物)についての実地調査も兼ねていた。


「ツチノコ、だろう。何だろうねぇ、この令和の世になって……」


 確かにそうだな、と田川は頷いた。

 ツチノコっていやぁ、かつての昭和時代に国中を巻き込む大騒動に発展した伝説のUMAである。その外見はへびのようではあるが、頭は三角形、首の部分がくびれていて、胴体はビール瓶ほどもある太った体型……。その割に動作は俊敏という、そういう生物のことだった。


「形の話だけ聞くとさ、なんか『ちんぽ』みたいだよな」


「そういうお下品な例えは、僕は嫌いだね。あれはあくまでも学術的に、『そういう形状』をしているとだね……」


「上品ぶってるんじゃあないよ。いやでもさ、案外そうだったりしてな!」


 そう言ってガハハと笑う。

 二宮はこの映画監督の、そういう部分が嫌いだった。



         ◇



 かくして中国地方へと舞台は移る。

 目的地は比婆山ひばやまと呼ばれる場所であり、かつてはそれこそ「ヒバゴン」なるUMAの目撃報告がなされた深い山中さんちゅうだった。こんな場所にツチノコがねぇ、と田川は言う。えてして奇妙なものとは、一か所に集まる習性があるのだろうか。


 道中、拠点として立ち寄ったふもとの村もまた、奇妙な場所だった。

 村の中で働いているのは大人の女性と、遊ぶ男児の姿しか見かけないという光景だった。その逆は一切ない。違和感ここに極まれりだ。


「大人の男はどこへ行ってるんだろうね」と二宮が首を傾げた。


「出稼ぎにでもいってるんじゃねぇの?」


 田川の返答は極めてドライなものだった。


 そのときだった。

 彼らの視界を何かがよぎってゆく。

 それは黒く、大人の親指ほどある太さの生物のようで……


「まっさかー、俺たち、もう見つけちゃった?」


「いいや、そのまさかのようだぜ」


 二宮はメトロハットをかぶりなおす仕草をしながら、影の後を追う。草むらに飛び込んだそれは、そのまま比婆山の方へ向かって行方をくらましたようだった。


「……ツチノコの目撃例が増えたってのは、正しいのかもしれない」



          ◇



 その夜――

 村の民宿でかれらが一杯やっていると、何処からか無気味な声らしきものが聞こえてきた。


 地響きにも似たそれは明らかな人の声だった。

 どこか地の底から湧き出てくるような唸り声だ。


 おおおおおおお………

 おおおお……

 おおお……


 声は村じゅうを震撼させている。

 民宿の外では村人たちが慌ただしく駆け回っている足音が聞こえてきた。こんな夜更けになんだろう。二宮たちが不審ふしんがって外を見ると、闇の彼方にそびえる比婆山から、その「声」は鳴り響いているようだった。


「ヒバゴンかな」


「アホかお前は。本当にそんなものがいるわけね―じゃん。第一、いま探しているのは『ツチノコ』だろ」


 辛辣な田川を無視して二宮は外へと出てみる。

 外灯がいとうも少ない地方の村は一面の闇にまれている。ちょっと怖いね、と呟いたその時だった。二宮の目の前をよぎってゆく無数の影があった。それらはヒルのように真っ黒で、先端だけがぬらぬらと濡れそぼったように光っている。形状はまごうことなき三角形だ。加えてくびれと太った胴体が見える。闇のなかにあって、二宮は確かに、その姿を目に焼き付けたのだった。


「――ツチノコの群れが山に向かっていった」


「アホかお前は」




 奇妙なことは翌朝になってさらに加速した。

 昨日はあれほどいた男児が、村のどこを見ても一人も見当たらないのだ。

 わりに、いなかったはずの女児の姿だけがある。


「う~む、まるで一夜にしてTSが発生したようだ!」


「アホかお前は。昨日はなんかの事情で留守で、今朝になって帰ってきただけだろ」


「じゃあ、なんで男の子たちの姿は見えないんだい? それにごらんよ、あそこの子なんか……顔に見覚えがあるぜ。確かに、昨日は男の子として遊んでいただよ」


「寝ぼけて見間違えてるだけじゃねぇの?」


 田川はこの期に及んで無関心を決め込んでいた。



「う~む」


「何を考えてるんだい、ジローちゃんよ」


「……思いだしたことがあってね。監督は『ゲヴェドースの子供たち』って知ってるかい。中南米はドミニカ共和国にある、サリナス村で起こっている超常現象のことだ」


「知らんね」


「……この村ではね、男性新生児の五十人に一人が男性器を持たずに誕生するんだけど――ああ、これ事態はたいして珍しいことじゃないが――驚くべきは、その後、かれらが思春期を迎えるころに突如として男性器が生えてくるというものなんだ」


「嘘くせぇな」


「本当なんだよ。現地では、こういう子供たちのことを、十二歳でペニスが生える者――という意味の『ゲヴェドースの子供』と呼んでいるんだ。まるで、昨日今日この村で起きたこととよく似ていないかい。此処ここの場合は、男児が女児に化けたようなモンだけどさ」


「そんな薄気味悪い話があってたまるかよ」


「サリナス村の場合は、もちろん原因は分かっている。ホルモン障害だ。通常の場合、男児っていうのはジヒトロデストステロンという成長ホルモンの分泌・増加と共に生殖器を肥大させていくんだけどね、この村に生まれる子供にはそれが完全に欠乏している場合が多々見られると。で、成長期を迎えると急激に分泌が開始され、男性器が形成されるという……一種の遺伝子疾患だね」


「それとこの村とどう関係あるってんだ?」


「察しが悪いね、あんたも! この村ではその真逆の現象が起きていると考えたっておかしくはないだろうに。だからこの村の大人は女性しかいないんだ!」


 暴論だろう……。田川はそう思うほかなかった。

 第一、そうであるならば消えた男性器はどこへいってしまったというのか。


「それがツチノコの正体さ」


「まさか」


「男児から一夜にして抜け落ちた陰茎は、それ自体が一つの意識を宿しているんだ。これも遺伝子という未知の領域がもつわざかね? で、そんな陰茎たちがどこへ向かったのかというと……」


「山ですなぁ」


 比婆山ひばやまに間違いなかった。

 古来より、黄泉よみの国に通じる門をふさいだ「千曳ちびきいわ」があるとされる場所だ。その最深部には、かの黄泉大神よもつおおかみであるイザナミノミコトが眠りについているとも言われている。男児たちから抜け落ちた陰茎は、そこへ向かったのだと二宮は力説した。


「だからなんでさ」


「『記紀きき神話』にいわく……イザナミノミコトは死したのち、黄泉の国にとどまらざるを得なくなった。黄泉の国の食べ物を口にしてしまったからだ。そんな彼女を黄泉の世界に繋ぎ止めていたのが『イカツチ』――と言ってもかみなりじゃないぜ? そういう名前の神々なんだ――仮に、イカツチのくびきが解き放たれたとき、イザナミノミコトは死をもたらす災厄として、この地上に蘇るだろうとも言われている……」


「まさか」


「想像のとおりだよ、監督。この村で発生している現象――それはすなわちイカツチの生産と補充なんだ。比婆山の奥底で今まさに蘇らんとしている死の神・イザナミをしずめるために、村の男児たちは陰茎を捧げている……そういう因習システムが作られてしまっているんだ」


「それがツチノコの正体だってのか」


「あんたも言ってたろう。ツチノコはペニスのそれに似ている、と。いわば、抜け落ちた陰茎とはイザナミノミコトをなぐさめるための、性処理道具……と言えるのかもしれない」


「ますます気持ちわりィな」


 二人はそんなことを言いながら、比婆山を見た。

「声」は聞こえてこない。

 おそらく――これからも、ずっと、この村ではそのような贄の儀式が繰り返されるのだろう。それこそが遺伝子の仕組んだ「現代の呪い」なのだ。二宮はそう結論付けた。

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