日々草──毎日のように咲く花──男に、花の名を一つは教えておきなさい。
お読みくださりありがとうございます。
静かな男女の日常小品です。
お楽しみいただけますと幸いです。
夜空
「今日は晴れてるから、星がよく見えますね」
夜、散歩がてらコンビニに明日の朝の食パンを買いに行く途中で彼女が言った。空を見上げる彼女は嬉しそうだが、にはそれほどたくさん見えない。
「あれ、冬の大三角ですよ」
あれと、あれと、あれ。
3つの頂点をひとつひとつ指さしてから、っていうことはあれがオリオン座で、多分あれがおおいぬ座で、うぅん、こいぬ座までは見えないかなぁ……なんて言っている。
男は、彼女が案外星をよく知っていることに驚いていた。有名なので自分もその名前や見える時期、方角は知っていたが、わざわざ探したことはない。夜でもまあまあ明るいこの土地で、するすると見つけてみせる彼女はきっと、空を見上げるたびにこうして探して慣れているのだろう。
彼女の指さす方向をしばらくじっと見ていれば、まずわかりやすいのはオリオン座。その肩のベテルギウスから辿って、シリウス、プロキオン。正三角形に輝く3つの星が見えてくる。
「こんなに綺麗に見えるのは珍しいですよね」
ラッキーだなあ、と彼女は笑っている。
それ以来、男は夜でも明るいこの土地で、前よりも星を見つけるのが上手くなった。
元旦
ある年の元旦。お正月はうちに遊びに来てくださいね!ご馳走用意しますから!と言われ、男は新年早々、彼女の家を訪れていた。
「取り皿貸してください!」
目の前には豪勢なおせち料理が並んでいる。どれも数日前かけて彼女が仕込んだものらしく、男はその手腕に圧倒された。
彼女は上機嫌に、綺麗に皿に盛られたおせち料理を小皿にこれまた綺麗に盛り付けていく。
「あっ!海老は絶対入れなきゃ!長生きですからね」
「あとはぁ……伊達巻と、ぶりの照り焼き、昆布巻き、おなます、栗きんとん」
「黒豆は、うぅん、なくてもいいかもしれないけど、やっぱり一応」
「あとお煮しめは、絶対れんこんも入れないと!」
彼女はそんなことを一人ぶつぶつ呟いていた。
男は正直何が入っていてもいなくても構わないのだが、彼女はどうやらいろいろと考えながら盛り付けているらしい。
「はい!どうぞ!」
ありがとう、と受け取りながら男は尋ねる。
「……全部覚えてるの?」
「え?」
「縁起物の意味」
「あ、はい。だって、つくりながら願いを込めないとでしょ?」
だから、ちゃんと知っておかないと。
彼女は当然のように言った。これは学業成就、これは立身出世、これは……とぽんぽんと言っていく彼女に男は内心舌を巻く。薄々思ってはいたが、彼女は丁寧な生活をおくる能力が非常に高い。
ここ数年、おせちなど食べることはなかった。でも思えば早くに亡くなった男の母親も、自分がまだ幼かった頃、毎年そこそこ奮発して、ひとつひとつ願いを込めながらつくってくれていた気がする。ちょうどこんな風に。
男が何かに箸をつけるたび、母親が「それで今年1年健康でいられるよ」とか「それは“勤勉に取り組みます”って意味なのよ」とか教えてくれた。
なかでも母親が好きだったのが、お煮しめのれんこん。男がそれに箸をつけるたび、母親が今だ、と言わんばかりの楽しそうな顔をして、れんこんを箸でつまみ上げて目の辺りまで持ち上げ、言った。
「“見通しが良くなりますように”」
れんこんの穴からにこにことこちらを覗き込んでくる母親に、ちょっと照れくさくなりながら自分はなんと返したんだっけ。忘れてしまった。母親はれんこんに関しては縁起というよりその“見通しが良くなりますように”をやりたかっただけなんだと思う。男の成長とともに、母親は自然とその儀式をやらなくなってしまったけれど。
そんなことを、久々に思い出した。
男がれんこんに箸をつけると、あっ、と彼女が声をあげる。
「“見通しが良くなりますように”」
男は久々に、その言葉を聞いた。彼女は母親と違って、れんこんを持ち上げて覗き込んでくるような茶目っ気は発揮しなかったけれど、懐かしいな、と男はしみじみ思った。
それ以来、男は毎年おせちを食べるようになったし、その意味もなんとなく考えながら箸をつけるようになった。
ソファ
「どんなソファがいいと思いますか?」
二人で住むということが決まってから、彼女は会うたびにうきうき家具や家電製品のカタログとにらめっこしている。
「……任せるよ」
「うぅん、どれがいいかなぁ」
今も彼女の家で、例に漏れず「これはどうだ、あれはどうだ」と一人でうんうん唸っているが、男には全くこだわりがないし、正直どれも同じに見えてしまうので、訊かれても特に言うことがない。
彼女が一人で暮らすこの部屋は、彼女の生活色が鮮やかにのっている。雰囲気も色合いも彼女そのもので、そんな彼女の家に初めて上がった時、男はなんとなく場違いな気がして落ち着かなかったほどだ。それでも今は、どこを切り取っても彼女らしいこの部屋を居心地がいいと思う。
「決めた!これがいいです!」
どうですか? と見せられたソファの写真はやはり、彼女らしい。自分ではそんなふんわりしたデザイン、まず選ばないけれど。
「いいんじゃない」
「やったぁ!」
ぐるぐるとカタログに丸をつける彼女を横目に、男は密かに息を吐いた。
彼女の選んだラグ、ソファ、タオル、ベッド。これから自分はそんなものに囲まれて生活することになる。それは幸福でありながら、同時に自分では絶対に創り出すことのないその空間に慣れてしまうことで。
いつまでも続く保証はないことを考えるとやはり、少しは恐ろしかった。
「楽しみだなぁ」
ね! と見上げる彼女はこの上なく無邪気だ。でも本当は、この人だって人並みに繊細で、静かに自分と同じような思いを持っているはずだということも、もう知っている。
こてん
彼女の頭が、男の肩に静かにのった。彼女は心地よさそうに目を閉じる。
「二代目は、選んでもらいますからね」
ソファの寿命は、ざっと10年はあるだろう。
「……まだ一代目も買ってない」
「そうでした」
彼女はえへへと笑って肩を竦める。
「それでも、覚えていてくれるでしょう?」
彼女のその言葉に、多分、覚えているだろうと男は思った。──本当に“二代目”が必要になるかは別として。
時が経ち、二人は揃いの銀色を、左手薬指に嵌めるようになった。
そしてまた時が経ち、ソファを買い替えることになった頃。
「うちに合いそうなソファ」の意見を求められれば、男は今度はきちんと答えられた。
今うちにあるのはこの色だから、今度は毛色を変えてこれがいいんじゃないか。こっちも悪くはないが、部屋の雰囲気を考えると、形はやはりこれの方が合うと思う。
そんな風な事を話すと、
「えへへ、私もそれがいいと思ってました」
──気が合いますね。
ソファに腰掛けてカタログを広げる彼女が嬉しそうに笑った。
こてん
彼女の頭が、男の肩に静かにのる。男は思う。
──気が合うんじゃなくて、全部、教えられたんだよ。
安心する色味。触り心地の良い生地。家具なんてどれも同じようで、本当はひとつひとつ違う。
自分にとってはそんなのどうでも良かったけれど、ひとつひとつにすごく熱心な彼女が、ずっと横にいるから。
だから今では、“我が家”に似合うものぐらいはわかる。
それだけのことで。
でも、彼女が喜んでいるから、それは“気が合う”ということでいいのかもしれない。
男がそっと彼女の頭を撫でると、彼女は、ふふっ、と嬉しそうに笑った。それから、
「あの、」
「どうした」
──何か、思い出しませんか?
意味ありげな言葉。彼女の方を見れば、彼女は男の肩に頭をのせたまま、悪戯げにこちらを見上げていた。
『二代目は、選んでもらいますからね』
ああ、
「……覚えてたよ」
だって毎日、ここにあったから。
「そうでしょう?」
彼女は花が咲くようにまた笑った。その笑顔を見ていると、“二代目”が必要になるのは必然だったように思えた。
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※作者は現在、青春長編を連載中です。
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また次回もお目にかかれますように。




