違和感
夜。結局亜里沙はどのように巣が片付けられたのか詳細を知らされる事はなかった。思えばティラ砦以外では、犠牲者の数も知らない。
いつもの三人でひっそりと食べた夕食後にエドワードに呼ばれた亜里沙は、翔とイザベラを伴って小さな薄暗い部屋にやって来た。
「この隣の部屋にブラハドがいる」
エドワードはずっと難しい顔をしている。
「お前たちの質問に応じる条件が、部屋に他の者を入れない事、だ」
あの時の洞窟での事がよみがえり、亜里沙の不安が一気に高まった。
「危険がないように拘束はしてあるが……ランドストルと僕が外に待機しているから、ブラハドが少しでもおかしな様子を見せたら即退室するように」
エドワードが待ってくれている気配がしたので、亜里沙は翔に今の話を伝えた。
翔は深刻な顔で言葉もなく、ただ頷いた。
「……では、行こうか」
どこか気乗りしないような声色でエドワードは言った。
エドワードについて隣の部屋に入る。やはりこの部屋も薄暗く、先程の部屋になかった不気味さが漂うようだ。軽装で、椅子に座るヒューゴがこちらに顔を向けた。背もたれごと縄で縛り上げられて、不服そうに顔をしかめる。
「殿下……ここまでしないといけませんか?」
腕を組んでヒューゴを見たが、エドワードはその質問には答えなかった。
ヒューゴはため息を吐く。
「これではまともに話も出来ませんが」
「僕とランドストルの同席を受け入れたら解放してやる」
ヴァーロでもいいぞ、というエドワードの言葉にヒューゴは眉根を寄せた。
「……分かりました……ではこのままで」
エドワードは眉を顰めてヒューゴを睨むと、亜里沙を振り向く。
「外にいる。用心しろよ」
亜里沙にそう言って背中を向けたエドワードにヒューゴが声をかける。
「ああ、殿下。今日はあと五人分の鎧の手入れが残っているんですがそれはどうするんです?」
「もちろん今日中に終わらせろ」
当然の事だろという響きに、ヒューゴは「まったく、ひどい罰ですよ」と、再びため息を吐いた。
ヒューゴから充分に離れた位置にある椅子に亜里沙と翔は並んで腰掛けた。
「お加減はいかがですか、アリサさん」
亜里沙の顔を見ながら口の端を歪ませる。
いっそ表情が見えないくらい暗ければ良かったのに。亜里沙は口を引き結んだ。
「改めて見ると、何事もなかったみたいに元に戻ってしまったんですねえ」
まだ傷跡は残るが、この灯りでは見えない程だ。
「まあいいでしょう。時間が惜しいのでさっさと用件を言ってください。何を聞きたいんです?」
「あの、キョウコさんと、その前に来た来訪者について知りたいの」
ヒューゴの顔から笑みが消えた。
「……何故私に? キョウコさんについてはマクベルド伯爵の方が詳しいですが」
「だから……その前の来訪」
「ああ、そうだ。キョウコさんについて伯爵が絶対避けそうな話も私なら教えて差し上げられますねえ」
言葉を遮られた亜里沙は、探るように突き刺さってくる視線を無視してひとまず翔に話した。
「その来訪者の事を話したくないのかな?」
ヒューゴはそもそも来訪者が嫌いなのだ。
しかしキョウコの前の来訪者については、口にも出したくなさそうな気配がある。
翔は迷ったように目線を泳がせた。
「俺が知りたいのは、来訪者に共通している部分についてなんだ。前もそんな話はしてたけど、もっと具体的に。それから……力とかそういうのは抜きにして、普通、あり得ないような部分がなかったか。どんな些細な事でもいいから、違和感程度でも、そういう事がなかったかを知りたい」
「共通点と、違和感?」
「うん。だからその人との関係性とか、話したくないならそれでいい。知りたいのは彼ら自身についてじゃないから」
亜里沙は黙ってこちらを眺めていたヒューゴに向き直り、翔が聞きたい事について話した。
「共通点? “あの男”とキョウコさんの?」
「うん……その人自身の事は別に知りたくないから。それから、違和感。変な部分がなかった?」
存在自体が変ですけど、と呆れたように笑うヒューゴ。
亜里沙は翔が知りたい事を聞いてから何か喉に引っかかって出てこないような、そんなもどかしさを感じていたので、ただじっとヒューゴを見つめた。
ヒューゴは亜里沙が乗ってこないのでつまらなそうに息を吐いて、目線を落とした。
「あの男とキョウコさんを比べた事はなかったな……」
いつもどこか嫌味な話し方なのに、その呟きにはそんな響きはなかった。亜里沙が目を丸くすると、ヒューゴはこちらを見てすぐにいつもの調子に戻った。
「まあせっかく彼ら自身について知りたいと仰せですから、私が知る限りお教えしましょうか」
知りたくないとまで言ったのに本当に性質が悪い。
亜里沙は感情が出ないように一度小さく深呼吸した。
「私はアルデスペランの生まれでしてね。ある貧しい領主の長男でした」
いきなり過去を語り出したヒューゴに眉を顰める。
「伯爵である父は貧しいながらも領民思いで、母も父をよく支え、可愛い弟もふたりいました」
ですが、と感情のこもらない声で続ける。
「その年の冬の寒さは特に厳しくてね、父も弟たちも春を迎える事が出来ませんでした。今から二十年前の事です」
亜里沙は目を見開いた。ふと湧き上がる憐れみも、嫌な笑みが浮かぶヒューゴの顔を見ると急速に萎んだ。
「私は12歳でした。春先、来訪者がアルデスペランに現れた。そう……半分の領民を失ったばかりの我が領地にね」
その来訪者は戦えない人だった。アルデスペランの王都に招かれたが、帰って来た。そして、自分の役割は司祭だと言ったそうだ。
「母も含め信心深い領民ばかりでしたし、まさに信仰が試される苦境に誰もが立たされておりましたからねえ」
その男の名をヒューゴは口にしなかった。司祭となった来訪者は、ずっとその領地にこもって、立て直しを図ったそうだ。その間も他国──主にカンドルヴィアを悩ませていたイドルの問題は自然と収束していったという。
「それはもう甲斐甲斐しく、地道な事をずっと続けていましたよ。小さな事では壁の補修や家畜を増やしたり領民の信仰心を導く集会を開く……大きな事では薪をはじめとした資材の確保、農作物の栽培方法の見直し、ガラスを求めて交易にまで手を出して」
司祭のくせに商人と大変仲が良かった、とヒューゴは鼻で笑う。
「何故潰れかけの我が領地にそこまでしたと思います?」
唐突に問いかけられて、油断していた亜里沙の肩が小さく揺れた。
ヒューゴは口元を歪めて笑みを浮かべた。その顔にはっきりとした軽蔑が浮かんでいる。
「母の為ですよ……来訪者っていうやつはね、自己犠牲も厭わない極端な思考を持ち、どこまでもこの世界の人間を慈しむ博愛主義のように振る舞いながら、その実、愛欲にまみれた生き物なんですよ」
口を僅かに開ける亜里沙に、ヒューゴがどうぞ、と翔を顎で指す。
亜里沙は懸命に今までの話を伝えた。
「愛欲……? それが来訪者たちの共通点なのかな、その話だと」
翔も困惑しているようだ。亜里沙はヒューゴに詳細な話を求めた。
「その男は母を一目見た瞬間から、呆れる程母の愛を乞い続けました。最初は応じなかった母も、そのうち絆されてしまったんでしょうかね。ふたりはアルデスペランの王に許可を得て婚姻しましたよ」
そして、とヒューゴは吐き捨てた。
「私に父とまで呼ばせたその男は、あっさり全てを捨てて帰って行った」
私が15歳の時です、とヒューゴ。
顔を強張らせる亜里沙に、ヒューゴが呼びかける。
「ねえアリサさん。来訪者がどうしても帰らないといけない理由って何なんです?」
「え……」
「自分の命と人生の全てが母と私であると口にしておきながら、何故あれ程残酷に切り捨てられるんです? ああ、違和感と言うならそこが一番大きいですかね。あの変わりようはまるで別人だ。捨てられた母は弱り果て、晩年にはとうとう……」
それ以上の言葉はなかった。亜里沙は何も言えずにヒューゴをただ見つめる。
ヒューゴは少しだけ表情を緩めた。
「私がこの国で騎士をやっているんですから、その後の伯爵家と領地がどうなったかは想像に難くないでしょう」
少しの間があって、亜里沙は翔に話した。
「婚姻までして帰った……心変わりってあると思うけど、違和感を覚える程なら何か別の理由があったのかな。連れて帰るっていう発想もなかったのか」
ヒューゴに尋ねると、ああ、と言ってため息を吐く。
「母はそれを望んでいましたよ、あの男が消えてからもね。あの男が最後に私に挨拶に来た時、私も同じ事を問いました。母だけでも側に置けないのか、と。どうしても出来ないと泣かれてしまって、随分失望させられました。妙な事を沢山言っていましたね。私が特に鮮明に覚えているのはその言い訳ですよ」
ヒューゴは鼻で笑う。
「“この三年は確かに私だったが、私ではなかった。私もお前たちを愛してしまったが、それでも私ではなかった”」
ヒューゴが黙ったので、亜里沙は翔に話して聞かせた。
亜里沙と翔はしばらくそれぞれに考え込んだ。
再び亜里沙は、遠慮のない視線を感じる。
振り向いても逸らされないその顔には、最初のような嫌悪感は浮かんでいない。だが、何を考えているのかまるで分からない暗い眼光に気持ち悪さを覚える。
翔がスッと立って、亜里沙の前に移動した。
視線を遮られて、ヒューゴは呆れたような声を上げた。
「亜里沙ちゃん、キョウコさんの事を聞いてみて」
こちらに少し顔を向けて翔が言った。亜里沙は頷いて、翔の背後からヒューゴに質問する。
「ですから、キョウコさんの事はマクベルド伯爵に聞いてください。それとも、伯爵が話せない内容をご所望ですか?」
それは亜里沙が生理的な嫌悪を感じる程嫌な言い方だった。
何か感じ取ったのか、翔はヒューゴに向かって「もういい」と短く言った。ヒューゴが「へえ」と驚いたような声を出す。
再び翔は亜里沙を振り向いた。
「……亜里沙ちゃん、まだ確信する程じゃないけど、でも俺が知りたかった事はだいたい聞けたよ」
亜里沙は翔に促され、庇われたままドアまで移動した。
「アリサさん」
最後にヒューゴが亜里沙に声をかけた。
「私はまだあなたに望みを言っていないので、またこのような場を設けてください」
勝手な事を言うヒューゴに亜里沙は腹が立って、振り返らないまま部屋を出た。




