一筋の希望
早めの朝食の後もう一度手足の調子を確認され、予定通り王都へ向かう事となった。
ロナンが確認する間自分でも見たが、普通の怪我の痕だけを残して、イドルから受けた痣はほぼ見えなくなっていた。右手のひらの方はもうすっかり消えている。
出発の準備の間亜里沙だけ待機するよう言われ、厩舎にいる亜里沙たち一行の馬の様子を見に行く。
馬たちは元気で、平原の草も美味しそうに食べるが、飼料の方が好きなのかいつもより満足そうに口を動かしていた。
厩舎の影で馬を眺めていると、厩舎の反対側の方からふと兵士らしい声が聞こえた。
静かな声だったのでつい聞き耳を立てる。
「それにしても可哀想な事になったな……」
「ああ……前々から集落に移り住むよう声をかけていたのに、結局こうなったか」
もしかしたら昨日の一軒家の少女の事だろうか。
「父親の死体がイドル化したんだよな?」
「確認しに行った奴によるとバラバラになってほとんどが消えていたらしいが、残ったものから判断するとそうとしか考えられないってさ」
「怖いよなあ……死体がイドル化するとキーラン様の力でもない限りなかなか消えないから焼かないといけないんだよな」
「今回はその点は心配ないだろうけど。どの道あの家も焼く事になるんだけどな」
「娘は王都の孤児院に入るって?」
「ああ。あの足の処置が出来るのは王都かナイグラードくらいだからな」
亜里沙の心臓が強く打った。
足の、処置?
「キーラン様が治療をしたらしいが完全には止まらなかったんだよな?」
「ああ。片足を失うだろう」
「まだ6歳なのに……可哀想に。それにしても、来訪者様はあの子より深刻だったのに、もう回復なさったらしい。さすが来訪者様だな」
「いや、記録によると、イドルから受けた傷については来訪者様でもオレたちと同じ危険があるらしい」
「そうなのか?」
「ああ。隊長が王都に報告しようとしたのを伯爵が止めたってさ。それは来訪者様がご自身でお伝えしなければならないらしい。この砦内でも、すぐにでも箝口令が敷かれるさ」
兵士たちは早朝の訓練はだるい、とぼやきながら去って行った。
亜里沙はたまらずその場にしゃがみ込んだ。
「私……助けられなかった……?」
ロナンはなぜ教えてくれなかったのだろう。
──いや、知った所で自分に何が出来たというのか。
あの話が本当なら来訪者含め他の人間にとって、イドルの傷は致命傷なのだ。ロナンが昨日言った事はそういう事だったのか。
亜里沙だけ、何故かイドルの傷が致命傷にならない。ではなぜそれを自分以外の者に発揮できないのだろう?
『……おい』
少し前からわずかに気配はしていた。
亜里沙はとても返事が出来る状態じゃなかったが、ニーズは気にしなかった。
『あの者たちが言った事は気にするな。少なくとも我は、あの少女の命が繋がった事が嬉しい。
怖かったろうに、よく頼みを聞いてくれた。
よく助けてくれた……ありがとう』
思わず涙がこぼれそうになり、亜里沙は指の先で両目を押さえた。
(……私が無事だったのって、もしかしてニーズが中にいるから?)
『ああ、そういう事なのだろうな。我は穢れとは反対の性質を持つから、イドルでは我を壊せない。それがお前に影響を及ぼしたのだろう』
(ニーズって、前は力が強かったんだよね?
その力は、もう消えてしまった?)
『いや……消えたわけではない。
我はずっと長い間魂の状態でいる。力は肉体を通して使っていたから、今の我では異界を繋ぐ以外の力をうまく扱えない、というのが正しいだろう』
肉体を通さないと使えない?
それは、つまり──
亜里沙の頭がこれまでにないくらい働き始めると、黙ってしまった亜里沙に何かを感じ取ったのか、ニーズは唸り声を上げた。
『馬鹿な事は考えるなよ。お前の体はキーランとは違う。アストラムの血も引いていないのに……下手したら命を失うぞ』
ニーズの強い口調に亜里沙は、もう眠ってよ、と小さく反論した。
少ししてニーズの気配が遠のくと、亜里沙はまた疑問と違和感に苛まれた。
キーランもニーズも、おかしい。
亜里沙は“異界からの来訪者”なのだ。
そんなもの今すぐ捨てて帰れるなら、もしかしたらそれを選ぶかも知れない。
(でも帰れないって言ったのはニーズだよ……役目を果たせって言ったのもニーズじゃない)
だったらやるしかない。
亜里沙にはもう、それしか道が残されていないのだ。
それからすぐにルイとベンがやって来て、開口一番亜里沙を心配してくれた。
ふたりと共に荷台に馬を繋ぎ、砦の外の街道に通じる道で待つ。
何となく視線を感じると思っていたら、とうとうルイが、あの、と声をかけて来た。
「アリサさん。謝ります。申し訳なかった」
ルイとベンが頭を下げて来て、亜里沙は驚いた。
「えっ、何? どうしたの?」
頭を上げた二人は心底落ち込んだ顔をしている。
「昨日、あなたがあんなに酷い怪我を負って……生きた心地がしませんでした。出会って数日ですが、でも、もう我々にとってあなたは仲間だ」
ベンの言葉に頷き、ルイが続ける。
「こんな事を我々が言っていいか分かりませんが……もう、いいんですよ、来訪者の役目なんて。
少なくとも私たちは、あなたに無事でいて欲しいです」
「え……」
キーランやニーズからも同じような言葉を向けられた。その度に感じた違和感。
だけど、ふたりの真摯な顔を見たからか、その心からの言葉は、亜里沙の中にスッと染み入った。
鼻の奥がツンとなって、慌てて両手で目頭を押さえる。
「今までの来訪者様のご活躍は、話に聞くだけでしたが、我々はどこかで……全てを背負わせていい存在のように感じていたのかも知れません」
「でもアリサさん、あなたが教えてくれました。来訪者様も我々と同じ人間だ。我々のために尽くしてきてくれた事を、当然のように享受してはいけなかったのですね」
口々に言って、ルイが周囲を確認した後、声を落とした。
「私たちは味方ですから、無茶をさせられそうになったらナイグラードにいつでも逃げていらっしゃい」
「えっ、で、でも……」
「いいんですよ、国が四つもあって、偉い人は沢山いるんです。それに、マスターもきっと私たちと同じ気持ちでしょう」
「……ロナンが?」
ええ、とベンが頷く。
「私たちは長年マクベルド家の下で働いて来ましたので、あの方の幼少期からよく知っています。でも昨日、あなたの意識が無い間……あれほど平静を失われたお姿は初めて見ました」
ベンが言った言葉で、亜里沙は何だか突然、嬉しいとか感謝の気持ちを差し置いて恥ずかしくなった。
そんな亜里沙の顔を見たふたりは朗らかに笑った。




