ファイリング
“発生”があったと業務用チャットに気づいた。架電してきた人物に私は折り返した。
この度はお悔やみ申し上げます、と言った。抑揚に細心の注意を払った。事務的になりすぎず、感情を押し付けず、何か重大なことを打ち明けるように。いつも通り。
必要な事前情報を聞き取り、車両部に連絡した。午前十時に病院に到着することになった。
その人物は亡くなった男性の姉だった。
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陽射しは外のあらゆるものを熱しすぎていた。湿気をありったけ含んだ空気は、どこか閉塞的な息苦しさを感じさせた。
安置室は建物の片隅にある。向ったことのある病院は全てそうなっている。安置台前に設けられたスペースに、女性がいた。同世代だろう。故人の関係者は他に誰もいなかった。
今後の流れを説明している間、女性は落ち着き払っているように思えた。何か心にぽっかりと穴が空いてしまったようでもなく、身内の理不尽な死に怒り泣くでもなく、ただ冷静に適切なタイミングで相槌を挟みながら説明を聞いていた。
死亡診断書はお持ちでしょうか、と訊ねると、それは差し出された。女性と共に内容の確認を進めながら、故人の名前、その字面に、どこか馴染みがあるような気がしていた。
遺体を丁重にシーツで包み、付き添いの看護師二人と、ドライバー、私の四人でストレッチャーに慎重に移動させ、車両の後方に設置されているレールに乗せた。このドライバーはストレッチャーの振動を最小限に抑える術を熟知しており、一挙手一投足を遺族に見られているということをきちんと意識していた。
ドアが閉まります際に、合掌をお願い致します、と何百回と繰り返してきた表現を言った。そして実際に両手を合わせ、目を瞑った。
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男性の遺体は会館に安置されていた。約二時間後、女性がやって来た。打ち合わせ室に案内し、書類を挟んで向かい合うように座った。隣には互助会の営業が居た。
本題の前に個人的な質問をしても、と女性は言った。語尾の抑揚が下がる喋り方だった。
あなたは××高生でしたか。
それは通っていた高校の略称だった。記憶が蘇った。私と彼は三年生のとき同じクラスだった。距離感としては友人の内に入っていた。姉である彼女とも、二、三度何かの拍子に顔を合わせたことがあるはずだった。
憶えていてくださったんですか、と私はうまく誤魔化した。
打ち合わせはとてもスムーズに進んだ。遺体は内外共に損なわれていたし、会館の空き具合を考えてもエンバーミングは必須だった。クーラーとドライアイスだけでは腐敗がかなり進行するという伝え方をした。彼女から見た彼の人となりを伺い、どのような葬儀にしたいか話し合った。彼は以前、スイスに行きたそうだったということを教えてくれた。その生涯で日本から出ていくことはなかった。でも語学の勉強は続けていたという。
経済的な余裕はないので、なるべく費用は抑えたい。希望通り、もっとも葬儀代を安く抑えられる直葬になった。打ち合わせの最中ずっと、営業は凍り付いたような愛想笑いを崩さなかった。事務所では新規の契約が取れなかったことを恨めしそうにこぼし、こちらに対して打ち合わせの進行における改善を強く希望した。
お互い、もっと協力していきましょうよ。営業は去り際にそう言い残した。
前月、私だけが高額プランの施工ノルマを達成することが出来なかった。今月も絶望的だった。このままでは会社から施行禁止を言い渡され、手取りが減る。互助会の新規契約数で補うことも認められるのだが、この地域ではもう加入していない人間がそもそも見つかりづらい。そして一日につき一件か二件、多いときは三件の“発生”があり、基本、どの家も経済的余裕はない。
上司からすればそれは社会人失格の烙印を押すに足ることのようだった。友人や家族を引きこむ努力をしろ、それでもダメなら自分が互助会に入れとやんわり圧をかけられた。何人かの学生時代の知り合いに上司の目の前で電話をかけ、そして彼らとは疎遠になった。
狭い玄関先に辿り着き、座ってひと息ついた。そのまま一時間半が経過した。大学時代に彼と偶々出くわしたときのことについて思いを巡らせていた。
冬の夜、誰もいない駅構内。長期休みに帰省したときだったはずだ。終電で地元にようやく私は辿り着いた。彼がベンチに独りで座っていた。見送りにきているとかなんとか、そういう理由だったと思う。不自然だったからそれは憶えている。そして彼は、どこかのタイミングでこう付け加えた。
二十五歳を過ぎて生きているのなんて、馬鹿みたいじゃないか?
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二日後、彼女はお参りにやって来た。彼の遺体は既にエンバーミングを施され、身なりもきちんと整えられていた。安置室に彼女を案内した後、進行中の式に戻って様子を窺った。まだ導師が経を読んでいる最中だった。昨日の通夜後、参列者が長い談笑に興じていたので片付けと今日の式の準備になかなか取り掛かれなかった。朝から頭が働かず、身体が重く、時間はのろまだった。自車の中で電子タバコを吸った。紙の方を吸いたかった。
やがて故人の息子にあたる中年男性が喪主として挨拶をした。参列者は皆、啜り泣いていた。家族、息子夫婦、幼い孫、三人の友人。心温まる内容だった。
メランコリックなオルゴールのBGMと共に閉式した。心優しき魂が、穏やかな時の流れと共に運ばれて行きます。私たちは、最後に、永遠の別れを経験しなければなりません。しかし、その思い出は、いつまでも私たちの心の中に生き続けます。ここに、感謝の合掌を捧げ、永遠のお別れとさせて頂きます。
棺を霊柩車に運び、参列者の車を誘導し、火葬場へと向うのを見送る間、真夏の陽射しが私を容赦なく熱していた。シャツが汗で皮膚にへばりつき、湿気を含んだ大気が呼吸をこの上ないほど不愉快なものにした。
彼女はまだそこにいた。
気配に気づいた彼女は私に会釈した。後飾り祭壇の準備をしなければならなかったが、そのまま立ち去るのも無愛想に思えた。少しだけ話すことにした。
…………昔、偶然再会したときのことを思い出したんですが。
ええ。
冬の夜更けでした。独りで駅のベンチに座っていたんです。終電の後も。彼と話したのはそれが最後になってしまいました。…………もっと、つるんでいられたはずなんですが。
…………そうですね。あなたのことは、ぽつりぽつりと話してくれることがあったんです。…………あなただけだったんですよ、確か。
……………………私も、本当に友人と呼べるのは、彼だけでした。
…………すみません、長居し過ぎました。そろそろ、失礼しますね。
どれだけ居てもらっても大丈夫ですよ。
いえ、本当に、もう行かないといけないんです。
彼女を玄関まで見送り、肘を張って両手を臍の辺りで組んで、頭を下げた。
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彼の式の前日に大嵐に見舞われた。外観と内装は小奇麗だが、建物自体は古いせいか雨漏りがあった。エントランス、会場、事務所、廊下、安置室。天井から大粒の雫が床を叩き、壁を伝って水溜りをつくった。浸水被害と殆ど見分けがつかない程の。バケツの数が足りなかった。宿泊用のアメニティタオルをあるだけ集めた。棺が濡れ、警報装置が誤作動を起こした。
張りぼての体裁を修復するために日をまたいでも誰一人帰れなかった。
殺人的な快晴の午前、彼の遺体は生乾きの臭いがする会館から火葬場に運ばれ、そして焼かれた。彼女は花の他には棺に何も入れなかった。
荷物を増やされるのは好きじゃないと思うので、と火葬場で彼女は言った。
………………………思い出したんです。亡くなるちょっと前、仕方ないからプラハにするか仕方ないからプラハにするかって言ってた気がするんです。
…………プラハ?
ええ。…………独り言で。てっきり、スイスで安楽死したいんだろうなと勝手に想像していました………認められるのかどうかは知りません。でも、目標をプラハに変えていたんです。わたしの認識が合っているなら。
……………………これからってところだったのかもしれない。
…………変な質問ですが。幽霊って、いると思います?
……いるんじゃないでしょうか。前に、心霊現象っぽいことがあったんです。メモリアルムービーを消したはずなのに、いつの間にか再生されていて。霊感がある人に言わせると、毎日お経やら念仏やらが唱えられているので、葬儀屋ほど幽霊と縁がない場所もないってことになるらしいんですが。私だけしかいなかったんですよ、その時は。
………なら、まぁ、まだこれからですね。
……………どういう……。
これからってところだったではなく、まだこれから。別に、亡くなってからプラハに行ってもいいわけでしょう、身体が機能停止したあとの状態が本当にあるのなら。死後のプラハが本人にどれほどの意味があるのかは分からないけど。……………いや、すみません。無意味なことを言いました。忘れてください。
………………そうは思いません。
………………………医者から、苦しまずに逝けたと聞いて、……わたしは……………。
声が僅かに震えていた。或いは気のせいかもしれない。
……………ありがとうございました。あなたが担当してくださって、わたしはありがたかったです。
彼女は最後に深々と頭を下げた。そして、私にできることはもう何もなかった。
二十五歳を過ぎて生きているのなんて、馬鹿みたいじゃないか? と彼は言った。
その生涯は三十四年で閉じた。事故死だった。




