海に落ちたマーリオ
大型帆船が入港した。
とはいえ、強風なので帆は畳まれて、奴隷みたいな連中が途中から漕いでこちらに接岸させている。
波も荒い。
あと七日もしたら、船は入港しなくなる。
危なすぎて。
あちらからロープが投げ渡され、はしっこい男がそれを掴み、杭に巻き付ける。
船が上下に相当揺れている。
「昼過ぎに、少し波が落ち着く、はずだ。夕方になったら、また荒れる。その短時間で積み荷を降ろして、出航させろ。へたすりゃ、船の底に穴が開く」
たしかに、波が激しく、船の側面が石の陸地にたたきつけられかねない。
揺れる船を見ているだけで、船酔いしそうだった。
おもしろいぐらい、怖いぐらい、空の雲が走っていき、青と灰色、黒がぐちゃりぐちゃりとかき混ぜられていく。
遠くで稲光が走っていた。
あれは、今朝ここで暴れていた雷雲。
陸と船をつなぐのは板だ。
大人の男二人がすれ違える程度の。
そして、手すりもない。
下は海だったり、石で整備された地面だったり。
ぐらりぐらり揺れる。
でかい、柵のついた通路も設置されるが、それは偉い人たちが使うので、荷はこびはいつもなら使えない。
時間がないため、船に乗り込む時にはその細い、不確かな板を跳ねるように飛び跳ねて、あちらにわたる。
本当に危険なところは四歩程度、の長さ。
流れは、荷はこび達が入るのは細板。
荷物をもって港に帰ってくるときは、柵付き通路。
船側の人足達も中の荷物を運び出し始めた。
板は一方通行。それが一番、事故が少ない。
荷を出し、そして在る程度以上減ったら、荷を運び入れる。
事故は、柵のある通路で起きた。
マーリオという男が海に転落した。
ジョーンは見ていた。
本来なら、ぶつからないよう等間隔で渡らなくてはいけないのに、柵があるから、太い通路だから、と、間隔を詰めてしまっていた。
危険な、細い渡し板なら、皆、気を付けるのに。
そして、大波でぐわんと船が上下し、大荷物を運んでいたマーリオはぐらついた。が、ベテランである。立て直した。
のだが、背後の、距離を詰めていた若い人足は、立て直せなかった。
荷物がすっ飛び、かろうじてバランスを保てていたマーリオにぶつかった上、人足も転んでぶつかった。
柵は、がたいの良い男二人分の体重に負けて、ばきりっと折れ。
あげく。
その若い男は敏捷さはあった。いや、とっさの、本能で。
マーリオを手で押して、その反動で自分だけ、通路に残り、マーリオは落下した。
そのマーリオと、ジョーンは目があった。
驚愕 と 諦観
こんなこともあるさねえ、という。
長くやっていれば、事故は起きる。
見てきただろうし。
気を付けただろうし。
それでも。
運悪く。
ばしゃんっ
水面にたたきつけられる音がした。
ジョーンたちは波止場の端から、すぐに下の海を覗き込んだ。
「マーリオッ?」
「縄ばしご、もってこい」
「いや、船がやばい」
波に煽られ、何かの拍子で、波止場と船の間でべしゃりと潰されかねない。
はしっこい男がすぐに駈けていった。船がやばかろうが、マーリオが意識があれば、ここから登れるようにしなければ。冷たい海だ。もたもたしていたら、凍えて心臓が止まる。
「火を」
ジョーンは浮いてきたマーリオを見つけた瞬間、飛び込んでいた。
「おい、まてっ」
仲間達の制止は聞こえなかった。
波と風の音で。
あとは全身が痛むような海水の冷たさに。
落ちるときに船にぶつかって頭を打ったのか、意識がないマーリオを捕まえて。
どっちがどうだか方向を失って、それでもなんとか水面に顔を出して、この壁は船か波止場かと、悩む前に、ぐわんぐわんする頭に、声が降り注いで、梯子が垂らされる。二つ。
一つからはするすると身軽いのが縄をもって降りてきて、
「マーリオを。縛って、上へ上げる。お前はそっちの梯子で、悪いが自力でいってくれ」
「わかっ・・・」
声が出ない。
マーリオの脇に縄を通すのを手伝ってから、ジョーンは陸に上がった。
手がかじかむし、風が吹くと凍り付きそうだし、だが、上まで来ると、特に力自慢の仲間達がぐっと引き上げてくれて。
自分が上がると、その縄梯子からほかの仲間がするっと降りて、マーリオを引き上げる手伝いをしにいった。
船が迫ってこないように、つっかえ棒を維持している連中と。
荷はこびの時間がないため、仕事をしている連中と。
寒さで頭が働かない。
ぼーっとしてしまうと、
「お前は、とっとと火に当たれっ。口をゆすいで、目も洗え。ここの水は汚いんだよ」
と、背中をひっぱたかれた。
生活排水が、全部ここに流れているし、停泊している船の汚物も投げ込まれる。本当は船は港を離れてから、沖で捨てる約束なのだが、守らない連中が多い。
バケツでもってこられた真水を頭からかぶらされて、口と目を洗って。
服は脱がされ、大布を巻かれて、倉庫の端のストーブの前に座らされて。
いまさら、怖さで、膝が震えた。
船主と倉庫主が、二人で来て。
「危ないことはするな。二次災害だからな」
説教的なことを二言ぐらい言い、二日分の日当と、
「風呂屋であったまってから帰れよ。濡れた服は包んでやるから、お前に入る服は、ぼろしかない。だから返さなくて良い」
膝と肘がすり切れていたが、それぐらいならどうってことない古着を渡され、それを着たら、胸ポケットに風呂代を入れられて今日は帰れと言われた。
マーリオはストーブに当たっていたが、意識が戻らない。
みんなが見ていたし、マーリオを落としたのは、船側の人足で。
マーリオは倉庫主側に雇われていた。
話し合いもあるだろうし。
マーリオに保証が出ると良いな、と、とぼとぼとアパートに戻った。
風呂に行け、と言われたのに、忘れてた。
ただただ、カイの顔が見たくて。
ただただ、帰りたかった。