惚れ直す
伯爵になっても、カイγーンは特に思うところはなかったが、ジョーンの意識が変わったので、それに添うことにした。
きちんとした貴族的な作法を学びたい、と。
「どっかに伯爵以上の没落お嬢落ちてない?」
「さすがに伯爵クラスはいないですね」
娼館に売られてきた娘で、最上は男爵令嬢と元男爵夫人(この二人は無関係。別々の家から来ている)で、娼婦ではなく屋敷で礼儀作法の教師として、当時存命だったリーシャと同志みたいな関係を持ちながら数年過ごして、商家の後妻になっていった。
だから、屋敷にいる者たちは基本的なテーブルマナーや挨拶程度は出来ている。
とはいえ、裕福な商家よりちょっと格式がある程度のものへ対応するレベルで、伯爵に仕えるようになった者たちには足りていない。
ということで、ジョーンもだが、眷属や悪魔崇拝者達も見てくれる家庭教師を捜している。
「いるよー。落ちてはないけれど、没落しかけている伯爵家、ありまーすー」
とは、普通に娼館で娼婦をしている娘。
普通に売り飛ばされてきて、屋敷で使用人するかと聞いたら、
「わたし馬鹿だから、お屋敷勤め無理~」
と、言って、娼館の勤めを選ぶ娘達が一定数いるのだ。
たぶん、偉い人のそばで、何かやらかしたら怖い、という保身が働くのだろう。
そんな娘達はうわさ話が好きで、客や、たまに行商から買い物をするときに、商人から話を聞いているらしい。
「なんかね、跡継ぎ息子さんが、侯爵家のお姫さんと婚約していたのに、平民と駆け落ちしたから、賠償金で家が傾いた、とかって」
とのこと。
カイγーンは目をキラキラさせながら、うわさ話を、その娼婦の膝の上で聞いた。当然、猫の姿で。
カイγーンは
うわさ話とか
下世話なゴシップのたぐいが
だいっすきである
アパルトの噂好きのミセスたちに若々しい時期を育てられてしまったのだから仕方あるまい。
という訳で。
カイγーンの眷属は裏付けやら、その関係者の身柄を手に入れられないか画策に走り。
36歳の伯爵夫人(+15歳の令嬢)を手に入れた。
雇用条件は、娘の嫁ぎ先を紹介すること。
最低限、使用人が4人(料理人、洗濯女、ハウスメイド、小間使いないし従僕)は居る家に嫁がせたい、とのことで。
「読み書き計算できるなら、店複数持っている男の跡継ぎの嫁に、世話してやれるからそれでどう? あ、見合いして、双方の相性が悪かったら、なしだけれども」
見合いの結果。
娘はちゃんと嫁いでいった。自身の価値と、家の状況を鑑みて、これが最善と判断し、文句は言わなかった。
相手は屋敷で制作した煉瓦やタイルを買い付ける商人の跡取り息子13歳。娘は15歳なのでそれほどおかしくない。商売相手が貴族なこともあるので、礼儀作法もちゃんとしている嫁は大喜びで貰っていった。ちなみに、本宅の使用人の数、12人。下手な男爵・子爵家より裕福だ。
夫人は娘が嫁いでいったのを見届ける(見合い・婚約、そして結婚で7ヶ月かかった。その間に二人は年齢が一つ上がった)と屋敷に戻り、カイγーンに終身雇用され、家庭教師となった。
この間に伯爵は自殺して、領地や爵位を返納することになってしまった。
元伯爵夫人「娘を逃がせればそれでもういいです。息子は、八つ裂きにしたいですけれどもねっ」
義理堅く、きっちりしていた彼女は使用人(悪魔崇拝者と眷属)たちはもちろん、ジョーンとカイγーンに行儀も礼儀も貴族の一般常識も、知っていなきゃ馬鹿にされる古文や詩集、歴史劇など、全部仕込んでくれた。
元伯爵夫人は結婚前は侯爵家の令嬢だったので教師として高レベルであった。とはいえ、息子が実家が紹介した縁談を潰したので、もう帰れないのだが。
領地の悪魔も、夫人から教わった強欲や傲慢たちから習い、だいぶ洗練されていった。
シルヴァーはミディを抱えて、伯爵夫人の授業を熱心に受けていたので、ボルタも付き合った。
カイγーンは、誰かの膝の上で一応授業を聞いていた。
元々記憶力はよいのだが、伯爵になってからはさらに記憶力も頭の回転も速くなっていった。
覚えるのに熱心だったのはジョーンで、姿勢を正し、視線を固定し、農作業用の服ではなく、紳士服にふさわしい立ち居振る舞いを学ぶ。
二年ほどで発声も姿勢も正されていった。
カイγーンは変わり行くジョーンに対して、落ち着かない気持ちにされた。
悪魔には相談相手がおらず、娼館にいるマーガレットという、もういい年の娼婦にわざわざ人型になって話し相手になって貰った。
伯爵夫人の噂を教えてくれた娘である。
なんやかんやとあれから3年ぐらい経ったので、この手の店の商品としては年増になってしまう。
年季が明けたら、帰るところがないので、身請けがなければ屋敷でお掃除メイドとか厨房の下働きとかで暮らさせるのもありかとカイγーンは思っているが、当人が偉い人の近くは怖いと固辞している。
マーガレットも、噂や恋話が好きである。
年相応が学べない環境なので、少女のようなしゃべり方のまま、大きなベッドに寝っ転がってぼろぼろ落ちにくいお菓子を用意してつまむ。
カイγーンは果実酒だけ。
「僕は、不器用で愚直で誠実で、嘘も付けない荷運びのジョーン、農夫のジョーンを愛していたと思ったのに」
洗練されて、あの日の野暮ったさが、カイγーンが愛した愚かで可哀想だったあの面影が消えていく。幸せにしてあげなきゃ、と思った彼が。
なのにっ。
「今のジョーンにどきどきするんだよね。なんで。なんでっ。ネクタイ外すところを見ただけでっ。なんでっ」
自分のことがよくわからなくなって、ぶち切れ気味である。
断片的に愚痴愚痴とぶちまかれるそれは、のろけでしかなかった。
つまり
昔の彼を愛してた
愛してたのに
変わり行く今の彼にもどきどきする
なんの問題も、ないじゃないか。
とは、マーガレットは言わない。
彼女は年増呼ばわりされるようになってきたが、それでも常連の客が多数残っている地味な売れっ子である。その大きな理由は、人の話に添える、聞き上手であることにある。
「ヤダーっv それって旦那様に惚れ直したんですよー。いいなー」
彼女に身請けの話が来ないのが不思議である。
優しい顔をして、軽く羨むそぶりで、それでもどこか凪いだ声音で、
「ご主人は、心の中が、大人になっていくんですよ」
マーガレットはカイγーンの持ってきた菓子を遠慮無く口に放り込みながら、いつまでも仔猫の振りをしようとしていた悪魔に言った。
「そうやって、一緒に心を育っていける夫や恋人、なかなかいませんよ」
マーガレットはその後、娼婦を引退して、娼館でベッドのシーツやカバーを集めて洗う仕事についたが、実質、カイγーン達の情報屋で、亡くなるまでカイγーンの良い友人(うわさ話仲間)だった。




