ケッティの最期
不規則で自堕落で貧困な生活が災いして、目に見えて病が発症して、危険な、そしてふしだらだからかかる病を得ていることは、誰にでもわかるようになっていた。
彼女は腹に子を抱えたまま、追い出された。
一人で。
人がいれば、石を投げつけられたから。
奇しくも違う世界線でジョーンの選んだ道筋をたどり、人の来ないところによろよろとたどり着いた。
もう水も食料もない。
金もない。
意識を朦朧とさせながら、その場に倒れ込んだ。
誰か
救いを求めた。
「大丈夫ですか?」
若い声がして、無防備にのばされた細い腕に、手入れをせずに歪み伸びた爪を突き立てた。
道連れを。
お人好しめ、この病にかかり、親しい人たちから追われるがいい。一人で孤独に、私みたいに死ね。
という、強烈な悪意。
手を振り払われても、爪が折れた強い痛みに、血がぬめった感触に、狂ったように笑って、最期の生命力は消えていこうとしていた。
「あんたの方が、悪魔に似合いの地獄の住人だったと思うよ」
カイγーンはそう声をかけて、痛烈な蹴りを入れて、ケッティを仰向けにした。
普通の野良平悪魔なら怪我を負ったかもしれないが、貴族位に達したカイγーンの肌は、シルクのような撫で心地に、象皮のような頑丈さがあるので、傷は付かない。そもそも人間の病気は感染しない。
「ジョーンが、子供が可哀想って言ったから、その子は連れて行くね」
ケッティの腕が振り回され、邪魔なので容赦なく腕の関節を蹴り壊した。
「この子は、私のっ」
顔にも蹴りを入れて、黙らせる。
「どうする、腹の中の、意思薄き魂よ。寿命十年と引き替えに、健康に生まれさせてあげてもいい。このまま母親と腐り墜ちたいというなら、そのままにしておく」
い き た い
半分腐敗した胎児が引きずり出され、
「男の子で、普通に生まれてこれたなら、六十八まで生きられたね。十年減らしても結構な長寿だ(孫の顔を見られるまで生きる人間は多くない)」
まだ名がなくサインが出来ないが、カイとの間に紙より強い拘束力を持つ魂の契約がなると、腐った部位が泥のように落ち、生白い肌に変わっていく。
「子の出来ない夫婦に心当たりがあるから、そこに預けてあげよう。顔を二人に似せるけれど、いいよね」
竈仲間のうわさ話で、近隣の事情は把握済である。
「さ、行こう」
返して、それは私のと、折られた手を伸ばすケッティを、汚物を見る目でカイは見た。
「あんた、子への愛さえないんだな」
子供は生き残れるというのに、心中相手として手放さそうとしない。
「あんたに、ジョーンの愛はもったいなかったな」
半日、ケッティは本当に一人になって、知っている人間すべてに呪詛を呟きながら死んでいった。
さて。その子は三十代後半の夫婦の子として生まれたことになり、育てられ、親孝行息子と評判になり、十八で同じ香りのする娘に惹かれ嫁に貰い、一年半後に親になった。
人生はゆるりと進み、孫を得て、順風満帆に生きた。
そして約束のその日、にゃんっという鳴き声を聞いて、ああ迎えがきたなと、静かに死の準備を自分でしおえて、眠りながら息を引き取った。
死に際に現れた悪魔に「魂はいいのですか」と、問うと。
「寿命もらってるからいいんだよ。おまえの魂が天に行きますようにって祈った男が居るんだから、素直に天に昇って」
そう伝えられたので、彼の魂はカイとジョーンの周りを一周して、最後に妻と子と孫らの様子を見た後、飛んでいった。
「あの気味の悪い病を消して体を治して、顔とか親に似せて整えたりで、僕の取り分八ヶ月分ぐらいしかなかったけれどもね。赤字にはならなかったから、まあいいよ。ジョーンの気持ちのためだったからね」
天への案内はまあ、身内へのアフターケアだ。
「さようならだ、僕が愛した娘の婿よ。娘を愛してくれてありがとう。だから、契約はこれにて終了だよ」
陽炎のように浮かんだ契約書はゆるりと揺れて、消失した。




