悪意は泥のように
カイは絡まれた。
イラッとした。
それはジョーンと市場に買い物に行って、なんか嫌な視線があるなと思いながら帰ってきた翌日。
ジョーンが仕事に出かけたあとに、小汚い男二人が家を訪れて、にやにやしながら『あんな寝取られ男じゃ満足しねーだろ』とジョーンを貶したり、卑猥なこと言いながら、肩を掴んで家の中に押し入ろうとしてきたので。
二人の足の骨を蹴り砕いた。
騒がないように声帯と舌を魔力で締め上げて、家の中に引きずって、タンスから領地に放り込んだ。
「痛めつけといて」
と、領民達にお願い(命令)すると
「わかりました」
と、返事が返ってきた。
何故、どうしてとか余計なことは聞いてこない。
湯殿を用意して貰って、念入りに洗った。
悪魔は排泄もなく、新陳代謝もほとんどない(怪我を治すときは多少ある)が、生活に必要なものを取りに毒の森に行くので、まといついた毒を洗い流す必要があった。
そのため、大きな風呂場が出入り口近くにあり、常に湯が出ている。
その湯をカイγーンのための部屋に持ってきてくれている。
風呂は岩をくりぬいたものだ。
手足は伸ばせるが、そんなに大きくはない。
領民が運べる程度である。
ついでに言うと、着の身着のまま、生きるのにかつかつだったため、洒落気とかセンスとか、今はまだない。
素材っ そのままっ なものが多い。
「ああっ、腹立つ。触られた 触られたっっ」
肩を服の上から捕まれただけだが、知り合いの奥様連中やマーリオの家族に肩や背をぱしっと叩かれるのは、特に思うところはないのに、この感触は不愉快すぎる。
湯で特に触られた肩をごしごし洗う。
洗いながら、ムーщに何があったかを怒り狂いながら説明すると、同じ怠惰な彼女も脱衣所で控えながら、一緒に怒ってくれた。
「部屋の空気入れ替えないと。領地に放り込むためとはいえ、ジョーンと僕の家にあんな汚物引き込まされるなんてっ」
「私たちがお部屋の清掃はやっておきますから、気が済むまで御身をお清めください」
猫は誰にでも触らせてくれるタイプと、気に入った一部の者にしか触らせないタイプがあるが、カイγーンという悪魔も、カイという人間もそういうタイプである。
竈仲間の奥様たちは普通に可愛がってくれた上、ゆっくり対人関係を構築したのもあるし。マーリオの家族だって、不躾に触ってきたりしない。
ムーщ経由で話を聞いた悪魔たちは、折檻に容赦が無くなった。足の骨が折れているので、逃げることも出来ない男達はそのままさんざん痛めつけられて、ぽろっと言った。
「女が、女に唆されたんです、申し訳ありません。二度としません」
と。
キャッティーナ。愛称ケッティの帰還であった。
結局、幼なじみのろくでなしは、ろくでなしのまま。
ケッティと駆け落ちみたいに出て行った、というよりケッティが押しかけてついていった後も、ちんぴらみたいなことをして、喧嘩に巻き込まれて死亡した。
一人になってしまったケッティは、仕方なくジョーンのいる町に帰ってきた。
「本当に、ごめんなさい、ジョーン。やっぱり貴方しかいないってわかったの」
と、言えばまた一緒に暮らし、面倒を見てくれることを疑わなかった。ジョーンとの出会い頭のカイが読んだ通りに。
なのに。
市場で見かけたジョーンは、若い女(魔法で周囲の人間には女の子に見えるようにしたカイγーン)と楽しそうに睦まじそうに歩いていた。
女はジョーンの腕に絡まり、せわしない猫のように肩に頭をこすりつけたり、ぎゅうっと腕を強く抱きしめたりと、本気で惚れている様子で。ジョーンも優しい顔をして、彼女を見ていた。
ケッティが知っているジョーンはいつも困ったような、我慢しているような顔しかしなかったのにっ。(常々ケッティが困らせたからである)
だから彼女は、この町にいたときに悪い噂を聞いた男達に接触して、
「絶対、あのジョーンじゃ物足りないはずだから」
と、囁いて、けしかけたのだ。
市場の視線はケッティのものだったわけだ。
「あのあばずれ帰ってきたのかぁ」
顔形が原形がわからないほど殴られた男達を前に、さらなる不快な情報を聞かされて、カイはイライラしていた。
尻尾がばふっと膨らんで、ビタンッビタンと地面を叩いている。
「旦那様、早く帰ってきてください。ご主人を宥められるのは貴方様だけ」
と、里長が祈り始めると、手が空いている連中が長の周りに集まって、いっせいに旦那様ーとお祈りしはじめた。
ケッティは六月の終わりに出ていって、今は港に船が入ってくるようになった、翌年の四月である。
カイとジョーンの出会いは、七日のズレなので、あと二ヶ月もすれば出会って一年目だから、お祝いをと、考えていたところ。
幸せな時間を汚された感じである。
しかも、身持ちの悪いその女は、家にやってきた。
カイが陵辱されて(あの二人の男は婦女強姦の常習犯だ)、それを知ったジョーンが浮気をされたと勘違いして追い出しただろうと、信じ切ってやってきた。
ケッティとの関係を容易に切れなかったジョーンが、もしカイにそんなことがあっても、追い出したり別れたりするわけがないのだが、長い付き合いの幼なじみなのに、そんなこともわからない。
玄関前で、ジョーンとカイ、相対するケッティ。
そして、マーリオ家三男のスレオ(スー坊)が階段をててっと昇って、煮込み魚のお裾分けに来て、カイと目があった(家族ぐるみのおつきあい)。
察しの良い末っ子は、こくんと頷いて、深鍋を持ったまま母を呼びに戻っていった。
ケッティは明るい金髪、以外に特徴のない女だった。ものすごい美人でもないが、以前は長い髪が彼女を美女っぽく見せていたが、
駆け落ち生活で髪は艶を失い、生活費の足しに切って売ったのか、短くなっていた。
カイはケッティがジョーンに触れようとするのをはねのけた。
ここまで来るための生活費や移動のための金銭を売春でしのいだのか、深刻な病に冒された臭いがする。
悪魔は感染しないが、人間のジョーンに触れさせたくない。
「ジョーン。あたしのことを裏切らないわよね。ずっと一緒だったのだもの。
お腹に、貴方の子がいるのっ。だから、戻ってきたの」
カイにはわかる。
前半は『本当』にそう思ってる。
後半は『嘘』。
カイは『嘘』はわかるが、裏側の真実は見えない。
相手が言葉にしてくれて、初めてそれが嘘か本当かわかるだけ。
矢継ぎ早に嘘と本当をまぜこぜにされて喋られると、聞き分けにくいという弱点はあるが、今は竈仲間の奥様トークで鍛えられて、だいたい判別できる。カイにとって害のない範囲で、見栄も嘘も誇張もあるのだ、奥様方も人間だもの。
で、今、ここで繰り広げられた嘘は、実害のある『悪意ある嘘』で、醜悪だった。
そもそも十ヶ月近くいなくて、腹の中にいるのがジョーンの子とは。行方くらます前から、触れ合わなくなっていたらしいので、まったく期日があわない。生まれていないとおかしい。
アパートの奥様方が騒ぎに気が付いて、ドアから顔を出している。
が、興奮しているケッティは気が付かない。
奥様方は顔を見合わせて、ひそひそと、「一年近くいなかったじゃない。何言ってるの」と言っている。
ジョーンが置物みたいに突っ立っているだけ、のように見えるかもしれないが、否定的な言葉を一言発すると、金切り声を覆い被せてくるので、ジョーンの声が周囲に届かない。
彼はちゃんと
「ケッティ、君とはもう終わったんだ」
「カイを愛しているから、もう君と寄りを戻すことはない」
と、はっきり繰り返し言っている。そして繰り返しヒステリックに遮られる。
カイを庇おうと前に出ても、カイがジョーンを押しとどめている。危ないから。
マーリオの妻、リラが現れた。その背後にはスレオ。
現状を把握すると、ケッティを見て。
「いや、あんたの腹じゃ、せいぜい六ヶ月ってとこだろう。ひっそり寄りを戻したって言うのかもしれないが、あたしの知るジョーンは、カイの嬢ちゃんがいるのに、あんたにぶっ込むような器用なクズじゃないね。ジョーンって奴はあたしが知る限り、うちの亭主に次いでぶっちぎりに不器用で、誠実だよ」
奥様方も、おおっと賛同の声を上げた。惚気聞かされてしまったぜ、みたいなのも入ってる。
実のところジョーンは、マーリオを救ってから、『寝取られジョーン』から『救助者ジョーン』と呼ばれるようになっていて、周囲からの信頼も厚くなっていた。
気が付くと何人もの女達や、仕事を終えて帰ってきた男達が遠巻きにこちらを見ており、ケッティはようやく自分が見せ物のように鳴っていることに気が付いた。
「どきなさいよっ」
そう叫ぶとアパートを出て行った。
「すごかったねぇ」
と、奥様方は、帰ってきた旦那と口々に言いながら、旦那がまだ帰ってきてない奥様は「こんないい修羅場見逃して馬鹿だね、どっかの酒場に居るんだろうけど」と、軽く吐き捨てて、カイに黙礼したり、頑張ったねと声をかけて家に引っ込んだ。
「リラさん、来てくれてありがとう。おかげで追い返せた。すごい」
カイは人なつっこくリラに声をかけた。
やはり、産婆の言うことは信憑性が高い。
「いいってことよ。それより、カイちゃん、アレ、悪い病気持ちだから、触られたところ、強めの酒で洗いなさい。傷とか小さいのでも危ないから。あと、うちで煮魚作ったから、お裾分けだよ」
「カイも手を拭こう。それにしても、悪い病気・・・ケッティはともかく、腹の子は大丈夫なんだろうか」
ジョーンは心配した。
愛は簡単には消し去れない。
だが、マーリオ一家との付き合いの中で、言われたことがある。
ケッティを愚かにしたのは、お前の無償の愛だよ、と。
ケッティが地獄へ落ちるための道程を描いたのは、ジョーンの赦しと愛。
早い段階で見捨てていれば、ここまで墜ちなかっただろう。ジョーンという最低限の命綱があるから、あんな生き方が出来てしまったのだ。




