父の死⑤
その日の夜、いつものように帰ろうとした僕の背中に由美がこう言った。
「明日までにちゃんと書かなきゃ駄目だよ」
「分かってるよ!」
僕はそう言って事務所の扉を開いた。
「あ!手伝ってあげようか?」
その言楽に僕の足は止まった。原稿を書くのに手伝うことなど何もないし、そんなこと彼女だって分かっているはずだ。
振り返ると彼女は笑顔を見せた。
「じゃ、ご飯食べに行こう!」
「えっ」
「どっか美味しいお店知らない?」
「居酒屋しか行かないから」
「じゃ、そこでいいよ。行こ!行こ!」
「は、はあ・・・」
いつもと違う彼女の妙な雰囲気に僕は少し戸惑っていた。人前で、ましてや僕の前ではしゃぐような子ではないのだ。
彼女と知り合って三ヶ月くらいしか経っていなかったが二人で食事に行くのは初めてだった。
「おお!今日は彼女連れてるのかい?」
いつもの居酒屋に着くと大将が突然そんなことを言い出した。僕は慌てて首を横に振る。すると由美は僕の腕に手を回してこう言い返した。
「そうよ。私の彼氏」
「はあ?」
「ね?」
僕は首を傾げた。
毛嫌いしていたはずの僕に彼女は何故こんなことを言い出したのか知りたかった。
「ねぇ?」
「何?」
「どうしたの?」
「何が?」
「だって付き合ってないのに彼氏とか・・・」
「駄目?迷惑?」
「いや、迷惑っていうか、突然だったから。それに・・・」
「何?」
「そんなキャラじゃなかった気が・・・」
「そう?」
「まあ、嫌いじゃないけど・・・」
「じゃ、好き?」
ドストレートなその言葉に僕はまた戸惑っていた。彼女はまるで僕を小馬鹿にして楽しんでいるようにもみえた。小学生の頃、好きな子に愛の告白した時、その子は僕の告白を遊び半分で楽しんでいるのではと不安になっていた記憶を思い出していた。因果応報。やったことはやり返される。いやいや、当時の僕は真剣だった。
「俺のこと、嫌いじゃなかったの?」
「そんな風に思ってたの?私ね、好きな人いじめる癖があって。困ってる顔とか見るとたまらなくて。変な癖でごめんね」
「・・・嫌いじゃないけど」
僕もドMクソ野郎だ。
「本当?よかったー」
彼女はメニューを開いて飲み物を注文した。
「実は初めて会った時からいいなって思ってた」
一通り注文し終えると彼女はそんなことを言い出した。
「隠しててごめんね」
「いや、そうだったんだ・・・」
「それにね、健次がお父さん亡くなっても脚本家の仕事を選んだ時も内心凄いなって思ったんだ」
「それは・・・」
「この人と一緒に居られたら幸せかなって思ったの。私あんまり男の人と話せなくて・・・男の知り合い健次だけだから」
彼女は運ばれてきたドリンクを一口飲んで僕をじっと見つめた。
「付き合ってくれる?」
僕も好意を持っていたので断る理由などなかった。
「別にいいけど・・・」
「ずんぶん上からだな。お前」
「あ、いえ・・・よろしくお願いします」
「じゃあ、私のどこが好き?」
「あ、えーと・・・意外と積極的なんだね」
「クールぶってるけど普段はこうなの。で、どこが好き?」
「あ、えーと・・・今日、初めて俺に笑顔を見せたんだ。その時、すごく可愛かった。笑顔が似合う子に弱くて・・・笑顔ってその人の本質がみえるだろ?」
「やだ!そんなの照れるじゃん」
彼女は恥ずかしそうに言った。
「健次はいくつだっけ?」
「二十歳だよ」
「私は二十一歳。年上だけどいいの?」
「歳は別に気にしないから」
「よかった」
「うん」
「・・・」
「・・・」
「ねぇ?」
「あ、えっ何?」
「あの花、綺麗だよね」
彼女はオドントグロッサムを見つめてそう言った。僕も好きな花だったので静かに頷いていた。
「大将のお父さんが持ってきた花らしいよ」
「へぇ、そうなんだ。お父さんか・・・」
「そう、お父さん」
「そういえば私たちお父さん居ないね・・・」
「・・・そうだね」
「そうだ!物語はお父さんのこと書けばいいじゃない」
「小池さんにも同じこと言われたよ」
「嫌なの?」
「嫌っていうか、俺は子供の頃から父親嫌いっていうか、なんていうか・・・」
「だから帰らなかったの?」
「そういうわけじゃないけど。仕事もあったし、帰ったところで大体やることなんて決まってるよ。知り合いや親戚たちと悲しみにくれるだけ。何も得るものなんてない」
「そうかな・・・」
「そうだよ」
「じゃあ、お父さんのこと書かないの?」
「書かない」
「いい話になると思うんだけどな」
「大した人生じゃないよ。きっと」
「お父さんがいたから今の健次がいるのよ。分かってる?」
「そういう泣き落としとか、説教みたいなの聞き飽きてるんだよ!」
「何でそういう言い方するの?」
「そういう言い方しか出来ないんだよ!俺は!」
僕は思わず声を荒げた。
「ひねくれ者!」
由美はいつもの人を小馬鹿するような顔をした。この時の僕はそんな顔をされても黙っていなかった。
「人間は一人じゃ生きていけないなんて言うけど結局最後はみんな一人で死んでいくんだよ。俺の親父もそうだった」
「あんたに何がわかるのよ!」
さらに憎らしい表情をする由美に僕は仕方なく父親が死んだ理由を話すことにした。




