父の死③
自販機で買ったホットコーヒーを片手にしゃがみこんでいた。
「健次」
小池さんの声だと気づいた僕は怪訝そうな顔で半分以上残っていたコーヒーをゴミ箱に捨てた。
小池さんはゆっくり近づいて言った。
「少し話すか」
僕は少し戸惑いながら頷いた。小池さんは上を指さして背を向けた。屋上に来い、ということだろう。今更そんな信頼関係いらなかったがその意図が理解してしまう自分が悔しかった。
「由美から聞いてね。えらく悩んでるって」
屋上につくと開口一番に小池さんがそう言った。
「俺が言ったことが気に入らなかったか?」
「いいえ」
「何が気に入らない?」
そう問いかける小池さんに僕は心のモヤモヤをぶつけることにした。どうせ辞めるんだ、悔いはない。
「小池さんは僕と考え方が違うんです。僕の嫌いなサラリーマンの考え方です」
「何がだ?少し意味がわからんが」
「あなたは『毎日、毎日、失敗することを考えて生きてきた』と言った。ネガティブなサラリーマンの考えを聞いて僕はあなたについて行っていいのか分からなくなりました」
「意味がよく分からんが」
「だから!僕が言いたいのはもっと夢のあること、希望を持てることを言ってくれるのだと思っていました。父親の葬式を辞めてまでこの仕事を選んだんです!母親に勘当されてまで!あんなトイレ掃除なんかの為にです!こんなことなら父親に会いに行きたかった!」
僕は小池さんを睨みでけた。
「それだけか?」
「あなたは間違ってる!」
「そうか」
小池さんの淡々とした表情に怒りを通り越して、僕は腹を決めた。
「短い間ですがお世話になりました」
「辞めるのか?」
「はい。言いたいことは言いました。実際どうしようかと悩んでましたけど、やっぱりあなたについて行くことは出来ません」
「そうか」
それからしばらく沈黙が続いた。僕はそんな沈黙すら気にしていなかった。俺が悪かった、ただ一言そう言ってくれたらまだ間に合う。
小池さんが少しだけ寂しそうにしているのが気になっていた。
小池さんからの成功者としての魅力を感じなくなっていた僕はその場から離れようとした。
この人とはもう二度と会うことはないのだ。
「失敗すること考えて生きてるサラリーマンなんていないと思うぞ」
その言葉に僕は何故か立ち止まっていた。でも振り返ろうとはしなかった。
「俺の考え方をネガティブだととらえるのはお前の自由だ。しかしこれだけは言っておく」
小池さんはゆっくり近づいて僕の顔を睨みつけた。
「みんな必死に生きてんだ!」
小池さんの言葉に僕は少し動揺した。小池さんはうつむいている僕の目の前に立ちはだかり続けた。
「考え方次第だよな」
小池さんの言葉に僕はまた戸惑っていた。
「・・・」
僕の父親はうだつの上がらないサラリーマンのまま死んでいった。そんな生き方は絶対に嫌だった。だから月百万円以上と稼ぐ小池さんの下で働いて金持ちになれば父親のようにはならなくてすむと思っていた。
でも小池さんのネガティブな考え方がどうしても理解出来なかった。だから不安になった。どっちが正しいのか、僕はどうすればいいのか、頭の中がパンクしそうになっていた。
悩み続けていた僕に小池さんはまるで馬鹿を見るような目でこう言った。
「何を悩んでいる?」
「・・・だって」
「なんでサラリーマンがネガティブなんだ?」
「だってあいつらは会社のいいなりで自分の意見も意思も何もない。うだつの上がらないサラリーマン同士で愚痴ってるだけだろ」
「お前の父親もそうだったのか?」
父親は家で愚痴ったことなど一度もなかった。
「・・・」
「金持ちだが不幸な人間、幸せだが貧乏な人間」
「・・・」
「人生なんてもんはプラスマイナスゼロになってる。だから俺は悩んだりしない。迷うことも、後悔することもないんだ。今までそうやって生きてきた」
小池さんの口からそんなことを聞いたのは初めてだった。
今まで一度も後悔したことはない、迷ったことも悩んだこともないというのだ。そんな人間いるのか。
「お前が言うようなサラリーマンもいるかもしれない。でもそうじゃないサラリーマンもいるんじゃないか?それは俺たち脚本家も同じさ。人間である以上、考え方ひとつで人生は変わる」
その言葉を聞いた時、僕は自分を信じるという成功者たちの言葉をふと思い出していた。小池さんの言葉が僕の心に何故か素直に飛び込んできた。
「答えはひとつじゃないだろ?」
小池さんが優しい目をした。
そして僕はふと思った。『毎日、毎日、失敗することを考えて生きてきた』というネガティブな発言も、よく考えてみれば自分はまだ出来るという最高のポジティブ精神だったのではないか。壁をぶち壊すというチャレンジ精神。失敗は成功の母というが、失敗を多くする人間ほど成長するのだ、失敗しても成功、成功しても成功、結局どちらを選んでも成功。それは考え方次第だと教わった気がした。
「考え方次第・・・」
「そうだ。考え方次第なんだ」
うだつの上がらないサラリーマンの僕の父親でも結婚をして子供を授かり明るい家庭を築いていた。
お金がなくても幸せな家庭を作ることは何よりも幸せではないだろうか。
それと反対に家庭がなくてもお金がある。自分の夢を叶えられたという自信は何よりも意味のあることで僕が夢に見た成功者の姿。それもまた幸せなのではないだろうか。
だから答えはひとつではないのかもしれない。
「・・・小池さん」
「何だ?」
「本当に言じていいんですね?」
「それはお前が決めることだ」
少ない脳みそで真剣に悩んだあげく僕は図々しくも小池さんにこう言った。
「もう一度、脚本家の勉強がしたいです」
「何?」
「あなたについていきます」
僕の言葉にしばらく小池さんは驚いた顔をして黙っていた。無理もない、一度は馬鹿にした人間の下で働こうとしているのだ。居場所など与えるはずがない。僕は半分あきらめていた。
「健次」
小池さんが沈黙を破ったのはその直後だった。
「物語を早く書き終えろよ」
「小池さん」
「そろそろ仕事に戻れ」
「いいんですか?」
「良いも悪いも、答えはひとつじゃないだろ」
小池さんはそう言い残し、僕に背を向けた。
「あ、そうそう。お前はお金が好きみたいだから勘違いしてもらいたくないんだが、人間は結局中身だぞ。あ、俺が言えたギリじゃないが・・・」
小池さん頭をかきながら歩き出した。
「小池さん・・・」
くだらないことで僕は悩みすぎていた。些細なことで落ち込んでいた。小池さんの言葉にとても癒されていた。
僕は本当に小さい人間だ。滑稽だ。臆病者だ。だけど、人は変われる。出会いによって人は変われるんだ。きっとこの人なら大丈夫。自分を信じて生きていこう。自分の運に賭けてみよう。
そう思った・・・。




