大物③
「健次くんどうしたの?お友達と一緒にご飯食べようよ」
そう言う先生の言葉にも頷くことはなかった。しかし、なんだかんだいって時間が解決してくれるものだ。毎日そんな生活をしていた僕にも、そのうち話しかけてくれる友達も出来て、ブロック遊びや折り紙、鬼ごっこなどで仲良く遊べるようになっていった。
そして幼稚園も楽しく思えてきた頃、幼稚園の行事で運動会があった。僕は走ることが好きだったので徒競走に出ることにした。その頃の僕はとても小柄で、周りの友達がみんな大きく見えていた。中には同じ歳とは思えないほど体格のいい子もいる。僕は、運悪くその子と同じ組で走ることになってしまった。体格のいい子は隣の僕を「こんなチビに負けるか」と言わんばかりの表情で睨みつけた。こんな状況に僕はふと思った、神様が本当にこの世にいるならこんな不公平な人類の作り方があるのかと。
怒りながら僕が位置につくと、
「がんばれ、健次」「負けるな!健次」
という歓声が聞こえた。姉二人と両親が応援しているのだ。僕はその姿を横目に先生のスタートの声で一気に走り出した。ボルテージが上がり、幼稚園とはまるで思えないほどの大歓声が響いた。内心、まあ三位くらいに入れればいいや、と思っていた僕でも、この歓声ではがんばらないわけにはいかなかった。
緊張のせいで周りも見えす。ただひたすらゴールを目指し走っていた。そして、ゴールテープを一番に駆け抜けたのはなんと僕だった。信じられない光景に喜びいっぱいだったが、幼稚園児にしては珍しく感情を表に出さずクールにふるまった。その方がカッコいいと思ったからだ。
さすがに緊張はしていたがこんなに爽快な気分は初めてだった。僕は誰も見ていないのを確認して大きくガッツポーズをした。でも、後ろを振り返った時、女の子が笑っているのに気づき、僕はまたクールにふるまった。
そんな中、気になるのは体格のいい子の順位だが、彼は見事に最下位だった。納得がいかないのか、しまいには先生に抗議しに行くほどだった。やがて一位で走り抜けた僕と目が合うとその体格とは裏腹にライオンに睨まれた鹿のようにすぐに目をそらしていた。ついさっきまで偉そうに睨みつけていたくせに大した根性なしだ。こんな状況にふと思った。
神様が本当にこの世にいるなら人類皆平等なんだな、と。
姉二人には「健ちゃんやったね!」「すごいじゃん!」と喜ばれ、母親には、「よくがんばった!」
と頭をなでられた。
考えてみれば最初の頃はコアラのように母親から離れなかった僕が徒競走で一番をとることが出来た。底なし沼にいた子供が見事に這い上がってきた姿に母親はとても嬉しかったに違いない。
ふと周りを見渡すと父親の姿が見えないことに気づいた。「あれ?父ちゃんは?」
母親も父親の不在に気づいていなかったらしく、僕の問いに驚いた顔で周りを見渡した。姉二人も慌てて探し始めた。
ふとグラウンドの隅に目をやると木陰でたたずんでいる父親の姿を発見した。僕は一等賞になったことを報告しに父親の元に走った。
「一等取ったよ」
僕がそう話しかけると父親は笑顔で頷いた。興奮していた僕はいろいろ父親に話をした。
「隣のやつがムカついてさ。スタート前に睨んでくるの。でも、そいつ最下位でさ。笑っちゃうよ。先生に文句言ってもしょうがないのにね。あれ?父ちゃん聞いてる?」
僕の問いに父親はただ笑顔で黙っていた。この時の父親はいつもと様子が違った。今日は何もしゃべらずずっと黙っている。僕がそんな父親の顔を不思議そうに見つめていると、やがて頭を二、三回なでながら父親が優しくつぶやいた。
「お前は大物だな」
運動会の徒競走で一位になった。ただそれだけのことなのだが、相当嬉しかったのだろう。父親の涙を見たのは、この時が初めてだった…。