再び夜の世界へ⑥
次の日は休みだった。
三週間ほど休みなしで働いていた僕は一日中眠り続けていた。
何もしないまま、あっという間に一日が終わり再び店に行く時間になっていた。正直、行きたくないという気持ちがあったが逃げるわけにはいかなかった。
僕は五分前に店にやってきて開店の準備を始めた。続々と女の子たちも出勤してきた。僕は貴重品係をさせられていたため、女の子の財布を管理していた。紛失すれば僕が責任をとることになる。だから女の子が来るたびに財布を受取っては金庫の鍵をしめていた。
買出し、掃除を終えた後、ユウキが出勤してきた。この時の僕はストレスもなくいつものように穏やだった。
「おはようございます」
先にあいさつしてきたのはユウキだった。
「あ・・・おお、おはよう」
先輩の僕が何故か後輩に気を遣っていた。ユウキのほうが僕なんかより何倍もしっかりしていたのだ。そのことに気づいた僕はすぐにこの間のことを詫びた。
ユウキも気にしていない様子で僕は安心していた。
「自分も勢いで言っただけでしたから。すみません・・・」
それからというもの僕らはすっかり打ち解けるようになり、カズや他のギャル男達とも仲良くなっていった。ジャンルは違えど男同士は性格がはっきりしている分とても楽だった。喧嘩をしても殴り合えば分かり合える、素直に頭を下げれば分かってもらえる、そういう男の世界が僕は大好きだった。それが男という生き物なのだとホストクラブで働いて以来そう思うようになっていた。
オープンから一ヶ月が過ぎた頃、僕はふと近くのスナックに立ち寄った。居酒屋で飲むのもよかったのだが何故かスナックに行こうと思った。その思いつきが僕の運命をまた大きく変えることになったのだ。
込み合っているスナックに入ると僕は一人の中年男性と目があった。その男性はスナックのママを口説き落とそうとしていたが、なかなか振り向いてもらえないのかママは男性を軽くあしらっているように見えた。
僕はカウンターでそんなやり取りを聞いていると、ママが声をかけてきた。
「いらっしゃい!!何か飲む?」
その言葉に僕は静かに領いた。僕はレモンサワーを頼むことにした。すると中年男性が酔っ払いながら突然僕に話しかけてきた。
「坊主、夢はあるか」
「夢ですか・・・」
その質問に僕は少し戸惑っていた。東京に来る時に新幹線で出会った社長と同じ質問、グランドの代表とも同じ質問だ。中年男性はほんとに『夢』という言葉が好きだな。だから僕もおきまりのセリフを言ってやった。
「ミュージシャンになろうかなと」
「ミュージシャン?音楽か?」
「まあ・・・」
「おお、それはいい夢だ」
男性は僕の夢を聞くなり、新幹線で出会った社長や代表と同じように頷きながら共感していた。
「物書きも楽しいぞ」
その言葉に僕は男性を見つめた。
「物書き?」
その後、スナックのママにその男性が月収百万以上稼ぐ脚本家だと聞き僕は仰天した。そして物書きの仕事の大変さや努力の数々をお酒を飲みながら聞かされていた。
そんな話を聞いているうちにいつの間にか気に入られた僕は一緒に仕事をしてみないかと切り出され少し戸惑った。
「物書きですか・・・でも」
「新しい世界だ」
「新しい世界?」
「サラリーマンじゃ味わえない世界だぞ」
その言葉に僕の心は動いた。
サラリーマンに対して拒否感を抱いている僕にとって何より魅力的な言葉だった。
そしてこの時、僕は新幹線で出会った社長の息子も小説家を目指していたことを思い出した。そんな世界もどんなものか覗いてみようかという好奇心が芽生えた。
しかし、そんな思いつきの判断で決めてしまっていいのだろうか、グランドだって今辞めてしまえばみんなに迷惑がかかる。代表とも一年やると約束していた。
僕はしばらく一人で悩み続けるという日々を送っていた。グランドの仲間と毎日楽しく仕事をしていると居心地のよさも感じていた。それでも毎日のようにかかってくる男性からの電話に僕は仕方なく決断をせまられることになった・・・。
その事を最初に伝えたのはカズだった。一番信用していたからだ。
「マジで!いつ言うの?」
「今日かな」
そう言いながらも、結局僕はその三日後に代表に伝えた。
代表は残念そうに僕の顔を見た後、得意の長い人生論を話し始めた。僕はそれもまたいい思い出だと素直に話を聞いていた。
代表の話の中でホスト時代に光太郎さんから聞いたセリフも何度か出てきた。
「逃げる奴は逃げ続ける」
僕はその話を聞いて、この人も同じことを言うのかと何処か不思議に思った。人生の成功者やそれなりの修羅場をくぐってきた人はやっぱり逃げたりはしなかったのだろう、だから成功した。自分を信じたから成功した。そんな思いとはうらはらに結局また三ヶ月あまりで仕事を辞めることになってしまった。思想と現実は違う。
そのことについてスタッフにも代表にも申しわけないと思っていた。今度こそ僕は絶対に物書きの世界で成功しようと思っていた。
条件としてもう一ヶ月は店を続けることになったが、仕方ないと思っていた。あと一ヶ月はみんなとの思い出を作るようにしていた。
僕のそんな気持ちを知ってか知らずかみんなの口から出てくるのは代表の悪口ばかりだった。
正直、僕も代表のことがあまり好きではなかったし、むしろグランドのスタッフで代表を好いている人間などいなかった。
何故そこまで代表は嫌われるのか、理由は簡単。差別、陰口、言葉遣い、自慢、傲慢、理不尽、すべての言動が若い世代の僕らにとって不満材料になっていた。
代表の言い分はこうだ。「お前らの決定権は俺が持ってる。俺の言うことを聞け。俺に従え」面接の時には一言も口にしなかったセリフがいとも簡単にどんどん出てくる。そんな代表を毎日のように見ていると、この店は伸びないと僕はそう思っていた。
ある本にこう書いてあった。
「伸びる会社と伸びない会社の差は従業員を大切にするかしないかだ」と。
その点、代表の兄貴分であるチェルシーの社長は話が分かる人で、以前、僕がチェルシーに手伝いに行った時もとても親切にしてくれた。最後には従業員でもないのにお客さんの前で紹介までしてくれた。
案の定、チェルシーは十年以上続いているこの町一のボーイズとして有名になっている。それにひきかえオープンしたばかりのグランドはというと初日こそ満席になっていたが翌日からばったりと客足が途絶えてしまった。
僕らボーイは毎日のようにビラ配りにかり出され、不満は募るばかりだった。
辞めたいと言い出す女の子も出はじめ経営者が変わらなければ店が変わることはない。僕はそう思っていた。
僕がグランドを辞めようと思ったのも店が嫌いだったわけではなく、人の気持ちを考えないというか時代に合わない考え方の代表が嫌いだったというのも関係していた。人を育てるというのは本当に難しいことなのだ。
そんな頃、突然エリコが姿を消した。エリコは無断欠勤の常習犯で、僕は注意しようと連絡をいれた。
ご飯も二人で食べに行くほど仲がよかったので、彼女も僕には心を開いてくれていると信じていたのだ。しかし、その思いは見事に裏切られ彼女が僕の電話に出ることは一切なかった。
しばらくしてようやく彼女と連絡がとれた。
「もしもし」
「はい」
「エリコ?元気だった?」
「誰ですか?」
「え・・・グランドの健次だけど」
「・・・ああ、健ちゃん」
「何でアドレス消してるの?」
「・・・別によくない?」
「休むならちゃんと店に連絡してくれよ」
「なに?あんたに関係なくない?」
「はあ?もういいよ」
直感的にこれ以上話しても無駄だと悟った僕はぶち切れ電話を切った。
翌日、カズにそのことを話すと、やっぱりな、という顔をして話し始めた。
「あいつは本当に性格が悪いんだよ。何だか可哀想になるよな。ま、お前も人を見る目を養わないとな」
カズは僕がエリコを気に入っていたことを知っていたため、少しなだめながら僕を落ちつかせた。
僕はその日から彼女に連絡することをやめてアドレスも消去した。僕の人生から抹消したのだ。そんなエリコに少し惹かれていた自分が虚しくもあった。
自分は人を見る目がないのだと自己嫌悪にも陥ったりもした。しかし、悩んでいても仕方がないと思った僕はまた新しい出会いがあるとこんな所で落ちこんでいる場合ではないと思い直すことにした。ピンチはきっとチャンスなんだとそう思うようにした。




