再び夜の世界へ①
「もしもし」
「健次?」
「母さん」
「元気でやってるの?」
「・・・うん」
「ご飯は食べてるの?」
「・・・うん」
「仕事は?」
「・・・まあまあ」
「体に気をつけてね。ご飯送っとくから」
「・・・うん」
「じゃあね」
「・・・あっ」
「何?」
「・・・なんでもない」
「じゃあね」
「・・・うん、じゃ」
ホストを辞めてしばらくふらふらしていた僕に母親が電話をかけてきた。
たった一分の母親との会話で僕は質問に答えるだけで精一杯だった。
たかをくくって家を飛び出した自分とは正反対の自分がここにはいた。そんな甘い男が帰れる場所などもうとっくになかったのだ。
東京という場所で僕は一人居場所を探していた。
学歴は大したことないがいつもやる気だけは誰にも負けなかった。だから何故かお金に困ることもなかったし、結局僕の嫌っていた無難な生活を送っていたわけだ。
工場で三ヶ月、居酒屋で三ヶ月働いた後、どれも長続きはせず僕は次の目標を探していた。
僕が次に興味を持ったのは、再び夜の世界だった。
今度はホストではない、女の子たちの世界を覗いてみようと思った。
華やかに見える女の世界の裏側が見てみたかった。
動機はたわいもないものだった。時給、時間帯、場所、いろいろとわがままに絞り込んだ結果検索されるのは風俗、ホスト、キャバクラ、そんな仕事ばかりだった。
サラリーマンになりたくない、そう考えている僕に昼間の仕事なんて出来るはずがない。嫌々ながらも僕は再び夜の仕事を始めることにした。それがグランドという店に入るきっかけだった。
オープニングスタッフ募集という書き込みに僕の手は止まった。オープニングなら誰にも文句は言われない、うるさい先輩もいなければ自分の思いとおりにことが進められる、オープニングスタッフにはそんな魅力を感じていた。
だから話をするのにも抵抗はなかった。
「もしもし」
中年の男性の声が流れた。
「サイトを見たんですが・・・」
「ああ。アルバイトか。ボーイ希望?」
「はい」
「じゃあ、今から面接するから来てくれるか」
その言葉に僕は一瞬戸惑った。夜の八時を過ぎていた。
翌日面接にと思っていた僕は、履歴書すら書いていない。
「どうしたの?」
「いえ・・・じゃ九時頃に伺います」
僕はとっさにそう言ってしまった。
「分かりました。それでは待っています」
急いで履歴書を書き始める。
書き終わると、すでに約束の時間の三十分前になっていた。移動時間を入れるとギリギリ間に合うくらいだった。
僕は急いで家を飛び出して、猛スピード自転車を走らせた。
真っ暗な道のりでもライトなんて点ける暇もなかった。赤宿号も平気で渡ったせいか、クラクションと同時にトラックにはねられそうにもなった。
それでも僕はスピードを落とすことなく駅を目指していた。真面目すぎるのだろう、今までの人生で僕が遅刻することは一度もなかった。
ようやく駅に着いた頃、タイミングよく電車が到着していた。僕は運がよかったとその電車に駆け込んだ。
「なんとか間に合った・・・」
電車に乗ってしまえばもう大丈夫。後は降りた駅から店に行くだけだった。少し眠ろう、僕は電車の中で仮眠をとっていた。
どれくらい眠っていたのだろう、薄っすらとした意識の中で僕は目を覚ました。車内アナウンスは僕の知らない駅名を何度も繰り返していた。
ここはどこだ、まさか乗り越したのか、頭の中でそう感じていたが、腕時計はまだ八時四十分だった。乗り越しているわけではない、ではここは何処なんだ。
僕は車内の路線図を見つめていた。
アナウンスされた駅名を探していた。よく見るとそれは僕が行くべき路線ではなかった。
「路線間違えた!」
路線を間違えるという初歩的なミスをしてしまった僕は頭をかかえた。
グランドに行くために乗る電車の路線には、一時間に一本だけ別の路線が存在していた。僕は運悪くその一時間に一本しか走らない電車に乗ってしまったのだ。
「何でよりによってこの時間なんだよ!」
あの時、五分でも待っていたら・・・いや五分でも早く行っていたら目的の電車に乗れていたのだ。
そして遅刻もせず、ギリギリ店に到着していただろう。僕はひと気もない照明も切れかけている駅のホームで一人佇んでいた。
「面接に遅刻か・・・もう帰ろうかな」
時刻はもう九時を回っていた。今から引き返して店に向かったところで着くのは九時三十分過ぎ、一時間の遅刻だ。
「アホくさ・・・」
働く所なんて他にもたくさんある。別にこの店にこだわる必要などなかった。僕はそう思い、家に帰ろうと電車の到着を待っていた。
しかし、待てど暮らせどいっこうに電車は到着しなかった。近くの時刻表に目をやるとそこには一時間に三本しか電車が走っていなかった。
「アホくさ・・・」
僕は再びそうつぶやいていた。そんな時だった。一本の電話が入った。
「もしもし?」
「グランドですが、今どちらですか?」
その中年の声に僕は戸惑った。そして素直にわけを話した。
「そうですか。では遅れても待っていますので、気をつけて来てください」
そう言って電話は切れた。僕はこの時、家に帰る気満々だったため、再び店に行かなければならないと思うと一気にテンションは下がっていた。
やがで一時間に三本の電車が到着し、僕はそれに乗った。
グランドという店に着いたのは九時四十分過ぎだった。ビルの三階と聞いていたが、看板も出ていない場所に怪しい雰囲気が漂っていた。念のため僕はもう一度店に電話した。
「ああ、チェルシーという名前の看板がうちのです」
「チェルシー?」
店の名前はグランドなのになんで看板はチェルシーなんだと不思議に思ったが、仕方なく言われるがままその扉を開けた。
するとそこには電話で想像していたより若そうな男性と大学生くらいの綺麗な女性が座っていた。
男性は少し不機嫌そうな顔で僕を見た後、正面のイスに座らせた。




