大物②
幼少期、といっても僕の記憶にはほとんど残っていないのだが、父親から聞いた話がある。僕がまだ四歳くらいの時だろう。両親は仕事に疲れたサラリーマンたちが毎夜のようにたむろするラーメン屋に僕を連れて行った。
バブル崩壊で日本中がしらけムードの中、何を思ったか突然イスの上に立ち上がり、吉幾三の「雪国」を熱唱する「好きよ~あなた~今でも~今でも~」
その場にいたお客さんはみんなあっけにとられた顔をしていた。無理もない。不況で気落ち気味の彼らに受け入れられるわけがなかった。しかし、その歌にラーメン屋の大将が思わず言った。
「いやあ。僕、いい歌知ってるね」
大将のその言葉に、周りにいた他のお客さんの顔もほころび、口々に言った。
「いやあ。まだ小さいのに大したもんだ」
「こりゃ将来大物になるぞ」
「大物!!大物!!」
そこら中からそんな声が聞こえて、気が狂ったのかと思った両親もホッとした様子だった。その声に気をよくしたのか、父親は僕を満足げに見て小さく頷くと、
「お前は絶対大物になる」
と言って頭をそっとなでた。
アイスをわざと落とした時も、父親は横で、
「こいつは大物だから」
と笑っていた。父親のその言葉はその後も耳にたこが出来るほど聞かされることになる。
小学校の時、書道の時間に将来の夢を書けと言われたことがある。普通はスポーツ選手やアイドルなどと書くだろうが、僕は違っていた。半紙に大きな字で「大物」と書いたのを覚えている。こんな父親に育てられたらそう書くしかないだろう。まだ小学生で大物の意味すら知らなかった僕は、
「そんな仕事ないよ」
と友達に馬鹿にされたりもしたが、先生だけがやたら驚いていたのを今でもはっきり覚えている。
僕が幼稚園に入園した時のことだ。幼稚園に行く時は母親からなかなか離れようとしなかった。
「まあ、こういう子もいますから」
という先生のフォローを知ってか知らずか、僕は母親から離れなかった。まるで気につかまるコアラだ。いや、母親のポケットに入っているカンガルーか。僕はひたすら狭い視野の中に入っていた。
すると、同じように母親から離れようとしない子供がいた。その子は母親の服に噛み付いてまで離れようとはしなかった。僕以上のコアラだ。それを見た僕は仲間が出来たといっそう母親から離れようとはしなかった。しかし、世の中そんなに甘くはない。無理やり引き離された。
泣きわめく僕にかまわず、母親はさっさと帰っていった。同じように隣で母親から離れなかったコアラも引き離されていた。僕らは帰っていく母親の後ろ姿を寂しそうに見つめた。
やがて教室に入ると今まで見たこともない人数の子供たちが遊んでいた。
「今日はみんなでお歌を歌いましょう。『どんぐりころころ』みんな分かるかな?」
先生の言葉でみんなが一斉に歌を歌いはじめた。それに圧倒された僕らはまた不安になり教室から出ようとしたが、世の中そんなに甘くない。僕らはまた拘束されることになったのだ。
すぐにクラスの人気者になるだろうという両親の期待はすぐに崩れた。僕はなかなか友達と馴染めなかった。ご飯を食べるにもいつも一人だった。ご飯の時間、みんなが一緒に食べようとしている中、僕は一人だけベランダで食べていた。
僕と一緒にクラスに入ったもう一人のコアラでさえもみんなと一緒にご飯を食べているのに僕だけが仲間に入れなかった。頭の中では家に帰りたいという気持ちでいっぱいだった。早く終わらないかと、そんなことばかり考えていた。