結章 永久なる星の輝き
国内外を震撼させた第二次ジャック・フェイン事件から半年。
都市はすっかり平静さを取り戻し、人々は何事もなかったかのように毎日を暮らしている。
ウィグとサイが最後の死闘を演じた都市統治機構本庁舎も復旧されたが、以前ほどの荘厳さは鳴りを潜め、どちらかといえば多少質素な感じとなっていた。ジャック・フェイン事件の責任を負って前州知事が辞職を表明し、選挙の結果新しくファー・レイメンティル州知事に選ばれたのはあのヘーゼル・ガイスリーである。彼が発した「本庁舎を華美壮麗にしてはならない」という指示によって、本庁舎のイメージはがらりと様変わりすることとなったらしい。
事件というと、あれからしばらくして、ジャック・フェインより短い声明が出された。
『尊き犠牲を払いながらも、我々は宿願を果たすに至った。今後、ファー・レイメンティル州における活動の必要性はこれを認識していない』
完全撤退宣言であるといっていい。
この声明は、長年テロに悩まされ続けてきたファー・レイメンティル州にとっては重大な意味を持つ。主たる活動組織・テリエラの支援機関たるジャック・フェインが活動を放棄した以上、親組織のリン・ゼールがそのように判断したことと同義であるからだ。
親組織の庇護なく活動を継続できるような末端組織は存在しない。
事実上、テリエラはファー・レイメンティル州における活動の足場を失った。
――が、これにはさらに隠された背景があった。
ジャック・フェイン事件から一ヶ月後、あのMoon-lights事件において黒幕視されていたアルテミスグループ会長のガルフォが、ヴィルフェイト合衆国から国外逃亡を図ったのである。カイレル・ヴァーレンから密航してきたとみられる不審船が都市港湾管理局によって摘発され、内部から多数の禁輸製品が押収された。押収品の中にガルフォ宛て軍用品のサンプルが混じっていたことから当局はアルテミス重工本社の家宅捜索に踏みきり、多数の証拠資料を発見した。Star-lineをさんざんに苦しめたMoon-lights事件からおよそ八ヶ月。事ここに至って、ガルフォはとうとう窮地に追い込まれた。このあたり、サイが何気なく予言した通りになった。
そして警察機構の請求によって逮捕状がおりたまさにその日、彼は警戒網をくぐり抜けて国外へと脱出をはかった。しかし、カイレル・ヴァーレン共和国をはじめ各国に手広く国際指名手配がかけられていることもあり、身柄の確保は時間の問題かと思われた。
ガルフォ個人の行方はともかく、国内外のテロ組織にとってスポンサー兼トランスポーターの役割を果たしていたアルテミスが当局の手に押さえられたことによってテリエラは窮した。
こののち、アルテミスグループが加速度的に衰亡していくであろうことは誰の目にも明らかであり、もはや頼む綱は一本もない。ついにテリエラは組織解散宣言をマスコミに送付、よってファーレイメンティル州からテロ組織の存在は消滅した。奇跡といってもいいかも知れない。
もう一つ、これもMoon-lights事件絡みだったが――Star-line襲撃事件に関与したとして国際指名手配されていた元Moon-lights所属員女性のエラが、カイレル・ヴァーレン共和国国内において他殺体で発見された。犯人は不明とされたが、間もなくアミュード・チェイン神治合衆同盟に属するテロ組織のメンバーが殺害に関与した疑いで警察当局に拘束された。調べに対し、彼女が情報の売買をめぐって組織幹部との間でトラブルになっていたと証言した。
亡きウィグは彼女とほんの僅かに接触した際、どこか暗い陰を読み取ったが、不幸にもそれは現実のものとなった。今となってはそれを知る者は彼の部下だったレヴォスのみである。そのレヴォスは国際指名手配されていたが、依然として行方はわかっていない。
ともあれ、あれだけ活発だった筈のテロ活動は俄に沈静化の様相を見せ始めた。
そしてテロの収束に伴い、都市中の各企業や組織の警備体制も大きく変化しようとしていた――。
「――あれからもう、一年かぁ。早いモンね」
ショーコがしみじみと呟いた。
気が付けば、Star-lineも創設から一年あまりが経っている。
「ねぇ、覚えてる? O地区の事件現場に出動させてもらったはいいけど、あたしとサラが渋滞に巻き込まれちゃってさ。着いたらヴォルデさんとかみんないて、それでサイ君に出会ったのよね。――思えばすごい幸運だったわぁ。サイ君と会わなかったら、間違いなく今のあたし達はなかったんだから……」
「そうね」
山のような書類に次々と目を通しながらも、相槌をうってやったサラ。
「私は私であの時、サイ君に怒られたのよ。隊長ともあろう人が、そんなに他人を信用できないでどうするんだって」顔を上げてちょっと遠い目をしつつ彼女は、でも、と続ける。「……あの頃の私、本当に心に余裕がなかった。サイ君がいなければ、私はすぐにリタイアしちゃってたでしょうね。さもなくば、テロリストにやられていたかも知れない」
くすりと笑った。
そのテロリストも、今ではほとんど新聞紙上で報じられることがなくなっている。
世間の関心はもっぱら、新知事ヘーゼルの改革路線に反対する旧知事派と彼との議会内外における攻防に向けられているらしい。しかし、市民は圧倒的にヘーゼルを支持しており、間もなく旧知事派はその勢力を失うであろうとの見方がされていた。
が、そんな巷の動向など、ショーコにとってはどうでもよい。
問題は、日々暇を増しつつある隊の活動を、今後どのようにしていくかであった。
ペンの持ち手側で頭をカリカリとやりつつ
「やっぱり、巡回警備を強化していくっていうことになるかしらね? あんまり暇そうにしていたら、他のグループ会社から苦情になりそうだもの。少しは働いているところを見せつけなくちゃならないんじゃない? あたし達、タダでさえ金食い虫なんだから……」
サラもそのことであれこれと考えてはいる。
幸いなことに、スティケリア・アーヴィル重工やスティリアム研究所からは新型機あるいは新技術開発のために色々知恵と手を貸して欲しい旨、打診がきていた。しばらくはそういう方面で隊員達を動かそうと思っているのだが――。
その時、電話が鳴った。
応対したブルーナが保留をかけてこちらを向き
「サラ隊長! セレアさんからです」
「あ、はい!」
通話ボタンを押しつつ受話器を取った。
「――もしもし。お疲れ様です、サラですが」
『セレアです。ちょっと折り入って、重要なお話があるのです。もし都合が悪くなければ、夕刻にでも本部舎に顔を出そうと思いますが』
セレアはそう言ってくれたが、サラも午後に外出する用件を持っていた。
「あ、私は午後一で出ますので、財団の方にお邪魔いたします。恐らく、十四時頃になるかと思いますが」
ではお待ちしています、といって電話は切れた。
夕刻、サラは外出から戻って来るなりメンバー全員を召集した。
突然のミーティングである。
皆、何事かといった顔をして集まってきた。
全員が席に着いたことを確認したサラは立ち上がり
「みんな、作業中にごめんね。……だけど、かなり重大な話だから、すぐにでも伝えなくちゃと思ったのよ」
「重大? またどっかのテロ組織が動き出したとか?」
ショーコは軽くジャブを入れてみたが
「ううん、違うのよ。それがね――」
スティーレイン財団ビルの一室では、セレアが今や遅しと彼女を待っていた。
「ごめんなさいね、サラ隊長。わざわざ来ていただいたりして……」
「いえ、他にも用事があったものですから」
「それで、重要なお話なのですが」
そう前置きをしてから、居住まいを正しつつ用件を切り出したセレア。
彼女は言った。
Star-lineは創設から一年を経、幾度となく難解な状況に直面しつつも想定以上の成果を上げてきたことをヴォルデ共々喜んでいる。特にジャック・フェイン制圧に多大な功績を残したことで、近く国家優良功労団体に推薦される見通しであるという。企業、団体が受ける栄誉としてはまたとない最高の賜物といっていい。
であるから、今後はより一層任務に励んでいくように――という言葉を予想していると
「……しかしながらその陰で、サラ隊長をはじめ隊員の皆さんには筆舌に尽くしがたい苦労をさせてしまったと思っています。いくら皆さんが若いとはいえ、ろくに休日もないような不規則極まりない勤務体系の職場にこののちも居させる訳にはまいりません。お爺様とも十分に相談したのですが、都市の治安が平静に戻りつつある今こそ、絶好のタイミングであるという結論に達しました」
「絶好のタイミングって……何のですか?」
「隊の人事です」
一瞬、頭の中が真っ白になったサラ。
「そ、それって、どういう……?」
セレアは説明した。
結論からいえば、隊長以下現行のメンバー全員の異動を検討するという。しかしながら強制的な人事異動ではなく、あくまでも希望する隊員のみ調整の対象となる。従って、全員が残るといえば異動の話は消滅する。つまり異動するしないは本人の意向次第である。
ずいぶんと破格の待遇だが、ヴォルデはいかにも申し訳なさそうに
「……思えばこの一年、スティーレイングループは外部から狙われることが多かった。私としてはサイ君をはじめ優秀な隊員ばかり揃っていたから、ついつい当てにしてしまったのだがね。しかし、若く有望な彼等にとって今大切なことは、大いに学ぶことであると思うのだ。実務作業ばかりやらせて、二度と戻らない貴重な時間を消費させてはならない。事と次第によってはまたゼロからやり直しになるだろうが……セレア、頼まれてくれないか」
と、言ったらしい。
「さしあたって三日後に、皆さん一人づつ面談を行います。その時に希望を聞き取りしますから、それまでにざっくり方向性で結構ですので思っていることを聞かせていただきたいのです」
皆、呆然とした面持ちになっている。
ようやく隊全体が有機的な連携の元、任務を遂行できるようになったばかりである。
ヴォルデの考えはまだ時期尚早なのではないかと思うメンバーがほとんどであった。
とはいえ――タイミングを逸すれば、あとしばらくこのStar-lineに残って警備業務に就いていなければならない。違う進路への方向転換を決断するなら、今しかないのだ。
誰もがその胸中、将来への展望と別離の不安を天秤にかけては激しく揺れ動いていた。
ただ一人、ショーコだけがその表情を動かさずにいる。
「――って、言われたのよねぇ。あたし、どうしたらいいんだろ?」
頬杖をつきながら、アイスコーヒーをストローでぐるぐるとやっているリファ。
「へぇ、いいじゃない! 人事異動の希望を叶えてくれる会社なんて、今時この街のどこを探したってないわよ。ホント、羨ましいわぁ」
イリスはしきりといいなぁ、を繰り返している。
リファはちゅーっとコーヒーを二口ばかり吸ってから
「でも、さ」
上目でイリスの顔を見た。
「あたし、サイ君とかユイちゃんみたいに何の技術もないもん。どこでも行かせてあげるって言われたって、あたしみたいな人間なんかいらなーいって、どこの会社だって言うよぉ。だったら、このままStar-lineにいた方がまだいいと思うの。ヴォルデさんもセレアさんも傍にいてくれるし」
彼女は彼女なりに、自分というものを冷静に見つめているらしい。
確かに、見た目に美しいリファは最初こそ大歓迎されるであろうが――その持って生まれた天然さが災いして、いつお払い箱にならないとも限らないだろうとイリスは思った。残念ながら、見てくれだけで給料を払ってくれるような心優しい会社はこのご時世で存在しない。Star-lineにいられるのも、元はと言えばヴォルデの温情以外の何物でもないのだ。
「そぉねぇ……。あんた、あともうちょっと仕事ができる人だったらなぁ……」
この女でもできる仕事が世界中にあったものか。
とつこうつ考えているイリス。
遠回しに「どちらかといえば無能」呼ばわりされ、それはそれで面白くないリファは口をとがらせた。
「ぶーっ! どーせあたしは仕事ができない人ですよーだ! だったら、イリスちゃんのところで掃除のおばちゃんでもやらせてよ! 警備会社よりは向いてると思うよ? あたし、掃除好きだし」
「その歳で掃除のおばちゃん志望ってのもどうなのよ……」
イリスは呆れた。今年二十歳を二つ過ぎたばかりではないか。
「ダメ?」
「ダメ。スティリアム研究所って所はねぇ、ああ見えてもすっごく肩が凝るのよ。清掃員だって、そのへんのおばちゃんなんか雇ってないわ。あれこれこうるさい規則とかやり方があって、一般人じゃなれないのよ。……例えリファにその権利があったとしても、あたしは絶対に勧めないわ」
彼女はコーヒーカップを手に取った。
ずずっと啜ってからまた受け皿の上に戻しつつ
「あたしに言わせてもらえば、出来ることなら逆にあたしがStar-lineに行きたいわよ。将来的に研究畑に戻るとしても、CMDの実務経験もなしに研究なんか続けられっこないもの。運用にしても装備にしても、Star-lineほど恵まれた環境なんかどこにもないしねぇ。グループ内部じゃ、Star-lineは憧れの職場ナンバーワンなのよ? 知らなかった?」
「ふーん。そうなんだぁ。じゃ、やっぱり残ろうかなぁ……」
リファの呟きを聞いたイリスは、ふとひらめくものがあった。
(ん? 待てよ? Star-lineから誰か動くってことは……要員に空きがでるってことよね?)
当直明けで勤務解放されたセカンド三人娘は、R地区にある人気のカフェを訪れていた。
明けの午前中からわしわしとパフェを平らげていくティアをシェフィは呆れ顔で眺めていたが、ふと
「……ねぇ、ティアはどうするつもりなの? 今度の人事希望」
訊いてみた。
「あたし? ちょっと迷ったけど、学べるうちに脳みそに詰め込んでおくことにした。こういうチャンスは滅多にないし、今ならあたし自身のモチベーションも悪くないしね」
ネガストレイト州立大学工学部CMD機械工学科への社員留学制度を使わせてもらうのだという。
普段遊ぶことと男のことしか頭にない筈の彼女がそういう進路を選択したことに、シェフィもミサも驚きを隠さない。
「えーっ!? ネガストレイト大!? ティアったら、急にどうしちゃったのォ!?」
「……大学ですか? ……すごいですねぇ……」
二人は信じられないといった顔をしたが、ティアは至って冷静にパフェを口に運びながら
「だってさ、あたしが普通に入学試験受けたってかすりもしない大学なのに、スティーレインの推薦があれば入れてくれるっていうのよ? それにこの一年、実務でCMDをいじってきている訳だし、今なら講義を聞いてもちんぷんかんぷんってこともないと思うんだ。ネガ大はハイレベルだけど、今のあたしならイケそうな気がするのよね」
パフェ用の長いスプーンをくわえたままで答えた。
確かに、入隊したての頃と今のティアではそのスキルにもモチベーションにも雲泥の差がある。どういう繕いもないきわめてナチュラルな自信の程が、彼女には漲っている。これなら無事に課程を修了できるかもしれない、シェフィは思うともなしに思った。彼女はつと話の向きを変え
「ミサは?」
「えー、あたし、ですかぁ? あたしはですねぇ……」
このナマケモノ以下の速度しか持たない女も、Star-line入隊前はティアが足の一歩も踏み入れられなかったというネガストレイト州立大学でCMD制御理論を専攻し、優秀な成績で卒業してきている。隊ではこれといって秀でた活躍こそなかったが、それでもDX-2のメンテナンスについては一切のミスを犯さずにやってきた。その点、リベルやショーコも認めているところではある。
彼女はバラエティアイスなる数種類のアイスが盛られたプレートをオーダーしている。が、あまりに食べる速度が遅すぎて、その大部分が液状化をおこしていた。
うーん、とややもしばらく考え込んでいたが、やがてパッと顔を明るくして
「……スティリアム物理工学研究所に行かせて欲しいんですよねぇ」
おっとりと言った。
「スティリアムに? なんで?」
すでに特大パフェを完食し終えたティアが尋ねると
「……CMDの連動制御と、制御機関に用いられる素材って関係が深いと思うんです。シェフィちゃんのDX-2も、もっといい素材で制御機構を構築して精度の高いシステムを搭載してあげたら、もっといい動きができるんじゃないかなぁ、って……」
「わ、私のため……?」
ミサの口から思いもかけない難解な思想が飛び出してきた。
二人は度肝を抜かれたが、ともかくも研究の道へ進みたいということらしい。
「んで? シェフィちゃんはどうするの? 残るの?」
また追加で何か注文するつもりなのか、ティアの視線はメニューに注がれている。
シェフィは澱みなく即答した。
「私は一旦、大学へ戻るの。レィメンティル大の院に入って、機械工学をもっと学ぶの」
「へぇ。じゃ、将来は技術者?」
「ううん、ドライバーよ。機体のことをよくわかっているドライバーになりたいの。サイさんみたいにはなれないだろうけど……いつかは、近づきたいのよね。ああいう、機体と会話ができるようなドライバーに」
「ふーん……」
ティアはつと真面目な顔になって
「……そういうのって、大事だよね。あの事件の時のおっちゃん達を見ていたら、あたしもなんだかそんな気がしたよ。いいんじゃないかしら?」
サラから打診があったその日に、時をおかずして即答したメンバーが二人ばかりいる。
副整備長リベル・オーダとライフアシスタンス担当ブルーナ・フロッグである。
二人とも残るという。
「俺はこれ以上、何も望んじゃいねェんだ。好きなCMDを触りながら毎日を暮らすことができれば、それでいいんだ。……ただのオヤジで申し訳ねェけど、これから先もここに居させて欲しいんだ」
そう言ってリベルは頭を下げたが、サラにしてみればありがたいとしか言いようがない。ヴォルデやセレアも同じであろう。彼は口数が少なくて酒が好きなだけの特徴に乏しい中年オヤジだが、CMDの整備にかけては誰よりも情熱と誇りをもっている。腕も確かだから、得難き人材であるといっていい。
ブルーナはといえば、そそくさとサラの傍に寄ってきて
「私……ここにいさせていただいてもよろしいでしょうか?」
一言、そう尋ねただけである。
「それはとても助かる話なんですけど……逆に、いいんですか? この職場にいてもらっても」
「ええ、これから先も、この地区で暮らしたいんです。実は――」
間もなく、入籍するのだという。
相手はスティーレイン・セントラルバンクに勤める四歳年上の男性で、隊の用務で訪れるうちに知り合ったらしい。どういう訳か全くといっていいほどめでたい話が起きない集団だから、創設以来初のケースである。
「まあ! おめでとうございます! 早く教えていただければ良かったのに」
素直に喜ぶと、ブルーナは頬を赤らめ
「でも……皆さん、毎日業務で大変そうなのでわざわざこんなことを言うのもどうかと思いまして。それに、彼とも話し合ったんです。周囲の人達に迷惑をかけないように、式もこじんまりと済ませようって」
控えめな彼女らしい心遣いである。
「わかりました」
サラは頷き
「……では、そのようにセレアさんにお伝えします。メンバーが何人か入れ替わるかもしれませんし、色々ご迷惑をおかけしてしまうでしょうけど、これからもよろしくお願いしますね!」
「はい! 私の方こそ、よろしくお願いいたします!」
ゆっくりと丁寧に、ブルーナは頭を下げた。
そのことを決めた夜、宿舎棟に戻ったユイは携帯端末を手に取った。
「……もしもし? あたしよ」
『あ、ユイなの? ……何か、あった?』
電話の相手は、母親のヘレンであった。
かつては高飛車で常に上から物を言うような態度であった筈の彼女だが、すっかり声が小さくなっていて弱々しい。第二次ジャック・フェイン事件で夫のカルメスが糾弾されるに及び、彼と同腹視されていた彼女への周囲の態度も一変した。あれだけ顔色を伺うようにしていた部下達から白眼視されるようになり、経済局予算管理部部長の座からも引き摺り下ろされた。ついに耐え切れなくなったヘレンは退職届を出した。
前後して都市統治機構を追われたカルメスと共に、今はP地区西エリアの外れに移り住み、ひっそりと毎日を暮らしている。今や当時の面影はどこにもなく、全ての権勢を失った敗残者の雰囲気が漂っている。
その凋落振りをユイは最初はざまを見ろと思ったが、次第に哀れに思うようになった。
もはや社会のどこにも行き場を失ってしまった彼等両親に、せめて明るい話題くらい提供してやろうと思い立ち、電話をかけたのである。
「あたしね、しばらくファー・レィメンティルから出ることになったから。その連絡なの」
『この州から出て行くって……どこへ行くの? お仕事なの?』
「ううん、Star-lineは一旦休職よ。これから四年間」
と言ってから、ユイは思い切り声のトーンを上げて
「あたしね、シェルヴァール州立大学へ行くことになったから! 精密機械理論の勉強をするのよ。この国でもトップクラスの大学なんだからね! ――どう? パパとママのご希望通り、一流大学に行くのよ!」
『そう……。そうだったのね……』
電話の向こうでヘレンはしばらく沈黙していたが、ややあって
『……おめでとう。本当におめでとう。それに、連絡をくれてありがとう。――私達も、一から頑張るからね。体にだけは気をつけて、精一杯やってらっしゃい』
これが初めてだったかもしれない。
ヘレンの口から感謝の言葉が出た。
「……」
諸々の辛い過去や苦労がじんわりと消えていくような、そんな気がしたユイであった。
その日、サイはナナを伴ってM地区にある高層ビル・サウスライトタワーを訪れていた。
彼女が入隊して間もなく一緒に行きたいと希望を漏らしていたのだが、なかなかそのタイミングを得られないまま一年が経ってしまった。百二階建てという超高層ビルの最上階にある展望テラスから外を眺めると、余りに高すぎてほとんど地上が見えなかった。
ようやくやってきた二人きりの時間に、ナナは最初からはしゃいでいる。
「ねぇねぇサイ、見てよ! ぜーんぜん、下が見えないよ? ……サイ?」
なぜか彼はフロア中央に位置しているエレベーターの前から動こうとしない。
「ナナ、今さら言うのもなんだけど、俺……」
「え? もしかしてサイ、高所恐怖症だったの? やだ、CMD乗りなのに!」
いかにも可笑しそうに笑っているナナ。
心の底から楽しそうな彼女の姿を目にして自分も嬉しくなったものの、やはり高い所は苦手だった。
「来てよ、サイ! ほら、あたしが手、握っていてあげるから!」
「え……ちょ、ちょっと待てよ、ナナ!」
ナナはサイの手を取ると、力ずくでガラス張りの方へと引っ張っていった。
「ほら! すごいよね。これが百階からの眺めなんだよ?」
「ああ……すごいな……」
完全にサイの腰は引けている。
ナナはガラスにべったりと張り付くようにして外を眺めている。
おっかなくて前に行けないサイは、その背後で彼女の後姿を見つめていたが
「……ナナ」
不意に、呼びかけた。
片手がポケットに突っ込まれている。
「なぁに? どうかした?」
くるりと振り返ったナナ。
入隊当初は肩のあたりよりもまだ短かった髪の毛が今ではすっかり長く伸びていて、ゆったりと揺れた。そもそもちんまりとした可愛らしい顔立ちをしているから、長い髪もまたよく似合っている。以前はややキツめだった印象もいつの間にか穏やかなものになり、他のグループ会社社員から地味に人気を集めてきている。喜ばしいことではあったが、サイとしてはやや面白くない感情が芽生えてきたのも事実であった。
が、ナナ自身はその状況を面白がるでもなく、いつも黙ってサイの傍に寄り添っている。
全ての混乱と多忙さが落ち着いた今こそ一大決心を実行に移そうと、サイは心に決めていた。
「これ……要る?」
そう言って彼が差し出したのは――指輪であった。
ナナはちょっと小首を傾げたが、すぐにそれを受け取りつつ
「サイったら、あたしにいつこれをくれるのかと思っていたの。……やっと、くれたのね?」
嬉しそうに微笑んで見せた。
あっけないほど、簡単な承諾であった。
逆にサイとしてはなんとなくばつが悪くなり、頭を掻きつつ
「ああ。でも、まだ社長に言ってない。案外、お前なんかに孫娘をやれるか、なんて反対されたりとか……」
「その心配なら要らないわよ」
悪戯っぽい表情を浮かべながらナナは
「……お爺ちゃん、早くサイの野郎と一緒になれって、いっつも言ってた。生きているうちに、ひ孫の顔が見てみたいんだって!」
死にそうになっても死ななかったくせに……サイは可笑しくなったが、黙っていた。
ずっと以前から彼に対して数え切れないほどの施しをくれた挙げ句、とどめに自分の大事な孫娘をやるときた。
これから先、上司であり師匠であり親でもあるガイトの恩に報いていかねば、悔やんでも悔やみきれないであろう。
「いつかは、な。……でも、まずは二人でしっかりやっていこうぜ? 俺達が幸せでないと、生まれ来る俺達の子供も幸せにはなれないから、さ」
「……うん!」
実を言えば、サラ自身は隊に残るつもりでいた。
特に希望する異動先があるでもなし、それよりも今しばらくはStar-lineの隊務をこなしつつCMDの専門知識について学習していくべきではないかと思ったのだ。
それが翻ることになったのは、突然州知事・ヘーゼルが彼女の元を訪れて要請したからである。
「先日の事件におけるあなたの指揮指導は大変素晴らしかった。私は逐一報告を聞き、感銘を受けた。願わくば、新体制で生まれ変わる治安維持機構へ来ていただき、指揮官として存分に指揮を執っていただけないものだろうか」
聞いて仰天したサラ。
州のトップである知事自らがわざわざ出向いてきて頼むという法があったものだろうか。
「す、少し考える時間をいただきたいのです。私はその、一度治安維持機構を去った身ですから……」
そう言うと、ヘーゼルは事も無げに
「関係ありません。今の治安維持機構は、この私が一から徹底的に創り直した新しい組織だ。あなたが以前いた、根こそぎ腐った治安維持機構は、もうないのですよ」
それでもサラは一度固持し、ヴォルデに相談した。
話を聞いた彼は、簡潔に答えた。
「チャンスは、活かさなかったらなかったのと同じになってしまうんじゃないかね? サラ君が治安維持機構に行ったからといって、スティーレイングループから籍をなくすことは、私は考えてはいないのだよ。いわば出向という扱いでどうかね? もしも後で事情が変わってくるなら、それはその時臨機に対応すればいいじゃないか」
その一言で、サラの腹は決まった。
「では……お言葉に、甘えさせていただきます!」
誰よりも先にショーコに打ち明けると
「何もかも、良かったじゃないの。あなたには、お兄さんの志を継ぐ使命があったのよ。思う存分やってらっしゃい。ヘーゼルさんが言う通り、もう昔の治安機構とは違うんだから」
そういう彼女はつい先日、セレアから打診された隊長職就任の話を蹴っている。
管理者の類は自分の柄じゃない、ということらしいが、そのためにセレアが大汗をかいて新隊長を探して回る羽目になっていた。だが、そこはショーコも割り切っている。性に適わない自分が義理半分義務半分な気持ちで引き受けるよりも、人事眼の確かなセレアが推薦する人間を隊長に戴く方が、今後の隊運営をよほど円滑にやれると考えていた。
数日というもの、新隊長の人事に関する話はなかった。
そしてようやく本部舎に姿を現したセレアは、ショーコを呼び
「ショーコさん、ちょっとお話があるのですが……よろしいでしょうか?」
「あ、はいはい」
例の件か、と内心で推測しつつ彼女はセレアに促されて指令室へ入った。
「実はですねショーコさん、新隊長の件なのですが――」
異動の日はすぐにやってきた。
結局はサラ、ユイ、シェフィ、ティア、それにミサの五人が隊を去ることになっていた。
何よりも突然降って湧いたサラ本人の異動内定は残留メンバーを驚かせ、そして悲しませたが、皆事情を聞いて納得した。州知事の推薦とあらば、彼女にとってこれほどの名誉はないからだ。
それより少し前、サイとナナ、それにリベルは彼女達の送別会を開いたものかどうか相談したが、やめておいた。サラとユイがいなくなることが決まってからというもの、ショーコは目立って寂しそうにしていたからである。創設当時の隊を支えたのは事実上この三人だけだったから、特別な思いがあるのに違いなかった。酒の席など設けたならば、ショーコの気持ちはいよいよ切なくなってしまうであろう。ただ、その寂しさを振り払うかのように、彼女はサイやナナを片時も傍から離さないようになっていた。
異動メンバーが隊を離れるその日、ヴォルデとセレアは姿を見せなかった。
各自の受け入れ先を回って準備に粗漏なきよう手を打っていたということもあったが――何よりも、実務メンバーだけで水入らずの送別となるよう配慮したものらしい。彼等二人がいれば、自然と堅苦しい儀式になりかねない。
まず最初に本部舎を後にしたのはシェフィ、ミサの二人である。
「私、勉強のために一時的にいなくなるだけですからね! また、このメンバーでチーム組みましょうね!」
シェフィは半泣きでそう言ったが、ミサは最後の最後までほんわかとしたまま
「……みなさん、どうも……また……ははっ」
何を言い残そうとしたのか、誰にもわからなかった。
ユイに至ってはショーコに抱きついたまま延々と泣き続け、一同の涙を誘った。家族の愛情を受けられずに家を飛び出した彼女を唯一受け入れ、妹同様に可愛がってきたのは誰でもない、ショーコだったからである。
「ユイちゃん、もう泣いちゃ駄目よ。あたし達、一生の別れじゃないんだから、さ」
そう諭したショーコもまた、今にも泣き出しそうになるのを必死に堪えている。
「それよりも……ほら」
傍にティアがいる。
同い年ながらも性格の違いから、今日まで打ち解けることができずにやってきた。
「最後くらい、仲良くしなよ。……いつかまた、一緒に隊を組まなきゃならないんだからさ」
促され、ティアと向き合ったユイ。
「あ、あのさ……」恥かしそうに俯いていたが、やがて意を決したように「今まで、ごめん。なんかよくわかんないけど、素直になれなくて、その……」
「あ、あたしもよ……。ユイみたいにてきぱき仕事できないから、ちょっと嫉妬してたかも……」
いつになく神妙な面持ちのティア。
やがて二人はどちらからともなく抱擁を交わし、長い対立に終止符を打つことになった。
最後は揃って明るく
「じゃ、行ってきまーす! あたし達が帰ってくるまで、みんな元気でいてくださいよぉ!」
「必ずまた、みんなで美味しいケーキを食べましょうね! 約束ですよ!」
二人は一緒に本部舎を去っていった。
「やれやれ、ね……。仲直りしてみれば、まるで双子みたいじゃない」
ショーコはくすりと笑った。
ティアが育った環境もまた、母親という人間に恵まれなかったということを彼女は聞き知っている。それでもかけがえのない朋友でありライバルを得た今、次に会う時は大きく成長を遂げていることであろう。
そうして――最後に本部舎を後にしたのはサラであった。
一人ひとりに礼を述べたあと、ショーコと向き合った彼女は
「……ホント、世話になったわね。何から何まで」
そこまで言って、黙りこんだ。涙が言葉を吹き消していた。
俯いて泣いている彼女をじっと見つめていたショーコ。その目もまた真っ赤である。
「馬鹿。これだけのいいチームを築き上げたのはあんたでしょ、サラ。みんな、あんたの力よ」
「ショーコ……」
あとは、言葉もない。
居残る皆に向かって深々と一礼すると、サラは身を翻して歩き始めた。
遠くなっていく彼女の姿を見送りながら、ショーコはサイに問うた。
「……どうしてみんなに言わなかったの? いい話なのに。きっと、みんな集まってくれたと思うよ?」
サイは穏やかに
「ナナと二人でそうしようって、決めていたんです。俺達には、ショーコさんさえいればいいんだからって」
ショーコが心とは逆のことを言っていると、サイは気が付いている。
これから先、皆が集まるような機会は出来るだけ避けたいと思っている。それはいちいちの付き合いが厄介だからということではなく、本音は――再会すれば寂しい気持ちがただならなくなってしまうから、ショーコは極力口にしなかったのであろう。そういう気持ちの何事かは、サイもナナも一緒である。
「そっか……。じゃあ、それでいいんじゃない?」
仕方がなさそうに、しかし嬉しそうに笑うショーコ。
ふと、後ろを振り返って
「……しっかし、よく隊に残る気になったわね、リファ」
幸運の女神は、立った今切ない別れの儀式があったこともどこ吹く風といった様子でにこにこしている。
「だってね、イリスちゃんがきてくれるっていうんだもん。もうちょっと頑張ってみようって、思ったの」
「お? あんた、よく知ってたわね。誰にも言ってなかったのに」
やり取りを聞いていたサイとナナは驚いた。
「へ? あのイリスさんが来るんですか? Star-lineに?」
「そうよ。何がいいんだか、ヴォルデさんに熱烈に頼み込んだらしいのよね。――ま、リファのお守りをしてくれそうだから、別にいいけどさ」
「ぶーっ! 何それ! あたし、子供じゃないもん! お守りなんか要らないよーだ!」
むくれているリファ。
ショーコは思わず噴き出してしまったが
「いつまでもそんなんじゃあ、いい男が寄ってこないわよ? あんたもあたしも、そろそろ頑張んなきゃならない歳なんだからね。サイ君とナナちゃん、それにブルーナさんにあやからなきゃ、だわ」
それを聞いたリファは目を丸くした。
「えーっ!? サイ君とナナちゃん、結婚するのぉ!? それにブルーナさんも!」
「そーよ。だから、早速といっちゃなんだけど」
リベルの方を見やった。
彼はニヤニヤしながら、大きく頷いている。
ショーコはここぞとばかりに声を張り上げた。
「……イリスほか新人歓迎会兼三人の結婚お祝い飲み会! 今日は前夜祭で、明日が本祭、そして明後日は後夜祭ってことだから、みんなよろしく! 人事更改に伴う警備業務休止期間だから各自遠慮は要らないわ! ガンガンいきましょう!」
「えーっ!? 三夜連続!?」
一斉にぶーたれたサイ、ナナ、リファ、それにブルーナ。
が、みんな口ではそう言いつつも、誰もがそれをやらねばならないことを知っている。
飲み会の重要な名目がもう一つだけあるからだ。
――ショーコ、新隊長就任祝い。
紆余曲折を経た末、セレアたっての願いを彼女は容れた。
これまで以上に賑やかな日々が始まりそうだと、サイは思うともなしに思った。
暮色の空に星が一つ、ひときわ強い輝きを放っている。
この大都市を常に明るく照らしゆく、彼等「Star-line」のように――。
<Star-line 了>
二年半あまりをかけ、ようやく「了」を綴ることができました。
この作品に関する筆者の思想は「月光編17」のあとがきに記したとおりですので、ここでは省略いたします。
ときに読み手を退屈させたであろうこの長い作品、あとから読み返してみると実に稚拙でプロットの惰弱さを痛感しております。書きたい部分だけを先に書いてあとからつなげていくというジグソーパズルのような書き方をとりましたが、金輪際やるものではないと固く誓うものであります(笑)。
ともかくも、お目通しくださった全ての皆さまに、篤く御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
スペシャルサンクスを付記しておきます。
・書き始めた当初から応援してくださった「小説を書こう」サークルの皆さま
特に六さま、作品中にも登場していただいたブルーナさま、感謝感謝×一億と二千万!
・ご感想と最高の評価をくださったS・Sさま(イニシャルで失礼します)
・いつもメッセージを寄せてくださったTさま(イニシャルで失礼します)
・お気に入り登録してくださったYさま、Nさま(イニシャルで失礼します)
・いつもレーヴァなZ(J?)様(イニシャルで失礼します)読んでますよ!
拙作を応援してくださった全ての方のご健勝とご多幸を祈りつつ。
筆者 北野 鉄露
※7/1 追記(9/27 加筆)
完結にも関わらず、お気に入りに入れてくださっている方が増えていて、本当にありがたいやら申し訳ない気持ちです。とても嬉しく思っています!
ご面倒でなければコメントかメッセージをいただければお礼を申し上げたいと思います。