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復讐編19 罪を負った男

 中心部で大事件が勃発していたその時限。

 サイは遠く離れたE地区まで出向いてきていた。

 繁華街の一角に立つビルの前で、彼は手にしたメモに何度も目をやりつつ

「……ここか? スタリーノ出版ってのは」

 ウィグとの一戦があってからこの方、D-ブレイク事件の真相について調べていたサイ。

 しかしながら、どの文献や資料を見てもまるで申し合わせたかのように表向きの記述しかない。恐らくは、統治権力側から何らかの圧力がかけられたためと思われた。よほど隠蔽せざるを得ないだけの理由があったのだろうとサイは推測したが、その糸口すらつかむことができなかった。

 調べは行き詰ったかのように思われたが、思わぬところに助け舟が現れた。

 D-ブレイク作戦に動員され、負傷しながらも生き残った治安維持大学幹部登用候補生の中に、知りうる限りの事実を書いて出版しようとした者がいたのである。これは国家統治機構文部局から発禁処分を受けるのだが、その原稿の写しがたまたま処分を逃れて残っていた。

 筆者は何と、偶然にもスティーレイン・グループの一会社に所属しているという。スタリーノ出版というその出版社は、主に社外向け広報誌の発刊やビジネス書籍の出版を行っている。グループ内でも規模が小さい部類に入るから、テロ組織に狙われたりするようなことも皆無であった。ゆえにサイはその存在を今日まで知らずにいた。

 訪れることになったきっかけも、彼が必死に調べ事をしているのに気がついたセレアが、

「これは内緒なのですが……」

 と、こっそり教えてくれたからである。

 内緒にされている理由は、後から知ることになる。

「やあ。ナバラ・グイスっていうんだ。よろしく」

 スタリーノ出版の一室で出会ったのはその人物は意外にも、気さくそうな二十四歳の青年であった。

 性格は明るく快活であるが、下半身を見れば右足の太股から先がない。義足をつけている。

 彼はサイの前にどさりと原稿の束を積み上げながら、過去にあった出来事の一端を語って聞かせてくれた。

「あの作戦は本当に酷かった。治安維持大学の同期生達はばたばたと死んでいったんだ。俺もこの通り、賊の銃撃で片足を失っただろう? そうしたら――どうだ。治安維持機構からは追い出されるし、都市統治機構は何の補償もしやしない。ヴォルデ会長が俺達を救ってくれなかったら、みんな路頭に迷って野垂れ死んでいたよ」

 こんなところにもヴォルデの救いの手は差し伸べられていた。

 あらためて彼の偉大さというものを痛感したサイであったが、それ以上に都市統治機構の非道さには唖然とした。一方的に戦闘に駆り出しておきながら、負傷したからといって路頭に放り出すようなやり方があったものだろうか。聞くうちにだんだん腹が立ってきたが、ナバラは微笑を浮かべて

「ま、詳しい中身は全部この中にあるから読んでみてくれよ。色々聞いた話もあるけど、嘘は書いていない。当時の生き残り連中みんなにも読んでもらったが『お前は新聞記者にでもなった方が幸せだったな』なんて言われてね。君もそうだけど、一人でも多くの人があの事件の真実を知ってくれるなら、こんなにありがたいことはないよ」

「それにしても」サイは感に堪えないといった面持ちで「よく、この原稿が残っていましたね。国家統治機構に目をつけられたっていうのに……」

「ああ、そのことかい」

 愉快そうに笑いながらナバラは

「……ヴォルデ会長のおかげだよ。これの存在を知った会長が、俺をこの会社に入れてくれたんだ。最初はどういう含みなのかと思ったけど、意外だったね。ああ見えても、反骨精神旺盛な会長さんだよ」

 どうりで極秘扱いを受ける筈である。原稿そのものとマスターデータこそ国家統治機構文部局に押収されてしまったが、辛うじて写しのデータを守ることに成功したナバラは、出版社の機材を活用させてもらってどんどん複製を量産した。それらは知りうる限りの知人達の手に渡り、D-ブレイク事件の真相が闇の奥深くに沈められることだけは免れた。全て、ヴォルデ承認の行為である。

 スタリーノ出版社を辞去したサイはそのまま直帰せず、帰る途中のI地区で喫茶店に立ち寄って借りた原稿を読んでいくことにした。

 大きな窓際の席に着いてアイスコーヒーを注文し、例の原稿を読み始めた。

「……なんだ、こりゃ?」

 読み進めていくにつれ、眉間にシワを寄せざるを得なくなっていく。

 それは、悲惨というよりも、余りに残酷であった。

 本来は、二百名近い死傷者など出さずに終わっていたのである。

 ところが、突如治安維持機構が始めた無謀な強行突入によって、歴史上から消し去られることのない汚点をこの都市に残してしまったのである。

 当初、緻密かつ堅牢な作戦展開を遂行した国軍陸団の部隊に追い詰められたジャック・フェインは、投降を示唆していた。これを受けて国軍は攻撃を中止し、双方の代表が会しての交渉が始まっていた。

 その矢先、都市統治機構幹部と一部の高級官僚は、展開警備にあたっていた治安維持機構部隊に突入を命じると同時に、訓練中の治安維持大学幹部候補生を含む俄か編成の増援部隊を組織し、ジャック・フェインとの交戦を強いたのである。

 突然の治安維持機構部隊乱入に現場は大混乱となり、投降のつもりでいたジャック・フェインも応戦を余儀なくされ、不意打ちを受けた工作員の大半が乱戦の中で命を落とした。

 訓練が十分でない治安維持機構の急編成部隊もまた、テロリスト側の捨て身の反撃の前に次々と斃れていった。まだ若い部隊員ばかりであったという。

 その中に、将来を嘱望されたサラの兄もいたことは容易に想像がつく。

 ――ただ、これにはもう一つ、隠された事実があった。

 国軍とジャック・フェインの停戦交渉が締結される直前、都市統治機構から治安維持機構側へ極秘伝達があったという。

 万が一国軍の停戦交渉が妥結に至らなかった場合は突入を見合わせよ、と。

 つまり、国軍がジャック・フェインとの交渉に失敗して交戦が継続されるならば良し、さもなくばいかなる手段に訴えてでも治安維持機構の手で事態の収拾を図られたいという内容である。そしてまた、この極秘伝達の文面を裏側から読み取るならば、最初から治安維持機構は国軍を押しのけてでもジャック・フェインを攻撃する意図があったということになる。

 そして、のちにナバラが突き止めた事実だが――国軍とジャック・フェインの間で停戦交渉が妥結したという情報を得た都市統治機構では、さすがに事態の混乱を招くような強行突入は避けるべきだという常識的な意見が多数だったという。

 しかし、一部の高級官僚達が治安維持機構部隊の投入を強硬に主張し、ついには総務局局長の意向を無視しつつも勝手にその名を語らい、突入命令を下してしまった。

 なぜ、わざわざそのような惨劇が引き起こされたのか?

 理由はたった一つ――ファー・レイメンティル州におけるジャック・フェインの活動封じにそれまで適切な対処を怠ってきた都市統治機構、そしてその管理下にある治安維持機構。警察機構と国軍の手によってジャック・フェイン根拠地が突き止められ、かつあと一歩で追放できるという段階に至った時、ようやく彼等は焦らざるを得なかった。上部機関である国家統治機構からその怠慢を痛烈に非難、罵倒され、挙げ句の果て事件の収束を待って前代未聞の都市機構組織の大量人事刷新を断行する旨宣告されたのである。直接の人事権を持たないとはいえ、国家機構が動けば嫌が応にもメディアの注目を浴びることになる。そうなれば、都市機構組織側は知らぬ振りを決め込むことはできない。

 ここへきて、自分達の面子が丸潰れになることを恐れた都市統治機構幹部、それに高級官僚達。その焦りが、件の強行突入につながっていくのである。元の元を辿れば何のことはない、彼等の怠慢に行きつくだけの話ではなかったか。

 ジャック・フェインからすれば、彼等は何回殺しても飽き足らないであろう。

 その連中の一人――ナバラが記した手記には、氏名がはっきりと綴られている。

 カルメス・エルドレスト。

(ユイちゃんの、親父かよ……)

 暗澹たる気持ちになったサイ。

 D-ブレイク作戦の後、その官僚連中の殆どは都市統治機構本庁から異動あるいは退職となっていたが、カルメスのみは本庁に残留のままであった。

 理由はわからない。

 飛びぬけて優秀だったためなのか、それとも――意図的な工作があったのか、どうか。

 ただ、そのせいもあってナバラが彼の存在を知ることになったらしい。

(……?)

 ふと、店内にいる他の客が何やらざわめき出したことに気がついた。

 皆、大型のテレビに釘付けになっている。

 何気なく画面に目をやったサイは、思わず

「……うわ! なんだありゃ?」

 初めて事態を知った。

 のんびりしてはいられない。

 慌ててコーヒー代を支払って喫茶店から飛び出すと、Star-line本部舎に向かって車を飛ばした。



 事態は膠着したまま、五昼夜を経過した。

 国家統治機構では国軍陸団でも最優秀の特殊部隊「FZZ」の投入を検討したが、人質となっている職員の家族達からの強い要請によって取り止めとなった。何しろ、相手はあのジャック・フェインである。殺さないといえば絶対に殺さないが、殺すと宣言すれば必ずその通りになる。彼等が出した条件の一項に「国軍が庁舎に接近すれば人質を殺害する」とある。手の出しようがなかった。

 そして、同機構は犯人側からの再三の要求に屈し、六日目の朝になって異例の公表を執り行った。

 四年前に勃発したD-ブレイク事件に関する一連の経緯公開と称したその記者会見は、ヴィルフェイト合衆国国内のみならず、全世界に衝撃を与えるものとなった。

 公開された内容は驚くべきことに、サイが極秘に入手したナバラの手記そのものであった。今になって国家統治機構は、過去に押収した彼の原稿を資料として一般の目に晒したのである。

 ここへきて、ウィグやレヴォスが悲願としてきた一般市民への真実の公開は果たされた。

 記者会見に出席したヴィルフェイト合衆国統括府報道官は神妙な面持ちで

「この、聞くに堪えない醜悪で、そして凄惨な事件を、我々は確かに隠蔽しようとしました。これが市民達の目に触れることを恐れたのです。今となっては、認めざるを得ない事実であります」

 と、ここまでは率直に事実関係を認めて陳謝した。

 しかし、そのあとの発言が物議をかもした。

「我々の直轄する国軍陸団とジャック・フェインとの間には、友好的な会談の場を経て停戦交渉が妥結をみていました。これにより、事件は最小限の被害で終局を迎えられる筈でした。……ところが」

 報道官はナバラの原稿の一部を拡大したフリップを報道陣に示し

「ファー・レイメンティル州都市統治機構側は、これを潔しとはしませんでした。その後に起こった血で血を洗うような忌まわしい殺し合いは、都市統治機構側の一方的な判断によるものです。国家統治機構としては不本意でしたが、州治制の精神に則り、これに干渉することは控えざるを得なかったのです」

 責任転嫁そのものである。

 しかしながらこの発言を冷静に解釈したならば、都市統治機構側が暴発する意図を明確に把握しながらも、国家統治機構はそれを制止しなかったという見方が成立することになる。

 マスコミは一斉にこの発表を取り上げ、国家統治機構側の姿勢を激しく非難した。

 国家統治機構側としては慌てて発言の撤回を申し入れたが、後の祭りであった。

 この騒ぎを都市統治機構庁舎の上層階にあって終始注目していたウィグは

「とんでもないバカだねぇ、この人達は。四年も経ったというのに、未だに責任のなすりつけ合いだってさ」

 床を転げまわって大笑いしている。ざまを見ろ、ということなのであろう。

 が、レヴォスは複雑な表情を隠さず

「しかしウィグさん、こんな救いようのない連中に、我々の同胞は殺されていったんです。腹が立つとか可笑しいとか、私としてはそういう一概な感想で片付けることは……」

「わかっている。わかっているよ、レヴォス君」

 ウィグは笑うのを止め、つと真剣な相貌に戻った。

「どだい、無理な話さ。我々はこうして四年もかけて復讐に及んだ訳だが、あまりにも相手が悪すぎたよ。連中は今こうして市民が人質に取られていることよりも、自分達の過去の汚点が曝け出されてしまったことの方に強い関心を持っている。――幾ら俺達が四年前の一件を許さないと叫んでみたところで、奴らの良心には届かない。最初から、復讐なんて成立する余地はなかったのさ」

「じゃあ、このあとどうすると……?」

 尋ねたレヴォスの目をじっと見つめているウィグ。

 意外にも、その視線に悲壮の色はなかった。むしろ、多少愉快そうな調子で彼は言った。

「……だから、敢えてラブコールを送ったのさ。真剣に俺達と向き合ってくれるカノジョ達に、ね」

 へへ、と笑いつつ

「もっとも、フラれるかもしれんがね。こないだのデートでしつこくしちゃったから、嫌われたかもしんないし」

「それにしても妙ですね。もう何日も経つというのに、あの件に関して何の回答もこないとは……」

「どうやら都市統治機構の連中、そこだけを意図的に隠蔽した雰囲気がある。ずっと観ていたけど、テレビにも新聞にもStar-lineの一言も出てきてないんだぜ? ――ま、そのうち嫌でも出さざるを得なくなるだろうけどさ。連中にはもう、どういう手だても残されていないんだから……」



 その後の是非はどうあれ、国家統治機構がジャック・フェインの要求をのんでD-ブレイク事件の真相を公表したことに変わりはない。これによって事件に進展があるものと期待する向きも少なくなかった。

 だが――ジャック・フェイン側は納得しなかった。

『我々の要求は、カルメス氏本人の公開裁判ならびに都市統治機構からの追放だった筈である。これが実行に移されない限り、人質はなおも我々の手にあり続けるであろう』

 これには国家統治機構も頭を抱えざるを得ない。

 彼、カルメス・エルドレストは四年前の混乱を引き起こした張本人の一人であることに間違いない。

 かといってテロ組織の要求に屈して都市権力上層部の人間を断罪したとなれば、全世界のテロ組織が同様の手口で各地の国家組織に揺さぶりをかけてくるであろうことは火を見るより明らかなのだ。そしてまた、同盟国でありテロ組織撲滅に全精力を傾けているカイレル・ヴァーレン共和国との関係悪化につながりかねない。

 人質となっている職員達の体力も限界に近づいている。

 もっとも、ジャック・フェイン側は占拠から三日目の夕刻に女性と二十歳以下の人質を自主的に解放している。依然人質となっているのは男性ばかりであったが――その家族達は国家統治機構に対し、人質解放に向けた交渉の継続を行うよう執拗に要求し続けている。

 国家統治機構統括府、国家公安機構、国軍陸団、空団、そしてファー・レイメンティル都市統治機構各組織の首脳部が一同に会して連日討議を繰り返したが、結論は出ない。一方で、カイレル・ヴァーレン共和国からは『狡猾なるテロ組織に対して即時断固たる対応が認められなければ、両国の関係に極めて厳しい影響を残すことになるであろう』という、半ば脅迫めいたコメントが出されていた。

 こうなれば、最悪の事態を想定しつつも国軍特殊部隊の突入もやむを得ないのでないか? 

 国家・都市の両統治機構組織側の議論はその方向に傾きかけた。

 だが、国軍陸団、それに国家公安機構は難色を示し「ただでさえ、莫大な犠牲をはらったD-ブレイク作戦の強行に対する世論の糾弾は厳しい。であるのに、今またここで同じことを繰り返せば、国内外に取り返しのつかない混乱を生じるのではないか」との見解を述べた。慎重論である。

 この会議には当然、ファー・レイメンティル州都市統治機構幹部も数名出席している。

 いつ果てるともない議論に耳を傾けていた一人の幹部は、何気なく手元の資料に目をやってみて驚いた。

(こ、これは……!)

 矢も立てもたまらず手を上げ

「ちょ、ちょっと、よろしいですかな?」

 白熱している議論を止めた彼はやおら立ち上がり

「なぜ、この最後に示されている一項について検討されないのですかな? 国軍が突入するとかしないとかいう議論をする以前に、ジャック・フェイン側はきちんと我々に解決の糸口を提示しているではありませんか。テロ組織といえども、中には知恵者がいるようだ。――私個人としては、是非この要求に応じるべきだと考えますが」 



『――だから、それは私達も悪かったって、何度も言っているでしょう!? でも、今はそんなことを言っている場合じゃないのよ! お願いだから、私の言う事を――』

「うるさい! 二度とかけてくるな! あんたなんか母親じゃない!」

 ガーン、と受話器を叩きつけられるようにして電話を切ったユイ。

「……何だって?」

 肩で荒く息をしている彼女の背中にショーコが尋ねてみると

「ママです。あたしに、パパを助命するように娘からの嘆願書を書いて送れって……」

「送れって、ジャック・フェインに?」

「……マスコミです」

 ああ、ここの家庭は母親も堕ちていたか。

 乾パンを貪り食いながら、ショーコは思った。

 州全土封鎖による食料不足はもはや危機的な状況に瀕している。生鮮食料品などはほとんど入手困難となり、代わって流通し始めたのが「栄養乾パン」なる代物である。国軍が物資として大量に貯蓄していたことに加えてファー・レイメンティル州にもその製造工場があったことに依る。このため、Star-lineの面々も連日乾パンばかりを食わされる羽目に陥っていた。都市中心部だけに、地方よりも食料が入手しにくいのである。

 電話機に当たって跳ねとんだ受話器をゆっくりと拾い上げながら

「娘から助命嘆願書が出されたと報道されれば、テロ組織側にも悪い印象は与えないだろうって……あのバカ女、あたしに向かって平気でそういうことを言うんですよ? あたしの気持ちなんか、何にも考えてやしない」

 呟くように説明したユイ。口調は静かだが、一語一語に彼女の怒りや悲しみがこめられているようである。

 半ば家族の問題に近いから、ショーコとしてはどうこう口出しすべき立場ではないと思っている。

 だから、黙って乾パンを食い続けているしかなかった。

 ただ、恐ろしく不味い。

 トゥルルルル――またも電話が鳴った。

 一方的に電話を切られたユイの母親がかけ直してきたのであろうが、ユイは受話器をとろうとはしなかった。

「……」

 咀嚼していた乾パンを飲み下してから、ショーコは受話器に手を伸ばした。

 それを見たユイはハッとしたが、

「……はいはいはい、こちらStar-lineですが」

『もしもし!? ユイを、ユイを出して頂戴。そこにいるのはわかっているのよ!』

 恐ろしく甲高く、そして早口な女の声が飛んできた。

 が、ショーコは腕に蚊が停まったほども表情を動かさず

「失礼ですけど、どちらさん? うちゃ、警備会社なの。名乗りもしない人間を取り次ぐような真似はできませんね」

『ああっ、もう! ヘレンよ、ヘレン・エルドレスト! 都市統治機構経済局予算管理部部長でユイの母親よ! これでいいでしょ!? ユイに代わって頂戴!』

 よほど焦っているらしい。

 その気持ちの動きが、ショーコにはわかるような気がした。

 出世街道まっしぐらであった筈の夫・カルメスがこの事件を機に一転、過去の凄惨極まる事件の首謀者として世間から非難を浴びる羽目になっている。このままでは、例え無事に解放されたとしてもその後の栄達は絶たれたようなものであろう。それは、妻である彼女も他人事ではない。同じ都市統治組織に所属する者として、カルメスと同列視されることは疑いを容れない。ヘレンとしては夫の身を案ずるというよりも、自分の立場の危うさを回避したいという狙いがあるのだろう。

 下らないヤツ。

 ショーコは思わず吐き捨ててやりたくなったが、まがりなりにも娘の前である。

 そのユイは、次にショーコが何を言ったものかと不安そうな表情で見守っている。

 ショーコは黙ってユイの顔を見た。ふるふると首を横に振った。電話には出たくない、という意味である。

「……娘さん、電話には出たくないと仰っていますが」

『いいから、代わってって言っているのがわからないの!? こんな時に、恨み辛みをどうこう言っている場合じゃないでしょう!? どうしてあの子にはそれがわからないのかしら? 自分の父親が、テロリストに殺されるかもしれないっていう時に、何を自分勝手な――』

 無言でヘレンの罵声を聞いていたショーコだったが、やがて受話口を自分の口元に持っていくと

「……そいつはちょっと、違うんじゃありません?」

『は!? 何が違うっていうのよ!? いい加減なことを言うなら、タダじゃ済まないわよ! おたく、ええと何でしたかしら? スター、スター……』

 思い出せないらしく、ヘレンは電話の向こうでしきりとスターを繰り返している。

 さて何と答えてやろうかと思っていると、ユイがすっと片手を差し出してきた。

 電話を代わるつもりらしい。

「いいの?」

「……ショーコさんに、あのバカ女の相手を押し付ける訳にいかないかなって」

 受話器を受け取ったユイは、

「……あたしよ」

『あ、ユイなの!? あなた、何て酷い会社にいるの!? 何の教養もない人間の集まりに加わっているから、いつまで経っても将来の見込みが――』

「聞いて」

 今度は説教を始めた母親の発言を遮ると、ユイはぐっと受話器を持つ手に力をこめた。

「……あたしは、助命嘆願書なんか、書くつもりは全くないからね。何回電話してきても無駄よ」

『書かないって……あなた! 自分の父親が殺されそうになっているのよ!? それを……死んでも良いって言っているのと一緒じゃない! 私達はあなたをそんな風に育てた覚えは――』

「殺されたって仕方がないわ。昔、パパはみんなから恨まれることをした。死んで済むなら、死ねばいい。そうすれば、みんな納得してくれるわ」

「……」

 傍で聞いていたショーコはぎょっとした。

 電話の向こうでは、ヘレンが絶句している。

『しっ、死ねばいいだなんて……ユイ、あなた……』

 ユイの視線は、サラが使っているチェアの一点に注がれ続けている。

「……あたしの大好きな隊長のお兄さん、パパの自分勝手のためにあの事件で死んでしまった。なのに隊長、あたしのことを自分の宝物だって、心の底から大切に思ってくれている」

『……』

「だから、あたしはパパを許さない。テロリストの人達にも、恨まれて当然。今度のことは、その報いよ。――わかったら、もう、かけてこないで。そもそもあんた、あたしの……」

 その後を口にすることなく、静かに受話器を置いたユイ。

 彼女が最後に何と言おうとしたのか、ショーコにはわかっている。

 あんた、あたしの本当の母親じゃない――。

 ヘレンはカルメスの後妻であった。

 ユイが四歳になった時、前妻だった女性は病死している。程なくカルメスは再婚したのだが、それがユイにとっては悪夢の始まりとなった。裕福な家庭に育ち高学歴で都市統治機構に入ったヘレンは家庭に不向きな女性で、仕事だといってはほとんど家を空けていた。元々父・カルメスには馴染めなかったものの、実の母親からは豊かな愛情を受けていたユイが、彼の再婚によってどんなに辛い思いをしたかは想像に難くない。

 それから数年経って学校に入学するなり、世間体を気にする両親は学業の成績をめぐって彼女に厳しく接するようになった。

 生まれ持った明るさと我慢強さで何とか耐え忍んできたユイだったが、ハイスクール卒業後の進路をめぐって自分の希望を否定された時、もはや我慢がならなくなった。

 家を飛び出して数日街中を彷徨い路頭に倒れたところで、ショーコと出会うのである。

 一部始終を知るショーコに言わせれば、残念ながらユイの両親には親としての徳もなければ最小限必要な娘への愛情も存在しない。どころか、人間として重要な何事かすらも欠落しているではないか。そういう彼等であるから、四年前の事件しかり、今回もこういう事態を招いたといえよう。

 が、実のところユイ本人がどう思っているのかは、本人にしかわからない。

 かけるべき言葉が見つからないショーコはじっと黙っている。

 すると、ゆっくりとユイが顔を上げた。

「……ショーコさん」

 意外にも、彼女は力強く微笑んでいる。その相には躊躇いも迷いもない。

「あたし、間違ってませんから。あたしの大切な家族は、Star-lineのみんなだし。血のつながりがどうとか、そういうのは違うと思います!」

 言い切った。

 ここしばらく色んな出来事に巻き込まれて四苦八苦したものの、ヴォルデやサラ、それにStar-lineの面々の支えを得て迷いを吹っ切ったのであろう。このあたり、長年引き摺っていた兄の無念から立ち上がったサラの強靭さに通じているかも知れない。ショーコはふと思った。

「ユイちゃん、さ」

 彼女の目が、実の妹を労わるように優しくなっていた。

「……乾パン、食べる?」

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