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復讐編13 運命の裏側

「おはようございま――」

 朝。

 制服に着替えてオフィスへ入ろうとしたシェフィは、入り口前で皆が屯しているのに気がついた。

 ユイ、ティア、ミサ、ブルーナにリベルが中へ入ろうとせず、固まって何やらひそひそとやっている。

「どうしたの? 誰か、お客様でも?」

「あ、おっはーシェフィ。――それがさ」

 親指を立て、くいっくいっと中を指したティア。

「――ったく! いい加減にしなさいよね! ここは保育園じゃないのよ!」

 ショーコの容赦ない怒声が、ドア向こうから飛んでくる。

 いつもあれを浴びるのはティアかリファの役割だった筈だが……そのリファは入院中で、ティアは目の前にいる。

(っていうことは……)

 サイとナナ。

どちらも優秀で仕事熱心。しかも性格は草食動物的。

 この二人がショーコに面罵されている場面を、今まで隊の誰も見たことがない。

「一体、何があったの? あんなに怒られるなんて……」

「夕べはうちらファーストが当直だったんですけど……サイさんとナナさん、仮眠室で一緒に夜を過ごしちゃったみたいなんです。その……ただ、寄り添って眠っていただけ、みたいです、けど……」

 説明しながら、見る見る顔を真っ赤にしていくユイ。

「そっか……」

 この非常事態の最中に、という腹立たしい思いは確かにせぬでもないが、反面それくらい、という気もする。この二月以上、まともな休みなど一日だって取れていないのだ。これでどちらかが隊外の者だったら、間違いなく別れてしまっているだろう。事実かどうかは知らないが、一つ部屋で睡眠を摂るくらい、大目に見てやっても罰はあたらないように思える。

 皆、気持ちはおおむね同じらしく

「まぁ、昨日はナナちゃん、元気なかったですし……」

 ブルーナが心配そうに言うと、リベルも腕組みをしてうんうんと頷き

「いやいや、若いってのはいいモンだ。俺も昔は……な」

 昔はどうだったというのか。

 誰もが訊き掛けて止めておいた。

 どうせ、添い寝どころの騒ぎではない、生々しい話が出てくるに決まっている。

 ――一方、オフィスの中では。

「確かに苦しい時だけどさ、みんな必死に耐えてやっているのよ!? それなのに――」

 並んで真っ向からショーコの罵声を浴びているサイとナナ。

 が、二人とも呆気に取られている。

 息もつかずに怒鳴り続けながらもショーコは、休みなく両手を動かしていく。

『サラにも言ってないんだけど』

 そう書かれた紙を左手で二人に示し、それを放り投げつつ右手のペンを素早く机上で走らせ

『一昨日、内密にセレアさんに会って』

『あの話を確かめてき○×※□』

 殴り書きだから、時々読み取れない文字がある。

『近いうちにみんなにも話そうと思うの』

 大道芸人並みに堂に入っている。

 怒鳴り続けながらそれと全く違うことを書き示していくという芸は、誰にでもできるものではない。彼女は叱責している体を装って、二人に秘匿事項を伝えようとしていたのであった。

 言っている事と書いている内容はまったく正反対なのである。

「――とまあ、言うべきことは言ったから、もうやめるけども」

『やっぱり、みんなにも言うべきだって。そこからなのよね』

「しっかりやってよね。みんなに示しがつかないんだから」

『知らなかったフリしといてね。話せる部分と、そうでないことがあるから』

「いいかしら!?」

『頼んだわね』

 ――絶妙のタイミングで終了。

「は、はい……」

 呆然とした面持ちで返事をしたサイ。

 叱られているのかそうでないのか、よくわからない。

 隣ではナナが、必死に笑いを堪えている。

 それを見たショーコは

「ナナちゃん。一つだけ、真面目に言わせてもらうけど」

 手元でカンペをくしゃくしゃと丸めながら「――男女のおかしな事だけは、勘弁ね?」

 


「――よって、この地下高速軌道交通都市センター街線を少数で押さえ、別働隊は最深部作業縦抗から上がってきて合流、車両を占拠してから移動を開始する、という形になる」

「ですが、問題はCMD隊ではありませんか? この厳戒体制では、途中で取り押さえられるのが関の山です。機動部隊の本庁到着後であれば、まだやり方もあるかと思いますが」

「だから、だ。前段に手を打っておかねばならないのだが――ウィグさん?」

 暗く狭い一室で、数人の男達が卓を囲んで議論している。

 中心にいて説明役になっているレヴォス。彼はふと、独り円から離れて座っているウィグの様子が気になった。

 チェアに深く腰掛けて腕組みをし、ぼんやりと天井を眺めている。

 遠くを見るような瞳。

 どこか虚ろな表情に見える。

 急に声をかけられ、ウィグはハッと我に返ったように

「……あ? すまん、すまん。ちょっと、寝不足でな」

「……」

 レヴォスは何も言わなかった。

 ウィグの胸中何を思っていたのか、想像はついている。

(下手な嘘を……。想い女が気になって仕方がない癖に)

 計画の最終段階なのだから少しは気を引き締めて欲しいという思いはある。

 だが、計画遂行のあかつきに待っている結末は――それを考えると、ウィグの哀しみがわからなくもない。

 そういう機微を知らないメンバー達は、一様に不安そうな顔になり

「ウィグさん、体調でも悪いので?」

「何かまた、不穏な動きでも?」

 口々に問いかけた。

 微妙に重くなりかけた空気を破るように、

「ん? あ、いやいや、大丈夫だ。俺自身は、な。――ただ、一つだけ皆に伝えておきたいことがある」

 ウィグは立ち上がり、胸ポケットから一枚のメモを取り出した。

 目の前でひらひらさせながら

「諜報屋からのタレコミだ。どうやら、テリエラの連中、うずうずと腰が落ち着いていないらしい。市中の運び屋を動かして何やら始めた形跡がある。警察機構も勘付いたようだ。――対応については考えるが、くれぐれも連中の尻馬には乗るな。頼むぞ」

「了解です」

 いつもの彼らしいテキパキとした簡潔な指示に、一同はほっとしていた。

 が、レヴォスとしては穏やかでいる訳にはいかない。

 軽率に行動でも起こされたならば、全ての苦労が水泡に帰してしまう。すでにゴーザ派が余計な自爆テロを仕出かしてくれたがために、彼は数夜を徹して計画を修正しなければならなかった。

 やっと今日それが出来上がり、あらためて主要なメンバーに説明を加えているところなのである。

「その情報、軽視できませんね。後で詳しく中身を――」

「ああ。その前に」

 ウィグは悪戯っぽく笑った。「この打ち合わせが終わったらひと眠りしなよ。話はその後な。……目が血走っているぜ?」

 そうしましょう、返事をしつつ彼の思惑に気がついたレヴォス。

 昨日、ウィグの愛機がようやく完成をみていた。非常厳戒体制が事の外厄介で、パーツの搬入が遅れに遅れていたのである。

 気分転換を兼ねて早く触りたいのであろう。

 玩具を与えられて機嫌を直す子供に似ていなくもない。



『こちらティア。セカンド、スタンバイオールグリーン! 指揮車から出ますよー!』

『了解、安全運転でお願いします。――それじゃショーコ、後をよろしくね?』

「はいよ! 留守は任しておいて!」

 慌しく出動していったセカンドグループとサラを見送りながら

(ありゃま……。今日こそ、みんなに話そうと思ったのにさ)

 肩透かしを食ったような思いになっているショーコ

 セレアに堂々と「自分からみんなに説明します」とは言ったものの、いざとなるとそのメンバーがなかなか勢ぞろいできない。各個にやってはどういう伝わり方をするかわかったものではないから、皆を一堂に揃えなければならなかった。

 今夜こそ、と思っていた矢先に出動要請である。

 明日は明日でMDP−0の電装品定期チェックが入るからそんな時間はない。チャンスを窺っている間にも、時間は容赦なく過ぎていってしまう。

(上手くいかないなぁ……)

 自らの手際の悪さを呪いたくなる。

 くるりと振り返ったショーコ。

 目の前には、MDP−0が佇立している。

 細長のメインカメラが、自分を冷たく見下ろしているような気がした。

「……」

 少しの間、ショーコはMDP−0とにらめっこを続けていたが

(よっしゃ! なら、今からやっちゃえばいいのよ。電装カセットのチェックくらいなら、何かあってもすぐはめれば済むことだし……。そうすれば明日、少しは時間も取れるでしょう)

 メンテ作業に集中すれば、気分転換にもつながる。

 そう決めたショーコは独り、もそもそとMDP−0をいじり始めた。

 作業を始めてからしばらくして

「……あれ? ショーコさん、何、やってんです?」

 サイがやって来た。

 ショーコは床にどっかと胡坐をかき、専用のチェッカーを使って電装カセットの具合を調べている。

「お、サイ君か。見ての通りよ」

「それ、作業スケジュールでは明日ですよ? 別に今やらなくても……」

「少しでも、前倒ししておきたいのよ。いつ、何があるかわからないから」

「じゃ、俺も手伝いますよ。ナナとユイちゃんにも――」

 オフィスに向かって駆け出そうとしたサイ。

「ちょ、ちょっと待ち!」

 その背中に向かって、ショーコは叫んだ。

「今はセカンドが出張っていて代替待機状態だから、みんなでメンテはまずいわ。サイ君達はオフィスで緊急発報に備えていて頂戴。あたしも、根は詰めないつもりだから、さ」

「……」

 彼女の言う通り、待機中だから誰もオフィスにいないのでは確かにまずい。

 それに――ショーコはショーコで、何かに集中していたい気分の時もあるだろう、とサイは察していた。スティケリアからメンテ要員が出張してくるようになって以来、メンバーの作業負担は確実に軽減された。が、一方で酒とCMDだけが生き甲斐のようなショーコにとってはつまらない状況であるというのも事実であろう。専門のスタッフ達がいる以上、手出しを憚らねばならない場面もある。

「わかりましたよ」

 暗がりで微笑したサイ。

「じゃ、夜食でも作ってますから。出来上がったら、呼びに来ます」

 ウェラはほとんどリファに付きっきりだから、最近は例の差し入れも中断されている。

 当然食事に支障が発生しなければならないが、当直のヒマを活かしてサイは料理を学ぶようになっていた。もともとが几帳面な男だから、美味ではなくとも食える物は出来上がる。

 そういう彼の姿を見て、ショーコはふと気付いたこともなくはなかったが――。

「うん、頼むわね。……あ、あたしはあれ、あれが食べたい。野菜スープパスタ! すっごい美味かったから、また食べたい!」

「わかりました。じゃ、それでいきましょう」

 消えてゆくサイの後ろ姿をじっと見つめているショーコ。

 本当は、作業量が多いから手伝ってもらってもそれはそれでいい。

 しかし。

 急がないでやる作業には会話が付きまとう。

 今、とりとめのない会話をすれば――サイやナナを相手に愚痴りかねない。

 サラはともかく、誰よりも心を許しているこの二人には、何でも喋ってしまいそうな気がしてならなかった。自分で決意してセレアにまで宣言した以上、例え心に負荷が蓄積されていくにせよ愚痴のような形で口から出したくなどない。

 そして――サイとナナに対しては、特別な思いがない訳ではない。

 皆の前では「弟」「妹」と呼んだり、強いて二人の仲を推進するような態度を見せてはいるが――うっかりすれば自分で自分の気持ちに向き合えなくなってしまいそうになる。いつまでも、二人を相手に太平楽々な時間を過ごせる訳ではない。いつかは、終わりがやってくる。認めたくはなかったが、認めざるを得ない。

 この不安定な状態の中で、自分自身も不安定になっている。

 そういう時だからこそ、どこかできちんと気持ちに仕切りをつけて、自分が向くべき方向へ向こうと、ショーコは思う。

 だから、独りにしてもらった。

 気を抜くと余計な想像をしてしまいそうになるから。

 それを振り払うかのように、ショーコは無我夢中になって手を動かし続けていく。

(あたしにはあたしのやり方なり、道がある。余計なことを考えちゃいけないわ――)

 懸命に料理の作り方を学び始めたサイ。

 つまり、二人はもう――彼が進むべき道に向けて進み始めてしまったことを意味しているのだから。

 サイとナナ、二人だけで歩む道へ。



 その夜半のことである。

 ショーコは自分のデスクに突っ伏して居眠りしていた。

 ふと、トントンと肩を叩かれている感触で目が覚めた。

 がばっと上体を起こすと、傍らにサラが立っている。

「あ、あれ……サラ? 戻ってきてたの?」

「いたわよ、さっきから。大分、お疲れのようね」

「ご、ごめん。つい……」

 ばつが悪そうに頭を掻いた。

 そんな彼女に、サラは労わるような優しい視線を向けている。

「いいのよ。本来なら、今晩はセカンドの当番日ですもの。――サイ君達は宿舎棟へ戻してくれた?」

「あ、うん。2230で待機解除、ってことで」

 サイが作ってくれた夜食を四人で平らげたあと、現場のサラから連絡が入った。詳しく調査したところ、セキュリティシステムの誤発報であったという。サラの判断でファーストの三人を待機解除して宿舎棟へ戻し、セカンドグループが戻ってくるまでの留守番としてショーコは独りオフィスに残っていたのだが――不覚にも、眠ってしまったらしい。夜食を摂って腹が満ち足りたせいかも知れなかった。

 が、そのことについては、サラは責めるでもなく

「ありがとう。本当なら、ショーコももう戻ってもらっている時間なんだけど」

 時計の針は二十四時を回ろうとしている。

「セカンド三人娘は? 仮眠室かしら?」

「ええ。DX−2の電源だけ降ろしてもらって、あとは自分達も充電してもらうようにしたわ」

 サラは可笑しそうにした。

 朗らかな彼女を見ていると、心の奥底が凪いだ海のように穏やかになっていく気がする。

「あ、お腹、空いているでしょ? サイ君が夜食を作ってくれたんだけど、彼、少し多めに作ってくれたのよ。セカンドのみんなが帰ってきたら、って。……食べる?」

 チェアから立ち上がりかけると

「うん、まぁ、そうね。いただきたいことはいただきたいんだけども……ねぇ、ショーコ」

「ん?」

 サラは机の引き出しからくしゃくしゃにされた紙を取り出しながら

「あたしのゴミ箱に、こんなものが棄てられていたんだけど」

 朝、サイとナナとの密筆談に使った紙である。

 うっと詰まったショーコ。

 立ち上がりかけた姿勢のまま、固まっている。

 サラのデスクの前に立ってやっていたのだが、迂闊にもそこにあったゴミ箱に棄ててしまったらしい。

 一枚一枚、丁寧に右手でしわを伸ばしながら

「……今朝、サイ君とナナちゃんにお説教したんでしょう? 同じベッドで仮眠を摂っていた、って。みんなを締め出した状態で散々怒鳴っていたみたいだけど――素晴らしい芸当をもっているじゃない? ショーコってば」

「……」

 ショーコは浮かしかけていた腰を、ゆっくりとチェアに戻した。

 添い寝事件の一件は、皆に口止めしていた訳ではない。強いてサラに報告しなければならない程の重大性もなく、それ以前に――ショーコにとって添い寝などはどうでもよかった。二人に伝えることを伝えたかったから、業と叱責の場を装ったのである。

 とはいえ、隠蔽といえば隠蔽である。

 が、サラはすぐに

「添い寝の一件は、不問に付します。男女の事があったのならともかく、ただ二人揃って眠っていただけですから。……第一、隠れてそういうおかしな事をするような二人じゃないでしょう? お揃いのカップとか上着にするとかいうレベルですもの。何だか、可愛らしいじゃない? 私だって、あやかりたいわ。羨ましいもの」

 にこと微笑んだ。

「は……」

 呆気に取られたショーコ。

「それよりも、私が気になったのはこれよ」

 数枚の紙を手にとって見せた。どの紙にも、ショーコが殴り書きした乱雑な文字が躍っている。

『サラにも言ってないんだけど』

『一昨日、内密にセレアさんに会って』

『あの話を確かめてき○×※□』

「……私って、一日が終わったら必ずゴミ箱を空にするでしょう? だから、あれっと思ったのよ。棄ててあるゴミを拾うなんて、あんまり良い行いではないんだけども」

 今朝、サラは朝一でスティーア総合病院に出向いていた。オフィスには寄っていない。

 戻ってきてから気がついたらしい。

「で、変だなと思っている時に今朝の一件をミサちゃんから聞いたのよ。それで、合点がいったのよね。ああ、ショーコったら、私の知らないところで何かしているんだなぁって」

「……」

 上手く工作したつもりが、つまらぬミスで露顕してしまった。

 どのみち、近いうちに話すつもりではいたのだが――隠していた事に変わりはない。

 何となく、悪い事をしたような気持ちになりかけているショーコ。

 視線を落としたままで「……ごめん、なさい」

 叱られている子供のように小さくなっている。

「ふっ」

 彼女が素直に謝るのは、サイの操縦ミスくらいに珍しい。

 サラは思わず笑ってしまった。手にした紙をびりびりと細かく破き「証拠隠滅とは、こうするものよ。覚えておいたらいいかもね」

「はい……」

 ゴミ箱に紙吹雪が散った。

 これで話は終わったようだが、終わっていない。

 顔の前で両手を組んだサラ。

 いよいよ話を聞こうという時の体勢である。

「……で? 何をそんなにこそこそと、私に隠し事なんかしているの? サイ君とナナちゃんには話せて、私に話せない事柄なんて。二人の結婚式場の相談でもないんでしょ?」

「……」

 ショーコは思わず顔を上げていた。

 どうしてそれを、口こそ出さなかったが、表情がそう言っていたらしい。

「何となく、わかっていたの」見つめた先で、サラの表情が緩んでいる。「あの二人、そろそろ考えているみたいね。まだ本人達から打ち明けられちゃいないけど、ウェラさんがそれらしいことを言っていたのよ」

 つと目線を外した。

「でも、あんまりにもショーコが二人を可愛がっていたから、ちょっと苦しかった。妹さん、亡くしているものね? だから、なんかそういうショーコの姿が切なくて――」

「……サラ?」

「ごめん。私ったら……バカみたいね。他人の気持ちに鈍感だもの。ごめん、本当にごめんなさい」

 言わでものことを口にしている自分に気がつき、サラは謝った。

 少しの間、ショーコは黙っていた。

 やがて、やんわりと強気な笑みをつくりながら

「いいのよ。もう、いいの」

 そう、決めている。

「あれは――迷いみたいなもの。サイ君もナナちゃんも、あたしに何でもかんでも話してくれて相談してくれて、慕ってくれたから、つい、ね。でも、そういうものじゃないのよね。何事にも前向きで真剣な二人の姿を見ていたら、何となくそんな気がした」

 ショーコは続ける。

「立場とか条件とか何とか、そういうものを振り捨ててまで一直線になれる気持ちを好き、って言うんじゃないかしら。例えばナナちゃんなんかに比べれば、あたしなんかはホントに自分勝手そのものだし。本音を言えば、あたしだって誰かを思って一直線になりたい。――でも今は、そういうことを考えている場合じゃない。あたしが迷えば、サラやみんなに迷惑をかけてしまうから。この騒ぎが収まったら、」

 ちょっと首を傾け「……あたしも少し、必死になってみるわ」

「……そう。そうね」

 サラも微笑んだ。

「実はね、何の躊躇もなく異性を意識できるティアのことが、ちょっと羨ましい。……連れ込み禁止とかなんとか、散々に脅しつけておいて何だけど」

「あれはあれでいいのよ。大体さぁ、手当たり次第、ってのは問題があるわ」

「……違いないわね」

 ひとしきり、二人は笑った。

「でさ」

 笑いが収まると、サラはぐいっと身を乗り出し

「……話は戻るけど、本当は何を隠していたのよ?」

 ショーコは表情を引き締めつつ

「隠し通そうとは思っていなかったんだけどね。どのタイミングで話したらいいのか、つかめなくて困っていたっていうのが本当のところなの。……あんまりにも、重い話だったから」

「そう。それはわかった」

 サラは頷いてやった。

 隠していた云々はどうでもよい。問題は話の中身である。「……で?」

「うん、あのね――」

 ディットやセレアから聞いたリファ、そしてスティーレインの過去について話し始めたショーコ。

 大分要約したつもりだが、気が付くと時間は一時を過ぎていた。

 聞き終わったサラは

「……そんなに重大な話を私に秘密にするなんて、ひどいじゃない? 私って、頼りない隊長かしら」

 あれ? とショーコは疑問に思った。

 相当に重く悲惨な話だった筈だが、サラに悲壮感はない。

 けろりとしている。

「あ、あのさ、サラ」

「なぁに?」

「その……こう、いやーな気分にならない? あたしはね、すごく嫌な気持ちになって、丸一日仕事に集中できなくなっちゃった。でも、だからこそ、あたしが今、何とかしなくちゃって、思ったんだけども」

「いや、それでいいのよ。ショーコにはショーコの受け取り方があるわ。でも、私は……ね」

 とまで言って、あとは呟くように

「でも、そっか。あのコにもセレアさんにも、そういう辛い経験があったのね……」

 その落ち着きぶりを、ショーコは不審に思い

「サラ……?」

「……あのね、思い出していたのよ。亡くなった兄のことを、ね」

「……」

 かつて、サラが一度だけ話してくれたことをショーコは思い出した。

 四年前、D−ブレイク作戦によって命を落としたというサラの兄の話である。

 ――彼女の兄・キール・フレイザは治安維持機構の幹部候補生を育成する治安維持大学に通っていた。早くに父親を亡くしていたサラとキール。三つ年上の彼は母親とサラを養うため、十八歳の時に治安維持大学を受験した。治安維持大学に入学すると、学科の授業がある傍らで訓練生として各部隊に配属され、そこで隊務に就いた分の給与が支払われるからである。また、修学期間は二年間で、成績がよければ卒業後すぐに小隊指揮官の肩書きがつき、その分高い報酬を得ることができる。

 真面目だが優しく、そして正義感の強かったキールは入学前、サラに言った。

「俺が卒業したらサラは十七歳だな。次の年には大学へ行けるように、学資を送ってやるからな」

 彼女は誰よりもこの兄を慕っていた。

 母は定収を得るために他州へわたっているから、ずっと二人暮らしできた。キールはよくサラの面倒をみてくれた。どちらかというと引っ込み思案で友人の少なかったサラにとって、兄は一番の話相手であった。いつだったか「大学へ進んで勉強をしたい」と喋ったことを、キールは覚えていたらしい。

「……うん」

 サラは微笑んでみせた。

 が、一抹の寂しさだけは隠しようもなかった。

 治安維持大学は全寮制だから、一度入学すれば当分会うことはできない。隊務と学業の両立も大変だから、卒業まで保たない学生が何人もいるという話もあった。

 そんな彼女の頭を優しく撫でてくれたキール。

「……寂しそうな顔をするなよ。休みくらい、あるさ。それよか、シェルヴァールにいる母さんを、よろしく頼む」

 そうして彼は治安維持大学の門をくぐっていったのだが――入学式の日、正門前で見送ったのが二人の最後の別れになるとは、サラは想像もしていなかった。

 当時からテロ組織の活動が活発化していたこともあり、治安維持機構では中隊の増設を急いでいた。

 3ブロック中隊体制を5ブロック中隊体制にするという計画の元、治安維持大学は新入生の促成教育を行い、キールの前代あたりからカリキュラムは格段に過密なものとなっていた。特にCMDドライバー養成訓練に重点がおかれ、時には昼夜を問わず模擬訓練が施された。脱落者も多かったが、質的には、この頃のドライバーがもっとも優秀であったかも知れない。

 やはりキールは休む暇もないようであったが、定期的に手紙だけはきた。

『訓練は予想以上にハードだ。思ったように帰省することもできやしない。でも、テロリストから街を守るためだから、それも仕方がないことだ。毎日訓練を繰り返しているうちに、CMDの操縦だけは上手くなった。模擬戦でも、かなり勝ち進むことができるようになったんだ。どうか、身体にだけは気をつけてくれ』

 誇るように、文字が躍っていた。

 そういう兄を、サラもまた誇らしく思ったりした。

 彼女の中では次第に――自分もまた治安維持大学に入って、兄のように――という気持ちが強くなっていった。

 そして、十七歳になったサラは治安維持大学を志望。

 受験中、兄から手紙が来た。

『話を聞いて驚いている。まさかサラまで受験するなんて、夢にも思わなかった。治安維持大学はきついぞ。でも、サラが決めたことだから俺は反対しない。サラは頑張り屋だから、いつか俺は追い越されるかもしれないな』

 あの兄を越えるなんて、そんなことはあり得ない。

 読みながら思わず笑みを浮かべたサラ。

 文末はどういう訳か、

『どうか、絶対に、体にだけは気をつけてくれ。シェルヴァールにいる母さんをよろしく頼む』ここだけが、妙に強調されていた。

 これが、最後の手紙となった。

 それからひと月余り経ったある日、その報せは突然にもたらされた。

『キール・フレイザ候補生は、D地区におけるテロ組織殲滅作戦参加中に殉職されました。謹んで、ご一報申し上げます』

 一瞬、何を意味しているのかわからなかった。

 何度も何度も文面を読み返しているうちにぼやけてきて見えなくなり――気が付けば玄関先に座り込んで号泣していた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、どうして、どうして――」

 異変に気が付いた近くの友人が駆けつけてきてくれ、どうにか部屋の中まで連れて行ってくれた。が、それからずっと、サラは涙が枯れ果てるまで泣き続けた。

 詳報はかなり後になってから知った。

 治安維持大学では来年卒業を控えた者達が急遽招集され「候補生」の冠詞を与えられると同時に「候補生部隊」が組織された。

 数週間して、D−ブレイク作戦が開始された。

 彼等に極秘で出動待機命令がかかったのは、国軍陸団少将とウィグ・ベーズマンの直接交渉が行われている頃である。この時、外部への一切の連絡を禁じられたという。

 程なく、候補生部隊はD地区へと動員された。

 到着してみると、事態は急変している。停戦交渉によって作戦は終結を迎える筈だったが、どういう訳か熾烈な激戦が展開されている。

 周辺警備という任務だったにも関わらず、いきなり突入を命じられたキールの小隊。どういう説明も加えられず、質問すら許されなかった。

 しかも、彼等に与えられたのは、急遽納品された強度も不確かな量産機であった。運動性能を上げるべく設計されており、そのために強度は従来のそれよりも数段落ちていた。が、この事実はかなり後になってから公表された。

 死傷者が増えているという情報もあり、まごつく者も少なくなかったが、キールは声を励まし

「行くぞ、みんな! テロリストを許しておいていいのか!」

 先頭を切って突入して行った。

 狭い廃墟を進むうちに、交戦中の工作部隊に追いついた。

 コンクリート塊や鉄板をランダムに配置したバリケードを盾にしたジャック・フェインの銃撃は自由自在で、治安維持機構工作部隊は攻めあぐねていた。見ているうちに、死傷者が激増していく。

 工作部隊の指揮官は駆けつけてきたキール達に対し

「おい、候補生部隊! あのバリケードをどうにかしてくれ。あそこからの銃撃が厄介だ」

 非情な命令を突きつけた。が、

「了解しました!」

 正義感の強いキールは一も二もなく返答し、すかさずバリケードへ向かって機体を進めた。

 最前線である。言うまでもなく、銃撃の嵐が舞っている。

 その凶悪な刃は自然、先頭を行くキールの機体に殺到した。

 ジャック・フェインが装備している軍仕様強化型機関銃の前では、簡易な量産機のキャノピーなどは紙同然でしかない。

 無数の銃弾はたちまちコックピット内部まで貫通し――キールは殉職した。

 この年、二十歳。

 州立病院の霊安室で遺体と対面したサラと母親は、力が抜けて立てなくなった。

 体中に白い包帯が隙間なく巻かれており、唯一口元だけが露わになっている。銃撃によって損傷が激しかったのだと、医師は無感情に説明した。

 夫に続いて長男まで喪ったサラの母は間もなく体調を崩し、入院することになった。

 サラは思いを馳せるように遠くを見ていたが

「あの事件で兄を喪って、本当に辛かった。今だって、思い返せば胸が苦しくて仕方がないのよ。――だけど、ね」

 ショーコに視線を移した。

「だからといって、リファをどうこうとは思わない。それは、良くも悪くも、ね」

そういうことか、とショーコは頓悟した。

 彼女はストレートにリファを被害者の立場で捉えたが、サラにしてみれば兄を喪うきっかけとなったテロリストの妻である。ショーコが思ったように、リファを被害者であるとは素直に思えないというのが本音の部分であろう。

 が、サラは

「でも、いいの。リファがテロリストを愛していたとかいないとか、スティーレイン事件がどうとか、それはみんな過去のこと。過去は現在や未来を考えるための参考にはなるけど、こだわっていていいものじゃない。――一番大事なのは私達が未来を向いて立ち向かうこと、でしょ? ショーコの恋の決意のように、ね」

「……」

 そして、こうも言った。

「今なら、戦える気がする。サイ君やナナちゃんや、みんな、そしてショーコが傍にいてくれて、こんな私を支えてくれている。……少し前の私なら、駄目だったと思う。でも、今なら戦える。みんなと一緒に。全然、負ける気がしない」

 サラはそこでちょっと言葉を切った。

 すぐに笑顔をつくり

「リファのためにも、負けられないでしょ? 愛した人と、自分の子を戦場に置き捨てて自分だけ逃げるなんて、絶対に許せない。仇をとるのよ、みんなの力で」

 力強く言い切った。

 そんな彼女を、ショーコは心底感心したように眺めながら

「……あんた、すっかり強くなったじゃない。出会った頃とはまるで見違えたわ」

 いつの間にか、自分の胸中に蟠っていたもやもやが霧散していた。

 理屈なしの積極的な姿勢に触れたことで、妙な畏まりや責任がちっぽけなものに思えたのである。何とかしてやろうと思えるのなら、素直にそう思っていればいい。理屈などつけるから重荷になる。しかし、そんな必要はどこにもないのだ。

「ふふ、そうかしら? 私はいつまでも成長できないままでいる、ふがいない隊長だと思っているわ」

 そのくせ、そう言う彼女の顔は自然に朗らかである。

 ショーコは気が付いている。

 何も建前を言ったのでもなければ、開き直っているのでもない。サラ自身、決して自分が成長できたなどとは思っていないには違いないが、何よりも周囲の皆を素で信用できるようになっている。だから、何が何でも自分でやらねば、というかつて彼女をがんじがらめにしていた重圧から解き放たれていて、どういう焦燥もプレッシャーも感じないでいられるのである。思考が限りなく柔軟になったというあたり、やはりそれはサラの成長といってもいいであろう。

 他人を信用できるということは、本人の成長以外の何物でもない。

 そんなサラの姿に、励まされる思いがしたショーコは

「自分では、それくらいに思っていていいわ。あたしやみんなは、あんたがすっかり変わったって、そう思っているから」

 真剣に言った。

 サラはにこと笑って見せて

「……ありがと。そう言ってもらえるから、また頑張れるのよ」

 さて、と立ち上がりかけ

「この件は、ショーコの口から言わせる訳にはいかないわ。私が隊長として、責任をもってみんなに知らせます。――任せてもらえるかしら?」

「……オーケー。悪いわね、やりにくいことばかり引き受けてもらって」

「どういたしまして? それくらい、隊長として当たり前のコトよ。――でさ」

 サラの腹が鳴っている。

「サイ君のパスタ、お願い」



 翌日、リファの退院が決まった。

 ウェラからその報を受けるや、サラはすぐにSTRのセキュリティセールスサービスを呼んだ。防犯装置や警備システムの販売を行っているセクションである。

「本当はね、こういうのは嫌なんだけど……」

 宿舎棟の出入り口に、入出者感知センサーとカメラを取り付けようとしている。

 工事の様子を眺めながら、ため息をついたサラ。

「仕方がないわね。こうすることが、あの子の身の安全を確保することにつながるんだから」

 ショーコは仕方がなさそうに言ったが、急にポンと手を打ち

「ああ、でもほかにも重要な理由があるじゃない」

「なぁに? 重要な理由って」

 ニヤリと笑って

「……ティア監視用」



 一方、スティーア総合病院。

 退院が決まったことで、ウェラがてきぱきと病室の整理なり掃除を始めた。

 が、ベッドの上のリファは根が生えたように動こうとしない。

 悲しそうに俯いたままでいる。

 ウェラは

「ほら、リファちゃん。宿舎に帰りましょ? 住み慣れたお部屋の方がいいじゃない? ね?」

 促したが、返事をしない。

 たまたま、傍にガイトがいた。

 車の運転ができないウェラやリファのために自ら運び役と運転手を買って出たのである。最近はすっかり体調も回復し、この親父らしい活きの良さを取り戻していた。

 弱っているウェラをじっと横目で眺めていたが

「……なぁ、嬢ちゃん」

 この親父は、隊の女性陣を皆「嬢ちゃん」と呼ぶ。

 誰を呼んでいるのかわからない、と遠慮のないティアが抗議しても「嬢ちゃんは嬢ちゃんだ。ハハハ」と笑い飛ばしただけであった。

 彼はベッドの縁によっこらしょ、と腰掛け

「ここに居ても、何もできんぜ?」

「……」

「しっかりメシ食ってよ、寝て、元気でいればこそ何でもできる。こんなくさい病院の片隅で震えていたところで、何もいいこたないじゃないか。なぁ?」

 腕組みをしながらぐいっと首を上に向けた。

「俺もさ、しばらく寝たきりになっちまって、もうダメだと思ったこともあるよ。A地区のボロ家にナナと二人でいた頃な。……だけど」リファを見て「サイの野郎だの隊長さんだの、みんなのお陰で良くなって、俺ぁ嬉しかったね。一つ頑張ってやろうかと思って、借金してる会社の社長んところに出かけていったんだわ。全然返せる当てもないんだけど」

「……」

「俺が行ったら向こうさん、ビビってたぜ。てっきり死んだと思ってましたなんて、失礼な事言いやがってよぉ。この通り生きてらぁって、言ってやったんだ」

「まぁ。社長が死んだなんて、そんな簡単に死ぬ訳ないじゃないですか」

 ウェラから遠慮のない茶々が入った。

「おおよ。俺ぁ借金返すまでは死なねェって、言ってやったんだ。そうしたら向こうさんも、わかりましたよって、納得してくれたさ。……そういうもんだぜ?」

 ずっと現場にいただけあって、口は相当に悪い。が、それをかませるだけ元気になったのである。つい数ヶ月前まで寝たきりだったというのが嘘のようにも思われる。

 何がそういうものなのか、よくわからない話である。

 が、ベラベラと大声で自らの哲学を語る姿は、彼自身が乗り越えた何事かを象徴していた。

「そういうことだって。よくわからないよねぇ、リファちゃん」

 ウェラが笑いながら促すと、リファはゆっくりと彼女の方を向き

「……着替えます」

 と、小さな声で言った。

 ガイトの言う意味が伝わったものらしい。

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