復讐編12 スティーレインの闇(後編)
世表からは身を引いたヴォルデだったが、裏ではグループ拡充計画に再着手していた。
もはや、汚らわしい権力欲や利害関係をもって彼の行く手を阻む者は何もない。
統廃合に踏み切ったその年度はグループ総体の収入こそ急落したものの、一気に合理化を図ったために却って経営基盤は安定化した。彼を慕う社員達によって結束が従来以上に強固になったことが最も大きな要因であろう。
事件が沈静化してから一年が経った頃、彼の背中を後押しするように、機械産業界において一大革命が起きた。
「有人式大型作業用重機械」すなわちCMDのことだが――の開発にハドレッタ重工が成功し、幾多の稼働試験を経て一号機が製品化され市場に登場した。相前後して国内外の大手重機メーカーが同様の開発に成功、大型作業用ロボット隆盛の時代を迎えた。もっともネックとなっていた「二足歩行制御」がFOP(Follow Operating Program)システムと駆動部伝達機構の発達によって可能となったためで、これについてはスティーレインでも研究が進んでおり、実用化まであと一歩のところへきていた。俄然、ヴォルデは工場にあって多忙な日々を送っていた。先見性に富んだ彼は単なる製品化だけでなく、将来的に作業用途別に機体形状分類化が普及することを予見し、既にその方向性に基づいた開発を指示していた。スティーレイン系メーカーの製品化が一歩出遅れたのは、そのせいでもあった。ただし、CMD市場登場から一年後には下重心安定形状仕様土木作業用重機「GTN−001」を発売し、その作業効率と安定性の良さで一躍土木作業用機販売実績ナンバーワンの座を占めるに至る。このGTNは不安定な足場での作業に最も適しており、安全性が他社機に比較して格段に高いという点で好評を博した。また、ヴォルデならではのアイデア「アフターサポート制度」も充実していたことが、各現場での評価を高める結果につながった。
なお、さらに後日の話として――CMD市場が形成されて二年目にはすでに各社で「完全人型仕様機」実現化に向けたプロジェクトが進行している。そのクライアントたる最大手は国軍、そして警察機構の所管から分化されつつある特殊重機治安部隊――のちの治安維持機構――であるがゆえ、各社ともその納入指定業者の枠をめぐって熾烈な開発競争を演じることになる。結局は歩行時における機体重心瞬時平準化と諸動作時のバランス維持が最大の難関となり、完全な実現化までには相当な日数を必要としたのだが、それでも初期試作型機としてはかなり水準の高い機体を完成させて注目を浴びたのはスティーレイン・グループのスティケリア重工業製重機であった。制式採用とはならなかったものの、実戦訓練用機として国軍に八十六機、治安部隊に三十機が納品され、これによってCMD業界におけるスティーレインの地位は確立した。早々から完全人型機の出現を想定して研究にあたらせていた、ヴォルデの功績であるといっていい。
――時間は少し戻り、スティーレイン事件から三年後のこと。
十一歳になったセレアはジュニア・アカデミーを卒業した。
本来の卒業年齢は十二歳だが、特に成績が優秀な生徒は卒業年限が前倒しされるのである。
ヴォルデにその旨を報告すると、彼は自分のことのように喜んだ。親族ながらも彼の敵に回った人間ばかりがいた中で唯一、どこまでも慕ってくれたのは孫娘のセレアだけである。その彼女の成長が、ヴォルデにとっては何よりも嬉しかった。
電話向こうで喜んでいる彼に、セレアはどうしても相談したいことがあった。
「あのですね、お爺様。一つだけ、お願いがあるのです」
「何だね? 何でも、言ってごらん。力になってあげよう」
「そろそろ……お爺様のお傍に戻ってはいけませんか?」
帰国したい、という願いである。
思えば、彼女を海外へ預けてから六年という年月が過ぎた。この間、ヴォルデとスティーレイン・グループは苦難の時期であったが、辛うじてセレアだけは巻き込まずに済んだ。済んだものの――彼女にしてみれば、どれだけ寂しい思いをしたことであろう。早くに両親からは棄てられたような状態になり、唯一心の支えである祖父からも離れて暮らさねばならなかった。ジュニア・アカデミーを規定年数より早く卒業した背後には、そういった気持ちも働いているのであろう。
未結審だった訴訟関係も、ようやく全て片付こうとしている。
彼女が戻ってきてもまずまず問題ない状態ではあったが、たった一つだけ、ヴォルデには気がかりなことがある。
「セレア、一つだけ、いいかい?」
「はい、何でしょう?」
「フォグドのことだが……どう、思っているかね?」
グループ会社整理・統合を推し進めるあたり、彼は我が息子に左遷同然の処置を下した。そうしなければ、あの荒波を、ナーシャの陰謀を乗り越えることは到底叶わなかったであろう。あの事件の引き金を引いたのはナーシャ以前に彼なのである。
そしてそのフォグドだが――数日前、作業中に不注意で大型機械に巻き込まれて瀕死の重傷を負ってしまったという。意識のない状態が続いており、快癒する望みは残念ながら薄いらしい。その話は、まだセレアの耳には届いていない
もし、彼女がそのことを知ったら――父親としての愛情と記憶はゼロであったとはいえ肉親である以上――ショックを受けてしまうのではないかとヴォルデは危惧していた。
尋ねると、少しばかりセレアは黙っていた。
やがて
「……私の肉親だと思います。でも、私にとってお父様とは……呼びにくいかと。お爺様に対してこういう事を言ってはいけないことはわかっていますが」
「わかった!」
セレアの帰国を承諾したヴォルデ。
諸々の手続き等を経て、彼女は翌年帰国した。
空港で出迎えたヴォルデは、ゲートから姿を現したセレアを一目見た途端、目頭が熱くなるのをどうにも抑えることができなかった。
「……お爺様! ただいま、戻りました」
「おかえり、おかえり、セレア……。こんなにも、立派になって……」
七年ぶりの再会である。
その間何度か、セレアはそれとなく帰国の希望をにおわせはしたものの、結果としてヴォルデの意向を守って海外で暮らし続けた。彼としても、孫娘に会いたい気持ちは強くもっていたが、如何せん周囲を取り巻く状況がそれを許さなかった。彼自身が生命の危険を感じていたこともあるが、もしセレアがあの渦中に戻ってきていたとしたら――アンナのような悲運に見舞われていたかも知れなかった。ナーシャ、それに彼女と共謀関係にあった親族の人間達が、ヴォルデが我が命よりも大切に思っているセレアを何らかの形で狙うという可能性は十分にあったのである。忌むべき話だが、嫉妬に狂っていたナーシャが、我が娘だけは手にかけなかったという保証はどこにもない。むしろ、ヴォルデにダメージを与えるべく積極的に娘を利用したであろうという想像の方が、はるかに現実味が濃い。そうした事情によって、ヴォルデは七年間、一度も孫娘の顔を見ることができなかった。
長い苦難を経て、ともかくもセレアは戻ってきた。
そして念願通り、ヴォルデと、彼に長年仕えている家政婦・ケーナと共に暮らし始めた。このあたり、ナナやガイト、ウェラの関係と似ているかも知れない。
一方で、ヴォルデにとって残念なことに――セレアが帰国して間もなく、フォグドが死去した。
負傷後、可能な限りの手当を受けて一命だけは取り留めたものの、昏睡状態のまま意識が回復することはなかった。やがて衰弱が進んだ末、帰らぬ人となった。
(もう少し、違うやり方があったかも知れないな……。私は一体、フォグドの何を認めてやっていたのだろう……)
病院で遺体と対面したヴォルデの胸中、後悔に似た思いが止めどなく過ぎっていく。
二世として世間の嘲笑を浴びることのないようにとの思いから、時に必要以上の厳しさをもって接してきたが、フォグド自身にとっては重荷以外の何物でもなかった。鬱積した不満から女性問題を引き起こし、ついにはグループを二扮する騒ぎにまで発展してしまった。
彼もまた、アンナやセレアと同様にヴォルデの事業のために犠牲となった一人といえるかもしれない。
呆然と立ち尽くしているその背後で、祖父の沈んだ背中を見つめているセレア。
ふとヴォルデが振り返ると、彼女は一筋、涙を流した。
一筋だけである。
「セレア……」
「お父様も可哀相であったと思います。でも、だからといって、お爺様の責任ではありませんわ。――その人の生き方はみな、その人の責任。誰のせいでもない……」
あとはじっと、思いを馳せるように沈黙を続けたまま。
彼女の優しさに触れた途端、ヴォルデの中で蟠っていた何かがはっきり形となって現れてきた。
――後悔。
彼はセレアと二人きりの病室で号泣した。
後にも先にも、ヴォルデが号泣したのはこの時だけであった。
葬儀、埋葬が済んだその帰路、初めてセレアが質問を発した。
「……お爺様」
「なんだね、セレア?」
「私が海外へ渡ってから一体どのようなことがあったのか、教えていただく訳にはいきませんか……?」
「それは……」
しばらく考えた末、彼は言った。
「もう少し、もう少しだけ、待ってもらえるかい? いつもいつも勝手ばかり押しつけて、本当に申し訳ないけれども……」
セレアはこっくりと頷いた。「……わかりました。では、いつかその時がきたら、お願いします」
十三歳になったセレアは中等教育を受けるためにアカデミーへと通い、三年後にはハイスクールへと進学した。ハイスクールを卒業した後、彼女は経営学の権威であるネガストレイト州立大学への進学を希望し、ヴォルデはこの願いを容れた。進路や将来について彼は何も言わなかったが、どうやらセレアは本気でヴォルデのビジネスを手伝うつもりでいるらしい。その心根が嬉しく、また離れて暮らすことになるのは多少の寂しさもあったが、彼女のためになるならと覚悟を決めた。
難関であるネガストレイト州立大学を主席で卒業したのは、セレア二十歳の時である。
ここでも彼女は卒業年次を一年短縮し、周囲の度肝を抜いた。
ファー・レイメンティルへと戻ってきた彼女に、ヴォルデは初めて尋ねた。
「どうだね、セレア。もし、嫌でないなら、私と共に……スティーレイン・グループでやっていかないか? 当然、セレアの希望を優先してもらって構わないのだが」
セレアはにっこりと笑って
「私はずっと、そのつもりでおりました。お爺様がお許しいただけるのなら」
が、こうも付け加えた。
「ただ、私はあくまでもお手伝いをしたいのです。ですから、その、グループ会社の経営とか管理とか、そういう業務は――」
「わかった、わかったよ、セレア」
ヴォルデは笑い出した。
「では、手伝いをお願いすることにしよう。いずれはセレアも結婚して家庭に入るのだから、とんでもない荷物を持たせてしまう訳にはいかないからね」
三年前、セレアがネガストレイト州立大学に入学した年、ヴォルデが世間に対し謹慎を宣言してから丁度十年が経っていた。彼はようやく謹慎を解いたが、これを待ち構えていたかのように、彼を慕うグループ会社の社員達が連名で嘆願書を提出してきた。「速やかにグループ会長に就任されたい」というもので、その手回しの早さにヴォルデは驚いた。
彼は会長推戴推進派の何名かを呼び
「謹慎明け早々に筆頭を名乗るのは、お騒がせした世間に対して申し訳がない。だから、今しばらくはこれまで通り慎んでおきたい」
と説諭したが、彼の復帰を今や遅しと待っていた社員達は真っ向から反論し
「では、このまま統率者なしにグループ経営を維持しろと仰せなのですか? 時は来たのです。そのように仰ったではありませんか。十年経てば、グループの基盤は強固になる、と。その時節が到来したというのに、なおも一会社の隅で引っ込んでおられようというのは、いかがなものですか?」
それでもヴォルデは固辞しようとしたが
「ですから、社員の総意ということで、嘆願書を提出させていただいたのです。社員全員が望んでいるというのに、就任しないで済むという話にもなりますまい」
そう言ってニヤリと笑ったのは、スティケリア重工業株式会社社長、のちに「スティケリア・アーヴィル重工」社長となるイーファム・ヘッズマンであった。彼は創業当時からの戦友であったが、常にヴォルデを影ひなたから支え続けてきたという努力の男である。この男がいなければ、間違いなく今のヴォルデは存在しなかった。
謹慎以来、イーファム率いるスティケリア重工業に潜り込んで仕事をしてきたヴォルデは、まさか彼がそういう策動に加担しているとは夢にも思わなかった。
ここへきてヴォルデは苦笑し
「やられたな……。君にまでそう言われてしまっては、私の逃げ場はどこにもないではないか……」
こうして彼は社員達から強く背中を押されるようにして、大小十六社からなるスティーレイン・グループの会長に就任した。
ヴォルデ、六十歳。
彼が危惧したような、世間の非難はなかった。むしろ、各メディアはあたかもそれが当然であるかのように報じ、一方では約束通り十年間身を慎みきった彼を褒め称えた。なお、ヴォルデは収益を社会貢献や福祉事業に活用するという理念をもっていたことから「スティーレイン財団」を設立した。
――そういった変革があり、ヴォルデの身辺には業務を補佐する「秘書課」なる部署が置かれている。
セレアはここに所属することとなり、ヴォルデの業務サポートに携わるようになった。
それから二年が経ち。
この年、例の「D−ブレイク事件」が勃発する。
続発する凶悪なテロ事件によって景気は低迷状態にあり、ともすればグループの業績が下降していこうとするのを、ヴォルデやセレアは東奔西走しながら必死に食い止めていた。
事件が沈静化したある日のこと。
スティーレイン財団ビルの一室で二人が業務の打合せをしていると、秘書課の女性が入ってきた。
「会長! 警察機構の方がお見えになっておりまして、お伝えしたい用件があると……」
「警察機構? また、妙な時にやってくるものだな」
「お爺様、それでは私は席を外しますので、ご用がありましたら――」
「いや、構わないよ。どうせ、大した用件でもあるまい。我がグループのどこかがテロの標的になっているとすれば、大事だけどね」
呵々と笑ったヴォルデ。
程なく、警察機構の人間が通されてきた。
メグルという警察機構本庁捜査課の警部である。
「おや、これは珍しい。このような大変なときに、わざわざお越しになるとは……」
「いやいや、私の方こそ、ご多忙の折に申し訳ない。――今日でなくとも良かったのですが、仕事上の用事があって、近くまできたものですから」
ヴォルデと顔見知りの関係らしい、セレアは思った。
応接室で他愛のない世間話が交わされた後、ふとメグルは居住まいを正し
「……今日伺ったのは、他でもありません。以前、会長から提出された捜索願の一件につきまして、今さらではありますが判明した事実がありまして――それをお伝えに上がった訳です」
「ほう、それはまた。……して、どのような?」
捜索願?
セレアは不思議に思ったが、それは何かとも訊かず、黙って耳を傾けている。
「あの行方不明のままだった幼い娘さんのことなのですが……実は、生存していたのです」
ガシャンッ
ヴォルデの手からコーヒーカップが滑り落ち、床に四散していた。
「い、生きていた!? それは、一体――」
明らかに、度を失っている。
そういう祖父の姿を見るのは初めてのことであった。
「実はですね……」メグルは上体を乗り出した。「先日D地区で発生したテロ組織ジャック・フェイン根拠地潰滅作戦が終結してから、警察機構で内部の捜索を行ったのですよ。そうしたら、若干ですが生存者を発見し、これを保護しました。生存者のうち、一名だけ若い女性がおりまして、彼女の身元を調べたところ……どうやら、十四年前に行方がわからなくなった娘さんらしいということがわかったのですよ」
「ど、どうして彼女が、テロ組織の根拠地などに!?」
「生存していたジャック・フェインメンバーからの事情聴取で、その理由がわかりました。――いやはや、こういうことがあるものかと、我々としても驚きなのですが」
犯罪代行グループによって母・アンナから引き剥がされた幼い彼女は、人目に付かないV地区の僻地に棄てられた。が、経済的貧困層の者達が住むエリアに近かったこともあり、たまたま近くで遊んでいた浮浪児のグループによって発見されたのであった。無事発見されたとはいえ、ほとんど社会からは隔絶した地域であり、浮浪児グループの子供達は孤児ばかりである。ゆえに、警察機構に届け出されることはなかった。
しかしながら、どういう弾みか浮浪児グループは皆で彼女を保護し、しばらくは一団の中にあって行動を共にしながら幼少時代を送る。大きくなるにつれ、各地区をあちこち転々としたようだが、行く先々で常に保護者が現れ、どうにか食いつなぐことができたようであった。生まれつきといっていいものか、強運の持ち主であったらしい。
彼女が十五歳の頃、傷を負って命からがら逃れてきたジャック・フェインの中心者、ウィグ・ベーズマンと出会った。
家とも呼べない住処へと彼を運び込んだ彼女は、介抱に努めた。
やがて回復したウィグは彼女の優しさ、天衣無縫さに惹かれ、共に来ないかと誘ったのであった。彼女もまた男らしくさっぱりとしたウィグに好意をもち、承諾した。
時を置かずして二人は深い仲となり、そのうち彼女はウィグの子を授かった。ウィグの愛情に包まれて明るくなった彼女は、大幹部の妻として組織員達からもよく慕われていた。
が、幸せもつかの間、D地区の拠点を警察機構と国軍諜報部に突き止められ、間もなく根拠地潰滅作戦が発動された。
包囲されながらも激しく抵抗を続けていたウィグらに対し、国軍は組織員全員の身柄の保証を条件に投降を喚起した。ウィグらがそれを受け入れて攻撃中止となる直前、治安維持機構部隊の突然の乱入によって事態は大混乱、不意討ちを受けたジャック・フェイン組織員達は次々と斃れ、ウィグもまた重傷を負った。
ジャック・フェインの生存メンバーいわく、ウィグ自身は部下の強い要請によりやむなく包囲を破って現場から脱出、国外へと逃れ去ったらしい。身重だった彼女は独り根拠地に取り残された。そして、爆発の煽りを受けて意識を失い、倒れていたところを警察機構によって保護された。
「――と、こういう事情らしいのですよ。会長がずっと彼女の安否を気にされていらっしゃったことを思い出しまして、ここは一つ、お伝えせねばならないと思いましてな」
「そうか……。あの子が、リリアが、生きていてくれたのか……」
メグルが辞去してからしばらく、ヴォルデは独り会長室に籠もりきりだった。
夜も遅くなってから、心配になって様子を見に行ったセレア。
「お爺様……? 夕食の時間も過ぎていますけれども、何か召し上がった方が……」
そう声をかけると、ヴォルデはゆっくりとこちらを振り向いた。
彼女の問いかけには答えず
「セレア……全て、話そう。とうとう、その時がきたようだ――」
「リファとセレアさんが、姉妹……!?」
「ええ……。腹違いですが、確かにあの子は私の妹です」
「……」
これにはショーコも面食らった。
リファとセレア、あるいはヴォルデとの間に何か特別な事情があるのではないかと前々から思ってはいたが、まさか姉妹であるとは夢にも思わなかった。
そこからのセレアの話は複雑ではない。
直接テロ行為に加担していなかったため、警察機構に拘束されることはなかったものの、テロ組織に所属していた上に身寄りのないリリア。
ヴォルデは彼女の身柄引受人になるべく、セレアに相談した。
さすがに躊躇ったが、元はといえばリリア自身に何の罪もない。
考えた末、セレアは賛同する旨をヴォルデに伝えた。
「そうかそうか……。本当に、すまないな、セレア」
「いえ。彼女にもお爺様にも、何の罪もありませんもの。――それより、このまま路頭に迷うようなことになってはいけません。せめて、彼女が普通に暮らしていけるように、私達が手を差し伸べてあげられるのであれば、これ以上のことはないと思います」
そうしてヴォルデは警察機構へと赴き、リリアの身柄引受人になると申し出た。
警察機構としては、特に異存ない。
問題は、リリアがそれを受け入れるかどうかにあった。
何しろ、彼女は愛するウィグを喪った――警察機構側ではウィグが国外へ逃れ去ったものとみていたが、その事実はリリアには伝えられなかった――ために、大きな精神的ショックを受けてしまっており、つい先日死産していた。
何もかも喪った彼女は呆けたようになり、警察機構付属病院のベッドの上でぼんやりとしたまま日を消している。産後の身ゆえ病院にいられるものの、やがては出て行かざるを得ない。
初対面の際、セレアの驚きは大きかった。
こんなにも美しい娘が――余りにも過酷で数奇な運命を歩んできたのかと思うと、心が切に痛んだ。しかも彼女は、自分の妹なのである。セレアは、何があっても彼女を守ろうと決心した。
やはり、最初のうちは反応を示さなかった。
全てを過去の一時点に置き忘れてきたかのようで、その相には表情の欠片すらない。
が、セレアは二、三日に一度、根気よく通い続けた。
病室を訪問するものの、特に話しかけたりはしなかった。生けてある花を取り替えたり、殺風景な病院の白いカーテンをパステルカラーのものと交換したり、身の回りの世話だけをして帰って行く。
相変わらずリリアはぼんやりし続けていたが、こうも彼女が訪れてくることが気になり始めたらしく
「どうして……来るんですか?」
ある日、やっと口を開いてくれた。
「あなたのことが、心配なのですよ」
多くを言わず、それだけを言った。リリアは虚ろな瞳でじっとセレアを見つめていた。
二週間が経った頃、回復を理由に病院側から退去を要請された。
そこでセレアはヴォルデと相談し、スティーア総合病院へリリアの身を移すことにした。当時、経営難に陥った私立病院をスティーレイン・グループが買い取って傘下に入れていた。
「病院、変わりますからね。……次のところは、ここよりも綺麗ですよ?」
ふわっと微笑んだ彼女をじっと見つめていたリリア。
やがて、小さく頷いて見せた。
スティーア総合病院へ移っても、最初リリアの様子に大きな変化は見られなかった。
G地区にあるこの病院は、警察機構付属病院よりも立地の便がいい。これ幸いと、セレアは毎日通うようになった。
するとある日
「……あなたは、どなたですか?」
リリアが尋ねてきた。
「私ですか? 私はセレアと申します。よろしくお願いしますね?」
幼少の頃から寂しい思いをして育ってきたセレアは、どこか人懐こいところがある。それに基本的におっとりとしているから、対面する人間は大抵彼女に心を許してしまう。
それからである。
少しずつ、リリアが口を開くようになった。
「あたしは……テロ組織にいました」
「この部屋は、とっても綺麗……」
セレアは自分からあれこれと喋らない。はいはいと、とにかく聞き役に徹している。
時々、リリアは辛いことを口にするようになった。
「ウィグは、もう……いないのでしょうか?」
「お母さんになれると思ったのに……」
そのあと、決まってリリアは涙をこぼすのである。
そういう時は、落ち着くまでずっと傍にいるセレア。
彼女は確信していた。
(今まで表情がなかったのに、涙を流すようになった。感情が戻ってきたのね……)
そう思ったら、無性に泣けてきた。
一緒になって泣いているとリリアは泣きやみ、困ったような顔で眺めている。
「泣かないでください……」
彼女が初めて見せたそんな気遣いが無性に嬉しく、さらにおいおいと泣いてしまった。
止まらない。というよりもなぜか、止められなかった。
いよいよおろおろしているリリア。
あんまり困らせてはいけないと気がついたセレア。やっと泣きやむと、涙を拭いながら
「ごめんなさいね。リリアさんの気持ちが嬉しくて、つい……」
「……うん」
心のどこかでつながることができたように思えた。
以来、リリアは次第に表情を取り戻していった。
本来の彼女は天真爛漫、無邪気といった表現が似合う娘で、毎日セレアが現れるとにこにこしながら色んな話をするようになった。やがて、頃合いをみたセレアはヴォルデを伴って訪れてみた。
「初めまして、リリアさん。ヴォルデ・スティーレインと申します」
いきなり身なりの立派な紳士が現れ、リリアは目を丸くした。
体調のことなど二、三の話をしたあと、ヴォルデは辞儀をあらため「今までずっと、あなたのことを探していました。もっと早くお会いすることが出来れば良かったものを――本当に、申し訳なかった」
「はい……?」
彼は静かに語った。
自分と血縁関係にあること、保護しようとしていた矢先事件に巻き込まれてそれが叶わず、今日に至ったこと――。
正直なところ、この話をすることにセレアは抵抗がなくもなかった。
折角立ち直りかけているリリアの心を、再び深く傷つけてしまうのではないかと思った。
が、ヴォルデの決心は固く
「今しかないのだよ、セレア。タイミングを誤れば、再びリリアを苦しみのどん底に突き落としてしまうことになる。もし、リリアが私を殺したいというのなら、その時は――止めてはならないよ」
あらかたを語り終えた彼は
「今さら、虫のいい事を言うと思われるかも知れません。私とて、過去に戻れるものなら、全ての悲しい出来事を何もかもリセットしてしまいたいが、残念ながらそれは不可能だ。だから、前を、未来を向いて自分ができることをするしかないのです。――これから先、私の全力を挙げてあなたを守らせていただきたい。もし、そうさせていただけるのであれば、これ以上のことはないと思っています」
深々と頭を垂れた。
セレアも重ねて
「私からも、どうか、お願いいたします。――もし、許せないと思うのでしたら、遠慮は要りませんから」ヴォルデが護身用に持っている短銃を差し出した。「――私もお爺様も、覚悟は出来ています」
突然のことに、ベッドの上で固まっているリリア。
ヴォルデもセレアも、彼女がどういう反応をするか、全く予想ができないでいる。
もしかすると――という事態もありうると考え、実は二人とも遺書を残してきていた。
だが。
「……やめてくださいよぉ」
リリアは怯えたような表情で「あたし、病院から追い出されて一人になったらどうしようって、すごく怖かったんです。でも、セレアさんが優しくしてくれて、一緒に泣いてくれたりして、それで、それで……」
みるみる涙を浮かべた。「だから、死んでもいいとか、そういう怖いことを言わないでください。今、一人にされたら、あたしだって……死ぬしかないんです……」
この瞬間、ヴォルデが背負い続けていた過去の何事かは消滅し――一切が将来に向かって転換された。
リリアの言葉が、何よりもその一事を物語っていた――。
全てを語り終えたセレア。
視線を落とし、身じろぎもしない。
「そういうことでしたか……」
いつになく、表情が引き締まっているショーコ。
すでに胸中、方向性は固まっている。
そこまで話してくれたからには、これ以上要求する何物もない。
厳しい環境下で生きてきたのは、自分やサイ達だけではなかった。
そういう共有の痛みのようなものが胸の奥で強く大きく響けばこそ、彼女はこれから先、自分がすべきことを思った。
何としても――リファを皆で支えてやらねばならない。
それが、ヴォルデやセレアを支えることにもつながっていくに違いない。
「……わかりました、十分に」
そうショーコが発すると、はっとセレアが目を上げた。
密かに決意を新たにしつつ、
「確かに今、隊は非常にきつい時期にきています。リファのことだけじゃなくユイちゃんの一件もある。――ですが、ここで挫けてもいけないし、かといって成り行きに流されてもいられないと思います。あたしは副隊長として、サラと一緒に出来る限りのことはしていきます。多分、サイ君やナナちゃん達も同じ考えだと思いますよ?」
「ショーコさん……」
「この先、どういう事態が待っているのか、それはわからない。でも、何とか、リファがまたあたし達と一緒にやっていけるように、最善を尽くしてみようと思っています。よろしいでしょうか?」
容儀を正し、きっぱりと言い切ったショーコ。
「ありがとう。私は、とっても良い隊員達に恵まれました」
ショーコの強い決意が嬉しかったのか、セレアは俯き、そっと目頭を拭った。
「お話をいただいて、ありがとうございました。ここから先はあたしとサラとで、どうにかします。どうか、お任せください」
「はい。よろしくお願いしますね」
ふと時計を見ると、入室してからかれこれ三十分以上経過している。これ以上長居すればセレアの業務に支障をきたしてしまう。ショーコはそろそろ退室すべきことを思った。
礼をして立ち去りかけたが、ふと足を停めた。
もう一つだけ、念のために確認しておかねばならない事がある。
「……今回の一件にまつわる諸々の話、遅くならないうちに隊のみんなにきちんと伝えておくべきだと思うのですが――いけませんか?」
このタイミングを逃せば、いずれ良からぬ波紋を生んでしまうでしょう、とショーコは付け加えた。
とはいえ、公にするのが憚られるような際どい内容である。しかもリファ自身のプライベートそのものであるといっていい。
そういった理由で待ったをかけられるのではないかと内心思ったが、
「……ショーコさんがそうせねばならないと感じるのであれば、私はその考えを支持します。もし、隊の間で動揺なり何かよろしくない影響が見られれば、すぐに報せてください。私が引き受けますから」
意外にも、すんなりと賛同してくれた。
女神のようなふわっとした微笑を浮かべている。
いつもの穏やかな彼女に立ち戻ったセレア。その彼女が下した判断であることに深く安堵しつつ、ショーコは敬礼をしてから部屋を後にした。
リファがスティーア総合病院に収容されてから三日経った。
サラやショーコ、セレアが代わる代わる見舞うものの、ベッドに横たわるリファは一向に口を開かない。呆けた表情で、天井を見つめているだけである。快活で美しかった彼女の相貌は、すっかりとやつれてしまっていた。
ある晩、様子を見に行って戻ってきたサラは
「困ったわぁ。あのコ、ろくに物を口にしていないみたいなの。点滴で栄養を摂取させているけど、このままの状態が続けば、生命に関わらないとも限らないって」
くたびれたようにチェアに腰を下した。
「そう……。昨日あたしが行った時も、ドクターにそんな話をされたのよね。まさか死にたいとか思ってはいないだろうけど」
セレアから全てを聞いてきて以来、ショーコは考え続けている。
どうすれば――閉ざされているリファの心を開くことができるのか。
すぐにその答えが出るとも思っていないが、いつまでも考えていられるだけの時間もまたないに違いない。何も出来ないままでいれば、近い将来リファは――復帰出来ないという最悪の状態を迎えてしまうであろう。
チェアに踏ん反り返って天井を眺めながらあれこれ思案していると
「……明日は、あたしが行きます」
彼女の隣のデスクで静かに書類を書いていたナナが口を開いた。
「ナナちゃんが……? 大丈夫?」
多少の驚きと不安が混じった声で尋ねたサラ。
ナナとリファ。
性格がほとんど正反対といってもいいくらいのこの二人は、接点が極めて少ない。正確にいえば、ナナの方が常に「リファと喋っても仕方がない」という空気を漂わせていて、リファが怯えて近づけない、といった感じなのだが――。
サラとしては、二人きりにすればリファも戸惑うだろうしナナにとってもやりにくいのではないかという思いを払拭しきれない。
「……」
首を傾けてナナの方をじっと見ているショーコ。
ナナはナナなりの考えなり思い、そして責任を感じて申し出たのであろう。サイと彼女だけはリファの過去を知っている。
ここはセレアが自分にしてくれたように、自分がナナを信じて任せるという姿勢が大切なのではないか。
「……わかった! んじゃ、頼んだわね?」
ナナは例の人懐こい笑顔で
「……はい」
頷いて見せた。
翌日、ナナは独りスティーア総合病院を訪れた。
リファの病室へ入っていくと、真っ白な空間の片隅、彼女が静かに横たわっている。
身じろぎも瞬きもせず、虚ろな瞳でじっと天井を見つめている。
あの明るさだけが取り柄だった先日までの彼女とは似ても似つかない。精も根も果てたような相貌を見て、異様なものを感じたナナ。
「……」
ベッドの傍らにあった簡易イスにそろそろと腰を下ろした。
調子はどう、とも訊かず、黙っている。
リファもまた、ナナがやってきたことには気が付いているであろうが、見向き一つしない。
一人用の個室ゆえにそれほど広くはない。
会話がないから、リファの小さな息遣いが微かに聞こえるだけである。
続いていく沈黙。
空気が宙で動かない。
と、外では緊急搬送車が到着したらしい。サイレンの音がフィルターを通したように室内に届いている。
「……あたし、会ったことがあるのよ」
澱んだ沈黙を破るように、ナナが口を開いた。「ウィグ、っていう人に」
その一言は、魔法のように効き目があった。
瞬きすらしなかったリファが突然、がばっと状態を起こし
「知っているの!? あの人がいるところ、知っているの!?」
ベッドから落ちそうな程に身を乗り出し、両手でナナの両肩をつかんだ。
肩の骨が砕けんばかりに力がこもっている。
ナナはあらためて、リファの切ない思いのたけを知った。
「知っているなら教えて! お願い! あたし、あたし――」
揺さぶってきた。
その動きの激しさに、左腕に刺さっていた点滴の針が抜けた。
パッと血飛沫が飛び、白いシーツに点々と赤いシミをつくった。
「……落ち着いて、リファさん。落ち着いて、あたしの話を聞いて」
ナナは宥めながら、じっとリファの目を覗きこんだ。
彼女の瞳に宿っている不思議な何かに影響されたかのように、取り乱しかけていたリファは静かになった。
ふと視線を落とした。
リファのほっそりした左腕の傷口から、細々と鮮血が流れている。
空いている左手を上げ、ゆっくりと優しく、その左腕を撫で始めたナナ。
「……ばったりっていうのか、偶然に出会っただけだから、あの人が今どこにいるのかはあたしにもよくわからない。ごめんなさい」
肩にかかっている両手から、一時に力が抜けた。
「もしわかっているなら、隊長やショーコさんがダメって言っても教えてあげたいと思う。――あたしも今、人を好きになっているから、リファさんの気持ちは少しかもしれないけどわかってあげられるつもり」
「そう……」
ウィグの居所がわからないと言われたリファは、力なく俯いてしまった。
そっと見てみると、ぽろぽろと、涙をこぼしている。
「でもね」
再び絶望しかけているリファに、優しく、穏やかに微笑みかけたナナ。
「これだけは言える。――どこかで、彼とは戦わなくちゃならないことになる。その時、サイなら、あの人と語り合うことができる。同じドライバーとして誇りを持っていて、貧しい環境で生きてきて、でも自分を見つめることができる人だから。結果としてどうなるかはわからないけれども」
「……どうして、どうしてそう思うの?」
リファとて、ナナがもつ直感の鋭さを知らぬ訳ではない。
故に、いずれ会う時がくる、とでも言わんばかりの言葉に反応したのであろう。
「ウィグさん、自分はドライバーなんだって、それでサイがドライバーだって気がついて、嬉しそうな顔をしていたもの。CMD乗りには、CMD乗り同士にしかわからないものがあるのよ。これだけは絶対ね。おじいちゃんや職人さん達が昔よく言っていたわ。あたしにもリファさんにも、わからないもの。――恋人なのにわからないって、ちょっと、悔しい気もするけどね」
ナナは可笑しそうに言った。
そこでリファが笑うことはなかったが、それでもナナの言葉に、ちょっとだけ表情を緩めて見せたのだった。
あくる日ナナは、リファが少量ではあるが栄養補給飲料を口にするようになった、という話を耳にした。
「ありがとう、ナナちゃん」
サラが感謝してくれたが、ナナは何も言わなかった。
――その夜のことである。
仮眠室で転がっていたサイは、誰かが入ってくる気配に気がついた。
(リベルさんか……?)
一瞬思ったが、よくよく見てみれば、何とナナであった。
入ってくるなり彼女は、横になっているサイにがばと抱きついてきた。
「ナ、ナナ……?」
「……ずっと、このまま朝までいさせて欲しいの。……お願い」
ぎゅっと胸に顔を埋めてくる。
明らかに様子がおかしい。
訳もわからず抱きとめてやりながら
「どうしたんだよ? 何か、あったのか?」
訊いてやったが、ナナはそれに答えず
「……あたし、どうしていいのかわからない。こんなに不安なこともなくって……せめて、何があっても、サイの傍にだけはいたい。サイだけは、失いたくないの。――だから、お願い。一緒にいさせて」