表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/57

復讐編10 ショーコの決意

 H地区での自爆テロは、ファー・レイメンティル州の市民を三度震撼させた。

 国内外では都市統治機構の対応に注目したが、ファー・レイメンティル州都市統治機構ではテロ組織への無用の刺激を恐れたのか「負傷者への補償と今後のテロ活動への対応に向けて全力をあげる」と短く声明を出したに過ぎない。

 こうした州政府の緩い対応とは反対に、ヴィルフェイト合衆国議会は他州へのテロ活動拡散を抑止すべく次々と指示を発した。手始めにファー・レイメンティル州と各州を繋ぐ高速規格道が完全に封鎖された上、国際線が離着陸するT地区のファー・レイメンティル国際空港も滑走路全面封鎖となった。各地を発着する高速鉄道も当面の間運休が決定され、事実上州は陸の孤島と化した。テロに巻き込まれることを恐れた一部の市民が州外へ避難すべく交通機関ターミナルに殺到したため、駅や空港では封鎖されたその日、終日の混乱を見せた。押し問答する乗客と係員の姿があちこちで散見されたものの、国家機構命令とあっては誰にもなす術はない。結局、諦めて市内へ戻るよりないのであった。

 こうした完全封鎖実施に伴い都市機能は完全に麻痺し、中心部を歩いているのは治安維持機構隊員か国軍兵士くらいなものとなった。それはまた、不審者と見られれば直ちに警察機構職員から職務質問を受けてしまうという状況が拍車をかけていた。とはいえ、治安組織としては神経過敏にならざるを得ない。H地区の自爆テロは、警戒警備の隙間を衝いて実行されているのである。

 が、もっとも深刻な影響を受けたのは経済であったろう。

ファー・レイメンティル州に拠点を置く主な企業の株価は軒並み下落し、物流は停滞、瞬く間に物価が高騰したのは言うまでもない。経済団体により、数日間の州封鎖による経済的損失額は数百億エルに上るという試算がなされた。封鎖が長引けば、当然この額は膨れ上がっていく。業績悪化を懸念した幾つかの企業では早くも収益下方修正、あるいは人員整理といった防衛策を打ち出し始めた。一時的な停滞ならまだしも、先行き不透明とあっては座して好転を待っているという訳にはいかない。

 とはいえ、市民生活にとって何よりの打撃は物価の高騰にあった。この点、ブルーナが危惧した通りであったろう。

 買い出しから帰って来るなり彼女は

「もう、お話しになりませんわ。サラダ菜が一玉千二百エルなんて、あり得ないです。国家統治機構はファー・レイメンティル州民をこぞって餓死させるつもりかしら?」

 誰にともなく文句を言い始めた。

 傍らでたまたま聞いていたリベルは宥めるように

「しゃあねぇなぁ。こればっかりは俺達の手にゃ負えねぇし。かといって、食わなきゃ食わないで仕事もできないし。――ま、会長や指令長さんが何とかしてくれるんじゃないかな」

「だといいんですけど……」

 テロの魔の手は、確実に都市を蝕み始めていた――。



(あたしとしたことが……何を焦っているのよ)

 今日は朝から何度そう思ったことであろう。

 明らかに、度を失っている。

 気持ちを落ち着かせようと機体のメンテを始めたつもりが、配線を違えたりプログラムの打ち間違いばかりしている。回路を構成する電装ブロックのカセットを一つ駄目にしてしまった時、さすがの彼女も呆然とした。各部品の納品も遅れているから、下手をすれば機体を動かすことができなくなってしまう。これは少し落ち着かねばなるまい、とショーコは自分に言い聞かせた。

 サラは朝からスティーア総合病院へと出向いており、警察機構にも出向かねばならないからもうしばらく戻らないであろう。彼女に胸中のこのもやもやを打ち明けたいところだが、そういう時に限ってその相手もない。ショーコは決して他のメンバーにそんな自分を見せたりはしないのだが、サラにだけは時々ぶちまけることがある。

(はぁ……あたしったら、何をそんなに動揺することがあるのよ。リファはリファの過去。あたしがどうこう慌てるような筋合いはないってのに)

 昇降段に腰かけてぼんやりとしていると、近寄ってくる人影がある。

「……ショーコさん、どうかしたんですか?」

 そう声をかけてきたのはナナであった。

「あ、え? いや、何も。今日は割と根詰めて作業してたから、ちょっと疲れたなぁ、って。はは……」

「……」

 そう笑って誤魔化そうとしたが、ナナは表情を消してじっとこちらを見ている。

「あは、は、は……」

 サイがいつも「ナナにはどういうごまかしも通用しないんですよね」と言っていたのを思い出した。上手く言い繕おうとしても、彼女は持前の直感で見抜いてしまうのである。

 ナナはそこから動かない。まるで、カエルを睨んでいる蛇のようである。

「ふぅ……」

 ショーコは観念した。

 仕方なさそうな笑みを浮かべながら

「ナナちゃんには何もかもお見通しね。サイ君が何でもナナちゃんに相談する意味がわかるわ」

 すると、ナナも表情を緩めてふわっと笑い

「あたしの直感に頼るまでもなく、今日のショーコさんは明らかにヘンですよ? サイも心配してました。きっと、昨日H地区に出かけた時の何かが心に引っ掛かっているんだろうなぁって、話していたところなんです」

「ぷっ。やぁね、あたしったら。隠していたつもりが全部、顔に出ていたんじゃないの」

 己の迂闊さに、笑いだしたショーコ。

 きまりが悪くはあったが、ナナが悟ってくれたことで気持ちはさっきよりも幾分軽くなっている。相手を無理やりサラに選ばなくてもよかったなという気がした。

「じゃ、ちょっと外に行きましょう。メンテはあらかた終わっているから、今から急ぐ作業もないと思いますし」

 そう言ってナナは搬入口へ向かって歩き出した。

「……ん」

 よっ、と昇降段から勢いよく飛び降り、後に続いていくショーコ。

 二人はハンガーの裏手へと場所を移した。 

 模擬訓練のためのスペースが目の前に広がっており、だだっ広い地面を夕日が真っ赤に染め上げている。鮮烈なその夕焼けのせいで、少し向こう側の高層建築街のシルエットすらかすんで見えた。

 草むらにどっかと腰を下したショーコ。その隣に寄り添うように、ナナもちょこんと座った。

「……」

 巨大な都市中心部の光景としては似つかわしくない荒れたグラウンドを眺めたまま、ショーコはなかなか口を開かない。ようやく、

「あのね、あたしの大切な弟と妹だから、話しておこうと思うんだけど……」

 とまで言いかけたが、そこでまた口をつぐんでしまった。

 どういう表現をしていいのか、わからない。

 ああいう人間関係と、それに動揺している自分の気持ちをどうやって適切に伝えればよいのであろう? 打ち明けようとは思ったものの、半ば途方に暮れる思いがせぬでもなかった。

 ナナは急かすようなこともなく、ただじっとショーコの顔を見つめている。

「……ショーコさん、本当は気持ちの整理がつかないんでしょ? じゃ、あたし達もショーコさんに伝えることがあるから、話したげる。そうすれば、お互いに話しやすいでしょ?」

 にこと微笑んだ。

 普段は無愛想なこの娘が時々見せる屈託なげな笑顔を、ショーコは愛している。

「は……」

 思わぬ彼女の機転に驚いて呆気にとられたような顔でいると、ナナはちょっと首を傾げて

「その前に、サイも呼んでいい? あたしじゃなくって、サイが遭遇した話だから、ここにいた方がいいの。ショーコさんが困るっていうんなら、強いて呼ばないけれども……」

「いや……」

 一瞬逡巡したものの、すぐに首を横に振った。

「――サイ君も一緒にいてもらいましょ。いずれは、話さなくちゃならない時がくるんだから、今のうちに話しておいた方がいいと思うのよ」

 ほどなく、ナナに呼ばれてサイがやってきた。

「何すか、ショーコさん?」

「うん、あのね……」

 やはり、話してしまうことに多少の抵抗を覚えぬでもない。

 重すぎるリファの過去をこうもあっさり喋ってしまってよいものか、という気がする。

 が、ショーコはすぐに決断していた。

 今目の前にいるこの弟と妹を、彼女は誰よりも信頼している。入隊以来ずっとショーコやサラを助け、期待に応えてきてくれた二人である。

「あのね、本当は誰にも言うべきじゃない話かも知れない。……だけど、これは今後の隊の在り方に関わることでもあるし、何といっても――」代わる代わる二人の顔を見た。「あたしが大好きなサイ君とナナちゃんだから、隠さないで伝えておきたいのよ。いいかしら?」

 眼差しが姉のように優しくなっている。

 すでに重大な何事かに勘付いているナナはすぐにこっくりと頷いたが、サイはちらとナナの方を見た。

 躊躇っているようなその様子を見てショーコは

「……サイ君は、困る?」

 尋ねてみると

「あ? え、いや……」

 人差し指で頬を掻いている。「じゃないんです。俺ってほら、ナナがいる時は何でもナナに従うクセがついちゃっているんですよね。だから、どうかなぁって……はは」

 隣で仕方がなさそうに笑っているナナ。

「そういうことですから、話しても大丈夫ですよ、ショーコさん。優柔不断なところはあるけど、サイはむやみやたらと大事なことを他人に喋ったりはしないわ」

 夕日に照らされたその横顔には確信の色がにじみ出ていて、彼への信頼そのものを表しているように見てとれた。

 ショーコも可笑しそうにしながら頷き

「男の子って、こういう時ははっきりできないのよねぇ。――ま、いいわ。じゃ、聞いてもらうわね。あたしにしても、これは聞いた話でしかないんだけども」

 そう前置きをしてから、ショーコは話し始めた。

 昨夜、スティーア総合病院でディットから聞いた例の話である。

 サイもナナも身じろぎ一つせず、固唾を呑んで耳を傾けている。

「――と、今回の一件にはそういう事情が絡んでいるらしいのよ。信じられない気持ちになるかも知れないけど、警察機構側に記録が残っている話だから今のあたし達には否定のしようがない。話が話だからあたしもちょっと動揺しちゃって、DX−2の回路構成カセットを一個ダメにしちゃったんだけど」

 聞き終わってからしばらく、二人は固まっていた。

「あー……」

「……」

 思いもかけない話に、言葉を失ったようであった。

 ようやく、サイがばりばりと頭を掻きながら

「あ、あの……、もう一回、いいでしょうか?」

 やはり事柄が突飛すぎて、頭の中を自動的にスルーしてしまったらしい。

 と、ナナが肘でサイを軽く小突き

「サイったら、そんなことを。――いい? リファさんは昔、あのウィグってテロリストの恋人で、妊娠までしていたのよ。でも、四年前の事件があって彼がもう死んだものと思っていたの。だけど、今回彼が生きていることがわかったものだから、気持ちがすっかり揺れ動いちゃっているのよ。それで会いたいばっかりに昨日だってあんな無茶をした。そういうことでしょ?」

 事実関係を一つ一つ拾っていくと複雑だが、要約するとナナの言う通りになる。さすがに彼女は飲み込みが早い。ショーコはそうだ、というように頷いてやった。

 やっと話がわかって、みるみる驚きの顔になったサイ。

「そういうことだったんですか。どうりで、この厳重なセキュリティ乗り越えてまでやってくる訳だ」

 独り言のようにぼそりと呟いたが、それを聞いて今度はショーコが驚く番だった。

「やってきた!? あのウィグが? それって、やっぱり……」

「ごめんなさい。実は、あの侵入者騒ぎの件は――」

 ナナが簡潔に説明した。

 いち早く飛び出して行ったサイが宿舎棟の前で侵入してきたウィグに遭遇し、リファの嘆願を聞き入れて逃がしてやったこと。そしてそれよりも前、A地区へ出張した折に偶然ウィグと出会っていたこと――。

「ごめんなさい。本当は、報告しなくちゃいけなかった。でも、あのウィグって人とリファさんのこと、誰にも話しちゃいけないような気がして……。だから、あたしがサイに――」

 ナナは繰り返し詫びの言葉を述べたが

「いや」首を横に振ったサイ。「俺です。ナナじゃない。そもそも、拳銃だって携帯していたんだから、あの時捕まえようと思えば捕まえられたんですよ。でも、できなかった。だから、元の元は俺のせいなんです」 

 ナナを本気で庇おうとしているらしく、その語調はいつになく強かった。

 ちょっと驚いたように、しかしすぐ悲しそうな目になって、ナナはサイを見つめている。

「そうだったの。そういうことか……。これでディット君の話が繋がったわ」

 ショーコは表情を消してサイとナナを見た。

 二人は静かに俯いている。叱責が飛んでくるものと、思ったかどうか。

 が、ショーコにしてみれば逃がした云々はどうでもよい。

 むしろ、もしその場にいたのが自分であってもそうしただろうと思う。

 そんなことよりも

「……もう少し、もう少し、早く教えてくれれば、あのコをああまで苦しませないで済んだかも――」

 とまで言いかけて、ショーコはぶんぶんと首を横に強く振った。

「違うわ、違うのよ。知ったところで、あたし達にはどうすることもできなかったのよ。辛い思いを必死に心の奥底に封じ込めていたのに、あの男は性懲りもなく舞い戻ってきて、よりによってリファの目の前に現れた。リファにしたらたまらないわよね。それがあたしだったとしても、もし同じ状況におかれたら……やっぱり、そういうことになると思うわ」

 ほとんど独り言のようにして、思った通りを口に出しているショーコ。

 サイとナナは、黙ってショーコの頭と心の整理を聞いている。

 二人もまた、一時はそれぞれ違う境遇に引き離されそうになった。

 が、サイはあくまでもナナと一緒にいることを望み、嘘をつき無茶を押し通してまで、強引に成しとげてしまった。今にして思えば、サイはStar-lineから追放されても構わないだけの気持ちでいた。それ程までに強烈な意志をもって、ナナの傍へ行こうとした。このあたりは、ウィグが忍び込んできたその気持ちの在り様と遠くはないであろう。

 ただ、これは必ずしも同じ条件として考えられることではないのかも知れないが――サイはといえば、彼女にありったけの想いを伝えたあの日、それが最後のタイミングであることを十分に承知していた。もし、全てを振り棄てる覚悟で「俺と一緒に来てくれ」と言えなかったら、恐らく今の二人はなかったに違いない。それぞれが背負っている生き様に流されたまま、結ばれることなく終わってしまっていた筈であった。

 そういう彼らと比較するのは余りにも残酷なようだが、ウィグという男は四年前、逃げなければならない立場であったとはいえ、リファを置いて自ら離れていってしまっている。それを今さら、と、話を聞く限りにおいてサイもナナも思わずにはいられないのである。ウィグが何のために海外へ逃れ去ったのか理由はわからないが、それは彼自身の立場に依るものであって、そういうものを優先してしまっては結ばれる縁も結ばれなくなってしまう。

 もっとも――男というのはいざという時になると、多分にそうなってしまうのかも知れないが。

 やがてショーコは、自身の葛藤に断を下すように

「でも、知り合った経緯がどうであれ、四年前にウィグとリファが愛し合っていたことは疑うべくもないのよね。そして今も、その感情に変わりはない。そうでなかったら、四年も経っているというのにリファが体調をおかしくする筈もないし、ウィグが忍び込んできたりしないと思うの」

 そしてこうも言った。

「――どんなことをしたって、好きな人の傍へ行きたいよね。生きていてくれてるんだって、今も自分のことを想っていてくれてるんだって、わかったなら」

 脳裏に、悲しみに打ちひしがれているリファのイメージがある。

「……あたしも、そう思います。今はこうやってサイが近くにいてくれるからいいけど、どこにいるかもわからないような状況になったら、絶対に耐えられない。きっと、昨日のリファさんにみたいに、ふらふらになって倒れるまで探して歩くわ」

 そう言ってナナはちらりとサイを見たが、意外にも彼は照れたようにはしていなかった。

 見つめ返してきたその穏やかな眼差しは「俺もそうだ」と、口には出さねど言っているように、ナナには受け取れた。

 ただ、彼はぽつりと

「テロリストを愛してしまうくらいだから、きっとリファさん……それ以前はきっと生きていくことすら大変だったんでしょうね」

 生きていくためなら誰でも愛してしまうのか、という意味ではない。

 生きていくことが容易でない状況下で誰かを愛するということがどれだけ大変なことなのか、と彼は暗に言っている。それは、条件こそ違えどサイとナナがそうであったからこそ、そのように思ってやることができるのである。

「ディット君もそこまでは調べられていないからわからないけど、多分、ね」

 これは容易ならない事態なのだと、サイはあらためて感じている。

 あまり想像してみても仕方がないのだが――もしかすると、この事態の結末次第によっては、リファは再起出来ない状態になるのでは――ふと、そんなことを思ったりした。

(そっか……)

 ショーコはショーコで内心、考えを巡らせている。

 どのみち、いつかはこの話が表に出てきてしまうであろう。すでに警察機構内部では公式な記録にまでなっているというのに、Star-lineのメンバーだけが何ひとつ知らされないままでいる。事柄が事柄だけに、ユイや他の面々がこれを知った場合、その波紋と動揺は相当大きなものになることは火を見るよりも明らかである。

 そうなった場合、最終的に事態の収拾に苦労するのは――リファをこの隊へ連れてきた、かつ彼女の過去を知っているかの人であることは間違いない。

 正直、他人の過去をどうこうとつつくのは自分の性に適わないと思っているし、そもそも嫌いである。大切なことは自分や周囲の人間の現在とこれからの在り方であって、過ぎた過去などは参考程度の重みしか持たぬものだと(ショーコ自身は)思っている。

 が、今のこの事態は別であろう。

 下手に放置しておいたならば、Star-lineの今後を良くない意味で左右してしまうに違いない。

 もしかすると――この事態の行く末に、ジャック・フェインと戦わねばならないという運命が待ち受けていないとも限らないのである。

 そこまで考えが至った時、ショーコはとある決意を固めていた。

(やっぱり、いつまでも知らぬ存ぜぬでは通らないわよね。隠し事が多ければ多いほど、組織にとっては寿命を縮めていく結果につながりかねないし)

 ただ、それを今、この二人にぶちまけたところで困らせてしまうだけだから、

「……ともかくも、今回のテロ事件とかウィグって人やリファがどうなっていくのか、正直今は想像もつかないし、あるいはもっともっと大変なことになっちゃって、その分あたし達がどうにかしなくちゃならないことも多くなるかも知れない。だから、事柄にもよるけど、色んなことを溜めないで隠さないで分かち合っていくことが大切だと思うの。――今日の今日は、あたしが二人に聞いてもらっちゃったけどさ」

 この場については、そうまとめることにした。

「わかりました」

 それぞれに頷いて見せたサイとナナ。特に屈託がない。

「さ、そろそろ今日の作業は切り上げましょ。何が起こるかわからないから、せめて体力だけは温存しておかなくちゃ。――そうそう。当分の間、スティケリア重工から何人か応援の人数を寄越してくれるみたいよ。だからこれからはメンテがちょっとだけ、楽になるからね」

「こういう状況じゃ、向こうさんも仕事にならないでしょうからねぇ」

 夕日の残光は間もなく、ビルの谷間に消えていこうとしていた。

 昨晩の衝撃以来ようやく、ショーコは自分の中に平静さを取り戻せたような気がした。



「――はい、はい、ええ……わかりました。私もお爺様と、正午にまた伺います。本当に、申し訳ありません。どうか、よろしくお願いいたします」

 受話器を置くと、ふぅっと息をついたセレア。

 多少物憂い気だるさがあるものの、大きな窓から降り注いでくる朝の太陽の光を浴びていると、少しは癒されていくような気がしなくもない。

 続発するテロ事件に関連したグループ会社への対応に追われ疲労しきっているところへ舞い込んだ、H地区でのリファの一件。

 一瞬気が遠くなりかけたが、その後サラやショーコが黙々と対応にあたってくれているのに加え、あのウェラが病院での付き添いやら雑用諸々を引き受けてくれているという。

「だってね、あのコってばあたしの娘みたいな歳でしょう? そのコが苦しい思いしているのかと思うと、居ても立ってもいられなくてねぇ。我慢できないのよ」

 入院しているリファの状態について電話で報告をくれた彼女は、礼を述べたセレアにそんなことを言った。困っている人間を見れば、どうにも放っておけなくなる性分なのだと言って可笑しそうに笑っていたのが、セレアにとっては強く印象に残っている。ナナの祖父・ガイトも今でこそすっかり回復したが、彼が健康を害していた折、一被雇用者の関係に過ぎなかった彼女がとことん身の回りの世話をしたということも、セレアはショーコあたりから聞いた覚えがある。

 そういう人情の篤さというものは、生まれも育ちも立場も関係がないらしい。

 これまでできるだけ人助けとなるような行動を心がけてきたものの、自分というものを置き忘れてまで献身的に動いているウェラの姿を見ていれば、何もかも霞んでしまうような気がする。

(何の打算もなく尽くしてくれているウェラさんに比べれば、私などは……)

 しかし、セレアにはセレアの果たさねばならない立場と責任があるから、今はただ、全力で協力してくれている彼女にひたすら頭を下げるよりない。

「さて……。お昼には一度、ウェラさんをご自宅へ戻して差し上げないと」

 昨晩からスティーア総合病院に詰めっきりだと聞いている。

 明日にはまた何かと依頼しなければならないだろうから、せめて今日は早いうちに休息をとらせてやりたいとセレアは考えていた。

 スケジュールでは、正午過ぎにヴォルデと共に病院に向かう事になっている。

 が――彼女のデスクの上では、書類が山脈を成している。

 日を追うに従い、この山脈の標高は高くなる一方であった。全て、テロ騒ぎで当面の経営に不安を抱いたグループ会社からの要請なり悲鳴なり報告ものばかりである。寝食を惜しんで対応を急いでいるつもりだが、よほど焦っている系列会社からは「いつになったら判断をくれるのか」といった苦情めいた電話も増加しつつあり、彼女の下で作業している秘書課の女性社員達は電話が鳴るのを恐れるようにすらなっていた。

 疲労は貯まっていく一方だが、こういう時だからこそ自分がしっかりせねば、と思う。

 彼女が事実上の総責任者に任命されているStar-lineにも、ろくに顔出しすらしてやれていない。ここで気を抜いてしまっては、毎日愚痴も(秘かにぶちまけてはいるだろうが)言わずにハード過ぎるD2NC勤務体制をずっと継続してくれている隊員達に申し訳が立たない。

「……よっし! 負けていられませんわ!」

 午前中のうちに、この半分だけでも何とか片付けてしまおう。

 自分で自分に気合をかけていると

『セレアさん、受付に面会を希望する方がお見えです』

 電話機の内線ランプが点滅し、受付嬢の声が届いた。

「あ、はい。どちら様でしたか?」

『Star-lineのショーコ・サク副隊長です』

 ちょっと驚いた表情をしたセレア。

 ショーコが自分からこちらへ出向いてくるようなことは今までなかったからである。普段そういう必要ができたとしても、大体サラに任せてしまうのが彼女の常であった。根本的に、気を遣ったり堅苦しくなることが大嫌いな性格であるということは、セレアもとっくの昔から承知している。

「わ、わかりました。こちらへお通ししてください」

 今からしなければならないことが山積みだが、会わない訳にはいかない。セレア自身ここのところ、ろくにStar-line本部舎へ顔を出せていないということもある。この機会に、彼女の口から隊の近況を聞いておいたほうがいい。

『かしこまりました』

 ややあってコンコン、とドアがノックされた。

「はい。どうぞお入りください」

 制服姿のショーコが入ってきた。

「……失礼します。アポも入れずに押しかけてきてしまって、申し訳ありません」

「いらっしゃい、ショーコさん。隊の方をお任せにしたきりで、ごめんなさいね」

 微笑してそう声をかけると

「いえ。みんな、よくやってくれていますので」

 そう返答したショーコの表情に、いつもの軽い感じはない。

 セレアが怪訝に思っていると

「お時間を余計にとってしまってはいけませんので、すぐにでもお話をさせていただいてよろしいでしょうか? どうしても、伺っておきたい件があるんです」

 あたかも、一切の余談すら許さないような雰囲気がある。

 こうも真面目な彼女を、セレアは今まで見たことがなかった。ほとんど鬼気迫るものがある。

「は、はい……」

 半ば気圧されそうになったが、努めて笑顔をつくりつつ

「では、そちらの応接の方におかけください。今お茶を煎れていただきますので」

 それすら遠慮したいものがあったが、さすがにそこは我慢したショーコ。

 本革張りの大きな応接ソファに腰掛け、ぐるりと部屋を見回しながら

(そういや、しばらくここにも来ていなかったわね。何にも変わってないみたい)

 インテリアがずっと同じものだという事実をして、セレアの日常の何事かを象徴しているように思われた。

 だからこそ本当は来たくなかったのであるが、そうも言ってられない。

 程なく、セレアがやってきた。

 共に秘書課の女性社員が入ってきて「どうぞ」と、お茶を出してくれた。

「……ありがとうございます」

 ほんのりと甘いようないい香りが鼻腔をついてくる。ショーコはそういうものに一切頓着しない性質だから銘柄なんぞ知らないが、恐らくは高い茶葉を使っているのであろう。

 彼女と正対するように、上品に腰をかけたセレアは

「何か、ありましたか? 実のところ、この大変な時期に本部舎へ出向いて行くことができていなくて、申し訳なく思っていたのです」

 女性社員が出て行くのを見計らい、口を開いた。

「いえ。さっきも申し上げたように、こういう情勢ですから、Star-lineの方はあたしとサラで何とかします。ですから、余り気になさらないようにしていただければ、と」

 軽く受けておいて、ショーコはいきなり本題を切り出した。 

「そんなことよりも、どうしても教えていただきたいことがあるんです。このままにしておけば、いずれ隊の士気に関わってくると思います。ですから、そうなる前にあたしとしては手を打っておきたい。……厳密に言えば、隊員達に隠し事をしたくないんです」

 あたかも追及するかのような姿勢のショーコに、セレアは内心ドキリとせぬでもなかった。

 が、懸命に落ち着いた表情を保ちながら

「隠し事? それは、どういうことでしょうか」

「リファのことです」

 すぱりと言った。

「あのコはセレアさんが自らStar-lineに連れてこられました。今まであっけらかんとしていたあのコが、今回の事件が勃発するや否や、まるっきり生気を失ってしまって、業務に就けないままでいます。……だけじゃない。ウェラさんやみんなが訪ねて行っても部屋から出て来られないし、最近は食事すらまともに摂っていなかった形跡があります」

「……」

「単刀直入に伺います。――あのコはかつて、ジャック・フェインとの間に何があったのですか? そして、どうしてスティーレイングループにいるのか」

 いつしか、セレアの相好から笑みが消えている。

「……ショーコさん、それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」

 真っ直ぐに強い視線を向けたつもりだったが、そこにはそれ以上に強い眼差しが待ち構えていた。

 一瞬のためらいもなく、ショーコは答えた。

「Star-lineを守ります。だから、教えていただきたいのです」

「……」

 そこで少し言葉を切ったショーコ。

 対しているセレアは身を固くしたまま、微動だにしない。

 二人の間で、手がつけられないお茶からいつまでも湯気が立ち上っている。

「……正直に打ち明けますが、実は警察機構の職員から、リファの過去についてごく詳しい話を聞かされることになりました。あのコがH地区で自爆テロに巻き込まれた夜のことです」

 セレアが微かに表情を動かした。

 いつの間にか、喋り続けるショーコの相が限りなく険しくなっている。

「あたしにとっては、ショック以外の何物でもなかったです。まさか、リファがテロリストの子供まで宿していたなんて。……よっぽど、好きだったんだなぁって、冷静になって考えてみて、ようやく理解できましたけどね」

 ふっと息を一つ吐き出し

「あのコは、苦しい思いに苛まれた末にああいう行動を取った。それについて、あたしは何も言うつもりはありません。きっと、あたしでも同じ行動を取っちゃいますよ。……ただ、どうしてもお伝えしたかったのは、これはあたしだけじゃない、隊のみんなだって、何とかあのコを守ってあげたいと思っている。力になってあげたいと思っている。なのに、何も知らされないままじゃ何もできないし、あるいは納得だって出来ない場合も起きてくる。大事なコトは、真実を隠し立てしないでみんなに伝えてあげること。今まさしく、そのタイミングにきているとあたしは思いますが。――違いますか?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] そうですよね。分からないままじゃ何も出来ない。 ショーコさんは正しいなあ……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ