復讐編8 惨劇そして悪夢
夜明け前から、ファー・レイメンティル州全体が大混乱に陥っていた。
『ジャック・フェインか!? 治安維持機構部隊舎同時襲撃 死傷者多数』
テレビ、新聞、その他あらゆるメディアが一斉に報じたことで、都市中に激震が走った。
これまでテロ組織による大規模襲撃が成功したためしがないと言われる治安維持機構施設。それが7箇所にわたって潰滅し多数の死傷者を出してしまったという。もはやヴィルフェイト合衆国立国以来の汚点である、とまで書き立てるメディアもあった。
都市統治機構ならびに警察機構は関係機関や市民からの電話によって回線がパンクし、一時不通になるという事態が発生した。これが「テロ組織による二次襲撃だ」という情報が流れたために混乱に一層の拍車がかかり、収集のつかない事態にまで発展した。が、後にデマだということがわかった。誰かの早とちりが伝染したものらしい。
同日0600、ファー・レイメンティル州知事は全市民に対し「特一級非常警戒発令」を宣言した。つまりは戒厳令である。
都市統治機構は同時にヴィルフェイト合衆国国軍に州主要施設の警戒警備を目的とした出動を要請、意思決定機関である合衆国議会において承認を得た。既に出動態勢を整えつつ命令を待っていた国軍の行動が迅速であったことは言うまでもない。議会での決定から二時間後には、E地区駐屯の合衆国陸団第二師団、Y地区駐屯の同第七師団、計二万四千人がファー・レイメンティル州中心部へ向けて出動を開始した。所属するCMDは合計二百機余りである。さらに準備が整い次第、ネガストレイト州に駐屯する第三師団一万人も動員されることに決定されていた。
国軍だけではない。
警察機構もほぼ総動員体制である。
街中を警察機構の車両が絶え間なく走り回り、主要な施設の前には武装した警察機構職員が大勢立ち並び、物々しいことこの上ない。
特別非常厳戒令が発令されたことにより、早朝から各交通機関は軒並みストップした。空中軌道交通システムをはじめ、乗降所には移動手段を失った市民達が大勢漂っていた。誰もが皆、出勤しようにも足がないゆえに、途方にくれていた。
そこへ警察機構職員がやってきては「無差別テロの標的になります! 直ちにこの場から立ち去ってください!」
大声を張り上げているかと思えば
「だいたい、あんたらが情けないからだろう! 何とかしろ!」
噛み付いている中年の男性がいる。が、唾がかかる程に近くでがなられながらも、その警察機構職員は微動だにせず直立したままである。
その光景を横目に、諦めたようにその場を離れていく若い男性。
時間が経っていくにつれ、都市中心部では市民の姿もまばらとなった。外出自粛警報が出されているせいであろう。テロ組織の目的が把握されていないから、いつどこで巻き込まれるかわからない。市民はこぞって自宅に閉じこもり始めたようであった。都市全体がテロの脅威に晒されるようになってから久しく、今や市民の感情は恐怖というよりも諦観に近い。そのためか、大規模な同時テロにも関わらず目立った混乱は報告されなかった。
一方で、警察機構職員への公務執行妨害とみなされた逮捕者の発生が都市中で連続していた。治安を脅かされつづけているという事態に対する悲憤が行き場を失って警察機構へと向けられたものであろうが、甚だ滑稽な事象であるといえなくもない。
これといって新しい情報がないまま、テレビのニュースは飽きることなく同じ情報を繰り返していく。犯行はジャック・フェインによるものではないかとどのメディアも報じたが、声明が出ていない以上どれも推測の域を出なかった。
時折、治安維持機構側死傷者の身元が判明したといっては顔写真入りでテロップが流れる。
Star-line本部舎では、ソファにどっかとふんぞり返りながらテレビの画面を眺めていたショーコが
「……さてさて、どうしましょうね?」
そんな風に質問したが、判断を求めているような調子ではない。
それがわかっているサラも淡々と
「どうしようもないわね。標的がスティーレイングループじゃないんだもの」
「だけど、全く無関係では済まねぇだろうさ。この騒ぎで経済だの物流だの停滞しちまったら、うちらみたいな巨大グループなら何らかの損失を出しちまうだろうよ」
リベルがそんなことを言った。その通りであろう。
すると、一人デスクに向かって書類を書いていたブルーナが「あっ!」と叫んで立ち上がった。
「え……? なになに?」
一斉に彼女の方を見た一同。
ブルーナはぱんと一つ手を打ち
「こういう事態の時は、真っ先に食料品が品薄になるんですの。値段も跳ね上がっちゃったりして。今のうちに買い込んでおかなくちゃ、ですわ!」
ばたばたとオフィスを出て行った。
皆、ぽかんとしていると
「……あっ!」
今度はティアが叫んだ。
「こうなったら、街中のスイーツが食べられなくなるじゃん! 今のうちに――でっ!」
言い終わらないうちに、後頭部にショーコの鉄拳がヒットしていた。
「普段太った太ったって騒いでいるくせに。ひと月やふた月、ケーキくらい食わなくたって死にやしないわよ。丁度いいダイエットになって良かったじゃない。――あたしだって、もう長いこと酒飲んでないんだからね!」
「うぅ……」
自分も我慢していると言われれば、それ以上ティアには何も言えないのであった。
――サイやナナは黙々と機体の手入れに余念がない。
この先どういう事態になっていくかはわからないにせよ、当面自分達の出る幕はないと踏んでいる。
だから、万が一に備えてやるべきことをやっておくだけのことである。
その頃。
リファは真っ暗な部屋で独り膝を抱え、テレビの画面を食い入るように見つめている。
襲撃を受けたあちこちの治安維持機構施設の前からレポーターが状況を伝えるといった内容が飽きることなく繰り返されていく。
やがて画面はテレビ局のスタジオに切り替わり、中年のキャスターを映し出した。
『――ということで、襲撃発生から間もなく二十四時間が経過しようとしています。今のところ、新たな動き、あるいは犯行声明はありません。……ですが、次の犯行の恐れがありますので、引き続き十分な警戒が必要です。市民の皆さんは、外出を控えるように、また不審な人物や物を見かけましたら、すぐに近くの治安維持機構や警察機構に通報を――』
次の犯行、という言葉を耳にした途端、虚ろだったリファの瞳が大きく見開かれていた。
(次の動きがある――っていうことは、ウィグはまだ――この街にいるわ。もしかしたら、どこかで会うことができるかも知れない……)
そう思い立つと、リファは急いで身に着けていたパジャマを脱ぎ捨てた。
治安維持機構への襲撃から一日が経った。
この間、Star-lineとしてはどういう動きもなかった。
ヴォルデやセレアはさすがに多忙であるらしく、出動体制を維持したまま待機するよう指示があったきり、連絡はなかった。一同、本部舎の中で缶詰になっているよりない。
が、その夜半のことである。
「――ちょっとサラ! 大変よ!」
仮眠室で制服のまま横になっていたサラは、いきなりショーコに叩き起こされた。
「何!? 出動!?」
「じゃないんだけど、たった今警戒警備中のSTRが一報をくれたの。ついさっき、H地区で大規模な爆破テロが起きたみたいなんだけどその現場で、リファらしい女性の姿を目撃したって。もしやと思って、ユイちゃんに宿舎棟へ走ってもらって、マスターキーでリファの部屋をこじ開けてみたんだけど――」
もぬけの殻、だったという。
「何ですって!?」
半分頭の回っていなかったサラも、これには顔色を変えた。
がばっと起き上がりざま、
「な、なんでそこにリファがいるのよ!? っていうか、それ、本人なの!?」
「何でって訊かれても知らないわよ! そんなことはリファをつかまえてから訊いて! それに、宿舎棟にはいなかったって言ったでしょ!」
そうだった。
寝ぼけている自分に自分で舌打ちしたサラ。
そんな彼女に構わず、ショーコは矢継ぎ早に補足の説明を加えた。
「現地にいるSTR機動班にはリファの追跡をお願いしているんだけど、どうも現場が大変なことになっているらしくて、向こうさんもちょっと自信がないって言っているのよ。まだ詳細が入ってきていないんだけど、今度は治安維持機構施設じゃなくて、H地区南の繁華街らしいわ。――さぞかし悲惨な状況でしょうね」
不快な顔をしている。
そういう雑踏で彼女が発見されたというのは奇跡に近いが、Star-lineとSTRとは接点が多いから、たまたま通りかかったSTRの隊員が彼女の顔を知っていたのであろう。STRの現場隊員はほとんど男性しかいないから、リファのような美人は特に覚えられやすいに違いない。
頭の奥にまだもやもやしている眠気を振り払うようにぶんぶんと首を横に振ったあと
「ショーコ、ファーストとセカンド、両方スタンバイはできている!? 各トレーラーには予備電源を2Cで――」
「何言ってんのよ、サラ! 機体担いで行って、何に使うのよ!?」
「……!」
ショーコに言われて、ハッと我に返ったサラ。
凄まじいレベルで動揺していて、出動と勘違いしていたらしい。
「ご、ごめん……。そうよね……」
「ともかくサラ、あんたはセカンド三人娘を叩き起こして、代理で待機をお願い。あたしはファーストの三人を連れて、現場に急行するから。――ああ、出動じゃないから機体は置いてくわよ!」
「あ、う、うん! わかった! 十分に気をつけてね!」
「はいよ! あとよろしくね!」
くるりと身を翻したショーコは
「ああっもう! 何を考えているのよ、あのバカ女は! 黙って部屋で寝てろっての!」
さんざんにリファを罵りながら仮眠室から飛び出して行った。
(……そうね。あのコ、何を考えていたのかしら……?)
簡易ベッドの上でやや呆然としながら、ふとそんなことを思ったサラであった。
特殊装甲指揮車一台に乗ってH地区までやってきたショーコにサイ、ナナとユイの四人。
テロ発生現場は言語に絶する凄まじい状況を呈していた。
一面に散乱する建物の破片、立ち籠める黒煙。ところどころまだ炎が燃え盛っており、赤と黒の極端なコントラストがあたかも地獄の光景を彷彿とさせた。
「ショ、ショーコさん、あれ、あれ……」
光景を目にした途端、さすがサイも血の気を失っていた。
ユイなどはすでに後部座席で卒倒してしまっている。
STR司令センターから発信される情報が絶えず入ってきているから、事件の概要は大体把握することができている。
聞くに堪えない内容であった。
H地区の南通り、深夜営業の飲食店が多数入っているテナントビルの付近に不審なCMDが放置されていると通報があり、治安維持機構Bブロック中隊のC小隊が出動した。昨夜の襲撃を免れ、生き残っていた部隊である。
現場に急行すると、確かに一機の土木作業用形態CMDがいる。
搭乗者の有無等々調査を始めようとC小隊の隊員が近寄ったところ、突然機体が大爆発した。
騒然となっているところへ、どこからともなく現れた二機のCMD。
今度はそれが、C小隊に向かって襲いかかったのである。
不意を衝かれたC小隊こそ悲惨であった。所属機体二機のうち、一機は応戦する間もなく賊の手に落ちて大破した。もう片方は運良く離れた位置にあったため、駆け付けて制圧を試みたが、何と賊機は大勢の市民でごった返している街中で銃器の発砲に及んだという。
数弾がC小隊機胴体部に命中し、機体の動きが停止した。同時に機体のバランス制御が失われたらしく機体は転倒したが、その方向が最悪であった。逃げ遅れた市民の真っ只中へ倒れ込んだのである。搭乗者が被弾によって受傷したのであろう。
惨劇は終わらない。
C小隊機を撃ち倒した賊機は、現場から逃走するかと思われた。
が、事もあろうにその場で二機とも自爆したのである。
巨大な鉄塊にも等しいCMDの原型を跡形なく消し去る程の破壊力である。爆発は近隣の建物や道路を容赦なく破壊し、半径数十メートル以内にいた人間を根こそぎ吹っ飛ばした。
治安維持機構や警察機構職員、その他市民の死者は少なくとも百人以上、重軽傷者はざっと四百人以上にのぼるという。
「……現場に入っちゃっていいんですかねぇ。警察に怒られませんか?」
私設警備会社だから、当事者でもない限り現場に立入する権限はない。そのことを心配したサイが尋ねると
「と、あたしも思うんだけどね。でもさぁ……」
彼等の進入を制止する警察機構職員も治安維持機構の人間もいない。
ともかくも、一帯はどこに何があるのか判別不能な程に破壊され尽くしてしまっているのである。GPSによる位置測定システムも、さっきから「Error」の表示が出たままである。測定の基準となる建物自体が破壊されているから、内蔵データと照合することが出来ないようであった。
赤々とした爆炎に照らされているアングル以外は、影と闇に支配されている。
一帯の送電がダウンしているから、街灯やネオンといった照明は一切消えてしまっていた。装甲車の照明を当てつつ、目視に頼るほかない。
運転しているショーコは一端停止させるとハンドルを上体で抱くような格好で
「こりゃあ、迂闊に進めないわね。道路自体がなくなっているし、何が落ちているのかわかったものじゃない。変な物踏んだらイヤだしね」
「そうっすね。ここまで酷いのは初めてだ。A地区の中層住宅街の辺りも凄まじいけど、こんな人為的な壊れ方じゃないし」
相槌を打ちながら外の光景に目を凝らしていたサイ。
「……あっ! ショーコさん、ゆっくりとバックしてください! 早く!」
「へ? 何よ?」
「聞かない方がいいです。今は」
言われた通り、そろそろと装甲車をバックさせ始めたショーコ。
ふと、前照灯が照らし出したそれが目に入った途端、彼女は全身に怖気が立った。
「!? さ、サイ君! ……なんか今、見てはいけないものを見ちゃったような気が――」
「……ま、まだセーフでしたよ。あとちょっと前に出ていたら、間違いなく踏んでましたね」
二人の会話は当然、後部座席のナナとユイにも聞こえている。
「な、ナナさん……今、何を踏みそうになったんでしょう?」
「……聞いちゃダメよ。聞いちゃダメよ。あなたは、聞いたらダメ」
ナナはゆっくりと、噛んで含めるように諭してやった。装甲車の前方に何があったのか、真実を知ったならばユイは卒倒するどころではない。たちまち車内を汚してしまうであろう。
「……」
そのうち、ショーコもサイも完全に黙り込んだ。
目が闇に慣れてきてようやく気が付いたのだが、辺りはどこもかしこも、そういうものが散乱していた。一部だけだったり、一部だけが無くなっていたり――。適当に進んでいるうち、死傷者多発区域へと踏み込んでしまっていたようであった。こう無数だと、とてもではないが降りて生存者を救出するとか、そういう芸当は出来そうもない。
胸の内で犠牲者達に詫びつつ、ショーコはその区域から装甲車を移動させた。
これではもはや、リファを探すどころではない。
「あの強運なリファのことだから、巻き込まれて死んだりしてなんかいないとは思うけど……。こうなりゃ、捜索なんかできたモンじゃないわ」
半分諦めかけた時である。
ふと見れば、開放無線の受信ランプが点灯していた。
「はいはいはい、こちらStar-lineフォローファーストですが……どちら様?」
気力の失せた声で応答したショーコ。
すると
『こちら警戒警備中のSTR機動班Hチーム! Star-lineで間違いないですね!?』
勢い込んだような若い男性の声が飛び出してきた。
「はいはい。間違いないですよー」
『南地区2C4L通りにて、そちらの隊員、リファ・テレシアさんと思われる女性を確認しています! 繰り返しますが――』
「なぁにぃ!? リファがいた!?」
「マジで!?」
特殊装甲車内で、一斉に叫んだ四人。
サイはすぐに無線機を手に取り「じょ、状況はいかがでしょうか!? 怪我の程度は!?」
『爆発の煽りを受けたようです。倒れたまま動きません。ただ、見た目に外傷は少なく、呼吸、脈拍とも確認できます! 生存者優先依頼で緊急搬送車を手配していますから、間もなく病院へ搬送できると思います!』
「了解! すぐそちらに急行します!」一度無線を切った。
「……2C4Lね。現在地がよくわからないけども、とにかく行ってみましょーか!」
「本当に幸運の女神だこと。この惨状だっていうのに」後部でナナが小さく呟いた。
「まったくだわ。しかもこの大爆発をくらったってのに、どうやら軽傷みたいだしね」
ガコンとギアを入れると、ショーコは勢いよく車を発進させた。
爆破のあった区域の周辺にくると、変事を知った人々や車でごった返している。
交差点は渋滞していて少しも進まず、あちこちでクラクションが鳴りまくっている。
ハンドルにもたれかかりながら、ショーコがイライラし始めた。
「ああっ、これだから碁盤の目造りの都市ってイヤなのよね! ちょっと何かあれば、すぐこれだ。――こうなりゃ、どけてもらうよりないわ! サイ君、回転灯点けて!」
私設警備会社とはいえ第二種緊急車両の指定をもらっているから、回転灯の搭載が許可されている。
が、その使用はごく緊急の場合に限定されていることは言うまでもない。
「いいんですか? あとで警察機構から怒られるかも知れませんよ?」
一応サイはそう言ってみたが
「いいのよ! 生存者の救出・保護がかかっているんだから、一刻を争う事態なの! あたしが許可します!」
と、まるで聞く耳をもたなかった。
「はいはい……んじゃ、点けますよ?」
スイッチを入れた。
青い回転灯が回り出すと、周囲の車に乗っている者達が一斉に何事かという顔でこちらを見た。
同時にショーコは外部スピーカーをオンに切り替え
「あーあー! こちらはスティーレイングループ警備会社Star-lineです! 一般道上の車両にお願いします! ただ今緊急時移動中ですので、道を空けてください! 繰り返します――」
「あーやっちゃった……」ユイが青くなって呟いている。
が、効果は絶大だった。
どこにそんなスペースがあったのかという勢いでたちまち行く手が開いていく。
「よっしゃあ! これで前に進めるわよ!」
鼻息を荒くしているショーコ。
素早くハンドルをきり、空いた道路を堂々と走行していく。
「なんて善良な市民達なんだ……」サイは呆れたようにぼやいた。が、先を急ぐことに集中しているショーコの耳には届いていないらしかった。
渋滞を尻目に、タイヤを軋ませながら猛スピードで大通りを駆け抜け、STRから報告のあった2C4L通りへとさしかかった。
この通りも爆破の被害が大きく、いたるところにコンクリート片が散乱していてとても直進できる状態ではない。両側の建物群も爆発をもろに浴びたらしく、ほとんどが半壊して無惨な様を晒していた。日中営業のショップが多いから、通行人がそれほどいなかったようである。不幸中の幸いといっていい。
右へ左へ障害物をかわしながら
「どこにいるのかしらねぇ……この通りも広いから、一目で見つけられるという訳には――」
ショーコがぼそりと言った。
サイも目を皿にして辺りを注意深く探していたが
「多分、あの赤い光なんかそうじゃないでしょうか? 緊急搬送車両のものだと思いますよ」
なるほど、はるか前方の闇の中、点滅を繰り返している真っ赤な光が見える。
「お! そんな感じね。……あれに違いなさそう、だけど」
ヘッドライトをハイビームに切り替えたショーコ。
「この先の路面がえぐれてるわね。車で進める状態じゃないかも知れない」
やむなく四人は装甲車を降り、照明が落ちて暗い通りを駈け出した。
近寄っていくと、案に違わず緊急搬送車であった。
今まさしく後部から担架が搬入されようとしており、その搬送者の顔がちらりと見えた。
「……リファ!」
駆け付けてきたショーコらを目にした緊急救護隊の隊員は
「ああ、Star-lineの方ですね? 丁度今、病院まで搬送するところでした」
「け、怪我の具合は!?」
爆発の衝撃で意識を失ってはいたが、掠り傷程度だという。
担架に乗せられているリファは微動だにしない。顔や腕に小さな傷が見受けられるが、ともかくも大事ななさそうであった。ほっと胸を撫で下ろしたショーコ。その背後にいる三人も同様である。
「ったく、面倒かけやがって。この馬鹿女は」
安心した途端、ショーコはぶつくさと文句を言い始めた。
ふと見れば、STRの隊員が二人、直立不動の姿勢で搬送作業を見守っているではないか。
「……お疲れ様です。Star-lineです。大分ご面倒をおかけしてしまいまして」
敬礼しつつ礼を述べた。
まだ若いSTR隊員達もぴしっと目の覚めるような敬礼を返し
「いえ、ご無事なようで、何よりでした。あとちょっとタイミングが悪ければ、取り返しのつかないことになっていたかも知れません」
二人は発見までの状況を簡潔に語ってくれたが、思わず怖気が立つような話であった。
H地区を巡回中、2C3L通りにて所属不明機爆発との一報を受けた。1C5L通り付近にいた彼等は指令本部と打合せのうえ、現場付近への接近を開始した。現場からほど近い3C3L通りに警備契約を交わしているクライアントの事業所があったからである。
移動を初めて間もなく、今度は2C4L通り東側にて治安維持機構と所属不明機が交戦中であるとの情報が入ってきた。その時点で彼等は1C4L通り付近を走行していたが、迂回を余儀なくされた。CMD交戦現場は当然立入が禁止されるため、3L、4L通りを避けて2L通りまで大回りして行かなければ3C3Lエリアに辿り着くことはできない。
そこで二人は1C通りを南から北、つまり4L通りから3L通りに向けて車を進め始めたのだが、信号で停止した際に、歩道を行く一人の女性が目に止まったのだという。
「暗くて顔がはっきりとは確認できなかったんですが、どうもリファ・テレシアさんらしいと思いまして。その……滅多に見ない美人だから何となく顔を知っていたというのも本音ではあるんですけれども」
と、隊員の片方は正直であった。
しかし、こうも言った。
「ただ、様子が変だったんです。なんというのか、こう……漂うような、おぼつかない足取りだったんですよね。妙にふらふらしていたんです」
「そうです。疲労しきっているようにも見えました」
もう片方の隊員が相槌を打った。
「……疲労しきっていて、ふらふらだった?」
眉をしかめたショーコ。
L地区からH地区までというのは隣接こそしていないにせよ、徒歩で移動して疲労困憊するような距離ではない。例えばリファがL地区のStar-line本部舎を出てから真っ直ぐこのH地区へやってきたとして、見た目にわかるほどにふらふらになるということは、まず考えにくい。
この間、よほど歩き回っていたか、あるいは別の理由――大幅に体力を消耗するような行為をした――があるとみた方が妥当であろう。
「明らかに様子がおかしかったので、まず指令本部へ一報を入れて指示を仰ぎました」
この一報がSTR指令本部からStar-lineに流され、ショーコが知ることとなった。
「そうしているうちにリファさんは、今まさにCMDが乱闘している2C4Lエリアの方へ向かって歩き出したんです。すると、車両では入ることが出来ない路地にいきなり入っていったものですから、慌てて指令本部に連絡して後を追うことにしたんです」
二人は車を降り、3L−4L中にある歩行者用通路を走ってリファの姿を探した。指令本部と通信しているうちに見失ってしまったからである。
あちこち探しているうち、2C4L通りにほど近い位置でようやくリファを発見することができた。
CMDが交戦しているというのに、彼女はどういうわけかそちらへそちらへと近寄っていく。交戦エリアは治安維持機構部隊によって封鎖されるが、それでも完全にシャットアウトされる訳ではない。あちこちの細い小路などからやってくる人間を阻止できるほどの数の封鎖要員などはいないのである。
2C4L通りはもう、すぐ目の前に見えている。
「リファさん! リファ・テレシアさん! こちらはSTRです! 待ってください!」
声を限りに呼びかけたが、建物の谷間にこだまするCMDの稼働音や銃撃の反響が耳をつんざき、とてもではないが彼女の耳に届きそうにない。
すると、よたよたと歩いていたリファが急によろけて蹲ってしまった。
これが彼女に幸運をもたらした。
間髪を容れて、2C4L通りで大爆発が起きたのである。治安維持機構と交戦していた所属不明機が自爆したのだが、この時には彼等がそれを知る由もない。
たちまち強烈な爆風が小路に吹き込み、リファの華奢な身体が跳ね飛ばされた。
あっと思ったSTR隊員達も、瞬時に煽りを受けて転倒していた。
しかし、ヘルメットや防弾スーツで武装している上に普段から訓練を積んでいる彼等は、転倒しただけで掠り傷も負うことなく、爆風が収まるのを待ってすぐに跳ね起きた。
見れば、路上にリファがぐったりと倒れていて動かない。
二人は急いで駆け寄った。
「リファさん! リファさん! STRです! 大丈夫ですか!」
――これが事の顛末であった。
黙って聞いていたショーコの顔から、血の気が引いている。
「うわ……そこでリファがよろめかなかったら、大通りに一歩踏み出した瞬間、ドン、だったじゃないのよ。あれだけの破壊力だもの、ひとたまりもなかったでしょうね」
「全くです。つくづく運が良かったというかなんというか……ま、我々としても、そのまま後を追って大通りに飛び出してしまっていたら、あるいは命はなかったでしょう」
STR隊員は肩をすくめた。
やれやれ、という表情でサイは
「またしても危機一髪、か。本当にまぁ、強運な人だこと」
彼がStar-line入隊のきっかけとなったA地区での事件を思い出していた。あの時もリファは背後から銃をつきつけられて人質になっていたのである。が、地下廃坑につながる縦坑の上に偶然立っていたことから賊CMDだけがその穴に転落して助かったということがあった。リファはといえば、あと一歩ずれていたら、共に地下廃坑まで転落して命はないという状況だった。
どうやって生まれればそういう強運が身につくのか、サイはつくづく不思議に思う。
「それにしても、どうしてそんな姿で、そんな危ない場所へ近づこうとしたんでしょうねぇ?」
首を傾げているユイ。
ショーコは腕組みをして
「さぁね。今日の一件、そもそもからして意味がわからないわ。どうして黙って宿舎棟を抜け出したのか、ふらふらになるまで何をやっていたのか、わからないことだらけよ。リファの回復を待って、事情を聞くしかなさそうね」
そこまでする程の理由があったのだろうという憶測だけはできるが、そもそもリファの素性からして誰も知らないのである。
「入院しないで済んだとしても、今日のこの動機がはっきりしなきゃ、また同じ事を繰り返す可能性があるわ。多分、精神的な平衡が保てていないのよ」
ナナが言うと
「そうね。明日にでもサラやセレアさんと相談して、必要ならメンタルなカウンセリングなり療養なり、受けさせた方がいいわね。ここのところのリファ、明らかに変だもの。この後も黙って徘徊されるようなことがあれば、隊の業務にも支障をきたしかねないからね」
と、ややショーコは憤り気味である。
ぶつくさやっていると、無線で通信していた緊急搬送隊の隊員がやってきた。
「連絡がつきましたので、これからスティーア総合病院へ搬送いたします」
「了解いたしました。よろしくお願いいたします」
ショーコは頭を下げた。
本部舎では、サラがナナから報告を受けていた。
「――うん、うん、ああ、そう。まずは安心したわ。相当大規模の自爆テロだっていうから、気が気じゃなかったのよね。本当に、良かったわ」
電話中の彼女を取り囲んでその反応をみていたセカンドグループ三人娘は、ほっとしたサラの表情を見てリファの無事を悟った。彼女らも、安堵したように互いに顔を見合わせた。
「良かったわぁ……どうやら無事だったのね」
「さすがはリファさん、強運の持ち主っすね。あんなテロに巻き込まれても大した怪我もしないなんて」
受話器を握っているサラはちらりと三人を見やったあと
「第二波の危険性もあるから、とりあえず気をつけてね。こっちはセカンドで面倒みるから、急がなくてもいいわ。夜間だしね。そちらの判断はショーコに任せるから、それに従って頂戴。――うん、うん、ええ、よろしくね?」
電話を切ると「……聞こえていたかしら?」静かに微笑んで見せた。安堵の色が滲み出ている。
「はい。大丈夫だったようですね」
「掠り傷程度だって。スティーア総合病院に搬送されるそうよ」
サラはゆっくりと立ち上がった。
「非番の夜に申し訳ないけど、ファーストグループが戻るまで、三人とも代理で待機をお願い。ティアはDX−2の電源を充電の終わったものに交換して、トレーラーにも予備電源を積んでおいて。もしかすると緊急発報が入らないとも限らないから」
「りょーかいっす!」
返事もそこそこに、ティアはオフィスを飛び出して行こうとした。
「……あ! ティア! それから二人も」
急に呼び止めた。
「なんすか?」
「待機に入る前に、みんな、ちゃんと着替えてね?」
三人娘は皆、タンクトップに短パンという仮眠から起きたままの姿であった。
寝相の良くない彼女らの格好はあられもない状態なのだが、リファの安否が心配な余り着替えるのを忘れていただけだから、サラはそれ以上何も言わなかった。
(――ったく、もう! リファの奴、手当が済んだらこってりヤキだわ! 散々手間かけさせて)
病院の暗い廊下で独り、怒りの炎を燃やしているショーコ。
警戒待機中ということもあり、取りあえず彼女一人が残ってあとの三人は本部舎へ返したのである。せめて傍にサイでもいれば言葉に出して怒りを発散させることもできるのだが、一人ではそうもいかない。胸の内でぶつぶつやっているうちに、却って怒りが膨張しつつ煮えたぎってきてしまう。思わず壁を蹴飛ばしそうになったが、病院であることを思い出し、辛うじて思いとどまった。
掠り傷程度と聞いていたが、処置はなかなか終わらない。
処置室の赤ランプが点ったまま、医師も看護士も出てこないのである。
(変ね。何かまずいことでもあったのかしら……?)
さすがのショーコにも不安が過ぎり始めた時である。
ふと、長い廊下の向こうの闇から、近寄ってくる足音がした。
「――おや、ショーコさんじゃないですか」
「……?」
よくよく見ると、警察機構職員のディットであった。
「あら! こんな時間にどうしたのよ? 今頃お見舞いもないでしょうに」
「そうですね。家内が陣痛に見舞われて……なんてことなら、もう少しおめでたい顔でも出来るんですが」
下手な冗談を言っている。
深夜のドタバタで疲れ切っているショーコは笑いもせずに
「あんまり品のいい冗談じゃないわね。今日は一日、ファー・レイメンティル全体が大騒ぎなんだから。あたしじゃない人間が聞いたら、二、三発どつかれるかもよ?」
多少苛つきがあったためか、責めるような口調で言うと
「そ、そうですね。すみません……」
頭を掻いている。
「うちも、夜半から誰一人寝ていないような状態ですよ。都市統治機構だの治安維持機構から次々に色んな人間がやってきて対応に追われるわ、と思えば窓口には憤った市民が押し寄せてきて受付の若い女性職員が半泣きになっていましたし。何だかもう、滅茶苦茶です。次はいつ眠れるのかわかったものじゃないですよ。――ホントにもう、えらいことをしでかしてくれたものですよ、ジャック・フェインは」
今度は愚痴り始めたディット。
これは現実の話だから、まだ同情の余地がある。大変だとはいえ、まだStar-lineはリファの一件を除けばこれという事態は降りかかってきていない。そう思えば、警察機構の方が何倍も苦労しているということになるだろう。
ショーコは多少の同情を込めてやりつつ
「H地区の自爆テロもさることながら、よほど大変なことになったわね、夕べの治安機構襲撃。彼等、寝込みを襲われて死人まで出したっていうじゃないよ」
市民に多数死傷者を出した自爆テロはもちろん大事件だが、統治組織側からすれば治安を根底から揺るがされた襲撃事件の方が、どちらかといえば重大視したいところであろう。ショーコは暗にそれを言っている。
傍らの長椅子にゆるゆると腰掛けつつ、ディットは胸ポケットからタバコを取り出してくわえた。
「それでも今回の連中、紳士的ですよ。問答無用でパン! ではなかったようですから。殺害されていたのはごく少数で、どうも抵抗しようとして撃たれた者ばかりみたいです。それ以外は生命だけは助かっていますからね。――もっとも、ほぼ全員が得体の知れない薬品を飲まされていて、激しい嘔吐に下痢に幻覚障害、だとか。意識が戻らない隊員も数名いるようです」
「やり方が絶妙ね。殺さずに戦闘不能にしてしまったんだから。治安機構もしばらくは戦力半減、てところよね――ああ、ここは禁煙よ。外に出なきゃ吸えないわ」
「あ! これはとんだ粗相だ。すみません」
また謝っている。先が少し焦げたタバコを胸ポケットに仕舞いなおした。
タバコなんか吸っていたっけ? ショーコは思ったが、そのことはどうでもよい。
「それはそうと、今日は何の用? ここに来たってことは、治安維持機構の件じゃなくて自爆テロの方よね? ……で、うちのリファに事情聴取かしら?」
「ご明察です。現場にいらっしゃったという情報を得たものですから、早速飛んできた訳です。負傷している時に、大変申し訳ないのですが」
「でも、自爆テロ現場付近にたまたまいて巻き添えを食っただけなのよ? 役に立つ話なんか、とても聞けないと思うけど?」
「いえ……その、伺いたいのは自爆テロ発生当時の状況とかではないんですよ。それよか、もっと重要な情報を彼女がもっている筈なんです。間違いなく」
「……?」
彼の言っている意味がわからない。
「ディット君、何を言っているの? あのコがそんな、テロ事件解決に役立つような話なんか握っているワケないでしょ。普段だって、何を言っているのかわからん女なのに――」
冗談めかしく言ったショーコ。
が、ディットは笑わなかった。
「……ショーコさん、もしかして、ご存知なかったんですか?」
ぐっと真剣な表情をして姿勢を改めた。
普段、仕事でくたびれたような様子ばかりの彼にしては珍しいことである。
「ここだけの話にしておかれた方がよろしいと思います」と、彼は前置きをして「……警察機構捜査課に、四年前のD−ブレイク事件に関する膨大な記録が残っています。この中に、リファ・テレシアという固有名詞があったんですよ。調べていくと、これは今から2年前に改名申請がだされてからの名前であって、以前というよりも実の名はリリア・ベーズマン。ジャック・フェイン所属員が撮影したと思われる写真も、ごく僅かですが残っていました。照合するまでもなく、リファさんです。……そりゃそうですよ。あれだけの美人ですから、間違う方が難しいってものです」
完全にフリーズしているショーコ。
瞬きもせずに、真っ直ぐにディットを注視している。
「は……? ちょ、ちょっと待って。言ってるイミがわからないんだけど」
冗談抜きで理解できなかったのだが、ディットはショーコがリファを庇ってそう言っているものだと受け取ったらしく
「大事な同僚のことだけに、信じがたいというお気持ちはわかります。しかしながら、これは警察機構の捜査に基づく正式な事実なんです」