復讐編6 思惑
先にショーコが本部舎へ入っていくのを見届けると、ナナは素早くサイを人気のない方角へ引っ張っていった。
ハンガーの物陰で、ナナはくるりと身を翻してサイに向かい
「……その拳銃、誰に向けて発砲したのかしら?」
彼女の指摘は常に妥協がない。
「……」
サイは顔に出さずに驚いている。
何故それが判ったのだろうか。
姿が見えない侵入者へ威嚇のために発砲しただけだ、と答えようとして、サイはやめておいた。
そういうハッタリが通用するような彼女でないことは、彼が一番良く知っている。
「ごめん」
素直に頭を下げた。
「この前の、あいつがいた。ああいう軽い調子で何考えてるのかわからんから、一発だけ掠めてやった。じゃないと、こっちが本気だって判らせることができなさそうだったから」
「……そういうことになりやしないかと思った」
ふうっと大きくため息をついたナナ。
「どうせ、リファさんもいたんでしょう? この間、あの男の人はどうも最後の様子がおかしかったもの。もしかしたら、という気がしたのよ」
驚異的な直感である。
あたらめてサイは、ナナに隠し事をすべきでないと内心で猛省している。
幼い頃から、彼が嘘をつくとことごとく看破されたものだった。
「ご名答。そういうことが知れちゃいけない気がしたから、リファさんはさっさと部屋に戻るように促したんだ。――あの人、泣いていた。俺も初めて見たけど」
ショーコの鉄拳を食らったケース以外で、と彼は付け足した。
「そう……。それならそれで、あたしには話してよね。サイったらそんなにあたしのこと、信用できない?」
ナナの目つきが刺すようである。
「いや、STRまで出動するような大事になったから、言い出しにくくて……」
半分本音半分出任せ、といったところである。
明確にそう思った訳ではないが、心のどこかで自分にはウィグとリファを庇う責任があるような、そんな気がしたのである。これは情けに属する心の働きであるから、詳しく追求したところで答えなどはある筈もない。そこまで突っ込まれれば、サイは立ち往生したかも知れなかった。
しかし、ナナはそれ以上踏み込まずに
「で? リファさん、泣いていたの?」
「ああ。それがさ――」
サイは先ほどのシーンを話して聞かせた。
「これではっきりしたね。リファさんは過去に、ウィグって人はもちろんジャック・フェインとどういう形でか関係があったのよ。だから、誰も彼女の昔を知らないのね。セレアさんを除いては――」
「しかし、何だって今頃になって連中は動き出したんだろう?」
「復仇じゃないかしら、多分。四年前のね」
D−ブレイク作戦。
ファー・レイメンティル州からジャック・フェインが追放されるに至った掃討作戦である。この事件を機にジャック・フェインは追放されているから、ウィグとリファの間に何かあったとすれば、この時期かもしくはそれ以前でなければならないということになる。
「どうする? このことは黙っておこうか?」
「そうね。この話は、あたし達から騒いじゃいけないわ。誰だって、知られたくないことの一つや二つ、あるものだしね」
ナナはふっと小さく笑った。
「――あのボケボケお姉さんに、だって」
一方、その少し前の刻限。
スティーレイン財団ビルにある一室に、ヴォルデとサラ、そしてユイがいた。
「……なるほど。そんなことがあったとは」
険しい顔をして頷いたヴォルデ。
初めて例の一件を聞かされたユイは、青ざめたままうつむいている。
一通りのいきさつを話したあと、
「事柄が事柄ですので、あまり強い意見を申し上げる立場でないのは重々承知しております。――しかしながら」サラはぐっと姿勢を正した。
「ユイちゃんは、私のかけがえのない部下であり、Star-lineにとっては宝の人材です。もし、彼女をメンバーから失うようなことがあれば、その後の活動体制については請け負いかねます」
「隊長……!」
それを聞いたユイがハッとして顔を上げ、サラの方を見た。
驚いている。
サラがそこまで自分を必要だとヴォルデに言い切ってくれたことが、意外に思われたのである。
ちょっと言い方が強かったかと思ったが、サラはそれで良かったと思っている。
たかが両親の勝手で、大切なユイを引き抜かれるなどはもっての外である。
ヴォルデはにっこりと笑って
「……わかっている。わかっているよ、サラ君」
そしてユイを真っ直ぐに見つめ
「いい、上長を持ったね。サラ君といい、ショーコ君といい」
「はい……」
彼やサラの大きな温かさを感じたユイは、思わず目に涙を浮かべていた。
「確かに、幾ら両親の意向とは言っても、ユイ君本人の希望を無視することなどあってはならないと思っている。それこそ、かつての二の舞を踏むだろう」
サラもユイも頷いた。
「ただし」
急にその表情を険しくしたヴォルデ。
「こう言ってはなんだが、かなり自尊心を高くもたれている親御さんのことだ。黙って引き下がるとは思えないのだ。場合によっては、法廷で争わねばならないということも考えられる」
やりかねない、とサラは思った。
それなりの地位にあるとはいえ、自分達の家庭の問題を論ずるのに、わざわざ部下を寄越してくるような両親である。こちらが要求をのまないとあれば、弁護士でも立てて徹底的に争うという態度に出てくるであろう。
ユイが実家に戻ろうとしない気持ちが、わかりすぎるくらいにわかるような気がする。
「近日中に、こちらから都市統治機構にいらっしゃる親御さんの元へ、事情を伺いに出向くことにしよう。そこで話が紛糾するようであれば、こちらもそれに見合った対応を取らねばなるまい。――そこでユイ君には是非確認しておきたいのだが」
「はい」
「……Star-lineに勤務していることについて、どう思っているかね?」
ユイはキッと表情を引き締め
「あたしの、あたしの、誇りです! あたしはあたしのできることで、この街を守っているんです! パパやママにどうこう言われるのは、おかしいと思います!」
きっぱりと言い切った。
少しの迷いも躊躇いもない。
この娘はヴォルデにその才能を見出してもらって以来自信がついたようで、しっかりと自分の意見を前面に出せるようになった。サラもショーコも、彼女のそういうところを好ましく思っている。
「よし、わかった!」
ヴォルデは破顔一笑した。彼が笑うと、花が咲いたように明るくなる。
「スティーレインとしては全力で、断固として君の意志を尊重する。そのように、思っていてくれ給え」
力強い、神の一言にも等しい。
サラとユイは互いに顔を見合わせ、喜んだ。
二人の嬉しそうな様子を見ていたヴォルデ。
ふと
「……リファ君はここのところ調子が良くないとセレアから聞いている。サラ君としてはどうかね? もし、隊の業務に差し支えが出るようなら、何か対策を講じねばならないと思っていたのだが」
彼らしい気遣いである。
しかし、サラはかぶりを振り
「ありがとうございます。でも、みんながそれぞれに彼女を心配していて、その分の仕事も支障がでないように分担してやってくれています。ですから、その、特にこれということは――」
もともと、リファにはそれほど重要な責任担務を与えてはいない。
それは彼女が天然過ぎて信用がならない、ということではなく(ショーコなどは本気でそう思っていただろうが)CMDという高度な機械を専門に扱うチームであるため、その教育や経験のないリファは自動的にトータルケアという何でも屋的な担当になっていたからである。ドライバーや整備担当ならどうにもならなかったろうが、事務的な業務が主であったのだから、そこはどうにか回しが効くというものである。
「そうか。ならば、サラ君の意見に従うこととしよう。もし、困ったことが発生したら、その時はすぐにセレアなり私まで相談して欲しい」
ヴォルデは続けて
「Moon-lightsやらジャック・フェインの一件で、みんなの疲労が濃くなっていると思う。しかし、事態は解決にも至っていないし、まだまだ予断を許さない。だからこそ、少しでもみんなが肉体的にも精神的にも楽に過ごせる状態を、私が維持していく責任があると思っている。――どうか、よくよく理解しておいて欲しいのだ」
「はい!」
必要なのは物理的なサポートよりも、責任者のそういう一言であるということを、サラは知っている。
このあたり、Star-lineという職場はこの国のどんな職場よりも恵まれているであろう。
時計を見ると、とうに日付は変わっている。
ヴォルデ自身が多忙すぎて、彼に面会できる時間がこの時間帯しかなかったのだ。
サラはソファから腰を浮かせながら
「こんな深夜に、大変申し訳ありませんでした。ユイちゃんの件、どうかよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げた。
「わかった。わかったよ、サラ君。安心して、任せておいてくれたまえ」
好意的な彼の笑顔に見送られて、サラとユイはスティーレイン財団ビルを後にした。
「――ウィグさん!」
すれすれに車が急停止し、窓からレヴォスが顔を出した。
「おお、君か。こりゃ良かった。帰りが楽だなぁ」
太平楽々な事を吹かしているウィグを、レヴォスは腹に据えかねている。
非常警戒網を何とかくぐり抜けつつ、彼のことを血眼になって捜索していたのである。苦情の一つも言いたくなるというものであろう。
「そういう問題ですか? いきなり居なくなったと思ったら、夜這いなんかしに行って。――しかもその先はよりによって『Star-line』ときた。まったく、あなたという人は」
呆れ気味である。
すると
「抜け出したのは悪かった。……だけど、夜這いじゃないよ」
ウィグの表情は真剣になっている。
「……一目会えればなんとか、ってヤツだ。これからは多分、会いたくても会えないだろうからな」
「気持ちはわかりますが、自重願いたいものです。間もなく、実行にかかるんですから。我々と同志達は、この時のために四年という時間を費やしてきた」
「ああ、そうだな……」
どこか上の空であった。
そのまましばらく、レヴォスは車を走らせていた。
すると、窓の外に流れていく夜の街を眺めていたウィグがふと
「……明日からの計画、くれぐれもわかっているとは思うが」
ハンドルを握っているレヴォスは前を向いたまま
「わかってますよ。スティーレイン施設は計画には含まれていません。言いつけは守ったつもりですよ」
「そうか。済まないな」
「でも、何だってスティーレインをそこまで外す必要があるんです? 彼等は、我が同志のアーバロの仇でもあるのに」
いかにも不可解だ、という雰囲気のレヴォスに、ウィグはニヤリと笑って
「……何度も言った通り、実力があるからさ。何も今、ちょっかいを出して怪我することはない。それに――」
ちょっと黙ったウィグ。表情から笑みを消して
「奴らは決して卑怯な真似はしない。後ろから刺すなんてのは、もっての外さ」
あなたの想い人がいるからでは、とレヴォスは口先まで出しかかったが、そこはぐっと呑み込んだ。
これから先、もっとも際どい綱渡りをしなければならないことは、計画を立てた自分が一番良く知っている。
計画的にも、Star-lineを相手にしないで済むなら、それに越したことなどないのだ。
そういうことを考えているレヴォスは、ウィグとサイの間にあったコンタクトのことを知らない。
サラとユイが本部舎へ戻ってくると、時刻は既に午前二時近くなっていた。
オフィスにいる筈のファーストグループの姿がない。
サラは休憩室をのぞいてみた。
「ただいま――って、なあに、こんな時間に? 今頃ディナーなの?」
卓の上にはこれでもかとばかりに料理の皿が並べられており、それをショーコ、サイ、ナナが三人がかりでもくもくと平らげている。
「あ、サラ! おかへりなさひ……」
「口に物を入れたまま喋ったりしないの。――こんな時間に大食いしてたら太るわよ?」
んぐ、っと飲み込んだショーコは
「しょーがないでしょ。こっちは侵入者騒ぎで仮眠どころじゃなかったんだから」
それを聞いたサラは途端に顔色を変え
「侵入者!? 何よ、それ? どうして一報をくれなかったのよ!? 状況は!?」
悠長に飲み食いしているショーコの傍らで慌てている。
「まあまあ、事は収まってるんだから」宥めつつアイスティーをボトルのままぐびっとラッパ飲みして
「ネズミ一匹だったみたいだしね。STRと警察機構にも緊急発報がすぐ飛んだから、いちいちあんたを呼び返すまでもなかったのよ。時系列概況はSTRの連絡書と一緒にデスクの上にあるから」
「あー。ショーコさんそれ、共用のお茶なんですけど……」
「細かいことは言わないの。みんな運命共同体でしょ?」
よくわからないことを言っている。ショーコの解釈は彼女本位に展開されることが時々ある。
事はすでに落ち着いていると悟ったサラはやや平静に戻って
「わかった、あとで読んでおくから。――それにしても、このStar-line本部施設に忍び込んでくるなんて、どこの誰かしらね。女性ばかりの隊だから、変質者の類かしら」
「じゃないの? サイ君がちらと遭遇したんだけど、暗くてどういうヤツか見えなかったのよね。ま、おっつけ捕まるでしょうよ」
それはない、とサイは内心思ったが、黙って食うことに専念している。他に唯一真実を知っているナナも同じ事を思ったであろう。
「ところでさ、ヴォルデさんとの話はしてこれたの? 何か、今日はかなりスケジュールが混んでるとかで会えるかどうかわからないって言ってたでしょ?」
と言って、またもラッパ飲みをしているショーコ。
サラはゆっくりとチェアに腰を下ろした。
「ええ、直接ユイちゃんのご両親と話をしてくれるって。それで駄目でも、ユイちゃんの意志が尊重されるように必要な措置は取るって約束してくれたの。取りあえずはお任せかしらね」
表情がやや疲労しつつも、安堵の色が滲み出ている。
ショーコは軽く頷き「そりゃ、よかった。あんなヤツの言うなりにされてたまるものですか。所詮、統治機構の官僚にろくな人間なんかいやしないのよね。人間らしく赤い血が流れているのかしら?」
「ショーコったら! ユイちゃんがいるのよ」
口さがない彼女をサラがたしなめようとしたが
「いいんですよ。あたしだって、あんな人をパパだなんて思ってませんから」
つらっと言ってのけたユイ。
「ユイちゃん……」
本人にそう宣言されてしまっては、サラもそれ以上どうとも言いようがない。
サイもナナも黙っている。
ユイのプライベートに関わる一件だけに、口を差し挟む限りではないと思っていた。
ただ、ショーコの話を聞く限り、ユイの父親であるという人間は父親としての価値がとてつもなく薄いとしか思われない。サイもナナも、二人とも早くに父親を喪っているが、どちらも貧困の中で生きるのに必死ではあったが、その念頭には常に家族の存在があった。ユイの場合、余りにも父親が自分本位すぎていて娘と心の部分でつながる何物もないのであろう。家族であれ知人であれ、相手に対して心を開かぬ以上はどういう結びつきようもないといえる。結局、家族の絆というものは、一緒に長く暮らしているかどうかということはあまり重要なファクターとはなり得ないらしい。
そんな二人には、まだ見ぬユイの父親という人間の有り様が想像もできなかった。
ゆえに、無言で食い続けているしかない。
ショーコがそういうナナの様子に気が付き
「……ナナちゃん。あたしも他人のことは言えないけど、夜中に無茶食いすると太るわよ?」
「あたし、ここ数年体重が増えたことがないんです。どうやったら太れるのか、知りたいくらいですよ」
「……」
確かに、ナナの体型は他の女性陣のように肉付きが豊かではなく、ほっそりとしていて華奢である。
ショーコはじめ、サラ、ユイの視線が刺すようになっていた。
その日、都市統治機構本庁ではちょっとした騒ぎになっていた。
突如としてスティーレイングループ会長のヴォルデが姿を見せたからである。
「……スティーレイングループのヴォルデと申しますが。総務局補佐室次長のカルメス氏に面会をお願いしたいのですが」
このファー・レイメンティル州で彼の顔を知らぬ者などいない。
本来ならまず秘書が来て用件を告げるものだが、いきなり要人本人がやってくるなどというのはよほどのことでもなければあり得ないであろう。
まだ若い受付嬢は明らかに動揺した様子で
「あ、あの……お、お約束の方は――」
好々爺のように穏やかに微笑したヴォルデ。
「申し訳がないのですが、急にお訪ねしたものですから。――もし、ご都合がよろしくなければ、また出直して参りますが?」
「しょ、少々お待ちくださいませ!」
彼女は大急ぎで手元の機械を操作している。
返事を待つ間、ヴォルデはエントランスホールを見回していた。
吹き抜けの明るいホールは、三階部分までがぶち抜かれていて天井がとても高い。白を基調としているから、日の光が差し込むと眩しいくらいである。つい数年前に新築・移転されたこの都市統治機構本庁は最新のセキュリティシステムや各種設備が備えられていて、公官庁には不必要すぎるのではないかと物議をかもしだしたりした。
ふと見ると、大勢の職員が遠巻きに彼を見ている。
国家機構にまで知られている財界の大物が要人専用口から入ってきていないのが不思議なのであろう。
ヴォルデも、彼ほどの立場の者がいきなり相手を訪問したりすることの非礼は承知している。
が、今回ばかりは予め訪問を打ち合わせておくわけにはいかなかったのである。そんなことをすれば、恐らく彼の目的は達せられそうもなかったからだ。次から次と望まぬ人間――都市統治機構上層部の幹部だが――ばかりがやってきて、必要な話を必要な相手にすることができぬままになるであろう。
だから敢えて彼は突然訪問するという手に出たのである。
ややあって、受付嬢が受話器を置いて顔を上げた。
「ただいま、総務局の者がお迎えにやってまいりますので、それからご案内いたします。それまで、奥の応接室にて――」
「いやいや、それには及びませんよ」
ヴォルデはにこりとして「――以前もお邪魔したことがありましてな。失礼ながら、この建物の勝手は存じておるのです」
窓の大きな明るい応接室に通されたヴォルデ。
要人専用の部屋らしく、これでもかとばかりに整えられている調度品はどれも高級なものばかりである。スティーレイン財団ビルにもこういう部屋は用意されているが、そちらは色調に気をつけているだけで至ってシンプルである。これ見よがしに金銭的な余裕を物理的に表現するという感覚を、ヴォルデは好んでいなかった。であるから、労働団体・組織に所属する人間が彼を訪ねてくる度その質素さに驚き、以降好意的な見方をするのが常であった。一小規模会社から叩き上げて今のグループを築き上げたヴォルデは、成り上がりという言葉を何よりも嫌っていた。
ソファに腰掛けて待つうち、ほどなく一人の男性が入ってきた。
細長の長身に、黒い高級そうなスーツを身に着けている。美男といってもいい顔立ちではあるが相貌に愛嬌というものが欠片もなく、神経質そうにしきりに瞬きを繰り返している。
「……お待たせしました。会議に入っていたものですから。失礼をお許しいただきたい」
ユイの父親、カルメス・エルドレストであった。ファー・レイメンティル州都市統治機構本庁総務局補佐室次長。ゆくゆくは都市統治機構総務局長にもなりうる、相当なエリートである。
「一瞥以来でしたな。お変わりもなさそうで。突然お邪魔して誠に申し訳ない」
ヴォルデは立ち上がって柔らかく微笑したが、カルメスの表情は硬いままである。
二人は向かい合って腰掛けた。
すぐにカルメスは身を前に乗り出し
「ご来庁いただいた用件は察しております。ユイの件ですね?」
「その通りです。本来ならば、私のような第三者が立ち入るべき事柄でないのは重々承知しております。しかしながら――」上体を乗り出した。「このままでは、親子双方とも望まざる結果を招く恐れがあろうかと判断したのです。それで今日、お忙しいところ時間を割いていただいたのですが」
「私としては正直、あなたのような立場の方のお手を煩わすような話ではないとも思っているのですが」
言葉尻は丁重だが、その実「余計な節介だ」といっているようなものである。
そこはさすがにヴォルデも気が付いている。ゆえに
「率直に申し上げると、ユイさん自身の意志を私が自ら確認させてもらいました。本来は組織の直属管理者である総指令長や隊長がすべきかも知れませんが、ユイさんの現状については私に大きな責任がある。だから、間接的な対応にはしたくなかったのですよ」
「……ユイは、何と?」
「お嬢さんは、現状の継続を強く希望されています」
はっきりと言い切ったヴォルデ。
カルメスの表情が次第に苦々しくなっていく。
「それはまた……ユイもご迷惑を承知で、そのような」
言葉だけはどこまでも儀礼的である。
ヴォルデは流すように軽く頷いて
「こう申し上げるのも何ですが、以前と状況は変わっていないということです。まず、これだけは認識をお願いしたいと思いましてな」
そこから彼は微笑をたたえたまま、淡々と述べていく。Star-lineに引き続き残りたいというユイの希望、そして彼女を失うと業務に大きな支障をきたしてしまうであろうという隊の現状、などなど。
カルメスは何度も途中で何かを言い掛けようとした。腹中、言いたいことがごまんと渦巻いていたであろう。が、その都度口を開きかけるだけで言葉を呑み込んでしまっていた。
相手の立場ということもあるにせよ、こうも穏やかな調子で深々と切り込まれてしまうと、カルメスにとっては自分の主張を押し通しようがない。位負け、というものであろう。
が、ヴォルデがタダ者でないのは、押しだけでなく引きも心得ているというところにあった。
「とはいえ、これだけは誤解なさらないでいただきたいのですが――お嬢さんはまだまだ若く、そして広い将来がある。そのような未来ある人材を、いつまでも一警備会社社員としておくこともまた得策ではないと、私は考えています。ユイさん自身、まだ自分の将来について長期的な見解はお持ちでないという風にもみえますし」
「ほう……」
初めてカルメスが相槌を打った。ここにきて、心を動かされたらしい。
自尊心の高い人間というものは、押されっぱなしでは相手の主張に耳を貸さなくなるものである。が、己の望むところを一定部分でも受け入れられそうであるとなれば、多少は理解を示そうとする。ヴォルデはその機微を初めから心得ていた。
機を見逃さない彼は、さらにかぶせて
「当グループとしても、将来的にお嬢さんが勉学の道を志すということになれば、それなりの支援は約束いたします。最終的なお嬢さんの居場所が、当グループであるか否かは問わず、に」
「……なるほど。そういうお考えでしたか」
ついついヴォルデの言葉に引き込まれている。
「お嬢さんは機械工学に高い関心をお持ちで、ゆくゆくはCMD界で得難い研究者、もしくは技術者となられることは間違いないでしょう。今は業務をこなしながら実地に経験を積まれている状況ですが、このことは将来大きな価値をもつといって差し支えない。ですから、もうしばらくは大きな心で見守ってくださって欲しいのですよ」
嘘偽りはなかった。
ヴォルデとしても、ユイのような人材をいつまでも警備会社などにおいて置くべきではないと思っている。まだ先の話にはなるが――来るべき時がくれば、Star-lineも陣容を変えねばならなくなるということもある。新しい人材も登用せねばならないし、サラやショーコはじめ、現行の隊員達もこのまま永年勤続という訳にはいかない。勤務時間が不安定な警備会社などでいつまでも働かせていては、健康を害してしまう可能性だって高くなるのだ。
「そういうことでしたら、こちらから申し上げるべき何物もないというものです」
不承不承、といった表情ながらもカルメスは頷いてみせた。
「私や妻は、あくまでもユイの将来というものを何よりも心配しているつもりなのです。成り行きとはいえ、立場も省みずにご厚意に甘え続けるということが、果たして正しいとも思えなかったものですから」
先日、部下をしてStar-lineを訪問せしめた一件を指しているらしい。どこまでも立場と建前を重んじる彼らしい弁解の言である。
が、ヴォルデにとってそれはすでに興味がない。
重要なことは、カルメスとユイの間で再燃し膨張しかけているわだかまりを除去し、あとしばらくの間ユイの望む通りになるようカルメスを納得させられるかどうかである。
幸いにも、彼は理解の態度を見せている。
これ以上の長居は不要とみたヴォルデは
「では、当面のあり方については、引き続きこのヴォルデにお任せいただける、という認識でよろしいでしょうか?」
「そのように、申し上げたつもりかと」
真っ白い庁舎の廊下を歩いていくヴォルデ。
カルメスとの交渉は首尾上々であったといっていい。
が。
彼の表情は決して明るくない。
(カルメス氏はああは言ったが……もしかすると途中で主張をひっくり返してこぬとも限らないな。何よりも立場を重んじられる方だ。あまり、期待はしない方が得策かも知れないな――)
コンコン、とノックする音がして、レヴォスが入ってきた。
「……失礼します」
中では、ウィグが安物のチェアに腰掛けてぼんやりと天井を眺めていた。
入ってきたレヴォスに気が付くと微笑を浮かべ
「ん? 準備ができたのかな?」
「ようやく、全て整いました。一日遅れる見込みでしたが、何とか間に合いました」
「そうかそうか。ご苦労だったねぇ。四年越しの計画だから、君も大分苦労しただろう」と、そこまでは良かったが「俺が黙って散歩に出たり夜這いしたりするものだから、さ」
ニヤニヤしている。
半ば呆れる思いがしたが、来るべき時が来たという高揚感のせいか、レヴォスはいつものようにうるさく言う気にはならなかった。
「治安機構、警察機構はすでに我々の存在を偵知している気配があります。気付かれる前に、行動を起こしておくべきかと」
「……やるのかい? 早速」
「許可いただけるのであれば」
レヴォスの目をじっと見ていたウィグ。やがて云と頷き
「じゃ、やるとしよう。――とあればここは一つ、ありがたくもないだろうけど、ありがたい言葉の一つもかけて労ってやるとするかね」
立ち上がった。
このいい加減な人にもそれくらいの気遣いがあったのかとレヴォスは思ったが、それはさすがに口に出さなかった。代わりに
「お願いします。今回ばかりはかつてない決死の作戦となりますから、労われたならば彼等も喜んで死地に赴くでしょう」
「はいはい。わかってますよ、レヴォス君」
軽口を叩きながら、ウィグはドアを開けて部屋を出て行った。
「……」
部屋に独り残されたレヴォス。
彼はふと、ウィグ用のデスクに目をやった。
埃ばかりが積もっていて何の用もなしていない鉄製デスクの上に、たった一つ飾られている物がある。
あちこち傷つき欠け落ちた、木製の写真立て。
写真の中では、一組の男女が仲睦まじく寄り添い合い、笑っている。
髪の毛も無精髭も伸び放題な日焼けした男と、彼よりも大分若く美しい女性。表情にまだあどけなさが感じられる。
それが今から四年と少し前のものであるということを、レヴォスは知っていた。
この幸せそうな二人は、あの地獄のような事件を堺に 別々の世界へと引き裂かれてしまった。
妻帯していなければ想い人を持ったこともなく、これまでずっと独り身で通してきたレヴォスではあったが、そういう彼等の哀しみが理解できないでもない。長くテロ組織に属しているとはいっても、そこまで非情な人間になったつもりはない。
ただ、理解できればこそ、先日のウィグの行為が腹立たしくもあった。
彼が生きて姿を見せたとあれば、この不幸な女性になおさら辛い思いをさせるだけではないか、と思うのである。そのあたり、ウィグという男はよくわかっている筈なのだが、どうも腹の底と行動とが一致していない。
例え彼等の計画がほぼ成功してファー・レイメンティル都市統治機構と治安維持機構に大打撃を与えることが出来たとしても――その向こう側に、二人の幸福が戻ってくることはまずないであろう。
であればこそ、気持ちがただならなくとも対面は避けるべきだったと思うのである。
未来へとつながることもなく、かといって行き場もないウィグやその想い人の心。
考えただけで虚しくなってしまう。
レヴォスは狭い室内で独り、暗い気持ちになったまま佇んでいた。
すると、ギギギとドアが開いて、格納庫へ行った筈のウィグが戻ってきた。
「……そうそう、大事なことを忘れていたよ」
「はい」
何事かと思っていると、ウィグはいきなりデスクの上の写真立てを手に取り、中の写真を外し始めた。
そうして、ポケットからライターを取り出すと、それに火をつけてしまった。
「……!? 一体、何の真似です?」
これにはレヴォスも驚いた。
たった一枚だけ残されていた、何よりも大切な思い出の写真ではないか。
だが、止める間もなかった。
古くなって劣化していた写真は、瞬く間に炭となって散った。
つまんでいた写真の角の燃え残りをパッと放りだし、ウィグはニヤリと笑ってみせた。
「こうしないと、こちらの気合いが伝わらないでしょ? ほら、どこかの昔話であったじゃない。酒好きの将軍が部下の気を引き締めるために自ら酒ビンをかち割ったって話。それと一緒だよ」
「しかし。何も、大切な写真を燃やさなくとも……」
何とも言えない顔をしているレヴォス。
ウィグはその彼の肩をポンポンと叩き
「大事なことは、四年間の辛苦を無駄にしないことだ。それに比べれば思い出など、何の意味がある」
身を翻した。
「さあ、行こうじゃないか。初戦はやっぱこう、手際よく収めたいものだねぇ」
ヘヘヘヘ、と笑いながらウィグは出て行った。
(……バカなお人だ。そういう芝居など無用だというのに)
レヴォスはとっくに気が付いている。
彼に対するデモンストレーションというよりも、自らの未練を断ち切るための儀式であったということを。
彼という苦楽を共にしてきた同志に、見届けて欲しかったのであろう。
そうでもしなければ――恐らく、今も収まりのつかない彼自身の気持ちをどうにも落ち着けることが出来なかったに違いない。
決して不愉快な行為ではないが、余りにも哀しすぎるような気がした。
同時にレヴォスは、暗い予感を持った。
「……さてみんな、待たせちゃったねぇ」
数刻の後。
十機近いCMDが並立している格納庫の片隅で、男達が数十人、これまた規則正しく並んで立っている。油まみれの作業服を着ている者もいれば、工作員らしい黒のボディスーツを身に着けている者もいる。服装はまちまちだったが、どの顔もこれから始まる決死の計画を前に、昂揚した様子を隠せないでいる。
彼等の前にはウィグが立っており、その傍らにレヴォスが控えている。
「四年間にわたる計画の準備、皆ご苦労だった。君達の努力に、心から敬意を表したい」
一歩進み出て訓示を始めたウィグ。
いつもの軽い調子ではなく、なかなか統率者らしい態度と雄弁である。
「俺達は、四年前の復讐を果たすために、今まで着々と準備を進めてきた。かつて、我らが同志を理不尽にも騙まし討ちにかけた忌まわしき腐った都市権力を排除して、俺達の理想とする国家、社会を目指す。皆の奮闘に、大いに期待したい」
皆、活き活きと目を輝かせて、一言一句聞き逃すまいと集中している。
「ここにいるのは皆、アミュード・チェインから来てくれた同志達ばかりだが、実行段階においてはこの州を拠点としているリン・ゼール、ならびに下部組織テリエラの者達も手を貸してくれるとの確約を得ている。治安維持機構部隊は取るに足らないが、何分その物量は侮れないものがある。どうか、協力してあたって欲しい」
ウィグはゆっくりと首を動かして一人ひとりの顔を見た。
「襲撃計画については、先日レヴォス君から説明があった通りだ。段階を追って進めていくから、そのつもりでいて欲しい。――命を賭けた戦いになるが、みんな、これだけは約束してくれ。最終段階にたどり着くまでは、誰一人軽々しく果てるな。いいか?」
「ジアス・アミュード!」
男達が一斉に咆えた。
カイレル・ヴァーレンの地方の言葉で「神の思し召しのままに」という意味である。全員ではないが、彼等の半分以上はアミュード教の信者であった。というよりも、ウィグのような人間に言わせれば、ほとんど狂信者と変わりがない。これから間もなく、その神だという不確かな存在のために身命を投げ出そうとしているのである。
背後にいるレヴォスを振り返り、いいぞ、という風に頷いて見せると、
「……よし! では今から計画第一段階の実行に移る。2350をもって開始するから、それまで各自準備を終わらせておけ! 解散!」
レヴォスの号令で、整列していた男たちは一斉に持ち場に散って行った。どの男も死線を潜り抜けたことは一度や二度ではなく、どこか血の気の多い者達ばかりである。やはり、闘争となると血が騒いでしまうようであった。
そういう連中の姿を見て、くすりと笑ったウィグ。
(神の思し召し、か。神様というのは便利な思想だねぇ。神様一つで人間が簡単に死ぬんだから)