復讐編5 侵入者
ユイに関するちょっとした波紋があってから数日後。
「――サイ! サイ!」
サイはナナに揺り起こされて目が覚めた。
今夜はファーストグループの当番日である。
うっかりオフィスのソファでごろ寝してしまっていたらしい。もそもそと起き上がりながら
「……ん? 何かあったか?」
ナナはサイの目線の高さまで屈み込んだ。
「本部舎内の警備システムが侵入者の陰をキャッチしてるのよ。CMDではないようなんだけど」
一瞬で眠気が霧散したサイ。
侵入者とは、タダ事ではない。
「何!? 賊か? STRに発報は?」
「STRには連絡済み。よくわからないけど、赤外線に引っかかった人影は一つだけ。あとは誰もいないみたいなの」
制服の上着をひっつかみ、ソファから飛び降りながら
「悪いけど、ショーコさん叩き起こしてくれ! それからサラ隊長――はいないんだっけ」
彼女は今夜、ユイを連れてヴォルデの元へ出かけている。
ちらと見えた時計の針は午前零時を回っていた。
話が長引いているのであろう。まだ戻っていないらしかった。
警備システムが接続されているコンソールを覗き込むと、画面内ではStar-line本部舎全景が3D化され、ぐるりと回転して西側を表示した。そこに、赤いランプが点滅している。異影感知のサインである。システムでは完全に特定できていないものの「Not CMD」、つまりCMDでないことだけは確認している。
(西側か。こりゃ、宿舎棟があるじゃないか……)
しばらくD2NC体制が続いているから、現在宿舎棟に残っているメンバーはリファにブルーナくらいであろう。あとは、ガイト、そしてウェラ。
ガイトやウェラはともかく、リファとブルーナが危険だろうという気がした。
Star-lineの隊員である上に、どちらも相応に若い女性である。
変質者の類であれば、何をしでかすかわかったものではない。あるいは、テロリストの工作員であっても、最初に狙われるのは彼女達であろう。
そう考えたサイは、咄嗟に動き出していた。
「サイ! どこ行くのよ! 一人でいっちゃあ……」
「接触はしない! 俺も、怪我したくないからな! STR到着まで、様子をみる!」
叫びながら、オフィスを飛び出して行く。
不安そうな表情でそれを見送ったナナ。
(大丈夫だとは思うけど。あたしのカンだって、絶対じゃないんだからね――)
「……」
今夜もまた、眠りにつけない。チカチカチカチカと、時計の音だけがやたらと大きく聞こえて、気にしたくないのに気になってしまう。
昼間に昏々と眠ってしまうからだろうか、とリファは何気なく思った。
休職の扱いになってから、すっかり昼夜が逆転してしまっている。
昼に眠るクセがついてしまった。
誰かに会うのが、何となく怖い。これという理由がないから、それがどうしてなのか、自分にもよくわからない。とにかく、誰とも会いたくなかった。
もそもそとベッドから起きた彼女は、そのまま呆っとしている。
頭が少し、ずきずきと痛む。
ふと気が付くと、パジャマがすっかり汗くさくなっていた。
(着替えなきゃ……)
どうせ眠れないのだから、ついでにシャワーでも浴びようかと思う。
そうすれば、頭の中に鉛でも詰まったような、重たいこのイヤな感じもさっぱりしそうな気がした。
リファはもそもそとベッドから抜け出ると、パジャマの前ボタンを外そうとした。
「……?」
ふと見ると、ルームドアの傍に取り付けられているセキュリティシステムが、赤く点滅を繰り返している。重要指定保護市民扱いということで、宿舎棟の各部屋にはこういう機械が備え付けられていた。施設内への侵入者を検知すると、報せる仕組みである。
加えて、Star-line本部舎とも接続されていて、オフィスと連絡を取ることも可能になっている。
インターホンの形状をしているそれには、小さな画面がついている。
その画面を覗き込むと、施設西側に侵入者検知、との警告が現示していた。
「やだ……。すぐそばじゃない」
慌ててリファは、外しかけていたパジャマの前ボタンを閉じた。
部屋の窓は全て東向き、つまりStar-line本部舎・中庭側を向いている。
構造を上から見てみると、万が一の場合を想定して道路に面している西側の壁が厚くされており、かつ住居用のスペースは全て東寄りの三階から上に設けられている。廊下を挟んだ西寄りは共用スペース、もしくは物置のスペースとして設計されており、窓はない。建物の南側も同様の造りとなっていて、つまり通りの方からこの宿舎棟への侵入はほぼ不可能であるといえる。一応非常口は設けられているが、頑丈な鋼鉄製の扉に守られていて、機関銃程度ではびくともしない。この扉は、内側からであればスムーズに開くようになっていた。
今のリファにとってこれがどういう事態なのかといえば、もし宿舎棟に侵入を試みようとする者がいる場合、よほど強力な対CMD兵器でも持たぬ限り、東側の入り口からやってこなければならない。
要するに、窓から下を見ていれば、侵入者の動きをとらえることができるのである。
親友のイリスにボケボケ呼ばわりされているリファでも、それくらいのことは承知していた。
彼女は窓際に寄っていくと、そっと窓下を覗いた。
これも超硬度ガラスだから、多少の銃撃ではかすり傷程度しか与えることはできない。
「……」
宿舎棟前庭の向こう、植え込みのその奥に、Star-line本部舎の照明が見えている。
手前側の中庭は、侵入者対策で十分に明るいから、ネズミ一匹走っても確認することができる。
(誰も、いなさそう……?)
ふと気が付いて、部屋の照明を消した。
ショーコがやかましく言っていたのを思い出したのである。
『いい? セキュリティシステムで異常を検知したら、夜はすぐに電気を消すのよ? うっかり明かりが点いていたら、そこに誰かいるってわかっちゃうんだからね!』
言われた通りにしたと報告したら、ショーコはよくやったと褒めてくれるのだろうか。
リファはそんなことを思ったりしたが
(ううん、違うなぁ。フン、とかって鼻であしらわれるだけよね)
ここ数日、彼女の顔をみていない。
何度か部屋を訪れてきてくれているのは知っている。が、誰にも会いたいと思わなかったから、結局知らんぷりをした。
今も、余り会いたくはない。
その一方で、心の中では何となく懐かしいような気がせぬでもないのである。
(みんな、あたしのこと、どう思ってるんだろう……? 失敗ばっかりで邪魔くさいのがいなくなったとか、思ってるのかなぁ)
マイナスなことを考えると、途端に誰かと会うのが怖くなるのであった。
窓脇に屈み込んでそんな思惑にふけっているリファ。
その時である。
「……あれ?」
中庭の植え込みから、人影が現れた。
恐る恐る覗いて見ていると、人影は周囲の気配を伺っているのか、動きがネズミのようにこそこそとしている。どう見ても、ここの構造に明るい人間の動作ではない。
侵入者か、とリファは思った。直ちに本部舎へ連絡しなければならない。
が、そこで彼女は思い返した。
人影が何者であるのか確認もしないで騒いだ挙げ句間違いだということになれば、あとでこっぴどく叱られてしまう。
(やっぱり、誰なのかくらい、見ておいた方がいいよね……)
彼女にとって、今は不審者よりもショーコの雷の方がずっと恐ろしい。
やがて、人影はこちらにゆっくりと歩み寄ってきた。
暗いから、その顔形がよく見えない。
「……」
リファは身じろぎもせず、固唾を呑んで人影の様子を注視している。
そうして――宿舎棟玄関脇に立つ照明がその人物の相貌を照らし出した瞬間、リファは我が目を疑った。
その顔に、リファは確かに見覚えがある。
というよりも、忘れられる筈もなかった。
「ウィグ……? ウィグなの!? あの人――」
あっという間もない。
彼女は猛然と、部屋を飛び出していた。
ほとんど無我夢中で、どこをどう通ったのか覚えていない。
廊下を走り階段を駆け下り、入り口にたどり着くと、ドアを開け放った。
丁度正面に男が一人、佇んでいる。
「はぁっ、はぁっ……」
数日にわたる寝生活が祟っているのか、えらく息があがった。
「……リリアか」
静かではあるがはっきりとしたいい声で、男は言った。
「ウィグなのね!? 間違いないのね!?」
乱れたやや長めの髪。
ラインの良い細い顎に無精髭。
切れ長の涼しい目元に、きりりと引き締まった口元。
かつてと多少は面影が変わってはいたものの、彼女にとって、忘れられる筈のない存在であった。
「ああ、そうだ。お前の知っている、そのウィグさ」
フッと小さく笑みを浮かべた。「……運命の糸は切れない、か。ダメもとで忍び込んできたんだが、まさかいきなり会えるとはね」
「ウィグ……」
その場に力なくぺたりと座り込んでしまったリファ。
目に涙が浮かんでいる。
「もう、一生会えないと思っていた。だからあたし、あたし――」
「会っちゃならないとは思った。……だけど、出来ることなら一目でも会っておきたいと思ったのさ。あの時、お前を捨てて行った俺に、こんなことを言う権利はないのだが」
ウィグの眼差しが優しくなった。
「無事だったのね、ウィグ……。あの時の作戦で、あなたが生きているかどうかもわからないって聞いていたから、あたしは――」
涙が声を打ち消した。肩が小刻みに震えている。
ゆっくりと彼女の傍へと近寄って行ったウィグは
「お前には、本当に申し訳のないことをしたと思っているよ、リリア。もし、もし、俺の勝手な願いが聞き入れられるのであれば――」
「――動くな」
その時、宿舎棟門の方から鋭く声がかかった。
二人がハッとしてそちらを見やると、サイが片手に銃を構え、ウィグに狙いを定めている。
「侵入者が、こんなところで立ち話するのはどうかと思うぜ? よりによって、国際指名手配テロリストのあんたがな」
ウィグは静かに背後を見やり、その声の主を確認すると
「……ほう。あの時の、君か」
口ぶりが、親しげである。
「いやいや。ノックもしないで入ってきたのは悪かった。お詫びするよ。――だけど」
くるりと身体ごと彼の方に向き直ると、手の平でサイが握っている銃を指し示し
「そいつの使い方を知っているのかい? 君が思っているより、意外と言うコト聞いちゃくれないぜ?」
言い方は柔らかいが、明らかにサイを牽制している。
が、当のサイは冷ややかに答えた。
「知ってるよ。だから、どこに当たるかわからないんだ」
「おやおや。撃つ気があるのかい?」
「……当たりどころさえ気にしなければ、な。トリガーを引くだけなら、俺でもできる」
ウィグは黙った。
サイの言う通りである。
彼を狙っていたとしても、いざ発砲した場合、訓練を積んでいない人間が命中させることは至難の業である。まかりまちがえば、リファにでも当たってしまうだろう。ウィグが迂闊な真似をして万が一発砲に及んだ場合の保証はできないと、サイは暗に述べているつもりであった。
彼は一歩前に踏み出した。
「……俺もナナもな、あんたとかち会った事は黙っていたんだぜ? なのに、あんたにそうやって夜這いされた日には、こっちの黙秘も無駄になるってもんだ」
「……!?」
リファがハッとしたようにウィグの顔を見上げた。
「どういうこと……? ウィグ、サイ君とナナちゃんに会ったの?」
「……まぁね。偶然だけど、さ」
このことは二人が口を噤んでいたから、Star-lineの誰も知らない事実である。
数え切れないほど生命の危険をくぐり抜けてきているこの男は、サイに銃を向けられたくらいでは蚊が止まったほども気にならないらしかった。
先日公園で会った時そのままの余裕と爽やかな笑顔を見せつつ
「俺は別に、夜這いのつもりじゃないんだぜ? このリリア……じゃない、リファと一目でいいから会いたかっただけさ。それよりも、君がそう言うから、この間出会ったことがバレちゃったんじゃないか」
が、サイはその手に乗らない。
「冗談じゃない。あんたが最初に俺を知っていると口を滑らしたんだろう」
「そうそう、そうだった。俺が最初に言ってしまったんだな」
可笑しそうにしている。
この前といい今といい、この男の態度が砕けすぎていて、本心がどこにあるのかがつかめない。
多少持て余し始めたサイ。
「このまま、夜這いを続けるつもりかね? さっさとお引き取りいただけるなら、この前のよしみだ、黙ってお見送りしてやるよ」
ウィグはちょっと驚いた顔をした。
「ほう。俺を見逃してくれるのかい? それはまた、どういう風の吹き回しで?」
ついっと脚を踏み出してしまった瞬間である。
パァンッ!
銃声が轟き、弾丸が彼の左肩ほんのすれすれを掠めていった。
ピタリと動きを止めたウィグ。
「……おおっと。精度がいいじゃないか。どこに当たるかわからないなんて、ウソだったのか?」
「嘘じゃない。だから、お前は命拾いした」
だが、ウィグはその直感で悟っていた。
今の一撃はサイが態と反らしたものであるということを。
確かに彼は射撃の訓練こそ積んでいなさそうだが、銃自体がカスタムされているものであれば、よほど腕のひ弱な者でもない限り、狙った範囲へ弾を発射することは可能なのである。治安維持機構や、特別認可を受けた私設警備会社のみが携行できるカスタムタイプ制式拳銃がそれであり、ちょっと慣れれば「範囲」ではなく「ポイント」へ命中させることもできるため、優れ物といえる。
唯一の欠点は威力にあり、人体に直撃すれば十分な殺傷力をもつものの、わずかな遮蔽物に当たっても弾道が逸れたり、弾かれたりしてしまう。
このサイという青年は極めて冷静なままでいる、ウィグは思った。
そして、彼がドライバーとしてCMDのレバーを握る時、その実力は――恐らく、予想以上のものを秘めているに違いない。そんな気がした。
そのウィグの傍で何より怯えたのは、リファであった。
彼女は、本当にサイが発砲するなどとは夢にも思わなかった。
「……サイ君、お願いだからもうやめて! この人を、ウィグを黙って見逃してあげて! 本当にこの人は、ただ、あたしに一目会うために――」
今までのリファからは想像も出来ない必死な姿に、サイは意外な気がした。
同時に、このウィグという男が過去にリファの何であったのかも多少理解していた。
「……わかってますよ。俺達はこの前、そいつに見逃されているんです。その気になれば簡単に殺せたものを、ご丁寧に世間話で済ませやがった。――だから、言ったでしょう? 早いトコ帰りなって」
彼はゆっくりと、銃を持つ腕を下ろしていった。
「もうすぐ、STRも到着する。ぼやぼやしていれば簡単に袋のネズミだぜ、ウィグさんよ」
そういうサイの態度に、ウィグは嬉しそうな顔をした。
「そうか。やっぱりドライバー同士、通じるものがあるんだなぁ」
(この前もそうだけど、やけにこだわりやがる)
と、サイは思った。
ウィグは傍でへたり込んでいるリファに
「……彼が見逃してくれるらしいから、俺はこれで消えるよ。――元気でいてくれ!」
言い捨てるや否や、南側の方へと駆け去って行った。
「ああっ! 待って、ウィグ!」
リファの悲痛な声が響いたが、もはや彼は戻らなかった。
そのままウィグが消えていった方向を呆然と見つめていた彼女は、やがて力なく俯き、声を押し殺して泣き始めた。
「……」
何を言ったものかとその場に立ち尽くしているサイ。
が、ふと思い立って、泣いているリファの傍へ近寄って行った。
「……このままここで泣いていたら、状況を疑われます。今のことを知られたくないのであれば、すぐ部屋に戻って、それから泣いてもらえませんか?」
「……」
彼の言わんとしていることを察したらしいリファ。
こっくりと頷いて見せた。
のろのろと立ち上がり、宿舎棟の中へと戻っていく。
これで、たった今あったことは、他の誰にも知られずに済む。
それにしても、これまで明かされることのなかったリファの過去の一端が垣間見えてしまった。事もあろうに、その名を世界中に知られたテロリストの関係者であったとは。
ただの関係者ではないであろう。恐らくは――。
(厄介な過去を背負った人だな……)
彼女の打ちひしがれた背中を思いだし、呆れるような仕方がなさそうな表情のサイ。
「――サイ君! サイ君! いたら返事してぇ! どこぉ!?」
本部舎側から、ショーコの叫ぶ声が聞こえてきた。
その後STR警備隊も到着し、侵入経路等調査が行われた。
真っ先に駆け付けたサイは状況の説明を求められたが
「俺が来たときには、人影は植え込みの方へ逃げて行きました。なもので、どんなヤツだったかは――」
そう答えておいた。
「まったく、もう。危険なんだから、一人で飛び出したりしないでよね? いい?」
心底心配していたらしいショーコ。
彼女と共に駆け付けてきたナナも
「何もなくて良かったけど。やっぱり、ショーコさんの言う通りよ? 無茶しないでよね」
「あ、ああ。これからは、気をつけるよ」
侵入者はすぐに敷地内から逃走したということで、調査はひとまず終了した。
「ささ、戻りましょ。お腹空いちゃったから、昼間ウェラさんが持ってきてくれたアレ、夜食にしましょう?」
「はい」
STRを見送り、三人は連れだって本部舎棟に向かって歩き出した。
ウィグやリファのことが他の誰にも悟られていないことに、複雑な安堵感を覚えているサイ。
「……?」
そんな彼の傍を歩いているナナは、妙な気がした。
サイが携行している拳銃から、かすかに硝煙の臭いがしている。
「……ねぇサイ、ちょっと、いいかしら?」