復讐編3 遭遇
スティリアム物理工学研究所から、二人がもともと住んでいた地区までは、すぐそこである。
「……どうする? ナナ。寄ろうと思えば、寄れる距離だぜ?」
駐車場で車に乗り込みエンジンをかけてから、サイはそう尋ねた。
近いから、寄り道したところで時間もかからないから、皆にはバレないだろうという含みも込めている。
あの急転直下の騒動から数ヶ月。それ以来、二人は仕事以外のプライベートでこの地区に足を踏み入れたりしたことはない。訪れようにも何かと業務は忙しく、A地区へやってくるどころか二人きりでゆっくり出かけたことすらない。
サイもナナもStar-line入隊をもって住居の移転手続きは済ませている。
サイが住んでいた旧建築のアパートは他にも住人がいたから残っているだろうが、小さな一軒家造りのナナやガイトの住居は、恐らく取り壊されてしまっているであろう。あの頃こそまだ本格化してはいなかったが、ようやくこのA地区でも再開発工事が進み始めている。その証拠に、スティリアム研究所の南側、テロ集団との激戦があった通りを隔てたエリアもすっかり地ならしが終わり、足場が組まれていた。広範囲に囲われているところを見れば、大きなビルでも建てられるのであろう。
「……ううん。行かなくても、いい」
小さくかぶりを振ったナナ。
その気持ちが、サイにもわかった。
彼女は、自分が長年住んでいた住居が跡形もなく取り壊されてしまったのを、目にするのが忍びないに違いない。長い間辛い生活が続いた土地とはいえ、沢山の思い出が詰まっていることも事実である。彼女が思い切ってこの地区を離れたのは、言うまでもなく――大好きなサイが問答無用で押し切って、Star-lineに入隊させたからである。様々な思いはあったものの、結果としてナナはあれで良かったと思っている。生活も保証されている上に、ガイトも費用を気にすることなく療養に専念できることになった。そして何より、常にサイと一緒にいられるようになったことは、彼女にとって最も幸福なことであった。仕事が忙しすぎて二人きりになる時間がとれないことに多少の不満はなくもないが、いつ会えるのかわからないような離れ離れの状況におかれるよりは、遥かにましだといえる。
助手席の彼女の方を向いて、ちょっと片眉を上げたサイ。
「……了解。んじゃ、車出すぞ」
アクセルを踏みかけた。
「ちょっと待って」
ナナがストップをかけた。
「他に行きたいところ、訊いてくれないの?」
ちょっとすねたように言った。が、これはナナの甘えである。
彼女がそういう態度に出る時、サイは限りなく優しくなる。
「あ? ああ、ごめん。そうだったな。――どこに行く?」
デートなんかしちゃ駄目よ。ショーコがそう釘を刺したことなど、頭の片隅にもない。
ちょっと上目遣いに、ナナはサイに視線をやった。
「……南5C3Lの小公園。いい?」
小首を傾げてにこにこしている。
サイはちょっと驚いたような顔をして
「おお! あの公園か。もう長いこと行ってないよなぁ。ちらと見て行くか」
「うん」
二人が幼少の頃、よく遊んだ公園である。
公園といっても、都市の中心部によくあるような緑地化を目的として大規模に整備されたそれとは似ても似つかない。周囲に申し訳程度に植樹されていて、旧世代のモニュメントのようなちんまりした噴水が設置されているだけのものであった。この地区が開発された時にはさぞかし多数の住民が憩いの場として利用したであろうが、今となってはその面影もない。一向に整備されないから、あちこち雑草が生い茂り、噴水などは機関が故障してしまっているらしく、もう長いことその役割を果たしていないのであった。
それでも、二人にとって思い出の場所であることに違いはない。
サイはそちらへとハンドルを曲げ、十五分ばかり車を走らせた。
南5C3L付近はまだ再開発工事が着手されてないらしく、旧建築の住居がまだ至るところに残っていた。地震でもあったら崩れてしまうのではないかと思われるほど、どのアパートもボロボロで、コンクリートにヒビが入り、あちこち欠け落ちている。だが、干されている洗濯物が無数に見えているあたり、まだ住人がいるようであった。再開発も進まない筈である。
そんな建築物に取り囲まれるようにして、小公園は足元にひっそりと残されていた。
ろくに手入れされることもなく伸び放題に伸びきった樹木が、ぐるりと公園の外周に林立している。
公園入り口付近に車を停めたサイ。
「おお、懐かしいなぁ。少し、降りてみようぜ」
「うん」
車を降りると、ナナがそそくさと傍へきて、サイの腕をとった。
周囲には、全く人気はない。
「……初めてかもしれないな。二人で出かけるのは」
「うん。ずっと、忙しかったものね」
「悪かったな。サウスライトタワーにも行けてないし」
「いいの。これで、チャラにしてあげる」
ナナの両腕にきゅっと力がこもった。
二人は寄り添って、公園へと足を踏み入れた。
樹木や建築物の日陰となり、決して明るいとは言い難い。一応石畳が敷かれているものの、あちこちから雑草が飛び出しており、しかも地盤が歪んで敷石が捲れ上がったり割れたりしていた。都心部の公園には浮浪者が住みついたりしているが、この公園には以前からそういう者の姿はなかった。元々貧しい人々しか住んでいない地域だけに、宿無しの者がやってきたところでどういう利点もないに違いなかった。
公園の中央に、例の噴水があった。
自然石を用いた縁はすっかり割れており、真ん中に立っていた天使を模した彫刻は上半分が折れてしまい、台座程度しかなかった。当然、水などは出ていない。
が、ナナは笑顔になって
「うわぁ……懐かしい! ねぇねぇ、覚えてる? 確か5歳の時、サイったらゼダスと喧嘩して、この噴水の前で取っ組み合いをしたのよ。そうしたら二人とも、もつれ合って一緒に噴水の中に落ちちゃって。喧嘩しても泣かなかったのに、その後お母さんに怒られて泣いていたのよ、サイもゼダスも」
「そういや、そんなこともあったな。服を干している間、俺もゼダスも素っ裸で。いやいや、恥かしかったなぁ。……でも、その間にあいつと仲直りしたんだぜ? そん時ナナ、顔真っ赤にして家に逃げ込んじまったんだ。あははは――」
そう言ってサイが可笑しそうにすると、ナナはぷっとふくれて
「だって、心配になって外に出てみたら、男の子が裸で、下も隠さないで握手なんかしてるんだもの。男の人のそういうところって、よくわからないわ」
「……友情だ、友情。ゼダスの奴、今頃元気かなぁ」
ゼダスというのは、二人の幼い頃の遊び友達である。
サイがガイトの会社で働いている頃、食べていくために国軍に志願した。元々身体が頑強だった彼はストレートで入隊試験に合格し、この地区を離れていった。Moon-lights事件の時、サイは彼に少しだけ会っている。ゼダスがくれた情報によって、事件は解決に向かって動き出したのである。
「何であの時、喧嘩したの?」
思い出したようにナナが尋ねた。
しばらく記憶の引き出しを探っていたサイは、視線の先の空を見ていたが
「……ああ、そうだった。確か、あいつが俺に『お前、ナナのことが好きだろ?』とか言ってからかってきたんだ。そうじゃないとか何とか、言い合っているうちに殴りあってたなぁ。あいつ、力が強いからパンチが痛くて痛くて……。どうしようもないから、足掛けして噴水にドボン、さ」
それを聞いたナナは、表情を消してじっとサイの顔を見つめた。
「……そうじゃなかったの?」
彼女の様子が変わったことに気が付いたサイは、自分の発言に不適切な部分を発見した。
「ち、違う! ほら、男って妙に照れちまって、本音と別のことを喋ったりするだろ!? あれだよ、あれ。今だから言えるかも知れないけど、本当は、その、別に――」
「……」
彼が言わんとしていることを察しているものの、その口から直接聞きたいナナは黙っている。
少し前のサイなら、上手く言えなかったかも知れなかった。
しかし、この男は自分に適合した生き方を発見し、そこで我が実力が決して劣ったものでないことを悟った時から、すっかり変革していた。自信をつけていたのである。そうでなければ、今この場で隣にナナがいることもなかったであろう。
腹にぐっと力を込めて慌てた自分を鎮めると、サイはすぐ傍のナナに目線を移し
「……好きだったさ。好きだったから、からかわれて妙にテレくさかった。それにな」
既に冷静に戻っているというのに、この男はさらにこんなことを言った。
「ずっと好きなのは変わっていない。だから、俺だけStar-lineに入るなんて、ありえなかった。今も好きで、多分ずっと変わりようがない。変わる理由がない。――だから、この先も死ぬまで、例え死んでも、一緒にいられるようにしたいんだ、俺は」
「……!!」
目を大きく見開いているナナ。
この発言は、笑って聞き流せる類のものではない。
サイがナナに、プロポーズしたにも等しい。
確かに彼が一直線に自分を好きでいてくれていることはわかっていた。しかし、ここまではっきりと、具体的にその思いをその口から直接聞いたことは、あの騒ぎの一件以来なかった。今日、この場でそれを聞こうなどとは、青天の霹靂、思いも寄らなかった。
かといって、テレた余りいい加減に誤魔化すようなナナでもない。
「……うん。あたしも、そうしたい。サイとだったら、どこまでだっていけるわ」
俯いたその頬が、ほんのりと赤くなっている。
「この馬鹿騒ぎが収まったら、ゆっくり、考えようぜ? いいだろう?」
どこにそんな強さが潜んでいたのか、今日のこの男はまるで違っていた。
すっかり舞い上がってしまったナナはやや恥かしそうに、しかし嬉しさを堪えきれないように、微笑したまま俯いている。が、その両腕はしっかりと、まるで吸い付いてしまったかのように、サイの右腕を強く強く抱きしめていた。
二人はどちらからともなく、すっかり朽ちた噴水の縁に寄り添って腰掛けた。
ややノイズが混ざった、それでもどこか温かな静けさが漂っていく。
そんな時間がどれだけ流れたであろう。
しばらくしてふと、周囲に人の気配がした。
いち早く気が付いたサイがすばやく目線を動かすのと同時に、よほど気持ちが弾けていたナナが、慌てたようにして腕を放した。彼女にしては、珍しい動揺ぶりである。
ゆっくりと一人の男が近づいてきている。
横目で観察してみると、歳の頃は三十の半ばを過ぎたあたり、背丈がそこそこあり、よれた薄手の長いコート風な上着を身につけていて、前を開けたままにしている。多少伸びすぎた髪の下の容貌はやや野生的であるのだが、どこか知的で若々しい印象を与えた。ただ、黒すぎない程度に日焼けしていた。この焼け付くような季節のないこの都市では、ここまで焼けている肌の持ち主はそうそういない。
男は噴水の傍までやってくると、やや間をおいて腰をかけた。
妙な何事かを感じているサイが警戒を解かずにいると
「君達は……Star-lineの方かな?」
向こうから話しかけて来た。
歯切れがよく、いい声をしている。
反射的に男の顔に目をやると、無精髭が目立つものの、目元が涼しく口元がきりりと引き締まっていてなかなかのいい男面である。ショーコやティアが見れば、まず放ってはおくまい。
そういう敵意をまるで発していない男の様子に、サイの警戒心はやや和らいだが
「そうです。この恰好を見れば、わかりますよね?」
多少、言い方にトゲを含んでいる。
男は右手の平を天に向ける仕草をしながら
「ああ、それもそうなんだが……。俺は君達を、新聞で見たような気がしたんだ」
数日前の、ジャック・フェイン工作員制圧の記事であろう。
取材こそサラは断ったが、やたらと写真を撮られたような記憶がある。写真の掲載まで制限した訳ではないから、数紙に彼やStar-lineの面々の写真が載った筈である。現に、ティアはその中に自分を見つけて喜んでいた。
サイは胡乱くさげな表情をつくりながら
「ジャック・フェイン機鎮圧の記事ですかね? あれの記事なら、確かに俺達は載ってますが」
「そうそう、それだ。いやいや、あれだけ凄腕のテロドライバーを仕留めるなんて、どんな人間だろうと思ってね。新聞を読んだらどうやら、君がそれで、そのパートナーがそちらのお嬢さんであることがわかった」
確かに、記事を読めばそれくらいの情報はつかめるであろう。
「で? 新聞はわかりましたけど、それで俺達をつけていたんですか?」
サイがそういう言い方をしたのには、理由がある。
数か月前、Moon-lightsの騒ぎで出動した際、いかがわしい低俗なメディアの記者が馴れ馴れしく近寄ってきてサラにさんざん絡んだという一幕がある。それが脳裏に浮かんだのである。
が、男はやれやれ、といった表情でかぶりを振り
「いや、そうじゃない。散歩に出てぶらぶらしていたら、たまたま君達を見つけてね。お、噂に聞くStar-lineの隊員じゃないかと思って、さ。尾行なんかしてたワケじゃない。ま、いきなり話しかけてしまった無礼はお詫びするよ」
目じりを下げた。
鋭い感じは消えなかったが、微笑すると殊の外、人の良さそうな男にも見える。
そんな雰囲気に引き込まれてしまったらしい。サイのガードは半分以上オープンしてしまい、つい気を許したかのように、
「ふーん。じゃ、この近くに住んでいるんですか? 俺達、以前はこの地区のこのエリアに住んでいたもので。仕事で近くまできたもんで、懐かしくて立ち寄ってみたんです」
応えていた。
男は頷き
「そうか。君の言う通り、俺はこのエリアに住んでいるんだ。……と、いっても、最近やってきたばかりでね。まだ、何が何だかわからないんだ。だから、ヒマを見つけては、こうやって歩き回っている」
「ああ、なるほど。この辺、結構入り組んでいて複雑ですからねぇ。もう十数年も前から――」
気を良くしたサイが、さらに喋りかけた時である。
それまでずっと沈黙していたナナが、徐に立ち上がった。
「……あなた、良かったら名乗っていただける? ここの住人じゃないでしょう?」
何を黙りこくっているのかと思っていたサイは、驚いた。
彼女はその直感で、この男がタダ者ではないことを見抜いていたのである。
すると、男は否定もせずに申し訳なさそうな笑みを浮かべ
「そうだな。考えてみれば、失礼な話だ。俺も名乗らなくちゃ、礼を失するというものだな」
サイとナナが出かけて行った後、入れ違いにセレアがやってきた。
大きな紙袋を手にしている。
「これからの常勤体制のことを打ち合わせしに来ました。――それから、これは皆さんで」
「あー! パーラー・デ・メルフォのケーキだぁ! やりー!」
幼児のように喜んでいるティア。
甘い物早食い大会に出場しても楽勝できそうなこの娘は、都市中の有名なスイーツの店はほとんど把握している。
「すみません、お気遣いいただいて。――ティア、ミサ、お茶の用意をお願いね。サイ君とナナちゃんと、リファの分はよけておいて。残ったからって、全部平らげたら駄目よ!」
「はーい」
二人は袋を大事そうに休憩室へ運んでいった。
サラの言葉を聞いたセレアは、ゆっくりとソファに腰を下ろしながら
「……サイ君とナナちゃんは、お出かけかしら?」
「ええ。MDP−0の装甲強化について打ち合わせしに、スティリアムまで」
それには軽く頷いて見せたが
「リファさんも、ですか? どうも、彼女の気配がしないような気がしていたのですが」
こちらから報告しようと思っていたが、セレアの方から尋ねてきてくれた。
サラは声が大きくならないように彼女の傍にきて立ち
「実は、ですね、リファのことなんですが――」
2日前からの事の次第を報告した。
「そう。あのコが……」
さっと表情を曇らせたセレア。
そうして彼女は少しの間、視線を窓の外に向けていた。
サラとしては、どういう訊き方の仕様もないから、一緒に無言のままでいる。
オフィスに重たい沈黙が満ちている。
「――ちょっと! ティアちゃん、いる?」
壁の向こう側を、叫びながらショーコが通過していった。
やがて、セレアはゆっくりと首を動かし、サラを見上げた。
どこか、哀れむような悲しむような、何とも言えない情がその顔に浮かんでいる。
「少し、あのコをそっとしてあげておいてください。今はまだ、心に受けた傷が癒えていないのです」
そんな言い方をした。
心に受けた傷?
引っかかるキーワードが飛び出してきたが、訊くにも訊けない。訊いてはいけないような気がした。
もともと、リファはセレアが連れてきて、Star-lineに入隊させた。
恐らく、というよりも間違いなく彼女は全ての事情を知っているであろう。しかし、セレアが口にしない以上、迂闊に口外できない内容であることは確かである。
「……わかりました。数日、担務から外して療養に専念してもらうようにします」
喋々を要せずとも自分の責任を素早く感じとり、実務的に返答するサラの忠実さを、セレアは好ましく思っているから
「ええ。サラ隊長には、本当にご迷惑ばかりおかけしますね。いつも、申し訳なく思っています」
丁寧に頭を下げた。
「いいえ、そんな……」
そこまでされると、サラとしては恐縮せざるを得ない。
「――何であんた一人、そんなに大きく切るのよ!」
静まりかえったオフィスとは対照的に、廊下にでかでかとショーコの声が響いている。
ティアの不正を現認し、摘発したのであろう。
「――ウィグ・ベーズマンさん?」
おうむ返しに訊き返したサイ。
「ああ。この辺では、聞きなれない名前かな? お嬢さん」
なおもナナはウィグといった男を睨んでいる。男はそんな彼女に気がつき、態とおどけてみせた。
が、一度疑ってかかった以上、ナナの勘はいよいよ鋭くなる。
「質問の仕方が、悪かったわ。――あなた、テロ屋でしょう? 違うかしら?」
「……!?」
サイは仰天した。
白昼堂々と、警備屋とテロ屋が大人しく談じ込むという場面があるだろうか。
しかし、ナナの直感は絶対である。
「はっはっは――」
男は愉快そうに笑い出した。
「何もかも、お見通しだなぁ。いやいや、こりゃ、カッコ悪いぜ。最初から、名乗っておくんだった」
サッとサイは身構えた。背後にナナを庇うように。
しかし、ウィグは笑いを含んだ表情でゆっくりと両手を挙げ
「おいおい。そんなに嫌わないでくれよ。俺は今、銃なんか持っちゃいないぜ。……なんだったら、身体検査してくれてもいい。触ってくれてもいいぜ、お嬢さん」
「……」
「それに、君達を殺害しようと思ったら、陰から狙い撃てば済む話じゃないか。だけど、俺はそういうのが嫌いでね」
「……CMD乗り、だからかい?」
サイが先回りして言うと、背後でナナがちょっと驚いている。
「ご名答。やっぱり、ドライバー同士、呼吸が合うものだなぁ。――何でわかったんだい?」
やんわりと、嬉しそうな表情をしているウィグ。
「あんたの雰囲気さ。別に、はっきりした理由があった訳じゃない」
「やりあうなら、CMDじゃないと、な。幾らテロ組織にいるとは言ったって、直接人間に危害を加えるのはまっぴらだ。だから俺はドライバーになった」
何でもかんでも人を殺すことが彼等の役割だと思っていたサイは不思議に思った。彼が今までに遭遇した連中は、問答無用で彼の命をねらってきていた。
こういう種類のテロ屋も、いたものだろうか。
が、そこでサイは気が付いた。
このウィグといった男、自分の操縦技術に絶大な自信を持っている、と。
そういう自信から発される何事かをサイが無意識のうちに感じとっていたのであろう。それゆえ、ウィグがドライバーであると言い当てられたに違いなかった。
内心どぎまぎとしながらも、彼は表面上至って冷静でいる。
自分だけならまだしも、すぐ傍にナナがいる。
もし目の前の男が豹変して牙を向くなら、なんとしても彼女を守らなければならない。そういう責任感びた気持ちが、サイを事の外奮い立たせていた。
「……そうかい。でも、そうやって人を傷つけるのが嫌いなんだったら、どうしてテロなんかするんだ? あんたの言っていることは矛盾しているように、俺には思えるが」
テロリストに対する発言にしては、かなり強気である。
すらすらと応対している彼にどこか安心しているナナは、この状況を任せきってしまっている。
サイが動揺して使い物にならなかったら、恐らく彼女が前に立ってウィグの相手をしていただろうが――。
両手の平を開いて、やれやれ、といった仕草をしたウィグ。
「俺だって、まともな、そうだな……都市機構官僚の家にでも生まれていたら、わざわざこんな風にならなくて済んだかも知れないぜ? そういう環境の中で生きていかなくちゃならなかったから、どうしようもないことなのさ」
彼は周囲に林立している古びたアパート群を指し「この地区に今も住んでいる貧しい人達だって、好き好んでここでこんな暮らしをしていると思うかい? 君たちも、以前ここにいたと言っていたから、俺の言う意味がきっとわかると思うんだが」
なかなか雄弁である。相手をやりこめることなく納得させる雰囲気ももっている。
サイはやや気圧された。
「……」
すると、二人のやり取りを聞いていたナナが
「……それは違うわ。あなたの生きてきた環境が例えそういうものであったとしても、自分達以外の物を破壊したり結果として他人を傷つけて当たり前ということにはならない。あたし達だって好きで貧しかった訳じゃないけど、そこから逃れるために誰かを傷つけたりなんてしていない。――ここに住んでいる他の人達もそうよ。それは、テロリストの理屈。あたし達と一緒にしないで」
切って捨てるような彼女の語気にサイは一瞬ひやりとしたが
「おやおや。なかなか、手厳しいお嬢さんだ」
ウィグは負けた、という風に笑ってみせた。
「確かに、な。俺の例えが悪かった。……ま、仕方のないケースもあるって、そう思ってくれよ」
テロリストにまつわる調査という警察機構の資料を、サイはふと思い出していた。
これまでに実行犯として逮捕されたテロリストの取調べに携わってきた刑事の手によるものだが、犯人がテロ組織に身をおくに至った動機は、大きく分けて二つしかないという。
本人は決して望んでいないにも関わらず、様々な事情を得てテロリストにならざるを得ないケース。そして、社会に絶望したりあるいは社会や政府に強烈な恨みの感情を抱いて、復讐の念からテロリストの道を選ぶ者。自分はその前者であると、彼は言っているらしい。
それが真実であるかどうか、サイやナナには確かめるための材料は何もない。
ただ、ウィグがこうやって一切彼等に危害を加える意志を見せないという態度そのものが、もしかするとそれを裏付けているのかも知れなかった。
「……」
テロリストにあっけらかんと心の部分を曝け出すという行為に出られてしまった以上、二人はどういうリアクションのとり様もない。ひたすら固まっている。
眉を下げて、人の良さそうな相好で微笑しているウィグ。
双方の間に、いつ弾けてもおかしくない沈黙が横たわっている。
その沈黙が破られる時は、すぐにやってきた。
『――てください。繰り返します。当州には現在、非常に凶悪なテロリストが潜伏しているという情報が入っています。不審な人物を目撃しましたら、すぐに最寄の警察機構もしくは治安維持機構へ――』
そう遠くない位置で、スピーカーからマシンボイスが流れている。
都市統治機構の広報街宣車であろう。住民に、警戒と協力を呼びかけているらしい。
音のする方向へ、ウィグはひょいと首を向けた。
「……おお、これはいけない。姿を見られると、厄介だ」
そう呟いてから二人の方へ向き直り
「あちらさんは俺のカオ、知っているからね。俺はあちらさんの顔を知らないってのに」
可笑しそうにしている。
ようやく、サイは何かを言うタイミングを得た。
「……あんた、これから、この街で何か仕出かすつもりなのか?」
自分やナナ、Star-lineを攻撃するつもりなのかと暗に問うている。
「ああ、仕出かすかな。――と、言っても、君達のような私設警備会社に対して真っ向から襲撃したりなんかしないよ。目的は、別にあるからね」
サイの質問の意図を察したのかどうか、彼はそんな事を言った。
そうしてウィグは身を翻して立ち去りかけたが、つと脚を停め
「――俺は、ジャック・フェインのウィグだ。もしかすると、どこかで会うだろう。その時は、お手柔らかに頼むよ。ドライバー同士、仲良くやろうぜ」
「……!?」
瞬間、サイもナナも凍り付いた。
世界のあらゆる治安組織が最も恐れるテロ組織の人間ではないか。
既に潜伏している可能性は示唆されていたが、まさか目の前に堂々と姿を見せるなどとは、想像もしていなかった。
口中からすっかり唾液がなくなっていたサイは、やっとのことで言葉を発した。
「……何言ってやがる。こっちの機体もデータも、とうの昔に知り尽くしているクセに」
「いや、そうじゃない」
もう一度二人の方を向き、宙ぶらりんな両手を上着のポケットに突っ込んだウィグ。
「確かに、治安機構やその他の強力な警備組織のデータを集めてはいる。……しかし、君というドライバーの哲学までは、データじゃわからない。俺の経験から勝手にそう思っているだけだが、CMDの乗り方を決めるのはドライバー個人が蓄積してきた経験に支えられた哲学っていうものだと思うが。――違うかね?」
面白い事を言う、とサイは思った。
表現の仕方に個人差はあるものの、衝いてる真実はその通りかも知れない。
サイ自身、故障寸前の土木作業用機から新造のMDP−0まで、機体を幾つか乗ってきた。そのどれも、周囲の人間が絶賛するような乗りこなし方をしている。これはつまり、CMD搭乗の本質が、機体の良否だけで決定されるものではないということを如実に物語っている。
胸中の深みを相手に知らしめているあたり、やはりジャック・フェインはそこら中にいるような末端組織の人間とは格が違うのかもしれない。サイはふとそんなことを考えていた。
それだけに――敵として戦う場合には、相当容易ならざる相手となるであろう。
そういう思念を働かせていると、急にあらたまった様子で
「別れる前に、一つだけ尋ねておきたいのだが」
「……何か?」
ウィグの顔から、今しがたまでの余裕をもった表情が消えている。
「リファは……リファ・テレシアは元気かね?」
「……!?」
サイもナナも驚いた。
なぜ、さっき初めて会ったばかりの男が、リファの名を知っているのか。
「どうして、その名を? お知り合いなのかね?」
思わずそんなストレートな訊き方をしたサイに、ウィグは一瞬視線を地に落としてから
「……彼女には、申し訳のないことをした。もし、もう一度会えるものなら」
ナナがついハッとした程、目が怖い位真剣になっていた。
しかしすぐに元の人の良さそうな表情に戻り
「――いや。何でもない。失礼したな」
小さく呟くと、ウィグは背を向けて立ち去った。
その背を、半ば呆然と見送っている二人。
ウィグの姿は、すぐに視界から消えた。
程なく、広報街宣車が小公園そばの通りを行き過ぎていった。
『――テロリストは、皆さんの生活を、そして、社会を破壊してしまいます。決して、許すことはできません――』
二人は、A地区を後にしてL地区へと急いでいる。
言い様のない脱力感に見舞われたまま、ハンドルを握り続けているサイ。
接していたのはほんの僅かな間に過ぎないが、ウィグという男は強烈なインパクトを残して去って行ったといっていい。
妙な気がした。
ああまで明るく、まるで殺気のないテロ組織の構成員など、聞いたことがなかった。実際にテロリストに殺されかけたこともある彼は、決して先入観だけでとらえていた訳ではない。それだけに、ウィグという男の存在は衝撃的であった。
ハイウェイに乗ってから少しして、流れていく景色を眺めていたナナがぽつりと言った。
「……あの人、本当に、好きでテロ活動しているんじゃないのかも。後に引き返すことができなくて、もうそうするしかない、っていう雰囲気ね」
俺と似てるかも。
サイはふと思った。
立場は真逆だが、もはや彼はStar-lineなしに生きていくことはできない。どうすることも出来ない以上、その場で生きていくよりない。ウィグが言った言葉を反芻しているうち、奇妙なほどの実感を伴って明確になっていくような、そんな気がした。
半時後、二人はStar-lineに戻ったが、ついさっきジャック・フェインの人間と遭遇したことは皆に黙っていた。
そういうことにはならないであろうが――通報すれば、それはウィグを売るような、そんな気がした。あの男という人間が垣間見せた否定しようのないフェアな部分に触れてしまえば、例えばそれがショーコやユイであったとしても、恐らく口外しないであろうと、サイは思うともなしに思っている。さらに、ウィグは「私設警備会社を目的にはしていない」と、彼自身の口から言った。その結果として政府機関が狙われることになったとしても、今、Star-lineとして彼を拘束すべき動機は薄い。Star-lineのそもそもの使命は、スティーレイン系企業・施設の警備であって、犯罪者を片端から検挙する責任も権利もない。
それに、サイもナナも重大なキーワードを聞いてしまっている。
リファ――。
彼女とウィグに一体、何があったというのか。
ありきたりな想像はつくものの、真実はその想像よりも遥かに劇的で過酷なものであったということを、後に二人は思い知ることになる。