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挿入話 親父の哀愁

『あーなたをぉ、おもうぅ気持ちぃがぁ、こんなぁにもぉつーよくーてー――』

 足許から照射される虹色のライトを浴びながら、力一杯マイクを握りしめ、並んで熱唱しているティアとミサ。

 その前では、リファとブルーナがそんな彼女らにお愛想程度の手拍子を送り続けている。

「――でっさぁ、コケたのよ、そいつ! すっげーバカでしょお!? あはははは」

 狭くはない個室のとある一角では、ショーコが両脇にサイとナナを従え、歌そっちのけで馬鹿笑いをしている。ティアの下手くそな歌などに興味のないサイもナナも、ショーコがする馬鹿話に笑わされ続けていた。セカンドグループ三人娘の入隊以来、この三人は何かというと団結することが多くなっていた。

 一方、場に似つかわしくない生真面目な顔で何やら業務の話にふけっているサラとユイそしてシェフィ。

 Moon-lightsの騒ぎでお預けになっていた新体制発足祝いならびにセカンド三人娘歓迎会である。

 警備会社である以上隊員全員揃ってのパーティなどはまず不可能なのだが、そこはセレアがヴォルデに相談し、一晩だけ委託警備に切り替えてくれたのである。リン・ゼールやテリエラの活動が活発化していたらこうもいかなかったであろうから、時期的なタイミングも良かったかも知れない。

 場所は個室貸切で飲み放題に歌い放題の店である。

 基本的に良い酒が飲めればそれでいいリベルやショーコは余りこういう場所を好まないのだが、何分隊には若い娘が多い。ただ飲んでいるという訳にもいかないだろうという、そこは隊長サラの心配りなのであった。飲み放題にしてはそこそこの銘柄が揃っているから、例の二人も黙って承知した。

 こうなると一人当たりの飲み代は決して安くはないのだが、ヴォルデとセレアからそれなりの寸志が届いている。隊員達の負担はほとんどないようなものであった。

 ふと、自分のグラスが空になったショーコが

「ユイちゃーん! あたしオールド・エクセレントをロックで! なんならボトルごとでもケースでもいいわよ!」

「はーい! りょーかいでーす! あと、注文ありませんかぁ?」

 個室だから、内線でフロントに注文しなければならない。

 たまたま、ユイが内線電話のすぐ傍に座っていたのである。

 彼女は一通り皆のオーダーを聞いたあと

「……あれ? リベルさんがいない。どこ行ったのかしら?」

 彼の席だけが空いている。

「お手洗いじゃないかしらね」サラはそう答えてから「……にしちゃ、ちょっと長いみたいね。気分でも悪いのかしら?」首を傾げた。

「まっさか! あのリベルさんがこれしきのアルコールで酔っぱらう訳ないじゃん! 電話でもしてるんじゃないの?」

 リベルとショーコはStar-lineきっての酒豪である。ショーコはそれを言っている。

「……俺、ちょいと見てきます」

 この場合、男子トイレを覗けるのはサイしかいない。

「お願いね。注文あるなら訊いてきて頂戴。ここの店、持ってくるのがちょっと遅いみたいだから」

「了解っす」

 個室を出たサイ。背後では、完全に酔っぱらったティアのワンマンショーが始まろうとしていた。

 まずは男子トイレへ行ってみた。

「リベルさん、いますか……?」

 恐る恐る声をかけつつ中を見てみたが、誰もいない。

(あれ? トイレじゃないとなると……電話だろうか?)

 この店はやたらと広く、しかも廊下が迷路のように入り組んでいる。

 リベルの姿を探してきょろきょろしながら角を曲がりかけた、その時。

「――それは、わかってる。……うん、うん、そうだろうさ。俺も、そのことは否定しない。むしろ、今でも悪いと思っているし、謝りたいと思っているよ」

 リベルの声がした。

 サイはハッとして足を停め、そっと物陰から覗いてみた。

 壁にもたれて携帯端末で話をしている。

「でも、今はそういうことを言っている場合じゃないと思う。俺にできるだけのことはしたい。――うん、うん、わかる、それはわかるよ」

 声のトーンが低い。

 相手の調子に合わせようとしているのか、しきりと相槌を打っている。

(……?)

 プライベートの電話に耳を傾けては悪いと思いつつ、サイは気になって仕方がない。

 それというのも、こんなにしんみりと、言葉数を尽くして詫びを入れている彼の姿を初めて見たからである。作業服で黙々と作業に励んだり飯を食っている普段のリベルからは、とても想像が出来ない光景であった。

「――そうか。そうだよな……うん、わかったよ」

 黙って聞き役になっていたリベルは、やがて承服したように返事をすると

「父さんが、申し訳なかったと謝っていたと、伝えておいてもらえるかね?」

(父さん……?)

 物陰でこっそり驚いているサイ。

 入隊してこのかた、リベルの素性など聞いたこともなかったが、いつもの言動から察するに独身ではないかと思っていたのである。多少女癖に難があって婚期を逸し今に至っている仕事だけは熱心な男――というのがサイの印象であった。

 彼が発した「父さん」という響きに妙なものを覚えつつ、サイは慌ててその場を離れた。

 リベルの電話が終わったからである。



 結局、ティアは最後までマイクを離さなかった。

 しゃんとしているのはブルーナとユイくらいなものだが、この二人は下戸と未成年だったからである。気がつけばミサは何を思ったか飲みもせぬ酒をあおってぶっ潰れ、やや訳のわからなくなっているリファに背負われていた。シェフィも何だかんだで飲んでしまってふらふらしており、サラにしがみついて意味不明な発言をエンドレスリピートしている。どうやら、W地区での一件が本人なりに納得していないということらしい。

「んじゃま、まずは一丁お開き、ね。ほんとーの飲み会はここからよ!」

 気勢を上げているショーコ。

 正直なところ早く帰りたいサイとナナだったが、彼女にがっちり抱き締められているから逃走は不可能であった。こうなった以上、酔い潰れるまで付き合うしかない。

「じゃ、あとは頼むわね? 私達は宿舎棟に戻るから。――サイ君とナナちゃんに無理矢理飲ませたりしちゃ駄目よ? あなたのような大酒飲みじゃないんだから」

 サラが釘を刺した。

 放っておけば、嫌がる二人の口を開けさせて酒を流し込みかねない。

「わーってるって! あたしはまだ、全然へっちゃらよ! ってか、ティアの狂った歌なんか聞かされて、却って酔いが醒めちゃったわよ」

 それはサイもナナも同感である。 

 個室から出ようとして、ショーコはふと振り返り

「リベルさんも行かない? ここんとこ飲んでないから、全然物足りないでしょ?」

 誘ってやった。

 面子的に、彼が苦手とする人間はいない。

 が、リベルはすぐに片手拝みをしてみせ

「あー、すまん。今日はちょっと、帰らしてもらうわ。……別に、一人で違う店に行く訳じゃないぜ」

 一瞬疑ったショーコだったが、リベルは心底申し訳なさそうな顔をしている。

「そお? じゃ、しゃーないわね。――それでは、行くわよ! 我が弟に妹よ!」

 彼女に引き摺られるようにして、店を出たサイとナナ。

 さっきの電話の件だろうか?

 夜の街を歩きながら、サイはふと思った。



 歓迎会から二日後のこと。

「――うっし! じゃあ、MDP-0から行くわよ! 間接起動でやるけど、おかしいと思ったらすぐ直起動に切り替えてダウンさせること。……リベルさんは電圧のチェック、準備いいかしら?」

『了解っす』

『DX-2、シェフィ了解です!』

 ハンガーでは、ショーコが中心となって機体の電導試験を始めようとしていた。

 電装系パーツを交換したりメンテを行った後に必要なチェックで、バッテリーから供給される電力が正常であるか、あるいは各部にかかる電圧が異常値となっていないかを調べるのである。これを怠り、万が一不具合などがあったりすると、例えばシェフィが負傷したケースのように、過電圧を起こして内爆の原因となったりする。

 地味ではあるが重要なチェックゆえに、これを担当するのはStar-lineの整備長であるショーコか、もしくは副整備長の肩書きを持つリベルになる。

 が。

「……」

 リベルの返事がない。

 そちらの方を見やれば、リベルは真剣な顔で携帯端末の画面を睨んでいた。

「リベルさーん! 聞こえてるー?」

 これがティアやミサなら落雷ものだが、さすがのショーコといえども年上相手に怒鳴ったりはしない。親子ほども年齢差があるのだ。

「……」

「……リベルさーん」

 三度目を呼びかけると

「……あ? どうした? 呼んだか?」

 ハッとしたように顔を上げた。

 ショーコは腰に両手を当てて

「電導試験、スタートしますけど、いいですか?」

 すると、リベルはちょっと困った表情をしてもう一度携帯端末の画面に視線を落としてから

「……嬢ちゃん、悪い! 俺、ちょっと抜けさしてもらうわ! すまん!」

 言い捨てておいて、オフィスの方へ走って行ってしまった。

「……?」

 呆然としているショーコ。

 作業を途中で放り出していなくなるという法があったものだろうか。

 MDP-0のコックピットからサイが顔を出した。

「ショーコさーん、まだっすか?」

「まだというか、何と言うか……。リベルさん、いきなりいなくなっちゃったのよね……」

 電導試験を中断し、ショーコはオフィスへ行ってみた。

 中にはサラ一人しかいない。

「あら? リベルさん、こっち来なかった?」

 サラもまた、困惑した顔で

「それがねぇ、急に『済まない。ちょっと上がらせて貰えないか?』って頼み込んできて……。必死そうだから断れなかったのよ」

 どこかへ行ってしまったという。

「ありゃま。何だって、急に」ばりばりと頭を掻いているショーコ。「電導試験、済ませなかったらヤバいじゃない。緊急発報入っても出動できないわよ」

「なぁに? 電導試験の途中だったの?」

 リベルらしからぬ中途半端さだとサラは思った。

 こんなことは今まであったためしがない。

 彼女はチェアから腰を上げ

「じゃあ、私が代行するわね。メーターのチェックはショーコにお願いするわ。私が見てても、微妙な加減がよくわからないから」

「そぉ? じゃ、頼むわ」

 そうして、電導試験は再開されたが――

「サイ君! すぐに全部落として! ブロックB、D、F、過電流よ!」

『もう、落としてまーす。死にたかありませんから』

 コックピット周りの電装部品が異常値を示し、電導試験は即中止された。

 いわゆる整備不良である。

「誰よ、ここのブロードコネクタ交換したの!? こったら過電流起こすなんて、ただの交換ミスじゃないよ!」

 すでにショーコは積乱雲状態である。

 落雷を恐れて彼女との距離を開けているセカンド三人娘。

 一歩間違えば大惨事、という事態に、普段はメンテナンスに口出しすることのないサラも

「これはちょっとまずいんじゃない? ――MDP-0の作業やってた人は、誰かしら?」

「あたし、アタマいじってましたー」これはユイである。一抜け。

「……脚よ」ナナ、二抜け。

「俺はプログラム修正してましたから、電装品は……」

 最後に残ったサイも無罪である。

 ショーコは首を傾げた。

「ってことは……あの人しかいないじゃない」

 基本的に、各グループのメンバーは自分のチームの機体を担当することになっている。

 ゆえにセカンド三人娘のいずれでもない。

「あら! そうしたら、作業したのリベルさんじゃない!」

 信じられない、といった面持ちのサラ。

 彼がそういう細かいミスをすることなどありえないと思っている。

 皆、リベルに対しては同じことを思っていたから

「……珍しいこともあるわね」

「うわー! 今日は雨、降るんじゃないですかぁ?」

 怒るよりも驚いている。

 ショーコはうーん、と唸ってから「なんか、やったらと携帯端末を気にしていたのよね。プライベートでなんかあったのかしら?」

 今までになかったことである。

「あーっ! それって、それって!」ティアがすばやく食いついた。「恋人ですよ、こ、い、び、と! メールが気になっちゃって、仕事にならなかったんですよ! 絶対!」

 誰でも思いつくようなありきたりの発想に

「……それはないわね。誰かさんには頻繁にあったとしても」

 ナナが冷たく全否定すると

「そうね。リベルさんに限って、それはないと思うわ。仕事抜け出してまで、女性の元に走るような人じゃないもの」

 サラが相槌をうった。

「えーっ! だってだって、他に考えられないでしょお! ミサも思うよね?」

 同意を求められたミサは、十秒ほど経ってから「ぽむ」と手を打ち

「……きっと、お子さんが、生まれるんじゃないでしょうか……?」

「……ミサさん、リベルさんが今幾つか、知ってる?」

 そんなワケないでしょ、と言わんばかりの口振りのユイ。

 が、ショーコはお子さんという言葉を耳にして、ふと

(そういえば――)

 Star-line発足直前、行きつけの屋台で一緒に飲んだ時に聞いたような気がせぬでもない。

 リベルには確か、娘が一人いた筈ではなかったか?

『俺もなぁ、嬢ちゃんくらいの娘がよぉ――』

 記憶が甦ってきた。

 娘がいる。

 とはいえ、今日の彼のミスと早退がその娘に関係しているのかどうかはわからない。

 ――もう一人、別の疑念を抱いている者がいる。

(リベルさん、この前の電話の件かな? やったら謝っていたのと、何か関係があるんだろうか?)

 サイもまた、例の飲み会で垣間見えたリベルのただならぬ様子を思い返していた。

 思い込みなのかも知れなかったが、あれ以来リベルはすっかり精彩を欠いてしまっているように思われてならない。

 ともあれ、リベルについて議論をしていても始まらない。

 やむを得ず交換ミスのあったパーツを再度やり直し、その日はなんとか電導試験を終了した。



 次の日、リベルは出社してこなかった。

 そのまた次の日も、休んだ。

 無断欠勤という訳ではなく、一応朝のうちに連絡だけは寄越してくる。

「どうかしたんですか? どうしても話せないなら無理は言いませんけど、その、みんなも心配していますし……」

 サラが理由を問うと、リベルは電話の向こうでしばし沈黙したあと

『……すまねぇ、隊長さん。落ち着いてから、きちんと話すよ。今はその、なんというか……』

 言葉を濁した。

 そのように言われてしまっては、サラもそれ以上追及することができない。

 浮かない顔で電話を切った彼女を眺めていたショーコ。

「リベルさん、何かあったのね?」

「ええ、そう思って訊いてみたんだけど、今は話せないって……」

 思いつく限りの理由を考えてみたが、サラには何の心当たりもなかった。

 四十七歳独身で酒が好きだということ以外に、リベルについての情報を持っていないのである。ヴォルデやセレアの人事を全面的に信用しているから、隊員のいちいちを探ったりしたことなどはなかった。言ってしまえば、成り行きで調べる必要があったサイ、そしてナナの素性を除けば、古参のショーコやユイといえども入隊以前の過去については殆ど知ることがない。

「ふーん……」

 ショーコも鼻を鳴らしたきり、何も言わなかった。

 が、不意に思い出したように

「でも、知らぬ存ぜぬでは通らないわ。他のみんなが何事かと思うじゃない?」

「え、ええ。そうよね……」

 言われてみればそうかも知れない。

 メンバーに対してリベルの欠勤をどう説明したものか、サラは咄嗟に答えが思い浮かばなかったが

「じゃ、体調不良ってことにしとくよ? 何度も病院から検診を進められていたってことで」

 こういう時のショーコはやたらと機転が利く。

「次に電話することがあったら、口裏をあわせておいてね? 出社してきて違うハナシされてもばつが悪いから」

 よっこらしょ、と立ち上がり「さて、シェフィの特訓の準備でもするかね。まだまだ、相手を見て動くってことが上手く出来てないのよ。あれなら格闘戦が苦手な筈だわ」

「ええ、そうするわね」

 そう上手くいくだろうかとは思ったが、ショーコの言う通りにする以外にないように思った。

 ――そのあと、模擬戦を行うためハンガーへと集まったメンバー一同に、ショーコはリベルの一件を説明し

「ってことだから、いつ出てこれるかはわからないのよね。その都度連絡くれると思うから、とりあえず心配は要らないわ」

 と、軽めに伝えたつもりだったが

「大丈夫かなぁ、リベルのおじさん」

 一番可愛がってもらっているユイは不安な表情を隠さない。

 ティアも

「お酒、飲みすぎたのかも知れないっすね。あたし達からも忠告してあげないと、ね」

「そうね。Star-lineの大黒柱だから、身体を大事にしてもらわなくちゃ」

 生真面目に頷いたシェフィ。

 皆、それなりに心配しているようである。

(ありゃ? もしかして不安を煽った? あたし)

 意外な反応に、内心で慌てているショーコ。

「だ、大丈夫だって! みんなが心配しすぎたら、リベルさん、逆に気ィ使うって!」

 そう付け加えておいた。

「……」

 ただ一人、サイだけは黙っている。

(ホントに病気かね? ショーコさん、何か隠してるんじゃないのか?)



 その次の日は、連絡がなかった。

 いよいよサラは心配になったが、リベルが「落ち着いたらきちんと話す」と言ったからには、こちらから電話をかけてあれこれ訊くべきではないような気がした。

 ――ところが、その夜のことである。

 オフィスにはサイ一人が残っていた。

 スティリアム物理工学研究所のイリスから、対衝撃緩衝装甲シートの開発にあたって意見の聴取を求められたのである。これまでの稼働データを元にして所感をまとめ、レポートにして送ってやらねばならない。二回の試供はいずれもタダであるから、それくらいのことは応じてやらねば申し訳ないような気がしたのだ。ショーコの耳に入ろうものなら「んなもの、データを解析すりゃいいでしょ!」などと怒り出しかねなかったから、誰もいない夜にやることにしたのであった。

 シンと静まり返ったオフィスには、彼がキーボードを叩く音だけが響いている。

 しばらく作業していると

 トゥルルルル……

 外線が鳴った。

 多少億劫だったが、サイは受話器を取り上げた。

「……はい、こちらStar-lineですが」

『もしもし? 私、ティラン・ルノーと申します』

 若い男性の声であった。

 サイよりも幾つか年上のように思われる。歯切れのよい、丁寧な口調である。

 が、声の主に心当たりはない。

 こんな時間に電話してくるヤツにろくな用件はあるまいと、サイはやや胡乱臭げに

「はい。ご用件はなんでしょう?」

 男性はちょっと躊躇いがちに

『あの、私はそちらにいらっしゃるリベル・オーダさんの娘さんの夫です。――遅い時間に申し訳ありませんが、リベルさんは戻っていませんでしょうか?』

「リベルですか? リベルは三日前から――」

 言いかけて気がついたサイ。

 リベルの娘の夫?

 彼は辞儀をあらため

「あの、俺はStar-line隊員のサイ・クラッセルといいます。――実を言いますと、リベルさんはもう三日ほど、出社してないんです。病気のために検診を受けていると上長から説明を受けているんですが」

 そう説明してやると、電話の向こうで驚いた気配があり

『そ、そうだったんですか……。私はてっきり、会社には事情を話してあるものだと……』

 やっぱりか。

 サイは思った。

 ショーコが言った「体調不良」はどうやら作り話だった。

 勤め先に事実を伝えていないと知り、ティランは戸惑っているらしい。

 サイは一瞬どうしたものかと悩んだが、思いきって口を開き

「もし、よろしければお話しいただくことはできませんか? 俺はその、この前、ちょっとだけ聞いてしまったんです。だから、病気なんかじゃないだろうと思っていて……」



 明け方から振り出した雨は、なおも止む気配がなかった。

 重く垂れ込めた雨雲のせいで、辺りは夕刻のような暗さがある。

 傘を差しながら、古びた石畳の道をゆっくりと歩いていくサイ。

 彼の行く手には、見渡す限り夥しい数の墓石が規則正しく並んでいる。墓石とはいっても、大きめの石を正方形にかたどり、上の面に故人の名前と生年、それに没年が掘り込んだだけの簡素なものである。そのいずれもが降り続く雨に打たれ、色が変わっていた。富裕層のそれとは異なり安物の石が用いられているから、雨水が染み込んでしまうのである。

 濡れた石の上を一歩一歩踏みしめつつ、彼はふと、いつか幼少の頃に見た景色を思い出していた。

 あれは、病に斃れた父・ハノを埋葬した日のことではなかったか。

 まだ幼くて何もわからず、ただ母の手に引かれていたサイ。墓地の向こう側に広がっていた鉛色の空と海、そして果てしなく続いていく無数の墓石だけが、彼の脳裏に克明に焼きついている。ふと見上げれば、ハンカチを目に押し当てながらじっと悲しみに耐えている母の姿があった。そんな母を見て、彼もまた何もわからないながらも無性に悲しくなったような記憶がなくもない。

 そして何気なく振り返り見れば――祖父・ガイトの手に引かれたナナがじっと彼のことを見つめていた。悲しむ彼のことを悲しんでいるかのような、辛い表情をしていたように思える。

 それから数年も経たぬうちに、母をも喪った。

 だが、辛うじて絶望せずに生きてくることができたのは、ガイトやナナが彼を支えてくれたからだと、今でも固く信じている。ガイトが生きる術を身につけさせてくれ、ナナが常に励ましてくれたからこそ、今日のサイはいる。

 そう考えれば、貧困の家庭に生まれ早くに父母を喪ったとはいっても、イコール不幸であったとは思わない。むしろ、時を経るにつれ、彼はよりよい境涯を手に入れることができているではないか。

 しかし――心が折れそうになった時、支えてくれる人が誰もいなかったとしたら――人間として生きていく上でこれほど辛い事はないのかも知れない、サイは思う。

 とりとめもなく考えながら先へ進むと、道は行き止まりになった。

 そこから奥は何ら整備のされていない荒地が続き、遥か彼方には連なる山の峰が見える。

 奥の方は新しく造成された区画であり、比較的新しい墓石が目立つ。あと何年かすれば、この先の荒地にも墓石が並ぶことであろう。

 見渡す限り、灰色の光景。

 が、ただ一点、左手に並んでいる墓石群のずっと奥に、サイは黒い人影を見た。

「……」

 墓地の中央に敷かれた通路以外は石畳などない。

 転ばぬようにゆっくりと、墓石と墓石の間のぬかるみを歩いていく。

 最も奥、隅にあたる位置に真新しい墓石が埋まっていた。

 その墓石の前でしゃがみ込み、手を合わせている黒い喪装の男がいる。傘も差さず、雨に濡れるがままじっと身じろぎ一つしない。

「……」

 しばらくその背後に立ち尽くしていたサイ。

 やがて、男の傍へ近寄って行くと、自分の傘を差しかけてやった。

「……済まねェな」

 男はゆっくりと顔を上げた。

 サイは表情を消している。

「気が済むまで、どうぞ。大事な人に、風邪引かせたくないだけですから」

「……済まねェな」

 男――リベル――はもう一度言った。

 墓石に向かって合掌し続けている。

 ちらりとその墓石を見やったサイは、全てを悟った。

『ミラ・ルノー 0122-0122』

 墓石の傍には、やはり真新しい花束が二つばかり添えられている。

 多少肌寒くはあったが、無言のままその場に立っているサイ。

 心なしか、雨足がやや強くなってきたような気がした。

 どれくらい経ったであろう。

「――自業、自得、ってヤツよ」

 リベルが口を開いた。

「孫娘の葬儀にも入れて貰えねェってのは、ちとこたえたけどな。しゃあねェよ。……俺が悪ィ」



 リベル・オーダは技術畑一筋の人生を歩んできた。

 最初は小さな整備工場に職を得、昼間は極めて篤実に勤務していた。若くして身寄りのなかった彼は夜は酒と女に明け暮れしたりしたが、借金をしたり警察沙汰を起こしたりすることもなかったから、周囲は彼に対してマイナスの評価を与えることはなかった。

 ただ、早く家庭をもつようにと勧めてくる者があり、二十三歳の時に結婚した。マリーという同い年の女性である。マリーは控えめでいて自己主張が少なく、黙々と家を守っているような、そんな女性であった。そして二人が二十五歳の年に一女が授かり、レイサと名付けた。

 三十歳を過ぎた頃、整備工場の経営が傾きかけた。

 が、縁あって現在のスティケリア・アーヴィル重工の前身である「スティケリア重工業株式会社」の製造部門に採用され、そこで働くこととなった。元々整備屋として腕を磨いていた彼は重宝され、その後幾つかの部門を転属したりした。ヴォルデの目に留まったのはこの時であったらしい。

 ただ、急成長途上の企業であったことから、リベルは仕事に忙殺された。

 帰宅するのはひと月に二、三度あるかないかという状態だったが、妻のマリーは何一つ苦情を述べることはなかった。むしろ「いつもすみません。お疲れ様」というだけであったという。妻はそのようだったが、娘・レイサはずいぶんと寂しい思いをした。

 そして彼が四十歳を迎えた年のことである。

 都市再開発計画の推進に伴い、建設現場用CMDメンテナンス要員として現場へ出向していた彼の元に、一本の電話が入った。

『お父さん! 今すぐ帰って来て! お母さんが、大変なの!』

 レイサからであった。

 急に倒れ、病院へ運ばれたのだという。

「……ああ、わかった。行く」

 そう答えたが、CMDの故障が相次ぎ、病院へ向かう余裕などは全くなかった。

 やっとのことでマリーの元へ向かったが、すでにレイサの一報から二日が経過していた。

「マリーさんの旦那様ですね? お話があります」

 彼を見つけた医師は、個室へと彼を引っ張り込み

「残念ながら、奥様は悪性の腫瘍に侵されておりまして、余命は長くありません。どうか、残りの時間をご家族でお過ごしになってはいかがかと思いますが」と、告げた。

 元来寡黙なリベルは表情も動かさず、黙って医師の説明を受けた。

 病室では、すっかり衰弱したマリーが横たわっている。

 彼の姿を見るなり、マリーは弱々しく微笑んでみせ

「……あなた、大変な時にご免なさい。まさか、こんなことになってしまうなんて」

「……ああ」

「現場の方、忙しいんでしょう? 私の方は気にしないでください。何とか、頑張ってみますから」

「……ああ」

 それっきり会話を交わすこともなく、リベルは病室を出た。

 会社からの連絡が来ていたからである。

 下のフロアへ行くエレベーターを待っていると

「お父さん!」

 背後にレイサが立っていた。

「どこへ行くの!? お母さんが大変だっていうのに! また会社なの!?」

 この時彼女は十六歳になっていた。

 リベルは何か言うでもなく、じっと娘の顔を見つめている。

 チーン、とベルが鳴ってエレベーターがやってきた。

 乗り込もうとした彼の腕を、レイサは駆け寄ってきてとらえ

「ちょっと! 何とか言ってよ! お母さんが死にそうだっていうのに、そういう態度って、酷いじゃない! 私一人じゃ、私一人じゃ……」

 よほど苦しかったのであろう、レイサはその場に泣き崩れた。

 この時手を差し伸べてやっていれば、後々の禍根は残さずに済んだかも知れない。

 が、リベルはそれをしなかった。泣いている我が娘を置き去りにして職場へと戻ったのである。これがその後の全てを決定付けた。

 翌日、マリーは息を引き取った。

 連絡を受けて病室へたどり着いた時には、もうマリーはこの世にはいない。横たわる母の遺体の傍で、号泣し続けているレイサ。

 彼女はやってきたリベルを一目見るなり、形相凄まじくつかみかかり

「出て行け! お前なんか、お父さんじゃない! 来るな! 出て行け!」

 父と娘の亀裂は決定的になった。

 マリー亡き後、リベルはやや多忙さから解放されることとなったが、帰宅してもレイサが口を利くことはなかった。リベルもまた、自分からあれこれ話しかけるような男ではない。

 やがてレイサは二十歳になった年、置手紙を残して家を出た。

 置手紙にはたった一言、「養ってもらって、感謝してます」

 どうやら、恋人が出来ていたらしい。近所の人がそう教えてくれた。

 が、後の祭りである。どこの誰と付き合い、どこへ行ったのかも知れない。

 しかしながらその翌年、ティランと名乗る青年が彼の元を訪れてきた。彼は、自分はレイサの恋人だと告げたあと、

「実は、レイサさんと結婚したいんです。ですから、リベルさんのところへ行って承諾をいただこうって言ったら、レイサさんには強く反対されました。が、僕個人はリベルさんを恨む何物もない。それで今日、僕一人でお邪魔したんです。――駄目なら駄目と、はっきり仰っていただいても」

 誠実そうな青年である。レイサよりも二つ上で、自分の店をもっているという。

 黙って彼が言うのを聞いていたリベルは最後にやっと口を開き

「……どうか、よろしくお願いします。俺はもう、あの子にとって父親とは言えない存在です」

 そうして、ティランとレイサは結婚し、知り合いだけの小さな披露宴を行ったようである。

 だが、そこにリベルが招待されることはなかった。

 ティランは言葉を尽くしてレイサを説得しようとしてくれたらしいが、頑なに閉ざした彼女の心を開くことはできなかった。

 リベルにとって唯一の救いはティランで、彼は何かと連絡をくれたり、近況を知らせてくれたりした。

 ――あとになってようやく自分の行いを深く恥じたリベルは、せめてもの償いにと二人が切り盛りしている店へ金銭的な援助をしようとしたが、それはティランに止められた。

「お父さん、それこそレイサが怒るでしょう。今さら金だけ出してくるのか、って。お気持ちだけで十分です」

 彼の言う意味を理解できたリベル。

 ただ――無性に虚しかった。

 その後、妻の墓前でリベルは亡きマリーに一つだけ、許しを請うた。

「済まねェ。なんもかんも俺の責任だから受け入れようとは思っている。……だから、勘弁してもらえるかね? このままじゃ、気持ちのやりどころがねェんだ。どうしようもねェ旦那で済まなかった」

 マリーが死去して以来、好きだった酒をふっつりと絶っていたのである。

 レイサへの罪滅ぼしのつもりだったが、今となってはそんな誓いなどどういう意味もない。

 その夜数年ぶりに飲んだウイスキーの味を、リベルは忘れることができなかった。



 長い昔話であった。

「俺はよ、ボーズ」

 ゆっくりと、リベルは立ち上がった。

「俺には、ただ働く事しかできねェと思っていた。働きさえすれば、何とかなるんじゃねェかってな。――でも、ダメさ」

 孫娘の墓石をじっと注視しながら

「男であることと夫であることは違う。夫であることと、父親であることもまた、違う。働いていれば夫なんじゃないし父親なんじゃねェ、夫や父親としての自覚を抱き締めて働かなきゃ、妻にも子供にも伝わらねェんだ。今になってわかったような気もするがな。遅すぎたよ。マリーがあんまりにも優しかったから頼りすぎて、何も考えていなかった。全部、俺の責任さ」

 サイは黙っている。

 半ばリベルが嫌悪すべき自分に対して喋っているような、そんな調子であったから、殊更に口を挟んではいけないような気がした。

 雨足は衰えない。

「さて、と」リベルはサイの顔を見た。「……済まねェな。わざわざ。それに、仕事も休んじまってよ」

「いいえ」

 かぶりを振ったサイ。

「……隊のみんなは、リベルさんが体調不良で休んでいると思っています。ショーコさんがそう言ってました。――でも、俺は気付いてました。この前の飲み会の時、廊下で話しこんでいるリベルさんを見てしまいましたから」

「……」

「きっと、俺が同じ立場だったとしても、そうしたと思いますよ?」

 ここ数日、リベルに何があったかを昨晩、ティランから聞いていたサイ。

 ティランとレイサの間には数ヶ月前、一児が誕生していた。

 ミラという女の子である。

 が、その子は身体が丈夫ではなく、心配した両親は何度も病院へ連れていかねばならなかった。

『それが……つい六日前のことです……』

 いかにも辛そうに、事実を語ったティラン。

 六日前というと、セカンド三人娘の歓迎会を開いていた日にあたる。

 この日、ミラは急に高熱を出した。

 医師の診断を受けると、菌が身体中に回っていて快癒はかなり難しい状況にあるという。

 例によってレイサには内緒でリベルに連絡を入れたティラン。

 リベルはこう申し出た。

「過去の云々、色々あったのは全部俺のせいだし、済まなかったと思っている。だけど、今はミラちゃんの命がかかっているんだ、そうも言ってられない。会社を休んでもいいから、俺にもできることをさせて欲しいんだ。ミラは、ミラは……俺の大事なレイサの子なんだから」

 その気持ちを嬉しく思いつつも、ティランは難色を示した。

 レイサはただでさえ気が動転しているというのに、そこへリベルが現れようものならたちまち精神の平衡を失うであろう。それに、リベル一人が現れたところで今のミラの容態が好転する訳でもない。

 再三頼み込んだものの、結局ティランは承諾しなかった。

 しかし、諦めきれないリベルは歓迎会を早々に引き上げ、病院へ向かった。

 案の定、彼の姿を一目見たレイサは、

「何をしに来たの? すぐに帰って頂戴」

 と、取りつくシマもなかった。

 それでも彼は次の日の夜も病院へ赴き、やはり追い返された。

 ところがその翌日、ミラの容態が急変したと一報がきた。ちょうど、例の電導試験をスタートしようとした矢先のことである。

 いても立ってもいられなくなったリベルはサラにことわって本部舎を飛び出し、病院へ急いだ。

 病棟の慌しい人の動きの中、レイサの姿だけがない。

 不思議に思った彼は、ついさっきまでミラがいた個室を覗いてみた。彼女は今、集中治療室に移されている。

 中には、独りレイサがいた。

 俯き、落とした肩を小さく震わせている。

 不意に現れた彼の方をちらりと一瞥したが、何も言わなかった。

「……」

 自分でもよくわからなかったが、咄嗟にリベルは固い床の上に正座し、彼女に向かって土下座していた。

 その気配を悟ったらしいレイサ。だが、しばらくの間無言のままだった。

 やがて

「……今さら、今さら、そんなことをして何になるの?」

 声が震えている。

「お母さんの時もそうだった。お父さんは、お母さんが倒れたっていってもすぐに来なかったし、私を一人ぼっちにして仕事へ逃げて行ってしまった。――今回だって、そうよ」彼女はゆっくりと顔を上げ、遠くの窓の外を見つめた。「ミラが生まれたって、あの人が連絡してたんでしょう? なのに、何も言ってこないでおいて、ミラが大変だって聞いたら慌ててやってきたりして。……本当に、お父さんじゃないものね、死神よ、死神」

「……」

 冷たい床の上にひれ伏したまま、静かに娘の怒りを受け止めているリベル。

 レイサは大きく一つ、溜息をつくと

「……帰って。そして、もう二度と、来ないで」

 娘の絶縁宣言に、一瞬言葉を失ったリベル。

 だが、彼女への申し訳なさがつい口を開かせていた。

「……俺は、今となっては何の申し開きもない。夫としても父親としても、最低だったと思っている。本当は、来ちゃいけないんだろうって思ったんだが、どうしても来ないではいられなかったんだ。ティラン君とレイサが苦しんでいるのに、あの時みてェに仕事なんかしてる場合じゃないって」

「……」

「だから、もう一度だけ、頼む」床に額をこすりつけた。「どうか、俺にもできることをさせて欲しい。受け入れたくない気持ちはわかる。だけど、このままじゃ――」

「帰ってよ!!」

 一喝したレイサ。

 ハッとして顔を上げてみれば――こちらを振り返り見た彼女の顔は、涙に濡れていた。

「だから! それがお父さんの自己満足だって言っているのがわからないの!? これ以上、私達に立ち入ってこないで! まだ余計な真似をするなら、警察機構に届け出るからね!」

 溢れる涙を拭おうともしない。

 彼女の目は怒りというよりも、哀れみのような、深い悲しみの色を帯びていた。

 そう悟った瞬間、リベルは自分がもう父親と名乗る資格の片鱗すら失ってしまったことを知った。

 もはや、できることは何一つなかった。

 のろのろと力なく立ち上がり、個室を出ようとしたリベル。

 ふと、振り返れば――レイサは前を向かずにじっとこちらを見ていた。

 最後に目を背けずに自分の方を見ていてくれた娘の思いやりに気がついた瞬間、リベルは溢れてくる涙をこらえることができなかった。

「済まねェ……本当に……」

 そう呟き、彼は駐車場に停めてある自分の車へ急いで戻り――号泣した。

 そのまま病院を去ろうかと思ったが、彼はそれをせず、一昼夜その場で過ごした。

 やがて、翌日の午後、俄かに病院玄関の人の出入が激しくなった。

 待つうちに搬送車が到着し、病院の中からは小さな棺と――すっかりやつれ果てたティラン、そしてレイサが出てきた。ティランの親族らしい人数に付き添われ、彼等は病院を後にした。

 全てを見届け、自らも病院を去ろうとした時、携帯端末が鳴った。

 ティランからであった。

『……もしもし、お父さんですか?』

 力のない声で、彼はミラが息を引き取ったことを告げ『レイサから聞きました。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。ミラを助けることができなかったのは何もお父さんの責任なんかじゃない、僕達夫婦の責任ですから』

「……」

 ただ、とティランは言った。

 明日、ミラの葬儀と埋葬が執り行われるが、レイサの気持ちを汲んでやって欲しい――。

 つまり、来るなという意味であろう。

「……わかった。わかったよ。どうか、よろしく頼む」

 リベルには、そう答えることしかできなかった――。

 ティランはサイに全てを語ったのち、最後に言った。

『今日は葬儀で慌しくて、終わってから連絡してみたんですけど電話に出なかったので、そちらに訊いてみたんです。……きっと、お父さんは独りでミラの墓前に行くかも知れません。私もほんの僅かな間だったけど父親だったから、お父さんの気持ちがわからなくもない。だけど、今は一緒に行ってあげることができないんです。あくまでも、私はレイサを支えてあげなくちゃいけないから』

 サイは念のため、墓の場所を聞いておいた。

 そしてサラとショーコには内密に事実を告げ、二人の承諾を得てリベルが訪れているであろう墓地へとやってきたのである。

 かといって、彼のために何ができるとも思っていない。

 自分で全てにケリをつける覚悟を決めた男に向かって、力になろうなどと申し出るのはおこがましい話だと思っている。

 だから、墓地の出口へ足を向けかけたリベルに、

「……これ、俺と、ショーコさんからです。いや、最終的には隊のみんなから、かな?」

 百貨店の包み紙にくるまれた細長い品を差し出した。

「……」

 黙ってそれを受け取ったリベル。

 包みを開いてみると「オールド・プレシャス・エクセレント五十年」のラベルが目に入った。最高級ウイスキーである。

「そいつをどう使うかは、任せますよ。俺達には、そういうものでしか気持ちを表しようがなかったから」

「そっか……」

 呟くと、リベルはビンのふたを開けた。

 ビンの口を持ってミラの墓石の上に突き出し、そのまま傾けた。

 トクトクトク、という心地よい音と共に、琥珀色の液体がたちまち墓石を濡らしていく。香ばしくも軟らかい独特の芳香が、雨の臭いを押しのけてやんわりと鼻腔をついた。

 最後の一滴がしたたり落ちるまで、リベルはそうしていた。

 身じろぎ一つせず、じっとその様子を見守っているサイ。

 ふと見れば、リベルの頬が濡れている。


 雨だけのせいではなかった。

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