月光編13 今宵は月見を
(本体搭乗部各電導系が一式、両腕部肩から下が総取替え、か。頭部パーツも要新製――)
深夜のオフィスで一人、デスクに向かって頭を抱えているサラ。
大破させられたDX-2の修理見積がメーカーから届いてきたのだが、思いのほか重傷であった。完全修復にはなお数日を要する、とある。潰された頭部と両腕もさることながら、内爆を起こした搭乗部の損傷がひどく、ほとんどのパーツを交換する羽目になってしまった。
機体のことはともかく、このままではファーストグループもといサイ個人に大きな負担をかけてしまう。サラの悩みはそこにあった。
時計の針は既に二十三時を回っている。
ふと、静かにドアの開く気配がした。
サイとナナである。
二人はサラの傍までやってくると
「隊長、MDP-0の電装チェック終了、オールグリーンです。具合はいいですから、いつでもいけます」
指示をされなくても自分達で定期的にメンテナンスを欠かさないファーストグループの姿勢は、サラにとって密かな頼りになっている。この点、セカンド三人娘は黙っているといつまで経ってもやらないため、ショーコが度々雷を落としていた。
彼女は相好を崩し
「ああ、ありがとう。こんな時間まで、済まないわね。超過勤務手当、十分につくようにセレアさんには――」
「別に、給料が欲しい訳じゃないわ」
ナナが口を開いた。「こんな時だから、あたし達はあたし達で自分のやるべき事がなんなのか、わかっているつもり。あまり気にしないで」
言い方は冷たいが、それが彼女なりの思いやりから出ていることを、サラは知っている。
「……ありがと。あなた達がいてくれて、正直私はこれほど心強いことはないのよ。黙ってやることをやってくれて、文句一つ言わない。なのに、私は――」
駄目な隊長ね、とまで言いかけて、サラはやめておいた。
必要もない自嘲をすること自体、支えてくれている二人に失礼なような気がしたからである。
疲れの浮き出た彼女の顔を、じっと見つめているサイ。
やがて、
「ま、MDP-0のことは俺とナナに任せておいてください。あんなに優秀な相棒をくれたんですから」
サイは小さく、しかし不敵に笑った。
「……働いてみせますよ。どこかの薄汚い闇討ち集団なんかよりも」
滅多に見せることのない彼の自信ありげな様子に、サラはホッとした顔をして
「そう……。無理ばかり言って申し訳ないけど、もう少しの間お願いね。セカンドの子達も、明日から順次復帰してくるから」
気を取り直したように「そういえば、まだ夕食も摂っていないんでしょう? 気が付かなくてご免なさい。たまにはフェイバリット・キッチンの出前でもとろうか?」
料理の配達を行っている店で、彼女らが把握している出前の中ではもっとも美味だが、もっとも高価でもある。サラは、遅くまで働いてくれている二人を労いたかった。
「それなら、大丈夫」ナナがちょっと楽しそうに「ウェラさんが夜食を作って持ってきてくれるって。少し前に連絡があったのよ」
「うわ、そりゃ大変だ。きっとすごい量を作って持ってくるぜ」
若いんだから、というのが口癖のウェラ。
若者は誰でも際限なく食べられると思い込んでいるらしく、ナナやサイに食事を作る時はいつもおぞましい量と種類を用意してくれる。
「そういうことですので、隊長。届いたら、食堂へお呼びしますので」
「ええ、ありがとう」
二人は食事の用意をするためにオフィスを出て行った。
少し前までは散々悩ませてくれたナナも、今では隊の一翼を担ってサラを助けている。
その成長ぶりやら頼もしさを改めて感じた途端、眼の奥が熱くなってきた。
(ありがとう、ナナちゃん、サイ君。あなた達のような部下をもったことは、隊長として一番幸せなことね)
しかし、そんな会話がなされてからまだ半刻も経っていない刻限である。
『Star-line、応答願います! こちらSTR指令です! 緊急発報を受信しました!』
その発報が入った瞬間、誰もが来るべきものがきたと直感した。
『――A地区、スティリアム物理工学研究所周辺に、不審な機影を確認! しかしながら、その数は不明、施設への接触を開始した様子はありません。警戒レベルフォースですが、フィフス移行の可能性があります。Star-lineにおかれましては、現地へ出動をよろしくお願いいたします』
これまでの怪しげな緊急発報騒ぎとは明らかに別である。
はっきりと機影が確認されている。
何者であるかはまだ不明なものの――状況からみて、Moon-lightsの連中が現れたと思ってまず間違いないであろう。そのあたりのテロ組織ならば、とうの昔にスティリアム研究所へ殴り込んでいる筈だからだ。
が、この機影はどうせダミーであろう。サブジャミングを応用したのかも知れない。
「……とうとう、おいでなすったわね。よりによって、思い出の場所を選んでくるなんて」
STR指令から送信されてきた現場状況見取り図を睨みながら、呟いたショーコ。
かつてA地区スティリアム物理工学研究所は、ヴィオ・ハイキシンほか数名のテロリストグループから襲撃を受けた。その際、苦戦を余儀なくされたサイの前に突如現れたのが、Moon-lightsと名乗る正体不明の警備会社だったのである。ショーコはそのことを言っている。
オフィスには、とりあえず残っているメンバーが集められた。
今いるのは、サラとショーコ、サイ、ナナ、リベル、それにリファの六名である。深夜だから、事務担当のブルーナは除外されている。
例によってセカンドグループの三人は復帰していない。
奇しくも、一足早く回復したティアとミサの出社予定が明日になっていた。
ユイはユイでスティケリアのセカンドファクトリーへ、DX-2のメンテに関わる技術指導を受けに泊まりがけで行っている。呼び返したところで、出動には間に合わないし、酷であろう。
「ユイちゃんもいないし、リファじゃどうにもならない。まあ、あたしとリベルさんがいるのが幸いだけど」
「なぁにそれ? あたし、お荷物?」
ショーコの言い草に、リファが膨れっ面をした。
が、サラは笑わず
「これは間違いなく誘い出しよ。行けば、必ずMoon-lights機と交戦になる。彼等は私達を全力で潰しにかかってくるでしょう。――サイ君」
「はい」
「……私もみんなも、あなたの腕前は認めている。でも、もしかすると非常な苦戦を強いられるかも知れないし、あるいは無事で済むという保証はない。だから、こればっかりは私は強制できないわ。隊長として、こういうのも変かもしれないけれど――」
脳裏に、傷ついたシェフィの姿がある。
サラとしては二度と、隊員を負傷させるようなことがあってはならないと思っている。
であるから、万が一サイ自身が出動に難色を示しても仕方がないと割り切っていた。軍隊でもないのに、死地へ赴くよう強制などできたものではないからだ。しかしながらその場合、何らかの代替策をとらねばならないから、よほど大変なことになるのだが――。
「……ま、何とかなると思いますよ?」
が、サイは平然としている。
隣にいるナナもまた、これといって表情を変えない。不思議そうに小首を傾げただけである。
「いや、今話していたんですけど、ナナが大丈夫だって言ってます。だから、大丈夫でしょう」
ちらと彼女の方を一瞥した。
「確かに奴ら、最新技術は色々利用しているみたいですが、いかんせん、ただそれに頼っているだけですね。――俺が思うに、ドライバーっていうものは」
が、サイは途中まで言いかけて
「いや、何でもありません」
現役時代のナナの祖父・ガイトがやかましく口にしていたことを言おうと思ったが、やめておいた。今それを口にだしたところで、やや緊張気味のサラに伝わるとも思えなかった。
「ふっ……」
彼の言わんとしていることがわかったのか、ナナが小さく笑った。
ふと、サイのネクタイが曲がっていることに気が付き「サイ……ネクタイが変よ?」とか言いながら、きちんと締め直してやろうとした。サイはされるがまま大人しくしている。
最初からサイは退かないだろうと思っていたが、それ以前に境地そのものがMoon-lightsの連中を凌駕しているのではないか。これならば、返り討ちを食わすことはあっても、シェフィの二の舞になることはあるまい。
サラは一つため息をつき
「……本当は、今度の出動があったら私が援護にまわろうと思っていたの。それでこの前、ヴォルデさんに予備機の拝借をお願いしに行ったのよ。そうしたら――」
「サラが出て行っても、サイ君の足手まといになると思ってね。止めておいた」
ちょっと悪びれたように、ショーコがニヤニヤしながら頭を掻いている。
「でも、そうかも知れない。私の操縦じゃ、とても手助けにはならなさそう。だから、代わりのものを用意するから」
「代わりのもの?」
「対CMD用スナイパーライフル、ああ、オートライトガンじゃなくって、改良型ね。これなら、何処に当たってもタダでは済まないわ。今回はこれを――」
「いや、隊長の気持ちだけいただいておきます」
即答したサイ。
「MDP-0の真価は、その驚異的な格闘能力にあります。銃火器を携行したところで、銃火器使用時のスペックもDX-2ほどじゃありませんし。……むしろ、身軽に行動した方がやりやすいと思いますよ。相手は恐らく複数で待ち構えているでしょうから」
けろりとしている。
正直な気持ちであった。
もともと、銃火器などは使わないに越したことはないと思っている。機体の性能を十分に活かした上で相手を圧倒できれば、最新技術に頼り切って増長しているMoon-lightsへの強烈なお返しになるではないか。MDP-0のスペック自体、現時点では何一つ劣ってなどいない。むしろ、スティリアム研究所襲撃事件で小破してメーカーへ点検に出した際、重稼動部と主要部装甲の素材が全て一新されて帰ってきた。MDP-0はそういう点で、ロールアウト時よりも格段に強化されている。
「そ、そう……。サイ君がやりやすい方法でいいわ。そこは一任します」
彼の凄まじいまでの自信と決意に、サラは気圧されるような感じがした。
ただし、と彼女は付け加えた。
「万が一の際は、とにかく避難するのよ? 機体なんか、あとでどうにでもなる。サイ君にもしものことがあったら、それこそ取り返しがつかないんだからね?」
親が子供を諭すような口調である。
「ええ、心得ています。俺だって、死にたくはありませんから」苦笑しているサイ。
そんなやり取りを眺めていたショーコは、サラを安心させるように
「まあまあ、状況は決して楽観視できないけど、今回はこっちにももう一つ強力なバックアップがついているからね。前回のようにはならないわよ、絶対」
ショーコが自信満々といった顔をした。
「バックアップ?」
「そう。まだ言ってなかったわよね。スティリアム研究所から、とっても素敵な贈り物があるのよ。――闇討ち集団に一泡も二泡も吹かせる新兵器が」
結局、ショーコは今の今までサラには説明をしていなかった。
ヴォルデがスティリアムに依頼し、コーノとイリスが即席で開発した新型の対衝撃緩衝シート。その効果について、サイはショーコから詳しく説明を受けている。彼はMoon-lights機との交戦を想定するにあたり、そのことも計算に入れてシミュレートしていた。
「イリスちゃんからなのよ。大急ぎで造ってみたから、是非使ってみて頂戴って。えへへ!」
幸運の女神が得意そうに笑った。
彼女が笑っている時、常にツキが回ってくる。
サイはふと思った。
――かくして、ショーコを指揮官に戴いたファーストグループは、A地区へ向けて出動した。
スティーレイングループを苦しめ、かつセカンドグループを傷つけた、凶悪なMoon-lightsの連中に一矢報いるために。
どれくらい時間が経ったであろう。
ふと時計に目をやると、すでに深夜一時を過ぎている。
狭いCMDのコックピットに何時間も押し込まれていては、さすがに身体が痛い。
(まだかしら……? もしかしたら、誘き出すのに失敗したんじゃないかしらね)
A地区南エリア、中層建築物の廃墟が林立しているその一画、一機のCMDが闇に紛れて蹲っていた。中では、カレンが次の指示を今や遅しと待ち続けている。
ファーストフェイズでセカンドグループを潰すことに成功していたから、陽動の必要がなくなっていた。それよりも、三機がかりで寄って集ってMDP-0を潰そうというのがエラの立案した作戦であり、ゆえに今日はカレンもCMDに乗ることとなった。
今頃、同じように待機中のキャスやノイアも、暗いコックピットの中で苛々していることだろう。
MDP-0相手だからと気張っていたつもりが、待つうちに緊張感も薄れてきた。
「ふぁ……ねむ……。出てこないんだったら、さっさと帰って寝たいわぁ」
一分おきに欠伸が頻発、思わずうとうとしかけた頃である。
『――こちらエラ、Star-lineファーストグループは本部舎を出動した模様。今からSBPセカンドフェイズ、スタートするわよ。今度の相手はあの素人のお嬢ちゃんとは比べものにならないんだから。気合い入れてよね』
やっと通信が入った。
『――長いって、エラ。こんなに早く出てくることなかったでしょうが。いい加減、待ちくたびれたわよ』
無線の向こうでキャスが苦情を述べている。この女は恐ろしく気が短くできている。
『仕方がないでしょ。スティーレインの連中、ミネアノスに警備委託を始めたんだもの。間違いなくファーストが出てくるように仕向けるのも大変だったんだからね』
エラはエラなりに苦労があったのだと言いたいらしい。『……やっと出てきたんだから、間違いなく潰してよね。今回さえ乗り切れば、あとは事が容易になる。でも、しくじれば――』
『わーかってるってぇ。でもさ、こっちは三機、向こうは一機。幾ら何でも差がつき過ぎじゃん。――連中、あたし達が三機だって、知らないんでしょお?』
それほど重要なミッションだと認識していないノイアの、のんびりした声が割って入った。
すると、キャスも同調し
『そうだよね。これだけ廃墟に囲まれていて死角だらけなんだもの。ミスる方が難しくねぇ? 暗いから、MDP-0をぐっちゃんぐっちゃんにするのがよく見えないってのが残念だけど』
「ボスの指示は『潰せ。生かして帰すな』だものね。……何があったか知らないけど、ずいぶんとストレートな物言いね。今までの女性を口説くような誌的な表現はどうしたのかしら?」
『さぁねぇ……。なんか、面白くないことでもあったんじゃないのぉ? フラれたとか?』
『ぎゃははー! それ、ありかも! だったらマジ、ウケるよね』
長い時間無言の退屈を強いられていたから、三人は解放されたように喋り出した。
が、ミッション中である。
とうとうエラがキレたように
『三人とも、お喋りは後にして! 定位置の指示を出します。各機、マップを見て頂戴』
「はいはい。すみませんでしたね、エラチーフ殿」
カレンは軽口を叩きながら、サブモニタにA地区南エリアのマップを表示させた。
『いいこと? 行動定点を4C3Lとするから、ナビゲーションをそのように設定して頂戴。Star-lineは恐らくB地区側、東の方角から駆け付けてくる筈。まずはキャス、あなたは定点西寄りに待機していてMDP-0を引き付けて頂戴』
位置関係が多少煩わしいが、この都市は基本的に碁盤の目構造となっており、南北に通じる通りをL、東西のそれをCと呼称している。スティリアム物理工学研究所を基準とした場合、北側の通りが4C、南側は5C通りである。西寄りの通りは3Lであるから、エラが指定した行動定点はスティリアム研究所の北西地点ということになる。
『はいよ。接触次第、速攻で潰しちゃうと思うけどね』
『それは任せるわ。――で、カレンは5C方向から、ノイアは東側から回り込んでMDP-0を包囲して欲しいの。万が一MDP-0が離脱を試みたとしても、北側は廃墟街だから逃げ込みようがない……と、こういう作戦よ。いいかしら?』
三人それぞれ、異論はない。
『それから、補足だけど――ボスからはStar-lineを潰せという命令がきている。だから、第一目標はMDP-0だけど、バックアップの面子もあわせて潰さなくてはならない。MDP-0を屠ったからって、安心して撤収しちゃわないでね?』
『あ、それ、あたしやるから。今日は時間もないし、銃でズドン、ってとこかなぁ』
ノイアが自ら殺戮担当を申し出たことに、何故かほっとしているカレン。
それが気持ちのどこからでているのか、彼女は自分でもよくわからなかった。
『以降通信はしないから、ミッション遂行後は各自で撤収して頂戴。監視ネットワークにだけはひっかからないように気をつけて。――みんなの健闘を祈るわ』
A地区に到着したファーストグループ。
以前の襲撃事件以来再開発はこれといって進んでおらず、相も変わらず闇の深い地区である。
スティリアム物理工学研究所よりも北側、2C付近でMDP-0と別れたショーコ、そしてナナ。
サイとは互いに位置関係を確認しあいたいところだが、隠密行動の最中だから無線で交信する訳にはいかない。センサー類はもちろん無線の電波を発したならば、たちまち敵に居場所を悟られてしまうのだ。
とはいえ、ショーコには強い関心がある。
試しに、一瞬だけ対CMD感知センサーを立ち上げてみた。
一機たりとも、機影は映らない。
賊の機体はもちろんのこと、MDP-0もまたセンサーの網にはかかっていないのである。
(おーおー、すげー効果だわ。あのイリスって娘、伊達に研究馬鹿じゃないわね)
内心でほくそ笑んでいるショーコ。
驚異的な効果である。
Moon-lightsのそれと同様に、MDP-0に隙間なく圧着された改良型の装甲シートは対CMDセンサーに反応させなくしてしまう。イリスいわく原理は一緒だそうだが、こっちはさらに一味違う。
――対衝撃緩衝性が無装着状態と比較して数倍も強化されるのである。
ただでさえ格闘戦特化仕様として設計されているMDP-0。機体に余計なものをベタベタと装着させること自体ショーコは好まなかったが、スティリアム研究所から供された装甲シートの絶大な効果はすでに実証済みである。
あとは、卓抜した操縦技術をもつサイがしかるべくやるであろう。
が、一点だけ懸案事項がなくもない。
出動間際、セレアから急に特別指示が舞い込んできたのだが、その内容を聞いたショーコは眉をしかめた。
「それ……本当に、いいの? まかり間違えば、こっちが犯罪者じゃない?」
が、サラはかぶりを振り
「問題ないみたいよ。殴り合いを演じてノックアウトしたところで、刑事事件に持ち込みようがないのはStar-lineもMoon-lightsもお互い様だわ。むしろ、指示通りにした方が後々有利に事を運べるみたい。ヴォルデさんの判断を信じましょ? ……スティリアムには、すぐに取りかかれるよう手配はかけておくから」
そう言われてしまうと、反対のしようがない。
少しだけ不安がなくもないショーコは、サイの勝利を祈るような気持ちでいる。
(頼んだわよ、サイ君! あの月光バカどもに、ギャフンって言わせてやるのよ!)
一方、MDP-0のサイ。
スティリアム物理工学研究所の北側、2C通りから慎重に南下を進め、4C通り付近までやってきた。
CMDが大手を振って市街地を歩いていれば、目撃した人間は当然騒ぐであろう。
が、2Cから4Cに至るまでの間、人っ子一人見かけることはなかった。このあたりは以前、古びた集合住宅が密集していたが、再開発計画によって住民は立ち退きを余儀なくされた。ところが、その再開発計画が一次頓挫してしまい、取り壊しが中途半端なままの廃墟だけが取り残された。
(懐かしいっていえば懐かしいな。ゼダスとこの辺まで遊びにきたりしたっけ)
辛うじて原形を留めている建物の様子から、サイは自分の現在地を把握することができた。
元々住み慣れていた地域だけに土地勘があるから、そういうことを思うだけの気持ちの余裕があった。
彼はセンサー系機器を全てオフにしている。
今のMDP-0は、敵からしてみれば闇に紛れた透明人間にも等しい。完全にステルス化しているから、対CMD感知センサーではこちらの機影を捉えることが困難であろう。Moon-lightsの連中は、MDP-0が自分達と同様グラス・コーティングもどきの素材でステルス化していることなど夢にも気付いていまい。
一般に、対CMD感知センサーは無差別に機械的動体をキャッチする訳ではない。
感知圏内にいる機械的動体のうち、明確に稼働中であるものをCMDとして認識し、ロックする。であるから、例えば自動車や土木作業用車両などを誤ってキャッチするということはまずない。また、CMDであっても非稼働状態、つまり停止している機体をセンサーは認識することができないのである。これはシステム上の構造的欠陥ということではなく、そもそも対CMD感知センサーが開発された目的が警備上の事由に依るからである。警備対象に対して明確な接近行動をとっている機体だけをピックアップしなければ、警備システムは常時鳴りっぱなしということになってしまう。
厄介なのは、Moon-lights機のようにステルス化した機体であっても、無線やセンサーなど電波あるいはそれに準ずる発信を行った場合、その発信源から機影を特定されてしまう場合があるという点である。サイがセンサーを切りっぱなしにしているのはこのことがあるからで、逆に言えばこちらから相手をキャッチできる可能性もあるといえる。
話は繰り返しになるが、今の状況ではサイもMoon-lightsも、お互いに手探りして相手を探しているということになる。
だが、サイの作戦はごく単純である。
互いに対CMDセンサー撹拌仕様を施してあるなら、こっちからうんと近づいておいて気付かれない位置で停止し、相手の動きをみる。あとは目視によって相手の接近をとらえるしかないのだが、上手く相手の位置さえ特定してしまえば、こっちのペースに持ち込むことが容易である。重要なことは、この闇の中でむやみに動き回ると却って相手の思う壺にはまってしまうという点にあるから、ともかくもじっとしていた方が賢明なのだ。
スティリアム研究所がくれたシートのほかにも、サイにとって至極有利な点がもう一つある。
Moon-lightsの犯した致命的なミスは――わざわざこのA地区を決戦の場に選んできたことにある。
まさかMDP-0のドライバーがA地区貧困街で生まれ育った、十分に土地勘を備えた人間であったとは想像もしていないであろう。
彼がショーコに頼んでわざと遠回りをしたのは、Moon-lightsが張っているであろう包囲網にかかることを避けるためでもあるのだが、逆に意表を衝けないかと考えたからである。敵はまさか、サイが妙な方角からやってくるとは思うまい。北側から進入していて気が付いたのだが、どうもその方角にMoon-lights機が潜んでいるような気配が感じられない。廃墟ばかりだから、恐らくそちらからやってくるという予測はしていないのであろう。
Moon-lightsは恐らく、MDP-0の位置など完全に見失っている筈であった。そのうち焦り、勝手に動き出すと思っていい。
(生まれ故郷で月見、か。考えもしなかったな。……ちょっとばかり、ろくでもない月だけどな)
中層建築物に圧されているから天空は僅かにしか仰げないが、それでも様子はわかる。
どうやら、厚い雲が出ているらしい。
美しい本物の「月」を、今夜は眺められそうもなかった。
通信を絶ってからややしばらく経っている。
5C3L通りに近い場所に身を潜めてStar-lineの到着を待ちかまえているカレン。アングル的に、メインカメラの倍率を上げればスティリアム物理工学研究所の入り口の様子を捉えることができる。
が、いつになってもその気配がない。
(おかしいわね……。いい加減、もう到着してもいい頃なのに)
出動要請はスティリアム物理工学研究所から発信されている筈だから、Star-lineは一度ここへ寄らなければならない。
カレンはそこを狙っていたのだが、どうも様子が妙である。
不安になった彼女は、拙いとは思いつつ瞬間的に対CMD感知センサーを立ち上げてみた。
「……!? 何もいないじゃない!」
――そこに、機影は映らなかった。
何かの事情があってまだ到着していないのか、あるいは来る必要がなくなったのか。
見当がつくものではないが、ともかくも想定外の事態を迎えつつあるように思われた。
(どうしよう……? エラに通信した方がいいんだろうか? 黙っていたら、朝になっちゃうじゃない……)
4C通りの手前まできた時である。
サイはMDP-0に停止を命じると、モニタを有視界モードに切り替え、闇にじっと目を凝らした。
ほどなく、墨をまいたような漆黒の空間に、チラ、チラと瞬間的にきらめく光を見つけた。
目視すれば何のことはない。
はっきりとその機影が確認できるではないか。
(……あれか。まだこっちには気が付いていないらしいな)
落ち着いているサイ。
彼がまずMDP-0に命じたのは、相手の機体のモニター透過スキャンである。
赤外線で認識した相手機の像をコンピュータに記憶させておくのである。こうすれば、万が一逃げられたとしても、不完全ながら手がかりだけは残せるのである。
MDP-0のコンピュータが、素晴らしい速度で相手のスペックを計算していく。
それを横目に見ながらサイは
「不意討ちなんて汚い真似は嫌いだよ。だけど……」
呟きつつ、フットペダルをグッと踏み込んだ。
「――シェフィにやってくれた分、これだけは譲らない」
初速は十分に早い。
突如暗闇から湧いたように現れたMDP-0。
迷いのない、あまりにも迅速な動作である。
これには不意を衝かれざるを得ないであろう。
『ちょっ! 何よ! 何でいきなり――』
――突然MDP-0と遭遇したGシャドゥ。
そのコックピットのキャスは狼狽した。
MDP-0の影を捉える術を持たなかった彼女は、遮蔽物のない地点を探して闇から闇へ渡り歩いていたところだったのである。東側の方からやってくるとばかり思っていたから、神経はそちらへのみ集中されていた。
動揺した彼女の心理とシンクロでもしたかのように、Gシャドゥは二、三歩、後ろへよろめき――体勢を立て直す暇すら与えない素早さをもって、MDP-0は瞬時に間合いを詰め切った。
「……」
暗がりに身を潜めてじっと付近の様子を伺っていたナナ。
彼女は廃墟の合間を縫うようにして4C3Lへと近づいていたのである。闇夜だから多少危険でなくもなかったが、その方が相手に察知されなくて済む。よほど高性能な対人センサーでなければ、瓦礫の山を這い進んでいる人間などキャッチすることはできない。
物陰からそっと様子を窺うと、ちょうど正体不明の機体とMDP-0が接触する場面を確認することができた。
が、急に興が失せたようにくるりと背を向け、その場を去った。
危険度が高いゆえ、無理に後方支援の役割を果たす必要はない旨、ショーコから厳命されている。相手の機影は、あとでMDP-0のメインカメラを解析すれば済む話であった。
背後では、サイのMDP-0が正体不明の機体――キャスが乗るGシャドゥだが――を圧倒している。
「こっ、このォ! ナメんなよォ!」
Gシャドゥは素早くナイフを抜くなり、間髪を容れずMDP-0目掛けて突っかけた。
が、まるでその動作を読んでいたかのように、スイとすれすれで避けたMDP-0。引き身のまま得物を振り回したところで、そう簡単に当たるものではない。MDP-0が高速で計算しつつ示してくれる動作予測に目をやるまでもなく、サイにはわかっていた。
「……お前の動作パターンはお見通しだ。単純過ぎなんだよ」
呟きつつ、メインモニタに迫ってきた相手機のフォルムをサイはじっと注視している。
全体的に無駄な突起を持たず、単純多面型装甲でありながら割とスリムな形状をもっているといえる。テリエラの連中が乗っていた機体などと比べれば、比較的ハンサムでなくもない。額の辺りが広くクリアなパーツの仕様になっているのは、恐らくSSSDを搭載しているためであろう
(こいつのこのデザイン……どこかで沈めたヤツに似てなくもないな……?)
思うともなしに思ったが、今はそれに拘っている場合ではない。
一気に右レバーを引いたサイ。
その命令に対するMDP-0の呼応は瞬速であった。
突き出されたナイフの持ち手をつかむと同時に、社交ダンスでも踊るように腕を広げざま手前に引き込んだ。前のめりに倒れこんでくるGシャドゥの本体は重力に任せつつも、MDP―0はその手を離さない。
といって、大したオーバーアクションをとっている訳ではなかった。
要は相手の右腕をつかみつつ、すっと一、二歩下がっただけに過ぎない。
だが、前に大きく重心がかかっているGシャドゥとしては、自重と重力の作用に逆らう術はもたなかった。自然、前につんのめるよりほかにない。
「あ、あ、あ、ああーっ!」
見る見る迫り来る地面に、キャスが悲鳴を上げた。
しかし、サイの動作はなおも完了していない。
ズシャリと沈むタイミングでGシャドゥの腕を捻り上げつつ、MDP-0も合わせて重心を落とした。
たかがこれだけの動作だが、Gシャドゥにとっては悲惨な末路が待っていた。
腕一本では到底自重を支えられるはずもなく、しかも背中に向かって捻られてはたまったものではない。そのコックピットが固いアスファルトに叩きつけられると同時に、肩口から先の腕があらぬ方向に捻じ曲がった。
可動範囲を無視して曲げてしまえば、結果は人間もCMDも同じである。
あっけなく勝負はついた。
『きゃあぁぁっ――』
派手な衝撃と悲鳴が闇をつんざき、そのスマートなシルエットをもつ機体は黒い地面に沈んでいた。
両機が遭遇してから1分と経ってはいない。
沈黙したGシャドゥ。
そして、その傍にすっくと立つMDP-0。
今しがた格闘戦を演じたばかりだというのに、機体にはキズ一つない。恐るべきサイの操縦手腕である。暗がりから奇襲をかけたとはいえ、彼は得物の一つも使ってはいないのだ。もとより、キャスの腕では歯が立たなかったといっていい。その彼女はコックピットで意識が半分飛びかけているのだが、サイが知る由もない。
MDP-0は左手に、たった今もがれたばかりの腕をぶら下げている。引き千切られた部位からはケーブル類が幾本も垂れ下がり、ジジジとスパークが散った。
それをポイと放り出しておいて、サイは腰の収納部から震刃ナイフを抜かせた。
「お前を引っ括ってやるのは造作もない。……だけど、セレアさんの指示もあるし、それは勘弁してやるよ。ただし」
MDP-0はスッとナイフを振りかざした。
「――自分の足で歩いて帰りな」




