月光編7 狂奔
幸い、C地区からの緊急発報を最後に、奇怪な連続発報は途絶えた。
「ああーっ、もぉやだ! 疲れたよぉ……」
すっかり陽も傾いた夕刻、やっと本部舎へ戻ってきたファーストグループの一行。
ユイはオフィスに入るなり、帽子とグローブをポイポイと放り投げながらどっかとチェアに座り込んだ。
「お疲れ様! はい、コーヒー!」
にこにこしながらリファがコーヒーを煎れてくれた。
「あ、どおも……」
デスクの上に突っ伏しているユイ。さすがに、すぐに起き上がるだけの気力がないようであった。
自分のデスクで全ての出動記録をまとめていたサラは手を停め
「ありがとね、ユイちゃん。トレーラーの運転って言っても、日がなハンドル握っているのも楽じゃなかったでしょう? ごめんなさいね」
労いの言葉をかけてくれた。
ようやくユイはむくりと上体を起こし
「あ、いえいえ……これが仕事ですし、特に何もなかったのは良かったですけど。――それにしても、もおっ!」
バリバリと頭を乱暴に掻き毟りはじめた。伸びかけのショートカットが乱れてぐちゃぐちゃになっている。
「Moon-lightsの連中、ぶっ殺した方がいいんじゃないですかぁ? この嫌がらせ、フツーじゃないですよ! 何かそんなにあたし達、あいつらにヘンなコトしましたかぁ!? もう、信じらんない!」
怒りのあまり物騒なことを言い出した。
途中、彼等から新たな事実の報告を受けていたサラはにこっと微笑み
「まぁまぁ、ぶっ殺すとかいうのはよくないけど……それでも、ユイちゃん達の発見、大手柄よ。これでMoon-lightsとの関係を示す状況証拠が見つかれば、すぐに刑事告訴に踏み切れるんだもの。立派な組織的威力業務妨害罪が成立するわよ?」
有罪ともなれば軽くて二年未満の業務停止、悪質と認められれば管理責任者は懲役又は禁固刑に処せられる。
「だけど、隊長さんよ」
ティッシュでチン! と鼻をかんでいたリベルが口を開き「ありゃあ、立件するのは一苦労だぜ? 故意に誤報を誘発させたっていうところまではいいけどよ、その犯人がMoonなんたらのねーちゃんだって関連付ける証拠なんざありゃしないんだからよ」
まるめたティッシュをポイと放り投げた。
が、ゴミ箱の縁に当たって落ちてしまった。
「……ですね。何よりも、そのMoon-lightsの隊員だって言われている人達全員が今現在病院のベッドで生死の境をさまよっているんですから。彼女らがダミーで、実行犯は別にいるっていうことを根底から証明しないと、警察機構も動けないんじゃないかと思います。セレアさんの推測がどうやら事実らしいということは今日、ひとつ明らかにできましたけれども」
リベルの疑問を補足するように、ナナも言った。
彼女もまた、すっかりくたびれ果てた様子で、しきりと長い前髪をいじっている。
二人の言う意味がわからなくもないサラは、じっと考え込むように頬に手を当てていたが
「……そういえば、スティーア総合病院とスティファノCMDサービスの方はどうだった? サブジャミングの可能性はあったのかしら?」
「……現在解析中です、サラ隊長どの。ほぼ、その可能性百パーセントでしょうけど」
答えたのはショーコである。
彼女はもう長い時間、オフィス奥に設置された高性能コンピュータの画面と睨めっこしたままであった。
ふと、思いついたようにユイがそちらの方を向き
「セカンドチームの方はどうなんですかぁ? やっぱり、サブジャミングですか?」
「まだ解析し終わってないから何とも、だけど……十中八九は誤報誘発、ね。――ただし」
ショーコは一枚書面をプリントアウトすると、それを手にしてサラの傍へやってきた。
「……例のR地区。こればっかりはわからないのよ。あたしの解析結果だと、ナナちゃんが捉えた機影の確認地点と、黄色い警備屋が全滅した地点、かなり近似しているのよね。この通りだとすれば、必ずしもサブジャミング機器を使用しているとは限らなくなる。モノホンの機体だったっていう推測もありうるのよ」
「ちょちょ、ちょっと待った」
リベルが異論を唱え始めた。
「現行の対CMD感知センサー照射圏内にいて、ロックを擦り抜ける機体なんざ、聞いたコトねェぞ!? そりゃあ、たまたまじゃねェのか? 嬢ちゃんよ」
そうは言われても、という調子でふよふよと首を横に振っているショーコ。
「あたしもそう思いたいんだけど、こればっかりは……ね。はっきりと事実関係がわからないから、確定ではないにしても、その可能性がゼロじゃないってことだけは今のところ否定できないわ」
二人はなおもああだこうだと推論を述べ合っている。
その傍で、もうどうでもいいという風にぐったりしているユイとナナ。議論に加わる気力も失せている。久しぶりに現場へ出た高揚感でもあるのか、リベルだけが妙にハイテンションになっていた。
恐らく話の内容を理解していないリファだけが、小首を傾げてショーコとリベルの議論を眺めている。
確かに、ショーコの解析結果が本当だとすれば、一連の誤報騒ぎはより重大なものとなる。サブジャミングでしきりに誤報誘発を仕掛けてくる一方で、本物の機体を準備しておいて襲撃をかけるつもりがあるという仮定が出来上がってしまうのだ。
あるいは――Moon-lightsが自ら事件をでっち上げ、そのために罪もない若い女性を手にかけたという最凶最悪のシナリオにもなりうる。さらにいえば、センサーにも引っかからない奇天烈怪奇な機体を所有しているという話にもなってしまう。
「……わかりました」
断を下すように、サラが顔を上げた。
「R地区の件については、セレアさんから警察機構捜査鑑識分析局の方へ問い合わせてもらいましょう。ここで議論してもいても始まらないし、警察機構側にとっても新事実の発見につながるかもしれない。そうすれば、どのみち私達に不利にはならないでしょう?」
「そうね。それが一番良さそうだわ」
「……だな」
議論がひと段落したと見てとったサラは、疲れ切っている三人を労わるように
「もうすぐセカンドグループも戻ってくるし、ファーストのみんなは取り合えずシャワーでも浴びてから夕食を摂っていて頂戴。今日はフェイバリット・キッチンのデリバリーを頼むことにするから」
食事のデリバリーを専門としている店で、メニューはどれも美味といっていい。しかしながら決して安価ではないため、頻繁に利用できるサービスではなかった。かつ、普段はブルーナやウェラが食事の用意をしてくれるという事情もある。
それを聞くなり、沈んでいたユイが反応した。
「え? フェイバリット・キッチンですか? あたしちょっと、元気出たかも……」
現金な娘である。
「ところでボーズはどうした? まだ機体いじってんのか?」
サイだけがオフィスに戻ってきていない。
「伝導制御のシステムに気になる部分があるって、コックピットに潜り込んでましたよ? 呼んでやらないと、一晩中やってるかも知れない」
ぼそりと呟いたナナ。
自分よりも機体の方を気にされるのが面白くないのかも知れなかった。
ところが、翌早朝。
Star-line本部舎は異常なまでの連続緊急発報に叩き起こされた。
『――よろしいでしょうか!? 申し上げます! A地区、スティリアム物理工学研究所、B地区、スティーア総合病院、G地区、スティケリア・アーヴィル重工セカンドファクトリー――』
「……はい? もっかい、お願いしまふ……」
よりによって、通信コンソールの前に立ったのはリファであった。
いつもの癖でオフィスで眠りこけていたがゆえに、真っ先に緊急通信を受ける羽目になったのである。頭が半分以上眠ったままの彼女が、緊急出動要請に応じられる筈もなかった。
「あ、あたし、聞き取れませんでした……。すみませんけども――わあっ!」
「どきなさい、リファ! 通信の邪魔よ! ……もし!? Star-line副長ショーコ・サクですが!」
ぐだぐだやっているリファを突き飛ばしつつ、ショーコが取って代わった。
STR指令の女性オペレーターは、画面向こうの出来事に一瞬びっくりした顔をしたが
『お、おはようございます! 合計4施設から、同時に緊急発報を受信しています! いずれも警戒レベルサードクラスですので、Star-lineにおかれましては、緊急出動を――』
「はあっ!? 4施設!? なんでそういうことになるのよ! 昨日みたいに誤報じゃないの!?」
早くもショーコの逆鱗スイッチがオンになっている。
凄まじい剣幕に、女性オペレーターは怯えた様子を見せたが
『す、すみません! ですが、警戒レベルサードですので、当方では対応できないんです! お、恐れ入りますけど、き、緊急出動を……』
「わーったわよ! 発報先、全部リストで送って! いちいち聞いているヒマはないわ!」
自らも安眠を妨げられたショーコ、すこぶる機嫌が悪い。
全館一斉放送のスイッチをグーで叩きざま
「Star-line、全員起きなさい! 緊急発報よ! 0510に出動するから、ハンガーに集合すること! いいわね!?」
マイクに向かって怒鳴った。
そんな彼女が、STR指令への通信がつながったままであることには気付く由もなかった――。
「……やぁね、ショーコったら。ご近所から苦情が入るわよ? いい加減になさいね?」
ほどなく、サラがオフィスにやってきた。
すでに彼女は制服に着替え、手ぐしで髪の毛を整えている。
早朝から怒り心頭のショーコは収まらない。
「そうは言ってもね、サラ! これは異常よ! Moon-lightsの連中、気違いだわ! まとめてぶっ殺さなきゃ、おちおち眠れもしないじゃない!」
どこかで聞いた発言だと思いつつ、サラは落ち着いている。
通信端末からプリントアウトされている出動要請にざっと目を通しつつ
「どれも近いわね。まだ、不幸中の幸いってとこかしら? ――隊長命令です。体制は昨日と同様、ここからの定点指令でいきます。AとBはファースト、GとKはセカンドを回すわね。昨日みたいに悠長にログを洗っているヒマはないから、現地警備員に送信を依頼すること。対CMD感知センサーによる周辺状況の確認が取れ次第、次の地点に向かう。……ってことでいいかしら?」
寝起き直後とも思えない程に、サラの指揮は冴えていた。
その鮮やかさに、文句を言う気も失せたショーコは
「りょーかい! あたしは現地からのログを整理するってことでいいの!?」
「そのように頼むわね。今のショーコじゃ、セカンド三人娘が怯えて何もできないもの」
言いかけたサラは、ふと足許に違和感を感じて目線をやった。
床の上に、リファが横倒しに倒れていた。
「……あら? リファったら。地べたに転がって寝るものじゃないわよ? カゼひくじゃない」
「ちがうんですぅ……ショーコちゃんたら、あたしのこと突き飛ばすんですぅ……」
――ともあれ、ショーコが指定した0510には、ファースト、セカンド両グループとも本部舎を緊急出動していった。
サイ、ナナ、ユイ、リベルの四人は、最も受信の早かったA地区を目指している。
Star-line入隊前に何かと苦労の絶えなかったこの四人は、上流家庭に育ったセカンド三人娘とは異なり、早起きというものに慣れきっていた。
「……はい、サイ」
いつの間に煎れたのか、ナナは携帯ポットにコーヒーを用意してきていた。
今日はサイがハンドルを握っている。
「お? サンキュー! ちょうど、なんか飲みたかったんだよな」
美味そうに啜っている彼の横顔を、じっと見つめているナナ。
「……ねぇ、サイ」
「ん?」
「昨日……一緒に夕飯食べようって、約束、したよね?」
が、結局昨晩、サイはMDP-0のコックピットから出てこなかった。
それを、ナナは根に持っているらしい。
「……? ……!!」
一瞬思い出せず、そこからすぐに心当たりに行きついたサイの思考が、そのまま顔に出た。
「ご、ごめん……」
平謝りするしかない。
こういう時のナナは、下手に言い訳したりなどすればよほど手に負えなくなるのを、彼は経験で知っている。
が、ナナの機嫌は簡単には直らなかった。
「そういえば、サイ? この前も、機体の調子が何とかって言って、イースト・テラスのカフェに行く約束をすっぽかしたよね? そんなにあたしより、MDP-0の方が大事かしら?」
「は、はい……。どうも、すみませんでした……」
助手席から静かな威圧を食らっているサイ。怒れるナナの前では、ただただ畏まるより他に術を知らなかった。
二人のやり取りは、後方を行くキャリアのユイとリベルにも届いている。
(うわぁ……ナナさん、CMDに嫉妬してるし!)
ユイは怖気が立った。
冷酷無比なモードのナナがいかに恐ろしいか、彼女は身に沁みて知っている。
「あー、こりゃあ、ボーズも謝っとくしかねェなぁ。女との約束を破っちまったら、男にゃどういう言い逃れもねェからなぁ……」
ハンドルを握り締めながら、ぼそりと呟いたリベル。
男女交際の経験がないユイは不思議そうな顔をして
「……そうなんですか? どうしてです?」
無邪気に質問していた。
リベルは自分とふた回りも歳差のある彼女にちらりと一瞥をくれつつ
「……どうしてって、そういうモンだからさ。女のそれほど、男はウソが上手くはねェんだ」
胸ポケットからタバコを取り出してくわえた。
「いいかい、嬢ちゃん。……男ってのは、バカな生き物なんだ。よっく、覚えときな」
もっともありげに頷いて見せた。
「……リベルさん?」
「ん? どしたぁ?」
「……業務車両内では禁煙だって、隊長が言ってませんでしたか?」
「……」
物のわかったようなことを言うリベルもまたサイと同等だと、ユイは思った。
ふと見やった腕時計の針は十時を十五分ばかり過ぎていた。
眠気で頭が少し朦朧としてきている。
(やれやれ……いつまでこんな事ばっかりやらせるのかなぁ。そろそろ、お終いにしてもいいんじゃないかしら? さもなきゃ、気付かれてしまってそれまでじゃない)
口には出さねど、内心でぶつくさ文句を言っていると
『――もし! A班、応答して! 状況はどう?』
耳に入れている小型無線の向こうから、女性の声が届いてきた。
「はいはい、聞こえてるわよ。0952、予定通り。もうすぐ来るんじゃないかしら?」
『そう。確認次第、撤収して。今日はもう、あなたの方は終わりよ。あとはB班がやるから。2530の集合まで、フリーでいいわ』
「……あのさ」
『何よ? あんまり長話してたら、傍受されるわよ!』
一方的な通信だけしておいて打ち切ろうとする態度が多少むかっ腹でなくもない。
「フリーはわかったけど、この重たい機械、どうすりゃいいのよ? それに、昨日Star-lineが聞き込みに来たって言ってたわよ? もう、ここには来れないじゃないよ」
イライラしたように言ってやると、無線の向こうの女性は声のトーンを下げて
『機械はその辺の海にでも捨てておいて。これから先は必要ないから』
「あ? もう終了ってことでいいのね? 良かったぁ! あと何日、こんなしんどい真似を――!」
言いかけた時であった。
白い大型トレーラーと小型の特殊装甲車が遥か向こうからこちらへやってくるのが見えた。
思わず不敵な笑みを浮かべつつ
「……おいでなすったわよ。今日もファーストの方ね。セカンドは南へ行ったみたい」
『了解。大体のパターンはシュミレートできたわ。ネクストフェイズに使えそう。……じゃ、今晩よろしく』
「ああ、はいはい。よろしくね」
通信を打ち切ろうとすると
『……そうそう、一つだけ言っておくけど』
「あん? まだ、何か?」
『くれぐれも、飲んだくれて来ないでよね。あたし、酒臭いのキライなんだから』
「……!」
最後のセリフには応答することなく、通信を切ってやった。
(ったく、余計なお世話だっつーの! 自分が飲まないからって、何様のつもりよ?)
独り腹を立ててみたところで、どうしようもなかった。
已む無く、担いでいた重たいバッグを背後の海に放り投げ、その場を立ち去ろうとした。
物陰からすっと出て行った途端である。
「お? 弁当売りのねーちゃんじゃねェか! こんなトコで、どーしたぁ?」
声をかけられた。
ハッとしてみれば、先ほど工事現場でしつこくからんできた作業員の連中である。どれもヘルメットを被り、汚れた作業服を着てにへらっと笑っている。
変な用事だと思われては敵わない。
咄嗟に作り笑いを浮かべながら
「あ、そのですね、ちょっとメイクが気になっちゃって……。あたしったら、こんな物陰ではしたないですよね。あは、ははは……」
「なぁんだ、メイクなんかしなくても、十分美人だぜぇ?」
「そぉだって! なぁ、ねーちゃん、明日も来るんだろ? ねーちゃんの弁当なら、俺っち、二つでも三つでも買ってやらぁ!」
などと軽口を叩いている作業員達は、こちらの顔を見てはいない。
そういえば――今身につけている服は、胸元が大きく開いていたのをすっかり忘れていた。
「あ、明日ですね? もし、都合がつけば、お邪魔しますね? ど、どうも、毎度様でした!」
恥かしいやら腹が立つやら、挨拶もそこそこに駆け出して行く。
背後からは
「絶対、明日もこいよー!」
声がした。
(もう二度と来るものですか! ああっ、バカバカしい!)
毒づきながらふと上げた視線の先、停止したStar-lineの車両から隊員が降りてくるのが目に入った。
「あら、ショーコはいないようね。てっきり、ファーストを引っ張ってくるものだと思っていたのに」
もう何度目になるだろう。
STRのオペレーターも、ディスプレイの向こうですっかり疲れ切った顔をしている。
『――では、よろしく、お願いいたします』
「あー、はいはい。何時になるか、わかりませんけどね……」
応答するショーコも、完全に面倒くさくなっていた。返答がいい加減そのものである。
通信を切るなり背後を振り返り
「……で? 何件目?」
直近のデスクでは、リファが行儀良く座って紙に一本づつ線を引いている。
「うん、あのね、ひい、ふう、みい……今ので十五件目かしら? 多いよねぇ」
多いどころの騒ぎではない。
異常事態である。
0510に2グループを出動させてからというもの、一定の時間をおいては緊急発報受信が繰り返されていく。その都度やむを得ず現場に近いグループへ指示を出して向かわせるのだが――結果はいずれも「誤報」であった。リファのカウントが正しければ、たかが五時間の間で十五回もの緊急発報があったことになる。さすがのショーコといえども、すでに応対する気力を消失していた。
はあっ、と大きく溜息をつくと、無線のスイッチをオンに切り替え
「あー、こちらStar-line本部舎ですよ。ファースト、応答してくれるとありがたい」
そろそろ誰も相手にしてくれなくなるのではないかと思ったが
『……こちらファースト、ナナです。次はどこですか?』
淡々としたナナの声が聞こえてきた。
「ナナちゃーん、現在地はどこー?」
『J地区、スティング海運にいます。また例の弁当屋が現れたらしいです。――今日は特盛りだったって、現場作業員が騒いでました』
「あら、それはさぞかしお買い得だったでしょうね。特盛りはライス? それともおかず?」
一瞬、無線の向こう側でナナは黙ったが
『……胸だそうです』
笑いもせずに答えた。
「……」
これで犯人の特徴が一つわかった。
豊かな胸の持ち主であるらしい。
「それで、カップはどれくらいかしら? 推定で構わないけど、もし目分量でわかれば――」
「ショーコったら! 真面目に通信なさい! 一応、緊急発報なのよ!?」
背後から、サラの怒声が飛んできた。
叱られたショーコは頭を掻き掻き
「えー、サラに怒られたので真面目にやります。――今度はI地区、ストレヴァス運輸西支店よ。状況は一緒。到着したら一報頂戴ね。よろしく」
『了解しました。ファースト、I地区へ急行します』
通信を終えるなり、がっくりと肩を落としたショーコ。
サラに叱られたからではない。
こうも敵の術中にはまって右往左往しなければならない自分達が情けなくなっていた。
そんな彼女をじっと見つめていたサラは
「……ショーコ。次に緊急発報が入ったら、それは保留して頂戴」
「保留? いいけど、どうするのさ?」
それには答えず、サラは受話器を取るなりどこかへ連絡を始めた。
「――もしもし、こちらサラですが。はい、はい、ええ、依然として同じ状況が繰り返されておりまして、それで……あ、はい、了解いたしました。そのようにいたします。……はい、はい、ありがとうございます」
電話で何事か話していたサラは、受話器を置くと手元にある無線一斉通信のスイッチを入れた。
「こちらStar-line本部舎、サラよ。みんな、聞いて頂戴。セレアさんからの指示を伝達します。――今から受信される警戒レベルサード程度の緊急発報については、出動保留とします。代わりに要員を強化したSTR警備班が出動して状況確認にあたってくれますから。ただし、警戒レベルフォース以上ならびに緊急事態現認の際は要出動となりますから、そのつもりでいて欲しいの」
それでも、いちいち対応しなければならなかったこれまでの状態よりははるかにマシであった。
事態の異常さを見かねたセレアが、一大決断してくれたらしい。
これで正真正銘の事件であった場合、直ちに彼女自身の管理責任を問われることになるのだが――。
程なく、M地区にいたセカンドグループが帰還してきた。
「あ……た、助かった……」
オフィスに入ってくるなり、ティアはそう呟きながらふらふらとソファに倒れこんだ。
シェフィやミサも、精魂尽き果てたように戸口でへたり込んでいる。
そんな彼女達に対し、サラは
「みんな、お疲れ様。まずは休んでいて頂戴。恐らく、今後入ってくる緊急発報も、ことごとくダミーだと思うの。しばらくは出動しないで済むと思うから……」
「は、はい。了解いたしました……」
ソファにぶっ倒れたままの姿勢で返事をしたティア。
――午後になり、ファーストグループが帰投した。
セカンドグループよりも数多く現場を回った彼等は、ほとんど口を利く元気も残されていなかった。
「お疲れ様! お茶ですよー!」
リファがお茶を煎れてやっても
「……」
「……どうも」
「……ああ」
「……はい」
昨日の今日である。手を伸ばす余力すらないらしかった。
そんな彼等の姿を見ていて哀れになったサラは、この後どうしたものかと頭を悩ませていたが
「――ああ? 二次発報? んなもの、そっちで確認できるでしょうが! CMD襲撃の危険ったって、いるかいないか、見てわかんないの!? あんたの目は節穴なのォ!?」
身動き一つ取れないほどに疲弊しきった隊員達の中で約一名、手がつけられぬほどに荒れ狂っている者がいる。
ずっと通信コンソールの前に座りっぱなしのショーコである。
しまいには現地警備員からも直接通信が入るようになり、彼女の機嫌たるやもはや逆鱗というものではなくなっていた。片っ端から怒鳴り散らしては一方的に通信を打ち切り、その都度傍らのゴミ箱やデスクを蹴っ飛ばしている。悪鬼のようなその姿に、リファなどは恐れて近寄ろうとしなかった。
STR指令からも「少し、落ち着いていただけませんでしょうか……?」と、指令長自ら丁寧な依頼すら寄越されてきている始末である。
そんな彼女の様子を静かに眺めていたサラは
「……ショーコ、これはちょっと隊長命令なんだけど」声をかけた。
「あん? 何?」
どう切り出したものかとやや躊躇っていたが、やがて穏やかな口調で
「今日の作業はもう、切り上げて頂戴。あなたはたった今から、非番の扱いとします。――で、今から寝酒を飲んでくること。いいわね?」
固まっているショーコ。
何を言い出のかといった顔つきでサラを見つめていたが
「な、何を言い出すのよ? この状況下で、あたし一人抜け出して酒なんか飲みに行ける訳がないでしょうに! 当たり散らしているのはそりゃあたしが悪いけど、だからって――」
「理由があるのよ、ちゃんと」
と、サラはどこまでも穏やかである。微笑をたたえつつも、凛とした態度で
「……Star-lineは明日よりDCNC体制に移行します。期間は一連のトラブルが沈静化するまで、当面の予定。ここまでいえばわかるでしょう? 何も機嫌が悪いあなたを追い出そうって訳じゃないのよ?」
「……」
ふと見れば、サイやナナをはじめ、他の隊員達から哀れむような視線が向けられているではないか。 これにはショーコも我に返らざるを得なかった。
がばっと頭を下げ
「……みんな、ごめん!」
謝った。
やっと彼女が落ち着きを取り戻したのを見計らうと、サラはすっと立ち上がり
「みんな、聞いた通りよ。昨日からの一連の誤報騒動は異常事態であると判断されます。よって、各グループの出動負担を軽減するため、明日0800をもってStar-lineはDCNC体制へ移行、ただし警戒レベルサード以下の緊急発報についてはSTR警備班を先行させた上、臨機の判断によって出動を決定します。内規上、本当は認められることではないんだけれども、やむを得ません。明朝0800まではファーストグループを当直、セカンドグループは限定非番とします。――いいかしら?」
その指示を聞いたティアはえっ、という顔をした。
「あの、あの……ということはつまり、あたしは今日、どこかへ出かけても――」
「ダメです!」
みなまで聞くことなく、サラはばっさりと切り捨てた。
「あなたはまだこの前の風邪が治ってないでしょう!? そもそも、限定非番なんですから、外へ遊びに出るなんてもっての外よ! ……今日はさっさと宿舎棟に戻って寝ること! いいわね!?」
それから二時間後。
ショーコはQ地区にある例のバーへとやってきていた。
「ごめーん、ショーコ! 待った?」
ほどなく、カレンが姿を見せた。
以前会った際に携帯端末のメールアドレスを聞いていたから、駄目もとで誘ってみたのである。
本当は隊の誰かを伴っていきたかったのだが、そこはさすがのサラも
「悪いけど、誰かを誘うのは勘弁。このあとも誤発報が続かないとも限らないし、休める時に休ませたいのよ。……第一、リベルさんを除けばメンバーは誰も、ショーコほどお酒が好きな訳じゃないでしょう?」
止められた。
一度飲みに連行すれば朝まで解放されないであろうから、サラは警戒したらしい。
かといって、独り酒は避けたい。あまりにも虚しすぎる。
それでふとカレンのことを思い出したのである。
彼女は仕事終わりにまっすぐやってきたらしく、今日は過日のような度派手な格好ではなく、落ち着いたカジュアルな服装であった。
「マスター! プリンス・クラシックをロックね!」
オーダーしつつショーコの隣に腰掛けた。
「ごめんね。急に呼び出したりして」
「いいって。どうせ今晩は予定もなかったしね。誘ってもらって丁度良かったわ」
屈託のないカレンの態度に気をよくしたショーコ。
ふと、すらりと均整の取れた彼女の首筋を一瞥してから声を上げた。
「……あれ? カレン、あんた、そのネックレス……」
「ああ、これ?」
カレンは自分の首から下げているネックレスをそっと手に取り
「じゃーん! なんと、ロイ・フィルレングスの最新モデルなの! 先行販売に応募したら当たっちゃってさぁ。これを逃したらいつ手に入るかわからないから買っちゃった!」
海向こうのカイレル・ヴァーレン共和国に本店を置くアクセサリの一流ブランドである。使用されている金属の純度が高く、しかも全て職人のハンドメイドによることで知られており、その最新モデルは世界に幾つと出回らない。したがって、その値段はとてつもなく高額なのであった。名だたるVIPやセレブ御用達であることは言うまでもない。
ショーコも欲しい欲しいと思い賞与が出たら購入しようと決心するのだが、いつもその金は寝酒に消えていってしまっている。本気で買おうと思えば、一年や半年はひもじい生活を覚悟しなければならない。決して安くはないショーコの給料をしてその域なのだから、ロイ・フィルレングスの高価さたるや推して知るべしである。
ふと、カレンのうなじから耳へと視線をやったショーコはさらに驚いた。
「……ってか、そのイヤリングもじゃないの!? あんた、一体そのカネはどこから手に入れたのよ!? まさか、貢いでくれる富豪の彼氏でもできたんじゃないでしょうね?」
事実だとすれば、相当面白くないショーコの声は些か焦っていた。
が、カレンは事も無げに
「まっさか! 当たり前の話、ローンを組んだのよ。これであと数年、泣かず飛ばずの暮らしをしなくちゃいけないんだけどね」
「その我慢の間に、男見つけて結婚しちゃおうってんでしょ?」
安心した途端、意地悪の一つも言いたくなったショーコ。多少、酒が回ってもいる。
カレンはニヤリと笑って
「……ご名答」
呟いた。