月光編4 禍々しき暗示
「――へっくしょん! へ、へ……へっくしょん!」
薄手のタンクトップに短パン姿で震えているティア。
いくらこの国の気候が温暖だとはいっても、深夜ともなれば上着の一枚は必要になる。
が、結局長風呂の途中で引きずり出されたティアは制服に着替えることもできず、あらぬ格好のまま出動せざるを得なかったのだ。ナナの予感は半ば現実のものとなった訳である。
さすがに見かねたユイが
「……あたしの上着、貸してあげようか? さすがにそのカッコじゃ、寒いでしょ?」
「え、マジで? あ、ありがと……っくしょん!」
「わあっ! 鼻水とんだ-! ちょっとぉ、クシャミするなら手で抑えなさいよぉ!」
「へ? ご、ごべんなさい……。謝るから、その上着かひ、ひ、ひぇっくしょぉっ!」
――などという二人のやり取りはさておき。
緊急発報受信から二十分後、Star-lineの面々はR地区に本社を構える「ストゥルエン証券株式会社」に到着していた。
スティーレイングループの中でも最も設立年次が新しい会社であり、新規事業拡大を図るべく会長ヴォルデが念入りに準備を進めたのちスタートさせた、いわば彼の肝煎り会社といっていい。狙いは違わず、スティーレイングループの信用力を裏打ちとしている同社には多数の顧客が寄り付き、開業以来順調に成績を伸長させてきていた。
とはいえ、莫大な取引規模を誇るストゥルエンに打撃を与えれば、ヴィルフェイト合衆国市場に及ぼす影響は甚大なものとなる。世界各国のテロ組織の標的とされるであろうことは自明の理であった。
無論、同社に対しては重厚かつ適切な警備体制がとられているのは言うまでもない。
「――やぁれやれ。やっぱ誤報か、さもなきゃ未遂ってトコじゃない? この地区でテロなんて無謀だもの。ちょっと考えれば子供だってわかるハナシよ」
ストゥルエン証券本社警備室から出てくるなり、ショーコが眉をしかめて言った。
片側三車線のだだっ広い道路に面しているとはいえ、筋向いはハドレッタ・インダストリー社が所有する警備会社の建物があり、右隣二軒向こうはミネアノス重工の技術研究所が聳えている。当然、その警備は厳重を極めている。ついでに左手には、多少の距離はあるが大手警備保障会社の地区派出所まで存在する。互いに他人同士ではあるものの、そこは相互警備協約の締結によって万が一の際には連携しあえるように考慮までされている。とどめに、R地区は重点警戒特区でもある。こうした強固な防犯ネットワーク体制下では、いかに札付きテロ組織であっても容易に行動を起こせるものではない。ショーコはそのことを言っている。
特殊装甲指揮車の傍で周辺状況の確認を行っていたサラも頷き
「そうね。無駄足は迷惑だと言いたいところだけど、何事もないことが一番だもの。まずは良かったと思いましょ」と言ってから、相変わらず震え続けているティアの方に一瞥をくれ「……これ以上ここにいて、誰かさんに風邪引いて寝込まれでもしたらシフトの調整が大変だもの」
「……大丈夫ですよ、隊長。何とかは風邪引かないって、いいますもの」
指揮車の助手席で端末を叩いていたナナが、表情も動かさずに呟いた。
(事実ではあるけど……何もそこまで言わなくてもねぇ)
MDP-0のコックピットにいて無線で一部始終を耳にしていたサイ。仕方なさそうに苦笑した。
そうして、誰もが撤収を思い始めた頃である。いい加減、眠たくもなってきている。
「……あれ? 何だろう、これ?」
不意にナナが不思議そうな声をあげた。
「どうしたの、ナナちゃん。何かあった?」
指揮車の窓から首を突っ込んで、ナナがいじっている端末のディスプレイを覗き込んだサラ。
ナナはディスプレイに表示されている広域マップの一点を指し示し
「ここのあたりで一瞬、CMDの稼働反応が出たんです。でも、すぐに消えちゃって……」
彼女は半径1Km以内で稼働しているCMDをキャッチできる高性能レーダーを使って、周辺の状況を確認していた。さすがにこの深夜ともなれば稼働しているCMDなどそうそうあるものではない。再開発工事が進行中の地区ならば夜を徹して行われる工事も少なくないが、R地区はかなり早い段階の都市再開発プロジェクトに盛り込まれていたこともあり、現在では特に急がれる建築工事現場などは一件も確認されていなかった。
指された一点をじっと見つめているサラ。
位置は同じR地区、ストゥルエン本社より北側の地点である。
眺めているうちに、そういえば、と彼女は思い出していた。
(この辺りじゃなかったかしら? 確か、アルテミスグループが買い取って近々新しくグループ会社の庁舎を建てるっていう記事があったような……)
いつかの新聞で読んだような気がしたが、はっきりとは覚えていない。
念のためその地点も巡回してから撤収した方がいいのかなどと考えていると、
「――Star-line指揮官の方、いらっしゃいませんか?」
ストゥルエン本社警備室の方から、一人の警備員が飛び出してきた。
「はい! こちらですが!」
サラが応答してやると、彼は駆け足で寄ってきて
「たった今、警察機構から問い合わせがありました。Star-lineが緊急発報を受けて出動している筈だということで、相違ないと返答しておいたのですが……」
「警察機構、ですか? 確かに、うちからは出動報告を入れていますが」
Star-lineが出動する場合、警察機構ならびに治安維持機構へも一報されることになっている。万が一事件性の高い事象に発展した場合、速やかに出動を要請するためである。緊急発報である以上即出動要請となってもよさそうなものだが、今日の今のように、誤報だった場合は各機関に無駄足を踏ませてしまうことになる。従って、現地で状況を確認したのち、出動要請は現場指揮官であるサラやショーコの判断に一任されるのである。
もっとも、最初から事件として断定されるような、警戒レベルサード以上の事態においては、出動以前に警察機構や治安維持機構にも出動要請がかけられる仕組みとなっている。
まだ若い警備員も何が何だか飲み込めていないらしく、眉をしかめながら
「それがですね、現場周辺保全命令が出ているのでしばらくここで待機ありたい、とのことなんです。――別に事件なんか起きていないってのに、変なことを言うと思ったんですが……」
「現場周辺保全命令ですって?」
サラが訝しげに声をあげた。
即ち、この近隣のどこかで事件が起きているということではないか。事件の物証をいち早く確保するため、事件が起きると警察機構はその周辺にも保全命令を発するのである。こうなると、解除されるまでは保全命令該当区域からはチリ一つ動かすことすら許されなくなる。勝手に行動すれば、合衆国刑法に定められた「公務執行妨害」が適用され、たちまち犯罪者にされてしまう。
しかしながら、彼女はじめStar-lineの一同には何も報らされてなどいなかった。
「サラー! 何かあったの?」
ショーコがやってきて呑気そうに尋ねた。
「撤収はまだ待って頂戴。警察機構から、現場周辺保全命令が出ているようなの」
「はぁっ!? 保全命令? どこにも事件なんか、起きてやいないじゃないのよ」
腰に手を当てて不可解な顔をしているショーコ。
合点がいかないのは、サラも一緒である。
ともかくも、警察機構からの指示である以上、勝手に撤収していなくなる訳にはいかない。
指揮車の中にいて話を耳にしていたナナ。首を傾げつつ
「……どうしますか、隊長? 待機指示、出しますか?」
「あ、え? うん、そ、そうね。一斉通信をお願い。でも、STRへの通信はまだ待ってね? 警察に変な疑いをもたれてしまうから」
「わかりました」
返事をすると、ナナは無線のマイクを取ってスイッチを入れた。
「こちらファーストのナナです。Star-line各員へ、サラ隊長からの指示を伝達します。たった今、警察機構から現場周辺保全命令を受けました。よって、そのまま次の指示あるまで待機願います。繰り返します――」
無機質に伝達を繰り返していると、
『えーっ!? まだ帰れないんですかぁ!? あたし、カゼ引いてしまっ……へ、へ、へっくしょん!』
約一名、騒ぎ出した者がいる。
すかさず、
「えーい、お黙り! 警察に捕まりたけりゃ、勝手に帰りなさい! 出動待機当番で長風呂しているあんたが悪いんでしょうが!」
ショーコの怒声が轟いた。
――彼女もまた、早く帰りたかったらしい。
「……なんだこりゃ?」
「なにかしら……ね?」
絶句しているサイの隣で、やはり呆然としているナナ。
半刻後。
警察機構の係員と合流したStar-lineの一同は、簡単な出動状況の聞き取りを受けた。
が、一体どこで何が起きたのかということについては、説明されていないから事象を把握できずにいる。
サラは困った表情で
「すみませんが、どういう事件の関係で私達は警察機構から現場周辺保全命令を受けているのでしょうか? 状況が一向にわからなくて、非常に困惑しているのですが……」
警察機構職員は二名で来ている。
歳が若い方の職員はどう説明したものかと、先輩らしいもう一人の職員の顔を見た。すると、その先輩職員は無線で一、二のやり取りを済ませてから
「……あの、もしよろしければ、現場へお越しになりませんか? その方が、一目で状況がおわかりいただけると思いますが」
「……?」
口頭で説明がつけられないような大事件なのかと思いつつも、サラはその事件現場とやらへ案内してもらうことにした。ストゥルエン証券にはもう、留まっていなければならない理由がない。現場周辺保全命令はなおも解除されていないが、警察機構職員が同行しているのだからそのへんは差し支えなかった。
同じR地区内、ストゥルエン本社から十分ほどの位置に、その現場はあった。
四方を巨大な建築物に囲まれていて、街灯の照明がほとんど当たることのない真っ暗な空き地。
警察機構車両の投射機から放たれた光の先にあったものは――
「……恐らくは報復? みたいなものよね?」
「にしちゃあ、ちょいと酷すぎるんじゃないかと思うけど……」
「まあ……確かに、これはひと目見た方がわかりやすかったわね」
ショーコとサラも、眼前に広がる光景を目の当たりにして顔色を失っている。二人はもちろん、あとのStar-lineメンバーの誰しもが驚愕のあまりその場に立ち尽くしている。
五体がすべて引き千切られ、見るも無残な姿となって転がっている人型仕様CMDの残骸。それも今出来のことらしく、主要駆動部のあちこちから煙が立ち上り、スパークが散っていた。
およそ三機分と思われるそのいずれもが、目に痛いばかりの蛍光イエローに塗装されている。
完膚なきまでに破壊されたその機体がどこの所属機であるか、知らない者はない。
警察機構鑑識課の職員が現場検証にあたっているのをぼんやり眺めていると
「……こんな夜分に恐れ入ります。わざわざ来ていただいてすみません」
一同の背後からやってきて、声をかけた者がいる。
警察機構捜査課所属の若き女性職員、ミジェーヌであった。Star-lineとは親しい間柄の人物といっていい。
「あ、あのー……これは、一体……?」
サラの問いかけに、ミジェーヌはいかにも困惑した表情を浮かべ
「ご覧の通りです。先日まで皆さんをさんざんお騒がせしていた、例の黄色い警備屋です。――警察機構の方でつい先ほど彼等Moon-lightsさんから緊急通報を受信したものですから出動してきたのですが……。ずいぶんと妙な場所から通報されると思っていたら、こういう状況だったんです」
手にした小型端末にちらりと視線を落とし
「急いで周辺の確認をとってみたら、ちょうど近くに皆さんがいらっしゃってました。CMDがらみの事件でもありますし、巡査長さんにこちらにお呼びしていただけないか、頼んでみたんです」
「で? あたし達とこのザマと、何か関係があるかもしれないと?」
早く帰って寝たいショーコはすこぶる機嫌が悪い。口調が恐ろしく尖っていた。
「ちょっと、ショーコ! よしなさいよ!」サラはそういう彼女を嗜めつつ「ま、お話はわかります。警察としては事件があれば当然、その付近にいた者から事情を訊かねばならないでしょうから」
同情してやった。
別にミジェーヌは、ハナからStar-lineを疑ってかかるような人間ではない。
彼女はちょっと微笑を浮かべて
「本当にすみません。先ほど、こちらの職員が一度伺っているかとは思いますが、よろしければ私にも当夜の出動に至った経緯をお聞かせいただきたいのです。ご面倒をおかけして申し訳ありませんが」
「ええ、それにつきましては――」
一巡査よりも、本庁捜査課の人間に説明したやった方が、後々が楽になる。
サラは緊急発報を受けてからR地区へ急行してくるまでの状況を簡潔にまとめて説明した。
聞き取りながら小型端末に要点を打ち込んでいたミジェーヌはふんふんと頷き
「なるほど。発報はストゥルエン証券に設置されている自動警備システムからのものであった、と。しかしながら急いでやってきてみれば、当の現場では何事も起こっていなかったということですね?」
「そうなんです。不審者が人間であればSTRが到着するまでは常駐している警備員が対応するところなんですが、CMDの反応であれば警備員は表に出て状況を確認するという訳にもいかない。迂闊に飛び出してCMDに踏み潰されたりなんかしては敵わないから、いわば篭城を義務付けられています。ですから、我々としては機械が感知して記録したログを信じる以外にないんですよね」
「仰ることはわかります。それは警察機構においても同じですから……」
そう呟いてから、じっと小型端末のディスプレイを睨んでいるミジェーヌ。
事情聴取に応じているサラ以外の面々は手持ち無沙汰になっている。
皆、警察機構職員がてきぱきと動き回る様子を眺めていたが
「そういや、潰された黄色い警備屋の隊員達はどうしたんです? どうも、本体搭乗部を意図的に潰されたとかいう形跡はなさそうですから、死傷者が出たとは思えませんが」
サイが振り向きざま質問を発した。
大破した機体を注意深く観察してみたところ、被害にあった黄色い警備屋がかつてテロリスト達に施したような残酷極まりない仕打ちの跡はどこにも発見できない。強いて言えば、動きを停めるには脚の一本で済むものを、ご丁寧に五体全部を胴体から分離してしまっているあたりに歪んだ悪意が感じられるのであった。
「そうなんです。それなんですが」
ミジェーヌは軽く頷いて見せ「私達が駆けつけて来た時、各機のドライバーとその後方支援者、ええと……合計で五名の関係者が確認されました。全員、目立った外傷はなくて一命は取り留めていたんですが、その……」
背後を指した。
少し離れた位置に、緊急医療搬送車が三台ばかり停車している。
その傍で、大勢の救急隊員達がキャリー付きの担架を取り囲んで何やら話し込んでいる。担架の上に乗せられているのは当然黄色い警備屋の隊員であろう。外傷がないとはいえ一刻を争う以上、すぐにでも病院目指して出発してもよさそうなものだが、いつまで経っても搬送車が出て行く気配がない。
「どうかしたんですか? もしかして、受け入れ先の病院が見つからないんですか?」
不思議そうなユイ。
すると
「でもないんです。この辺りなら病院は幾らでもあるんですが、その……」ミジェーヌは首を傾げ「被害に遭った黄色い警備屋の隊員達、何かのガスにやられているようなんです。迂闊に病院へ搬送してそこで二次被害が発生しては大変ですから、被害者が浴びたガスの成分を急いで分析しているところです」
恐らく第三者への二次被害には至らなそうですが、と彼女は付け加えた。
「ガス?」
ショーコは妙な顔をした。
CMDを使用した犯行に及ぶテロリストが、わざわざ有毒なガスを用いて相手搭乗者に危害を加えるなどという手口は今だかつて聞いたことがない。以前スティリアム研究所を襲撃したような工作員の類ならばあり得なくもないが、CMD専門の民間警備部隊一つ潰すのが目的だとすれば、手が込みすぎている。
「有毒ガスなんて、テリエラのような下っ端の連中が手に入れられるような代物じゃないわね。彼等が扱い方を心得ているとも思えないし」
「でも、わかりませんよ? この前はジャミング装置なんか準備していたじゃないですか。あれに比べれば、まだガスなんかお手軽な部類に入るような気もしますけど」
サラの呟きに、異を唱えたサイ。
まったく、テロリストなどは何を仕出かすかわかったものでないと彼は常々思っている。
「ま、そのあたりのことはこれから警察機構に調べていただくとして」
面倒な議論は止そうというように割って入ったショーコは「それよりも、一つだけ気になるんだけど……被害に遭った黄色い警備屋の面々、若い女性じゃなくって?」
A地区で起きたスティリアム研究所襲撃事件の際突如介入してきたMoon-lights機のドライバー達は、賊を瞬時にして屠り去るなり、MDP-0のサイとナナに向かってわざわざ正体を名乗っている。二人が聞いた声は若い女性のそれであった。ショーコの質問にはそういう背景がある。
ミジェーヌは首を縦に振ってから
「ええ、以前ご報告いただいた通りです。どの隊員も女性で、皆さんとほとんど変わらない位の年齢ですわ。――可哀相に、かなりしつこく神経性のガスを浴びせられたようで、全員が重度の意識障害に陥っています。事情を訊こうにも、回復までにはかなりの時間を要するでしょう。外傷がなかったとはいえ、もしかすると後遺症を残してしまう方もいるかも知れませんね」
痛ましそうな顔をした。
「……」
憤りに耐えない、といった感じで不快気に黙り込んだサラ。
確かに、Moon-lightsの連中にはさんざんに煮え湯を飲まされはした。ヴォルデをはじめとする大手重機メーカー社長連の抗議によってそれらの干渉行為は鳴りを潜めたものの、なぜそういった行動が繰り返されたかについては依然として究明されていない。
かといって、彼等もまた都市の治安を守るという使命の一端を担っていたことに変わりはない。
常に危険と隣り合わせの業務である以上何らかの受傷はやむを得ないとはいえ、まだ年端も十分でない娘達が将来的に支障を残すような危害を加えられるなど、断じて許される話ではないと思うのである。
だが。
よくよく考えてみれば、Star-lineもまた、Moon-lightsと状況に大差はないのである。
ほとんど若い男女だけで構成された私設警備部隊。
いつ何時、同じ目に遭わされないという保証はどこにもない。
(……!)
慌てて背後を振り返ったサラ。
そんな彼女を、サイやナナをはじめ二十歳も迎えていない若い隊員達が訝しげに見つめている。
果たして自分は、彼等を――凶悪な魔の手から守れるのだろうか。
止め処ない不安が胸中雲のように立ち込めつつあったが、打ち消そうにも打ち消しようがなかった。
――結局、Star-line一同はこれといってすることもないまま、間もなく現場を後にした。大破した機体の破損具合など直接調べたい事柄は幾つもあるものの、歴とした警察機構管轄事案である以上Star-lineがしゃしゃり出る訳にはいかない。負傷者が数名出ているから、そこはなおさらである。
去り際にミジェーヌは、現場へ来てもらったことをしきりと恐縮しつつ
「何かわかりましたら、こちらからご連絡させていただきます。色々、お知恵を借りなければならないことが多い事件だという風に思いますので」
そんな表現で、さり気無く彼等への信頼を示してくれた。
「ま、あの治安維持機構なら何の頼りにもならないけど……警察機構が好意を見せてくれるってのはあながち悪い気がしないわね。うちらとしても心強くはあるかもね」
ショーコの呟きを横で聞いていたサラ。彼女としても、それには激しく頷きたい気持ちがある。
「そうね……。ヴォルデさんやセレアさんと細かく連携をとるようにして、私達も十分に気をつけましょう。次に狙われていないとも限らないし」
ヴォルデやセレアとの連携、という部分を無意識に強調していた。
正直なところ、嫌な予感がせぬでもなかったからである。
今夜の騒ぎは、この後に続く何か大きなトラブルの予兆ではないかという気がしていた。
――筋書きがあまりにも出来過ぎている。
ぼんやり考え込んでいると
『へっきし! へ、へっきし! へっきし!』
無線のスイッチをオンにしたままくしゃみを繰り返している馬鹿がいる。
「うっさいわね、ティア! 無線切りなさいよ! あんたのくしゃみを聞いてたら、こっちまで風邪ひいてしまうわよ!」
あまりのうるささに、ショーコがキレた。
『す、すびば……へ、へっくしょ! せん……ずずっ』
どうやら、ティアは本当に風邪をひいてしまったらしい。
「……バカでも風邪、ひくんだ」
ファーストグループ特殊装甲車の車中、助手席で小さく呟いたナナに
「そりゃあ、ひくさ。いくらバカでも人間である以上は、ね。……風邪ひかないヤツがいるとすれば、そいつは人間じゃないな」
ハンドルを握ったまま、サイが無表情で応じた。
コツコツ、と遠慮がちにノックをすると
「……空いているよ。入りなさい」
間髪を容れず中から声が聞こえてきた。
「すみません、お爺様。こんな時間に」
「いや、大丈夫だよ。ようやく、溜まっていた諸々の処理が片付いたところだ」
入ってきたセレアの姿を一目見るなり、ヴォルデは相好を崩した。
ここ数日多忙を極めていて、ほとんど会話らしい会話を交わしていない。
日中こそ慣れた態度は見せないが、そうはいっても彼にとってセレアが待望の初孫であることに変わりはない。であるから、こうして二人だけの時間になると決まってヴォルデは祖父らしい素顔を覗かせるのである。
セレアもちょっと微笑したが、すぐに表情を戻して
「たった今、Star-lineのサラ隊長から一報がありました。R地区でCMDによる襲撃事件が発生いたしまして、その被害者が……」ごくりと唾を飲み込んだ。「アルテミスグループ系警備会社、Moon-lightsであるとのことです」
「なんだと?」
ヴォルデが顔色を変えた。
「で、状況は?」
「はい、何でも、警察機構へ緊急発報があったそうです。警察機構職員が現場に駆け付けた時にはすでに機体は大破、ドライバーを含む五名の隊員が有毒ガスを吸っていて重体とのことです。たまたまストゥルエン証券から緊急発報を受けたStar-lineがほぼ同時刻に同社に出動しておりまして、現場周辺保全命令を受けました。のち襲撃現場への立入許可をいただき、現認することができたそうです」
報告しているセレアも些か平静さを欠いている。口調がつんのめるようになっていた。
「よりによって被害者がMoon-lightsだと……。奇妙な事態になったものだ……」
チェアごとぐるりと回転し、窓の外を眺めているヴォルデ。
いつの間にか雨が降り出したらしく、水滴が窓ガラスを濡らし始めていた。
夜も深いから、心なしか都市中が沈黙している。その重苦しい闇夜の空気が、雨に打たれて次第に湿り気を帯びていく。ヴォルデの鋭い眼差しは、漆黒の空間の一点へ突き刺されたままである。
沈思していた彼はつと、セレアの方へ向き直ると
「……セレア。夜も遅い時間に済まないが、報道各社の動きを調べてもらえるかね?」
「はい。……明朝の報道について、でしょうか?」
ヴォルデはうむと頷き「特に、アルテミス系のファー・レイメンティル経済新聞には気をつけておいてもらいたい。テロリストらが狡猾であるに違いはないが、何せあのMoon-lightsのことだ。たかが奇襲を受けて全滅したとも思えないのだ。これには必ず、裏がある」
推測ではなく、言い切った。
同じような想像をしていたセレアも、同意するように首を縦に動かした。
先日の干渉騒ぎもそうであった。
厄介だったのはMoon-lightsよりもむしろ、好き勝手な記事を書き散らして事態を混乱させたファー・レイメンティル経済新聞の連中であるといっていい。しかしながら、彼等が独断でそれをやったかといえば、重大な疑問が残るのである。グループ内部で暗黙裏の了解があったと見るべきであった。前回こそファー・レイメンティル経済新聞が露骨であったために事態が明々白々となったが――実はそれ自体が狂言であったという見方も十分に成立するのである。
実際には、更に奥があるのではないかと、ヴォルデもセレアも踏んでいる。
が、真意がどこにあるのかがわからないだけに、アルテミスの動きは不気味そのものでしかない。
ただし、彼等の矛先がいずれどこへ向かうかについてはほぼ予想がつく。――Star-line、あるいはスティーレイングループ。さもなくば、こうまで執拗にStar-lineの周囲で事件が起こる筈がなかった。すでに標的にされているものと思って良いであろう。
「それから、サラ君には逐一報告を寄越すように言っておいてくれるかね。緊急発報が入っても、迂闊に動くことのないように。STRには苦労をかけるが、調査班による初動確認を徹底して欲しい。これをやれば都市治安委員会からうるさく言うだろうが、やむを得ないだろう。……この一件、かなり難しいことになるだろうからね」
受話器に手を伸ばし、どこかへ連絡を取り始めたヴォルデ。
それを潮に、セレアは静かに一礼すると部屋を出た。