作品は作者のものではない
『作品は作者のものだ』という言葉をたまによく聞きます。
これ、間違いですよ。
明確に、間違いです。
もちろん作品は作者のものではありません。
読者のものでもありません。
誰のものでもありません。
独立した一個の人格みたいなものなんです。
これ、べつに私がそう考えているわけではありません。
長い文学、絵画、音楽、あらゆる表現作品の歴史の中で、確定された認識です。
これに意を唱えるのは『1+1=2じゃない!』というようなもので、これは創作作品批評における基本中の基本です。
もちろん『1+1=田んぼの田だ!』とか『そもそも1なんて数があるのか?』とか、『1+1=2』を知った上で面白い意を唱えるのはアリですけど、とりあえず『1+1=2』ということだけは受け入れてもらわないと、その後の算数が出来なくなっちゃいます。
もちろん作品を書いたのは作者さんです。
どういうつもりで書いたか、作者さんだけがわかってらっしゃいます。
でも、作品には作者さんの意図していなかったものも入っていますし、作者さんの意図以上のものを読者さんは読み取ったりします。
またそれは歴史の中で変化したりもします。
いわば作者さんはサイコロを振っただけに過ぎません。
出た目がランダムなら、サイコロは作者さんのものではありませんよね。
ここで作者さんが自分で目を選んで配置したのなら、そのサイコロの並びは作者さんの作品だといえます。
ただ、それはやはり作者さんのものではありません。
その並びを他人が変えるのは失礼なように思えますが、他の誰かが並びを変えることも出来ます。そして、そっちのほうが面白い並びになることもありえます。
面白くなった! でもそれは既に共作です。
一人の独立した人格みたいなものですので、他人の影響を受けて変化することも出来るのです。
ギター職人さんが魂を込めて一本のギターを作ったとしましょう。
素晴らしいギターが出来た!
眺めていて惚れ惚れするし、音も最高だ!
これは俺が作った、俺のギターだ!
それを誰かに販売しました。
それは『所有』という意味では買った人のギターでもあるし、『製作』という意味では作った職人さんのギターでもあります。
でも、職人さんが、買った人に好きじゃない曲を弾かれて、文句を言うことはできません。
買った人がド下手くそでも、文句を言うことはできません。
ド下手くそな買った人が「このギター、ここがイマイチなんだよな」とネットでレビューしたとしても、文句を言うことはできません。
そのギターは職人さんのものではないからです。
買った人はギターはド下手くそでも、物を見る目はあったりするかもしれませんし。
……あまり私が喩え話をするべきではないかもしれません。(バカなので)
『作品は作者のもの』とかワードに入れて検索すればいくらでも『それは誤りですよ』と、わかりやすく書いてくださっている方のものが出て来ますので、そちらをご覧ください。
『守破離』とか『温故知新←ちがうかも』とか言われるように、長い人類の歴史の中で『基本』として確立されてきたものをまず知ることから創作は始まります。
そのへんの基本を知らないと『作品は読者のものだ! 読者には好き勝手に読んでバカにする資格がある!』とか『作品は作者のものだ! おまえらが何と言おうと作者は神だ! 崇めよ!』みたいなバカな論争になりがちだと思うので、珍しくエラソーに啓蒙っぽいエッセイを書いてみました(ドキドキ)