闇の聖剣
アルベルトも皇子を背に庇うようにジークの隣に立った。
「ジーク、妖人は普通の妖魔より再生能力が高い!とにかく致命傷を連続して与えるつもりで斬るんだ!」
「分かった」
ジークは返事する間に相手の間合いに飛び込んでいた。
「ジーク!無茶するな!」
アルベルトは慌てて補助に向ったがジークの細身の剣はまるで花首が軽く落ちたかのように妖人の首を飛ばしていた。しかしそれを素早く拾った妖人は切り口に押し付けると瞬く間に繋がってしまった。
「なるほど・・・凄い再生だ」
ジークリンデは冷静に呟くと剣に付いた血を払うように、びゅっと振った。そして再び首に手足と瞬く間に切り落とした。流石に胴は無理なようで剣を持ち替えて突き立てた。
「アルベルト、何をしている。早く胴を切り落とせ」
そう言っている間にも手足は胴から肉や骨が伸び再生し始めている。更に触手のようなものまで伸びてきて蠢き始めた。ジークリンデは、ちらっと後ろに居る皇子を見た。
見るのを楽しみにしていた闇の聖剣を皇子は今持っていないようだ。人通りの少ない場所で未だに誰も駆けつけない所をみると応援も期待出来ないだろう。行き止まりの狭い場所で退路も無い。こうなったらどうにかこの化け物を押さえて皇子だけでも逃げてもらうしかないとジークリンデは判断した。
(気に食わない奴だがやはり剣の腕は確かなようだな・・・しかし何処まで持つか?)
ローラントは奮闘するジークを観察していた。死なない妖魔相手では体力的な限界が来る。人間側が圧倒的な数で勝負しなければまず勝てないのが現状だ。案の定、ジークが血溜りに足をとられてよろめいてしまった。そろそろ限界なのだろう。何十回殺したか分からない程に剣を振るったのだから当然だ。
その時、ジークリンデの背後から溜息と共に何語か分からないような言葉が聞こえてきた。その言葉を発しているのは二人に護られていたローラント皇子だ。彼の目の前にいきなり光りの輪が現れ、更にその中から一振りの剣が現れた。その銀色に鈍く光る剣を光りの輪から取り出した皇子は鞘から抜き払い目の前で掲げた。そして再び聞いた事の無い不思議な旋律のような呪を詠じ始めたのだ。
聖剣だ!とジークリンデは思った。
「・・・・・・ДЖИУЫГЛ・・・深淵の静寂を破り我は汝を召喚する。我にその闇の無限と虚を滅ぼす閃きを貸し与えよ・・・йлФжДП・・・」
呪に従ってその場が結界で闇色に染まっていく―――聖剣の力の解放と共に妖人の再生能力が止まってしまった。ジークとアルベルトが動きを止めるのにも苦労したそれはそれこそ花を手折るよりも簡単に聖剣は切り裂いてしまった。そしてその切り口はもう二度と再生しない。妖魔は聖剣で斬られると霧散して消え去るが妖人は人間の血が混じっているせいか死体は残る。それが絶命したと確認したローラントは聖剣を鞘におさめた。すると結界は解け本来の明るさが戻って来たのだった。
ジークリンデはその様子をただ呆然と見ているだけだった。そして聖剣の素晴らしさに・・・それを操る冥神の血を受け継ぐ皇子に感動した。それはライナーの剣を初めて見た時の感激にも似ていた。
しかしアルベルトは溜息混じりに剣についた血を拭いながら皇子に話しかけていた。
「皇子、聖剣は呼び出しも出来るのですね?存じませんでした」
「おや?アルベルト、知らなかったのか?二人で頑張ってくれていたから出さなくてもいいかと思っていたんだがね」
ローラントはとぼけた感じで言った。結局、皇子は直ぐ片付くものを面白半分にただ楽しんでいただけのようだ。これではまた実直なジークを怒らせるだろう。しかしジークは怒っていなかった。どちらかというと嬉しそうな感じだ。
「皇子のお手を煩わせまして申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。そして迂闊にも足をとられ危ないところを助けて頂きましてありがとうございました。厚く御礼申し上げます」
ジークリンデは自分の限界を察知して皇子がそうしてくれたのだと思った。だが直ぐに聖剣を使えるのを使わず楽しんでいたかのような状況でのこのジークの言い方は嫌味にも聞こえる。
しかし彼女の真摯な様子を見れば本気で言っているのだとローラントにも伝わったが逆に自分の方が後味悪くなってしまった。だから無言で立ち去ろうとしたローラントだったが、どんと背中を押され転んでしまった。
どうしたのかと見上げるとジークの左腕に死に損ないの妖人の頭が牙を突き立てていた。その頭だけが皇子目掛けて手毬のように弾んで来たのをジークが咄嗟に庇ったのだ。あっという間の出来事で剣を抜く間も無かった。ジークは自分の腕に食らい付く頭に短剣を突き刺し剥ぎ取った。
「ジーク!大丈夫か!」
アルベルトが駆け寄りその頭に止めを刺しながら言った。
「少し肉を持っていかれただけで骨は大丈夫そうだ」
アルベルトは、ぎょっとした。裂けた袖の間から酷い傷が見える。
「お前、何でも無いように淡々と言うなよ!傷が残るぞ!」
アルベルトは女なのに!と叫びたかったが、ぐっと堪えた。ライナーからジークは女性なのだからと、これを注意しろあれは避けろと散々言われ、段々ジークがジークリンデだったんだと認識し直している最中だ。それなのに当の本人は全く自覚無しで情けなくなってしまう。
「心配無い。それよりも―――皇子、咄嗟に押しまして申し訳ございませんでした。大丈夫でございましたか?」
「あ、ああ・・・大事ない」
「それは宜しかったです」
ジークリンデは、ほっとすると思わず微笑んだ。ライナーが言ったように皇子は冥神の血を受け継ぐ帝国で最も貴く大切な人だと分かったから無事なことがなによりも嬉しかった。でも敬愛する従兄のようにただそれだけが大事だという気持ちにはなれない感じだ。
ローラントは再び見たその微笑みにまた驚き何故か気になった。
(何をうろたえる?)
ローラントは馬鹿馬鹿しいとジークから目を逸らすと腕の酷い傷が目に入った。自分の代わりに受けた傷だ。しかし彼らはそれが仕事なのだから一々気に留める必要も礼を言う必要も無い。でも自分がしっかりとどめを刺していれば・・・もしくはもっと早く聖剣を出して退治していれば例え再度襲ってきても余力があり難なく害を逃れたかもしれない・・・という思いが湧いてきた。
さっきと同じで後味が悪い。
「―――早く傷の手当てを」
ローラントは自分でも驚くことを言ってしまった。皇子をよく知るアルベルトも驚いている。その様子を、ちらりと見たローラントは気恥ずかしくなってさっさとこの場を去りたい気分になった。しかし止血していないジークの血が滴る腕がまた目に入ると、手が勝手に自分の飾り帯を解いていた。そしてジークの傷付いた腕を取り上げその帯で止血をし出したのだ。
「皇子、お構いなく。汚れますから・・・」
ジークリンデの心配通りに上等な絹の帯が瞬く間に赤い血で染まっていく。ローラントはそれを無視して続けた。手に取ったジークの腕は思ったより細く驚いていた。それでも良く鍛えたような張りが服の上からでも感じた。まだ少年期を抜けかかった年頃と言っても骨格自体、男としては華奢なのだろうとローラントは思った。
(細くてもあれぐらい戦えれば欠点にはならないが・・・)
ローラントは今自分が思ったことに、はっとしてしまった。気に入らないから早々に難癖つけて辞めさせようと思っていたのに欠点を探すどころかそれを否定している。
「皇子、ありがとうございました。お手を煩わせてしまいまして申し訳ございませんでした」
ジークリンデは主の手を己の血で汚させてしまって恐縮してしまった。主・・・彼女の心に芽生えた家族でも友人でも無い新しい関係の同じくらい大切な感情だ。そして皇子の腰に下がっている聖剣が目に入るともっと気持ちが高揚してくるようだった。ジークの視線にローラントは気が付いた。
(聖剣?奴もそうか・・・)
ローラントは辟易していた。生まれた時から壊れ物を扱うように大事にされてきたがそれが自分に流れる冥神の血だけが大切なのだと悟ったのは幼い頃からだった。習い事は何をしても直ぐ出来て面白く無い。それよりも出来て褒められる訳でも無く、皆が揃って口に出すのは〝さすが冥神の血筋〟という言葉だ。だから何をしても出来るのは当たり前であり、少しばかりした努力は認められず虚しいものだった。
(誰も彼もが私を見てくれるのでは無く受け継がれた冥神の血だけを見ている・・・そして聖剣を称える)
だからローラントは聖剣を嫌い普段から持ち歩かない。最近では見るのも嫌なくらいだ。
「お聞きしても宜しいですか?」
ジークが、すっと視線を上げ真っ直ぐにローラントを見て言った。機嫌が悪くなりつつあったローラントは良いとも悪いとも言わず無言だ。しかし駄目とは言わないのは了解ととってもいいだろうとジークリンデは思い喋り出した。
「聖剣は皇子が先ほど詠じていらしたものが終らないと使えないのでしょうか?」
ジークからの質問は意外なものだった。
「力を解放する呪を詠じなければ本来の力は出ない。それがどうした?」
「それはかなり精神集中しなければ出来ないことでございますか?」
ローラントは頷いたが、ジークの質問の意図がつかめなかった。力の解放は継承者だったら簡単に出来る。しかし血の薄れはその解放の力も同時に弱め力が十分に出ていない状態だ。仮に全部開放出来たとしても尋常では無いその力を制御し操る事が出来なければどうしようもない。ローラントはそれをほぼ完璧に開放し操ることが出来る。それでもこればかりは資格があっても鍛錬が必要だったから努力しての結果だった。
「承知致しました。次回、皇子がその聖剣の力を解放する間、しっかりとお護り致します」
「―――そうだな。しっかり聖剣を護ってくれ」
「 ?? 私がお護りするのは皇子でございますが・・・聖剣を護る必要があるのでしょうか?」
ジークが生真面目な顔をしてそう返してきた。
「聖剣が大事だろう?」
「確かにそれは妖魔より人々を救う冥神から賜った大切なものですが、使うものがいなければ只のガラクタ。剣は使い手がいて価値が出るものです。どんなに素晴らしい剣でも使い手が悪ければ価値は無い―――ですから皇子も努力されたのでしょう?聖剣を使いこなされているのは見れば分かります。しかし難点がその開放する時間です。あれではその間に攻撃されてしまいます。ですから確認させて頂きました」
アルベルトは剣術馬鹿のジークらしいと思った。彼女は剣に関してはとても厳しい評価を与える。以前城下を二人で気ままに散策していたところ貴族の馬鹿息子と遭遇した。その馬鹿は名工が作ったものだと自慢しながら剣を面白半分に振り回し人々に迷惑をかけていた。ジークはその剣をあっという間に叩き落し、馬鹿息子を懲らしめたのを思い出した。その時ジークは〝こんな名剣を剣の握り方も知らぬ馬鹿が持っていては可哀想だ〟と言った。
(・・・という事は・・・ジークは皇子が聖剣を持つに相応しいと判断したのかな?)
相応しいも相応しく無いも聖剣を扱えるのは冥神の直系だけだ。良いも悪いも無く皇帝と皇子しか使えない。ジークリンデはそんな事はどうでも良かった。皇子の性格は別として聖剣をきちんと扱えているかどうかが重要のようだ。聖剣はまるでそれ自体が生きているようだった。持っている主の手から今にも飛び出して暴れそうな感じをうけた。それを制御して使うには生半可な腕と精神力では扱えない代物だとジークリンデは思ったのだ。
ローラントはジークの言葉に唖然としていた。誰もが敬う闇の聖剣をガラクタと言い、誰もが認めなかった自分の努力を努力として認めたからだ。しかし本気でそう思っているのだろうか?と思ってしまう。長年培っている皮肉れた心はそれを認めたくなかった。
(ただ自分にへつらっているだけだろう。今に化けの皮が剥がれる・・・追い出すのは何時でも出来る・・・そう・・何時でも・・・)
ローラントはそう自分に言い聞かせた。
「―――そうだ。あの詠じる時間に手間取らなければお前達などいらない。私一人で十分だ。しかしこればかりはどうしようにも無いのだから今後共、精々盾となって貰うよ」
嫌味な言い方だがジークには通用しなかったようだ。無表情のままで怒っている様子は窺えなかった。
「はい、皇子の盾となれるように精進致します」
ジークリンデは嫌味では無くそう答えた。
アルベルトは二人の会話にハラハラし通しだ。皇子の皮肉に真面目に答えるジークだが端から見ているとお互い嫌味の応酬にしか見えない。これ以上ずれた会話をさせていると大変な事になると思ったアルベルトは急いで会話の中に入った。
「ジーク、今日は失礼して帰ったらどうだ。傷の手当てをした方がいい。俺から隊長には言っておくから」
「初日からそうはいかない」
真面目なジークは承知しないとは思ったが案の定あっさりと拒否した。それでも何とか承知させようとアルベルトが口を開きかけが、先に皇子が言葉を発した。
「血の臭いを巻き散らかしながら私の護衛をするのか?冗談じゃない。それこそまた妖魔が血の臭いに誘われて来たらどうする?私はもうそんな面倒はごめんだ」
ローラントもジークを心配しての事だろうが素直になれない皇子はまた嫌味な言い方だ。それを分かったのか分かっていないのか?そのジークの答えは微妙にずれていた。
「面倒?聖剣を扱うと体力などかなり消耗するのですね。それは大変です。アルベルト、直ぐに皇子を安全な場所に。私は失礼させて頂いて潔斎し明日御前に上がらせて頂きます」
ジークリンデはそう言って礼をとると足早に去って行った。残されたローラントとアルベルトは何と言っていいのか分からず黙って見送ってしまった。しかしジークの姿が見えなくなると皇子が呆れたように口を開いた。
「アルベルト、あれはお前の友人とか言っていたな?」
「はい、幼馴染です」
「変わっていると思わないか?」
「そ・・そんなには・・・」
そんなにどころか女と言う時点でかなり変わっている。とは流石に言えない。
「きょ、今日は初日でしたから緊張していたのだと思います。ですから何かとご無礼なこともあったかと思いますがどうぞお許し下さい」
そう言って頭を下げるアルベルトをローラントは不満そうに見た。
「緊張?そんな態度では無かったようだが?」
「そ、そうでしょうか?ジークの事は良く知っています。昔からいつも無表情なのですが今日はとても表情が出ていました。珍しいことです。きっと緊張していたのだと思います。それしか考えられません!」
アルベルトは自分でそんな理由を言いながら納得しようとしていた。今日のジークは本当に変だったのだ。
ローラントはアルベルトの言い訳を聞きながら胸が何故か騒いだ。ジークの微笑みや言葉を思い出していた。どうでもいいようなことだと切り捨てようとする心と気にしてしまう反対の思いがせめぎ合っている。いずれにしても護衛官一人、生かすも殺すも自分の胸一つだ。
(気にする必要はない・・・)
ローラントはそう思うことにしたのだった。
えっと・・・ローラント皇子は「僕を見てよ!」のお子様ですが、鈍感なようで本質を鋭く見抜くジークリンデとのこれからを見守ってやってください。