皇后ジークリンデ<最終話>
ジークの母レナーテはクレール伯爵の後妻だったが、結婚した時は既にジーク達を身ごもっていたとのことだった。父親はヘルマン・ベッケラート。もちろん婚姻していた訳では無かった。
レナーテと知り合った頃のベッケラートはローラントの母ヘレーネを愛しながらも妻を娶っていた。しかし忘れられない愛しいヘレーネの面影を追いかけ次から次へと色々な女性と情事を重ねていたらしい。その中の一人がレナーテだった。
彼女は病気療養で訪れた田舎でそのベッケラートと出会った。世間知らずな娘は流されるまま関係を結んだが相手は何処の誰かも分からずに別れた―――
そして自分が身ごもっていたことに気が付いた時にはどうして良いのか分からなかった。父親は厳格で誰にも相談出来ず悩んだらしい。その時偶然、以前から求婚されていたクレール伯にそれを悟られてしまった。伯爵はかなり年上で妻に先立たれ、そのうえ子供が二人もいた。だから数いた求婚者の中でも一番条件が悪くレナーテの父も門前払いをしていたぐらいだった。
妊娠を知られた時、レナーテは恥ずかしさで死んでしまいたかったらしい。とても自分が卑しく感じたのだ。きっと伯爵も無垢な花嫁を期待していたのだろうから怒り出すだろうと思った。しかしクレール伯は優しく自分が腹の子の父になろうと言ってくれたのだ。そんなことは出来ない、と言うと、どうして?と答えたらしい。そして前妻は家同士が決めた結婚で、レナーテが自分の初恋だからどうしても結婚したいと顔を真っ赤にして言ったとのことだった。そしてクレール伯はレナーテの父親から罵倒されながら腹の子の父は自分だと、嫁入り前なのに無理矢理自分が手を出してしまったと嘘を言ってくれたとのことだった―――
「身も心も傷付いた私は夫に救われました。そしてこの子が生まれる時には本当の夫婦のようでした。夫はジークリンデとシャルロッテを本当の娘のように可愛がってくれて・・・私は幸せ過ぎて過ちを忘れそうでした。あの方を夜会で見るまで・・・」
レナーテは大きな夜会で滅多に出席しない大貴族ベッケラートを見てしまったのだ。貴族だとは思っていたが帝国貴族の最高権力者だとは思いもしなかった。だから娘達の存在は絶対に知られたくなかった。大貴族になればなるだけ相続争いも有るが娘と言う存在は格好の政略結婚の良い駒となるのをレナーテは良く知っている。父親がその宛てが外れたとレナーテを散々詰ったからだ。クレール伯爵家ごときに嫁がせるなんてと罵倒していた。夫に直ぐ相談してなるべく大きな集まりには出ないようにしたらしい。今の今まで・・・
「それに・・・娘の為と口では言っても・・・自分の愚かな過ちを世間に知られたく無かった。しかし・・・ジークリンデの為に私は決心しました。嘆く娘を自分の名誉の為に無視出来ませんでした」
決心したもののベッケラートは多忙で面会が叶わず、やっと会えたのはローラント達が出立した後だったらしい。面識の無い伯爵夫人の訪問にベッケラートは疑問を抱いていたが、ひと目見るなり驚いたとのことだった。記憶にある女達の中でもかなり印象深かったのだ。また力の弱かった自分に嫌気がさし誰も知らない田舎へと逃れた先で出会ったのがレナーテだった。お互いに名を告げず睦み合った日々はベッケラートの荒んだ心を癒してくれていた。そしてそれはひと時の夢と自分に言い聞かせて消えたのだ。言い訳をすればベッケラートだと分かれば女は要求ばかりが多くなり煩わしい存在にしかならないと経験上そう思っていたらしい。
そして久し振りの再会で告げられた事実にベッケラートは驚いた。ジークに初めて会った時、何処かで見たような気がしていた・・・彼女は母親似だったのだ。それから自分が卑怯にも名を告げなかったばかりに苦労しただろうとベッケラートは深く謝罪した。しかしレナーテは自分への謝罪では無く娘を認知して貰いたかっただけだった。その他は心配するような要求は何もしないと告げた。ベッケラートは恥じ入るばかりで当然ながら快く承知し、あっという間に公爵令嬢の誕生という運びとなったのだ。
「でも、母上、私の父上はベッケラート公では無い。今までの父上だから・・・」
「ありがとう、ジークリンデ」
ローラントはジークの血統に問題が無くなったという理由は分かった。しかし・・・
「ダマー、詳細は分かった。それでお前がジークに無理強いして結婚を承知させたのか?」
憤る声を抑えながらローラントは言った。
「皇子!違います!」
「ジークは黙っていろ!ダマー、私の気持ちを汲んだとか言わないだろうな?」
「皇子、今、伯爵夫人の話を聞いていましたでしょう?ジークリンデ嬢が嘆くから不名誉を公にするのを覚悟したと」
ローラントは眉をひそめた。
「嘆く?ジークが?」
「皇子、私はあの黄昏の皇子宮から帰った後・・・悲しくて胸が張り裂けそうで泣いたのです。皇子から舞い上がるような言葉を頂き、私も・・・と・・・応えたかったのに言えなかったのです。本当は正統な花嫁をお勧めしないといけないのにどうしても言えませんでした。私は二番目でもいいとも言え無かったのです。私は醜く嫉妬しました。皇子と結婚出来る花嫁達に・・・そして皇子のことを思えばもっと言えなかった・・・」
「ジーク、それでは・・・」
ローラントは答えを聞かなくても分かった。いつも無表情で冷たさも感じていたジークが柔らかく微笑み瞳は愛に溢れていた。
「はい、心からお慕い申し上げております。幾久しく貴方のお側に・・・置いて下さい」
ジークらしい硬い愛の告白だったがその半分ぐらいでローラントは彼女を抱きしめていた。
「ジークリンデ・・・ああ、ジーク。もう私の側から離れないでくれ・・・」
「お言葉ですが・・・解任は皇子がお決めになられた―――んっう」
ローラントが口づけて言葉は奪われた。
「相変わらず賢しい口だ。でも今度から甘い言葉を紡がせてやる」
ジークに抗議する間を与えずローラントは何度も口づけた。ダマーはやれやれと言う顔をして時間が無いと言って皇子を引き離した。
そして盛大で壮麗な婚礼の儀は執り行われたのだった―――
~エピローグ~
ローラントはジークリンデの部屋の中で、ふと気になる箱を見つけた。それを手に取ろうとすると彼女がそれを横から掠め取り手の中に隠した。
「それは何だ?」
「何でもございません」
「何でも無いのなら見せてくれ」
「お断りします」
頑固なジークは何時もの事だがそういう彼女の対処方法は心得ている。
「命令だ、ジーク。私に見せよ」
〝命令〟と言う言葉がジークには有効だった。未だに主従関係の癖が抜けないらしい。もちろんそれでも聞かない場合はある。今回は有効だったようだ。ジークがおずおずとその箱を差し出した。それを受け取り開けて見ればそこには不細工なビーズ飾りが納まっていた。
「何だ?これは?星?星の刻印?」
つまみ上げて見ていたローラントの手からジークがそれを、さっと取り返した。彼女を見れば顔を赤らめている。ローラントは、ふとアルベルトが持っていたビーズ細工のお守りを思い出した。
「もしかして・・・私に作ってくれたとか?」
ジークは恥ずかしそうに小さく頷いた。
「沈黙の儀式の前に?」
ジークは再び頷くとローラントが嬉しそうに声を上げて笑った。この不細工加減からするとグレーテは手伝わずジークが一人で作ったのだろうとローラントは思った。
「ジークリンデ、これと似たようなものをアルベルトにもやっただろう?この意味は好きな男に私の心を連れて行って・・・だったかな?」
「そ、それは・・・その、深い意味は無くて・・・私は知らなくてその・・・」
ジークは後で良く見たら不細工な代物を渡せなくなっていたが思いを込めて作ったから捨てるに捨てられず隠していた。しかしその恥ずかしいものを見られて・・・しかもアルベルトとの事を誤解されたと思って焦ってしまった。
「アルベルトが持っていて私はもの凄く嫉妬して思わず手打ちにしそうだった」
ジークは驚いて取り戻した飾りを握りしめた。その手にローラントが自分の手を重ねると優しく囁いた。
「ジークリンデ、私にもちろんこれをくれるだろう?」
皇子の甘い囁きにジークの指の力が緩んであっさりと渡してしまった。皇子は受け取ったと同時にジークに口づけをした。
「ありがとう、ジークリンデ。大切にするよ」
それからその飾りは余り必要が無くなってしまった闇の聖剣の柄を飾った。そのちぐはぐな組み合わせを偉大なる皇帝となったローラントは生涯大切にしたらしい。そしてその彼の傍らには剣を下げた皇后が常に寄り添い守護していたと云う。帝国の輝かしい歴史の中を駆け抜けたジークリンデの物語は何かと制約の多かった女性達の解放の引き金となり彼女達の象徴となったのだった―――
「う~ん、ジークリンデ皇后はやっぱり素敵だわ!私達、女性の理想よ!そう思いませんか?ティアナ様?」
歴代の皇帝や皇后の肖像画が飾られている肖像の間でドロテーは足を止めて言った。冥の花嫁のティアナと、現ベッケラート公爵家当主の婚約者でもあり彼女の侍女でもあるドロテーが時間つぶしに入ったその場所で楽しいお喋りの真最中だ。その彼女達の前にローラントとジークリンデが描かれた肖像画があった。冥の花嫁と皇帝の組み合わせで描かれる事はあっても普通の皇后が共に描かれる事は稀だ。
「凛としていてお強くて・・・皇帝の良き理解者だったのでしょう?そしてこの方は生涯、皇帝の唯一の伴侶だったし、素敵ね」
「そうですよ。皇帝にしても貴族の男達は昔から何人も妻を持つのが当たり前の世の中で、妻が一人だけだったなんて数えるくらいしかいませんからね。もちろんその数える中にレギナルト皇子も入られるでしょうけど。なんせ皇子はティアナ様を溺愛なさっていますからね」
「ド、ドロテー!」
ティアナは真っ赤な顔をしてドロテーの腕を引っ張った。
「それにしても・・・このジークリンデ皇后もそうですけれど、ベッケラート、ベッケラートと・・・まぁ~本当に凄いですね・・・第一皇后に女帝陛下の夫にとベッケラート家出身が一番多いですね。当たり前でしょうけれど・・・」
「ドロテー・・・」
ティアナは急に沈んだ声になったドロテーが心配になった。皇家に次ぐと言われているベッケラート公爵家に嫁ぐ彼女の心境は複雑だろうと思ったからだ。口には出さないが下級貴族の出である自分とは釣り合わないと思っているのだろう。
(ジークリンデ皇后のように出自がいきなり良くなる訳でも無いし・・・まあ、仕方が無いか。好きになったのがたまたま公爵様だっただけだしね)
ドロテーは気を取り直してローラントを指差した。
「ティアナ様!レギナルト皇子とローラント陛下はどちらが冥神に似ていると思いますか?どちらも負けていませんよね?」
「え?ええ、そうね、でも――あっ、皇子!」
待っていた皇子とベッケラートがようやくやって来た。
「すまない、ティアナ待たせた。退屈しなかったか?」
「はい、ドロテーと一緒でしたし、楽しかったです」
そうかと言ってレギナルトは微笑んだ。ティアナにだけ見せる極上の優しい微笑みだ。ドロテーでさえも近くに居るだけで思わず頬を赤らめてしまう程強烈なものだ。当然、まともに受けるティアナは耳まで赤い。その彼女にレギナルトは優しく口づけすると、目に入った肖像画を見上げた。
「冥の花嫁を母に持つ、ローラントⅠ世か・・・」
「今、この方々の話をしていたのですよ」
「はい、丁度、ローラントⅠ世陛下と皇子はどちらが素敵かと」
「ド、ドロテー!」「おい、ドロテー」
挑戦的な言葉を口にしたドロテーにティアナとベッケラートが驚いて声を上げた。
「それで?」
レギナルトは意外にも笑って聞き返した。
「はい、どちらも冥神に似ておいでですし、どちらとも言えないかと。私の意見はですね。でもティアナ様は違うようでしたが聞きする前に皇子がお見えでしたので」
横で聞いているベッケラートは皇子の勘気を何時受けるかと冷や冷やしているのに、ドロテーは頭を軽く下げて、スラスラと答えた。
「ほう?ティアナの答えが楽しみだな。後で、ゆっくり聞くとしよう」
「お、皇子!」
ティアナは更に顔を赤くしてしまった。そんなやり取りを見守っていたドロテーが横にいるベッケラートを見上げた。
「先生の家ってやっぱり凄いんですね。歴代の肖像画を見ていると改めて感じました」
その言葉にさっきまでの沈んだ感じは無かった。しかし逆に焦ったのはベッケラートの方だった。ドロテーの考えそうな事は当然のことだし避けては通れないものだ。日々、婚礼を急かしているのに返事してくれないのにもその要因があると思っていた。
「た、大したことは無い!只結婚相手に都合が良い家だって言うだけさ!な、な、皇子、そうだろう?」
ベッケラートは助けをレギナルトに求めた。
「そう、ベッケラート家は皇家にとって翻意の無い大切な相手だ。当然婚姻相手として選ばれることが多い」
「そうそう、皇家に逆らわない便利な家系なだけ。だからな、オレとお前の子供も皇子達の子供の嫁なり婿なりになるだけの話さ」
「勝手に私の子の許婚を決めるな!と言いたい所だが・・・その通りだな」
ドロテーもティアナも呆れてしまった。
「ティアナ様、男って本当に単純ですよね」
「でも・・・ドロテーと私の子供達が仲良しになったら嬉しいわ」
「それはそうですけれど・・・あ~あ、これって生まれる前から決める婚約ってこんな風に決めるかもですね。馬鹿らしい慣習の意味がようやく分かったわ。でも私、先生がベッケラート公爵で良かったって初めて思いましたよ。名門の先生のお陰でティアナ様のお子様のお相手候補になれる訳でしょう?ずっとティアナ様と共に過ごせるんですものね。まるで家族みたいに」
「ドロテー!」
ティアナは喜んでドロテーに抱きつくと、何だ、何だと皇子とベッケラートは顔を見合わせたのだった。近い未来の夢を描きながらティアナもドロテーは時代も生き方も違っても・・・例え剣を使えなくてもジークリンデのように愛する人を支える女性でありたいと思ったのだった。
今までの「盟約の花嫁」シリーズの中で一番の長編となりました。如何でしたでしょうか?私の好みから少し外れたローラントとジークリンデですが終ってみればなんと長い話になっていました。自分でもビックリです(笑) そして思わず追加してしまったティアナ達ですが「そうだった過去編だった!」と思い出して締めくくらせて頂きました。相変わらずの甘々レギナルトとドロテーの顔色を窺うベッケラートでしたが楽しんで頂けたら幸いです。次回はこの続編でグレーテ皇女の短編を書いています。




