皇子の告白
「なっ!」
全く気配を感じていなかったジークは驚き振り向いたが、更に瞳を見開いてしまった。
「皇子!」
驚くジークの左手からグラスを一つ取ったローラントはそれを掲げると彼女の持つもう一つのグラスに、カチンと当てて音を鳴らした。
「女護衛官の誕生を祝して乾杯」
そう言った皇子が一口それを飲むまでジークは驚いて声が出なかった。そして、はっと我に返った。
「皇子!アルベルトは?」
「またそれか・・・今はお前がいるから良いだろう。アルベルトはグレーテのところに行かせた。今は護衛官を交換中だ。グレーテも承知している。話しをしたいからジークには内緒で此処まで来させてくれと頼んだからな」
「それで皇女は急に飲み物がいると・・・しかし隠す必要は無いでしょう?」
確かにそうだとローラントは思った。しかし仕事に真面目なジークが来ない可能性も考えたのだ。役目以外の関係でジークに会うことに対してこんなに臆病になっているのかとローラントは自分でも嗤ってしまうくらいだった。
「仕事優先のお前が承知するとは思わなかったから・・・」
「そんなことはございません。私も皇子とお話がしたかったです」
「私と?」
「はい。誕生の祝いを申し上げたかったので・・・おめでとうございます。今年一年が皇子にとって素晴らしい年でありますように」
ジークはそう言って前途を祝福するように晴れやかに微笑んだ。ローラントは今直ぐにでもジークを抱きしめたい衝動に駆られた。
「・・・今日言われた祝辞の中で一番嬉しい言葉だ。私にとってか・・・確かにそうしたいな」
「その・・・申し訳ございません・・・贈物を何も用意してなく。いえ、考えつかなくて・・・」
「贈物?ああ、そんなものはいら・・・いや、貰おうか。美しい女性からの贈物としては口づけ一つで十分だ」
「口づけ・・・」
瞳を見開いたジークにローラントは、はっとして慌てて今の発言を否定しようとした。
「じょうだ――」
今度はローラントが驚いて瞳を見開いた番だった。ジークが少し背伸びをしてローラントの唇に口づけたのだ。ローラントの手にしていたグラスが落ち割れる音がした―――
その時、ローラントの抑え続けていたものが全て同じように割れる音か聞こえたような気がした。彼女の為だと我慢し続けていたものがすべて弾け飛び頭の中は真っ白になってしまった。少しだけ本音を覗かせた軽い冗談をジークが本当に返して来るとは思わず全て計算外だった―――ローラントはジークを抱きしめていた。そして彼女からの口づけはローラントに奪われ深く重ね直されてしまった。呼吸さえ奪うかのような口づけにジークは驚き腰を引きかけたがローラントは許さず更に引き寄せた。
「っ・・・・・んん」
ジークは今何が起きているのか気が動転してしまって分からなかった。皇子の思いがけない乞いに考えるより先に身体が動いていた・・・皇子の整った形良い唇に、そっと自分の唇を重ねただけで胸が破裂しそうだった。それが今、深く重ねられているのだ。その口づけが解かれたのさえ分からなかった。
そして強く抱きしめられた時、ジークは我に返った。はっとして顔を上げようとしたが皇子の手がそれを許さず、更にきつく胸に引き寄せられていた。
そのジークの耳にローラントの声が響く―――それは今まで聞いた事の無い切なく甘い声だった。
「・・・ジーク、私は誰とも結婚しない。ジークリンデ・・・私はお前を愛している。他に誰もいらない。お前だけしかいらない」
「!」
ジークは驚き息を呑み込んだ。聞き間違えかと耳を疑った・・・
「皇子!」
もう一度聞き返そうと顔を上げかけたジークをローラントは再びかき擁いた。
「何も言うな。こんなことを急に言ってもお前を悩ませるだけだろうとは思う・・・主従の任から外れた今、主では無い私を少し考えて欲しい・・・いや、私を見て欲しい」
ジークはローラントの胸の中で、再び驚き瞳を見開いた。思ってもいなかった皇子の告白に心は舞い上がりそうだった。自分もそうだと思わず口にしそうだった。しかし大神官ダマーの言葉が過ぎった。
『私は反対しているのではございません。御子がお誕生なさいましたらその後、皇子がどの娘を選ぼうとご自由でございます。直系の御子様のお血筋が問題なだけでその他の御子様に血筋の優劣があったとしても多く誕生するのは良いことでございます』
ジークは第一の花嫁候補になれない血筋だ。
(皇子が血統の良い花嫁を迎えないとなれば大問題になる・・・)
皇子の為に自分以外の花嫁を勧めなければと思っても言葉が出なかった。自分はその後でも良いという・・・たった一言が出ないのだ。そして皇子にもし今の自分の気持ちを伝えてしまったらと思うと恐ろしくてそれも言えなかった。きっと皇子は何もかも捨ててしまう予感がしてならないのだ。冥神の血を嫌っていた皇子に血統の保持などどうでも良いに違いないからだ。そうなればどうなるのかジークは散々耳にした。皇位継承者であっても幽閉されるようなことも十分考えられるのだ。
(皇子の為にこの想いは秘めなければ・・・でも私はこの日、この時を一生忘れない・・・)
ジークは全ての感情を抑え込み、いつもの無表情の仮面を被った。そして皇子が良く気が付く感情を写す瞳は軽く伏せて黙した。嘘は言えない・・・だけど本当の事も言えない・・・だから口を噤んだ。
ローラントはそれを拒絶と取ってしまった。もちろん最初から上手く行くとは思っていなかった。主従の立場として・・・もしくは友情の情けとして頷かれるより良いかもしれないと思う。逸る心に流されて告白してしまったが後悔は無い。言わなければジークは一生気がつかないかもしれないからだ。
そのジークの腕飾りがローラントの目に留まった。ドレス姿でお披露目をする彼女の為に特別に作らせ贈った品だ。自分達は気にしなくてもジークをまだ良く知らない人々は面白可笑しく中傷するだろう。大事なお披露目はジークの佳麗な姿だけを印象付ければ良かった。この傷痕を見苦しく醜いものでは無いと言ったのにそれを隠すものを贈ってジークはどう思うだろうか?と弱い心が顔を出し名前を告げなかった。しかし贈り主を誤解してアルベルトに礼を言っている姿が目に入って安堵したのだったが―――ローラントが思いを馳せている間もジークはずっと無言のままだった。
「無理強いはするつもりは無い・・・今は只、私の気持ちを知って貰いたかっただけだ。愛している・・・ジーク・・・ジークリンデ・・・」
ジークはその後、どうやって帰宅したのか覚えていない。合流したグレーテが早々に会場を後にしてくれたから良かったものの心乱れて護衛どころでは無かった。ジークは自分の部屋に一歩足を踏み入れると涙が止めどなく頬を伝った。自然とこみ上げる嗚咽を抑えなかった。今は只、感情の赴くままに泣きたかった。
「ジーク、ジーク、どうしたの?ジーク」
隣部屋のシャルロッテが部屋の扉を叩いていた。ジークの泣き声が聞こえたのだろう。彼女が泣いたのは子供の時以来だ。乳母コスタの虐待から感情を無くしたジークが今、泣いているのだ。部屋の中に入ったシャルロッテは驚き心配した。どんなに声をかけても泣き止まないジークに困ったシャルロッテは母親を呼びに行った。
ローラント皇子の生誕祝賀会に両親は出席して居なかった。こんな華やかな会には貴族という貴族が招待されるのだが母親は小さな会に出席しても大きな催しを嫌い出席しないのだ。まして今回はジークのお披露目のようなものでどう評価されるかと心が繊細な母は気に病むと言う理由から欠席していた。シャルロッテの知らせに母が寝台に伏して泣くジークの側に寄って来た。
「シャルロッテ、あなたは部屋に帰りなさい。私がジークに話を聞きましょう」
神経過敏なシャルロッテを気遣った母はそう言った。ジークの異変に真っ青になっていたシャルロッテは震えながら頷き部屋を後にした。
「ジーク、どうしたの?何があったの?」
母は優しく娘に問いかけた。いつの間にか自分が産んだ双子は娘二人ではなくて娘と息子だったのかと錯覚していたが今咽び泣く子を見れば娘にしか見えなかった。以前は女でも男でも無いそんな中性的なものだったが最近では男装をしていてもふとした視線が違っていた・・・母親は寝台の端に腰掛け泣く娘の頭を優しく撫でた。それに応じたジークが顔を上げると母はやはりと思った。
「・・・ジーク、いいえ。ジークリンデ話してごらんなさい。誰かに話せば楽になるわ。あなたはいつも自分の中に抱え込み過ぎている・・・失恋したの?」
母の言葉にジークの涙が止まった。
「は、母上・・・どうして?」
泣いた事の無いジークがこんなに泣くのは余程の事だと母は思った。酷い拒絶を受けたのだろうと心を痛めた。
「何となくそう感じたのよ。そういう経験は人生のうちにあるものだから・・・」
ジークは母もそうだったと聞こえた。
「ジークリンデ、あなたの魅力が分からない男の為に泣く必要は無いわ。そんな人、あなに似合わないと思いなさい」
「違う!違います!あの方は私を愛していると言って下さった!わ、私が・・・あの方に相応しくないのです・・・だから何も答えられなかった。私の想いを伝えることはあの方の不幸にしかならないのが分かるから・・・でも私が黙っているとあの方がとても悲しいお顔をされて・・・それが目に焼き付いて離れないのです!」
ジークの瞳にまた涙が溢れてきた。そして母は事の重大さに眉をひそめた。ジークが呼ぶ〝あの方〟とは・・・もしかして
「・・・ローラント皇子が・・・あなたを愛していると言ったの?」
ジークは頷いた。
「・・・皇子は誰とも結婚しないと・・・そんなことは絶対に許されない。皇子は民が長年待ち望んだ冥の皇子。その皇子に汚点を付けてしまう私が・・・自分自身が許せない!」
ジークはローラントへの想いとその想いゆえ告げられない現状に心が引き裂かれそうだった。何もかも省みずローラントの腕の中に飛び込みたい自分と、皇子の約束された未来を思い我慢する自分―――
(ジークは強い子だから、きっと立ち直れる・・・皇子もそのうち諦めてくれれば・・・)
ローラントが我が儘を通さないことに母は少し安堵したがそれが逆に不安になって来た。只の気まぐれや勢いだったのならか我を通すのでは?それが出来るだけの権力を持っている皇子がジークの気持ちを大切にするだろうか?と言う疑問。
(皇子がもし本気ならジークリンデは本当に不幸になってしまう・・・)
娘の本気は見えた。皇子がこのまま引かなければジークリンデの心は引き裂かれてしまうだろう。性格的にどちらかに傾くとは思えなかった。それが彼女の良い所でもあり困った所でもある。
(私が娘にしてあげられることは・・・)
ジークが泣く間、母は時折話しかけながら優しく付き添った。泣き疲れて寝入った娘の頭をそっと撫でた母はある決心をして部屋を後にしたのだった。
「話しの内容は分かったが・・・おまえ、そ、それは・・・」
「あなた、私は決めました。でも・・・あなたにお許しを頂かないことには勝手は出来ませんし・・・」
ジークの両親が密やかに話していた。ジークを心配していたクレール伯がウロウロと部屋を行ったり来たりしていると妻が戻って来て驚く話を聞かされたのだ。そして更に告げられた妻の決断に動揺していた。
「し、しかし・・・」
「申し訳ございません・・・あなたをまた傷付けて・・・」
「このわしが傷付くのは構わん。只、おまえが―――」
クレール伯は妻の瞳を見て決心は揺ぎ無いものだと感じた。
「共に行こう」
「いいえ、私だけで参ります。これは今まで逃げていた結果ですから自分の手で決着をつけたいと思います」
夫は長く考えた後、そうかと短く答えたのだった。
そして夜が明け再び何も変わらない一日が始まった―――




