皇城へ
そしてその任命は優勝の祝いとして発表された。父クレール伯は仰天して蒼白になり、裏で様子を窺っていたエドガーは驚いて腰を抜かしてしまった。皇帝の前で跪きそれを聞いたジークリンデは願ってもない話だが流石に驚いた。
そしてにこやかにしている皇帝の後ろに立つライナーに視線を向けると敬愛する従兄は少し困った顔をして〝あとで〟と声を出さずに口を動かしたように見えた。ジークリンデは小さく頷くと同時に彼の近くに居る人物が目に入った。
皇族の印でもある宝玉の環を額にはめたその人物は多分ローラント皇子だろうとジークリンデは思った。公的な場に出たことの無いジークは皇子を初めて見たが直ぐに分かった。冥神の血を濃く受け継いだその容姿は整い過ぎてジークから見れば人間味が無くて気味が悪い。しかも退屈で死にそうな顔をしている。どちらかと言うとジークリンデが嫌いな種類の人間だろう。最初の印象はそんな感じだ。
(この方をお護りするのか・・・)
ライナーが指揮する近衛隊に入隊するのは叶わないと思っていた大きな夢だったが何となく気が重くなってしまった。しかしその気に入らない皇子の後ろにアルベルトを見付けた。久し振りに見る幼馴染は随分立派に見えた。黒に近い紫に金の縫い取りのある近衛隊の服がそう見せているのかもしれない。でも情けないくらい心配そうな顔をしている。
(・・・男という者達は本当に心配性だ)
ジークリンデはそう思ったが今度ばかりは当然か・・・と思いなおした。父親が心配する意味も分かっている。だから大丈夫だと伝えようと珍しくジークリンデはアルベルトに向って微笑んで見せた。
アルベルトは滅多に見ないジークの微笑みに驚いたが、何故かローラント皇子も驚いたように瞳を見開いた。
皇子から見たジークの印象は試合中の生き生きとした雰囲気から打って変わって面白味の無い生真面目で冷たい感じだった。ライナーやアルベルトのように陽気で機知に富んだ感じを好むローラントとしては苦手な種類だと思った。しかしその無表情に近い氷のような顔から一瞬漏れた笑みが印象的だったのだ。それもそうだろう兄のエドガーさえそれが見たくてあの手この手と彼女を喜ばせようと必死になるくらいだ。他の男が知らぬ間に心奪われるのは当然かもしれない。
皇帝に続いてローラントも退場となったが、歩みを止めてジークを振り返った。目が合ったジークは頭を下げたがその顔は無表情だった。
(やっぱり気に入らない・・・)
ローラントはさっき感じた妙な感覚を打ち消すようにそう心で呟いた。そして興味を失ったかのように前を向き去って行った。その後ろをアルベルトが護衛しながら付いて行く。残されたジークリンデはライナーの伝言を受け、その指示された部屋で待っているとライナーがやって来た。皇帝を馬車に乗せ後は部下達に任せて来たようだ。
続けて父と兄エドガーも真っ青な顔でやって来た。父親は怒る気力も無く今にも倒れそうだった。それをエドガーが支えている感じだ。まともに話が出来るのはライナーぐらいだろう。
「ジーク、おめでとうと言いたいところだが・・・大変なことになってしまったね」
「め、めでたいものかっ!こんなことになってしまって!」
クレール伯が弾かれたように顔を真っ赤にして怒鳴った。
「まあまあ、伯爵、そう感情的にならずに話をしましょう」
ライナーが宥めるように言ったが伯爵はわなわなと震えている。
「こんなことになってしまったのは僕のせいだ・・・僕がこんなこと思いついたから・・・」
「そうだ!エドガー、お前が悪い!こんな・・・こんな・・・ああ、もうおしまいだ!クレール家はおしまいだ!」
ジークリンデはまるで自分のことが恥と言うような父親の言い方に反抗心が湧き上がってきた。
「父上、私は立派に務めてみせます」
「務める?そんなこと出来る訳なかろう!そのような格好をしていてもお前は間違えなく女だ!それを・・・それを」
「女だから駄目だとは何処にも明記されておりません」
「また、そんな詭弁を!」
「ジークリンデ、駄目だよ。それ以上言ったら父上が倒れてしまう」
今にも倒れそうな父親を気遣ったエドガーが、ジークリンデを止めるように彼女の肩に手を置いて言った。
「皆、それくらいで―――あまり大きな声で喋ると外に聞こえてしまう」
家族の言い合いに水をさしたのはライナーだ。
「もう起きてしまったことをとやかく言っても仕方が無いでしょう?皇帝の決定です。我らは従うしかない。ジークは入隊してもらいます」
「し、しかし・・・」
「伯爵が心配なのは良くわかります。ジークの言う通り入隊に関して男子のみとも女子不可とも規定には無い。だから違法では無いのです。しかし女子が入隊した例は今まで無い。伯爵の言われるようにこれが発覚すればジークだけでは無く伯爵家の信用もシャルロッテの将来にも影響するでしょう」
「シャルロッテが?」
ジークリンデはライナーの言わんとすることが分からなかった。何故シャルロッテに影響するのか?
「ジーク、俺は君がどんなに他の女性と違って魅力的か分かっているよ。でも一般的に剣を振り回しドレスも着ない女性を皆がどう思うかと言えば・・・」
「変わり者です。でもそれは私個人であってシャルロッテには関係無いし家も関係無いと思います」
ジークリンデは言い難そうなライナーに代わって直ぐに答えた。
「ジーク、気持ちは分かる。しかし世間はそう言わないのが現実なんだよ。それを許している両親や兄弟、そして姉妹も変だと決め付ける―――残念だけど貴族社会は評判が大事。噂一つで家が潰れた例も多々あるぐらいだ」
ライナーの真剣な意見に父親は何度も大きく頷いている。ジークリンデは世の中とはそんなに心が狭く出来ているのだというのを初めて知った。そう思えば両親の寛大さに感謝しなければならないだろう。最初は煩く反対したが結局好きにさせてくれたのだから・・・
「父上、兄上。今までのこと感謝致します。好きにさせて頂いてありがとうございました」
ジークリンデは心からそう言って頭を下げた。素直な心のこもった感謝に父親の勘気が少しおさまりだした。
「そう言われたら父上も僕も何も言えないよなぁ~それでライナー、どうするつもりなんだ?」
エドガーは情けない顔をして話を切り出した。
「陛下はジークが女性とは思っていない。まあ当然だろうけど・・・それで私も彼女を男だとか女だとか性別には触れていない。いわゆる誤解させたまま否定も肯定もしていないんだ」
「それって・・・」
「一応、騙している訳ではない。一応な・・・しかしどちらかと問われれば当然本当の事を言う。しかしそういう質問は普通し無いだろうし・・・という訳だからほとぼりが冷めるまでしばらく入隊して欲しい。幸い同じ護衛官にランセルも居るし誤魔化すことは可能だろう」
どう考えてもライナーの提案を受けるしか道は無いだろう。暗い面持ちのまま部屋を後にした父と兄を追って出て行こうとしたジークリンデをライナーが呼び止めた。
「ジーク、今から君の上司としての話がある。残ってくれ」
「はい、分かりました」
振向いたジークリンデは今日、初めてゆっくりとライナーを見た気がした。憧れで目標でもある彼は本当に羨ましいまでの体格だ。着痩せして細身に見えても鍛えた理想的な肉付きをしている。その素晴らしい全身を使って繰り出される剣さばきも彼の体と同じく芸術的だ。そのライナーが真剣な顔をしてジークリンデに向き合うと手を差し出した。
「ジーク、ようこそ近衛隊に!」
「ありがとうございます」
ジークリンデは差し出された彼の手しっかりと握り返した。
「君なら申し分なく務めて貰えるとおもうけどくれぐれも迂闊な言動はしないように。嘘はもちろん罰せられる。だから悟られないように気を付けてくれ。ランセルには俺から言っておくから彼に協力してもらうようにな。しかし長く誤魔化すのは難しいから頃合を見計らって退役してもらう。これだけは約束してくれ」
「―――はい」
ジークリンデは〝はい〟と言うしか無いだろう。夢は覚める時がくるのだ。夢が叶っただけでも良かったと思うしかない。感情をあまり表に出さない彼女でも落胆した様子は窺えた。ライナーもそれを感じてつらかった。お気に入りの従妹に良い思い出を作らせたいとは思うが、これは大事な任務だと言うのを認識してもらわないとならないだろう。
「それでジーク。君の任務について説明しよう。皇家は国を治め国家を脅かす妖魔を抑えて来た。それが血脈の薄れと共に妖魔を滅する聖剣を操る力が薄れていたのは知っているだろう?その為、軍備は増強されたがそれでも人々は安心出来なかった。皇家の力の衰えは帝国の衰退と同じだからだ。ローラント皇子を今日見ただろう。あの皇子は帝国中がそうした中で待ち望んだ大切なお方だ。そして春には百年に一度に行なわれる沈黙の地での封印の儀式がある。それこそ百年後までの国の安寧を左右するものだ。皇子にはその儀式の遂行はもちろん、次代の血を継ぐ者が出来るまで何かあっては困るのだ。今、帝国で最も貴く大切なものと思ってくれ。その方をお護りすることがどんなに大事な任務なのかと認識しておくように」
ジークリンデは、はいと返事をしたが少し心に引っかかるものを感じた。皇子は封印の儀式が終り、世継ぎが生まれたら用無しのような感じに聞こえてしまった。
(それを終えるまで大事にしているというような感じ?)
ライナーはそういうつもりで言ったのでは無いが一般的にそういう感情なのだろう。大切なのは変わりないのだが理由があるから大切にされていると言われると、自分だったら良い気分では無いとジークリンデは思った。皇子の退屈で死にそうな顔を、ふと思い出してしまった。
(いつもあんな顔をしているのだろうか?)
皇子が自分と同じ考えかどうかは分からないが何故か気になってしまった。しかし第一印象で気に入らなかったのは変わらない。今の話を聞いただけでも大事にされて我が儘放題に育てられたのだろうと思った。でもそれは本人の責任でもないし周りがそうさせているのだろうとジークリンデは勝手にそう思い嫌な皇子像を作り上げた。しかしその彼は帝国にとって最も大切な人物だ。だからどんな心根であっても誠心誠意お仕えしようと心に誓ったのだった。
そして入隊の日がやって来た―――皇城で簡単な手続き後、アルベルトの案内で近衛隊の施設の説明を受けていた。
「しかし・・・ジーク、本当に来たんだな。隊長に聞いた時は驚いたの何のって・・・父上は入隊するのは当然反対したんだろう?大丈夫だったのか?」
「父上は――」
アルベルトの問いに答えかけたジークリンデは、ふいに柱の影から現れた人物を目にして喋るのを止めた。
「栄えある近衛隊に入るのを反対するとは、とても過保護なんだな?それとも病気持ちか?」
揶揄するように声をかけてきたのはローラント皇子だった。アルベルトは、ぎょっとして振向いた。
「皇子!どうして此方に!」
「随分な驚きようだな。アルベルト。何がそんなに驚く要素がある?」
「いえ・・・その。このような場所に皇子がいらっしゃるとは思わなかったものですから失礼致しました」
アルベルトはそう言いながら皇子を警護している筈の同僚を探した。
「ふっふふ・・・誰も居ないよ。撒いてきた」
「皇子!それは危険ですからお止め下さいと何度も申し上げましたでしょう?」
「そうだね。なるべく気を付けよう」
「皇子!」
ローラント皇子が愉快そうに笑い出した。
「アルベルトは本気で怒っているように見えるな」
「見えるのでは無く、アルベルトは本当に心配して怒っています」
ジークリンデが皇子の揶揄している様な態度に腹が立って口を挟んだ。彼女のことを家族でさえも誤解しているが感情が無いのでは無い。心はいつも色々な感情に溢れている。でもそれを表に出すのが苦手なだけだ。だから今とても怒っているがそんな表情は出ていないし、あくまでも無表情で淡々とした口調だった。
彼女のそんな態度と自分に意見するような感じにローラントは笑いを、すっと引きジークを、ちらりと見た。
「・・・・・・アルベルト、宮廷作法を教えてやるがいい。皇族には許可なく話しかけることは出来ないとな」
話をふられたアルベルトは、ぎくりとしたが続くジークの返答に今度は冷や汗がでてしまった。
「アルベルト、それは無用。作法ぐらい知っている――皇子から父が過保護か?それとも病気持ちか?とお声をかけて頂きましたから、話しても宜しいかと思いましたが違ったのでしょうか?」
ジークが言い返して来ると思わなかったローラントは驚き瞳を見開いた。
その皇子を真っ直ぐに見つめたジークが目の前で跪いた。
「間違っていないのでしたらお答え致します。父は過保護かもしれませんが、私は生まれてから医者にかかるような病気はしたことございません。ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。本日着任いたしましたジーク・クレールでございます」
ジークらしくない態度に昔から彼女を良く知るアルベルトは驚いていた。皇子の皮肉れた言い方はいつもの事だから気にしないが初めてのジークは勘に触ったのだろうか?それでも普段から何事にも冷静で滅多に感情的にならない彼女には珍しかった。だからアルベルトは段々と頭が痛くなって来た。
(隊長からくれぐれも彼女に気をつけてくれと言われたのに一日目にして追い出されるかも・・・皇子の勘気をこうむって除名されるだけならいいが罰を受けるとなると大変だ!)
既に皇子とジークの間には緊迫した雰囲気が漂っている。しかしその時、思わぬ事態が起きてしまった。通りかかった近衛兵がいきなり牙を剥いて二人に襲い掛かって来たのだ。二人と言うよりも皇子に向ってだ。迫る殺気を感じただけでジークは剣を抜いていた。そしてもちろん皇子に傷一つ負わせる事無く斬り捨てたが敵は後ろに一歩引いただけで倒れはしなかった。
どす黒い血を噴出す切り口は瞬く間に塞がっていく―――
「妖人だ!」
アルベルトが叫んだ。ジークリンデは初めて妖人と呼ばれる妖魔と人間との間に生まれる半人半妖を見た。確率的に成人する者は少ないとは言っても成人すればかなり厄介なものとなるものだ。妖魔の血が薄いものもたまにはいるがそれは本当に稀だった。一般的に妖魔の血が強く殆ど妖魔と変わりない。変わりないどころか姿と知能は人間で妖魔でもかなり能力が高いものとなるのだ。
まさに妖魔を超越した化け物だ。百年ごとの封印前は特に妖魔の動きが活発となる時期だった。警護の厳しい皇城でもその魔の手が伸びて来る。そして彼らを滅することの出来る血を受け継ぐ皇族を無差別に狙って来るのだ。まるで封印された虚無の王の命令かのように・・・・・