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暴かれた秘密

 その日の朝、ジークは剣を直ぐ手にしなかった。何よりも好きな剣の稽古に背を向けていた。そのジークの目の前で繰り広げられるのはライナーと皇子の手合い。それは予想以上目を見張る剣さばきだった。それを見れば皇子が今までジークとの稽古で本当の力を出していなかったことが分かった。帝国一と言われるライナーとほぼ互角まで上達していたのだ。ジークはこんなに寂しい気持ちになったことは無かった。ライナーに今まで抱いたことの無い嫉妬さえ感じた。


 ジークは自分の右手を見た。背が高いだけあって普通の女子より手は大きい方だろう。それでも男と比べると問題にならないくらい華奢だ。彼らの手のひらの皮は厚く固いがジークはどんなに鍛えても柔らかく肉刺がすぐ出来る。最近無理をして出来た肉刺をジークは無意識に潰し始めた。左手の爪で無理矢理に水疱を剥ぎ取り掻き毟る。水疱に溜まっていたものが流れてもジークは手を止め無かった。剥き出しになった肉に爪を立てた。鋭い痛みが走っても止めなかった。

「何をやっているんだ!ジーク!」

 アルベルトが驚いたような声を上げジークの左手を掴んだ。そして血が滲み出している右手も掴み上げた。ジークはその時やっと我に返って自分の両手を掴み上げている友を見上げた。


「アルベルト・・・」


「ジーク、どうしたんだ?」

「・・・・・・別に。手の肉刺を潰していただけ・・・」

「潰すにもこんなになるまでする必要は無いだろう?血が出ているじゃないか」

「―――そうだな。ぼんやりしていて気が付かなかった・・・」

 ジークは掴まれている手を見た。アルベルトの手は大きくジークの手がすっぽりと納まっている。今度はそれが何だか可笑しくなって小さく笑い出した。

「ジーク?いったい・・・」

「くっくっくく・・・すまない、アルベルト。久し振りに自分に嫌気がさしているだけだ。気にしないでくれ」

 気にするなと言われても様子の可笑しいジークをそのままには出来ない。アルベルトは詳しく話しを聞こうとしたが次第に集まって来た近衛兵達の歓声が煩くて落ち着いて聞ける状態では無かった。歓声の原因は白熱するローラントとライナー達だ。二人の剣を切り結ぶ音が一段と速くなりその一撃、一撃に歓声が上がっているのだ。皆も自分達の調練よりその光景に釘付けのようだった。


(ジーク・・・アルベルト何をして・・・)


 ライナーの剣をかわしながらもローラントはふと目の端に入った二人に視線を流した。その一瞬の隙にライナーの剣が皇子に振り下ろされたがそれを際どく受けた。剣と剣が絡み合いジリジリと押し合う。

「皇子、余所見は禁物です」

「言われなくとも分かっている!」

「それは結構!では、参ります!」

 ライナーは皇子の剣を押し戻し体勢を整えた。ローラントは深く息を吸って吐き出し集中力を高めたが何合目かの後、剣を完全に押さえ込まれて決着がついてしまった。

「皇子、本当に上達されましたね。もう少しで負けるのかと思いました」

「負ける?息も乱さないお前が?腹立たしい限りだ」

 端から見れば接戦のようだったがライナーは涼しい顔をしていてローラントは逆に肩で息をしていた。まだライナーには敵わないようだった。ローラントは面白くなさそうな顔をしてジーク達の居る場所へと歩き出した。彼らが何か揉めていたように見え気になって仕方が無かった。

 しかしジークは皇子を避けたかった。

「アルベルト、剣の相手をしてくれ」

「お、おい!ジーク、何言っているんだ!そんな手で!」

 アルベルトはジークの突然の誘いに、ぎょっとした。彼女の利き手の皮は剥げ剣を握れる状態じゃないからだ。

「これぐらい何時もの事だから何でも無い」

「何時もの事って言ってもだな!」

「大丈夫だって言っているだろう」


 大丈夫だとジークが言い出したら絶対に引かないとアルベルトは知っている。彼女は何時もそうなのだ。自己主張が強いと言うよりも頑固で負けず嫌いと言っていいだろう。アルベルトは目の前で繰り広げられた皇子とライナーの手合いに触発されたのだろうと思った。しかしやる気満々とは思えないジークの様子も気になるところだ。

 だが彼女は、さっさと広場へと出て行くのでアルベルトは仕方なく後を追った。その先に出て行ったジークは広場へと出て行く隊員達の群れに姿を隠すかのように紛れていた。だから一休みするローラントはジークに声をかける間も無く入れ違いとなってしまった。二人が何か揉めていたように感じて気になったがジークが一番楽しみにしている剣の稽古を邪魔するつもりも無く、人混みに紛れる彼女を目で追っただけだった。皇子とライナーが一息つく間に他の隊員達もそれぞれ手合わせを始めると広場は剣戟の音と飛び交う声で騒々しくなって来た。


「アルベルト、何故本気でかかってこない?」

 ジークは怒りを抑えた声でアルベルトを詰った。

「ジークこそ、どうしてそんなに苛々しているんだ?らしくないぞ」

「苛々なんかしていない!」

「ほら、そんな言い方。苛々している証拠じゃないか。いつも冷静なお前らしくない」

 いつも冷静?―――昔から付き合っているアルベルトでさえも本当の自分を分かってくれていないとジークは思った。


(私は冷静なんかじゃない・・・いつだって腹も立てるしムカムカもする・・・)


 ジークは感情を上手く表せないだけで皆と同じだった。しかしそうとらえられても仕方が無いぐらい彼女の感情が揺れることが少なかったのだ。だが今ではローラントと関わるようになってからと言うのが正しいが膨らむ感情が表に出てしまうようだった。怒るし、ついつい心が浮き立って微笑む・・・今は怒って泣きたい気分だった。ジークは急に剣を引いた。

「ジーク?」

「・・・手が滑るから洗ってくる」

「ほら、見てみろ!血が出て止まらないんだろう?だから言ったんだ!だいたい人の忠告をだな――」

 ジークはアルベルトの言葉を聞き流し、さっさと歩き出した。

「おいっ、ジーク!一緒に行って手当てしてやるから待てよ!」

「一人で大丈夫だ。お前は続けていたらいい」

「続けろって?一人でか?おいっ!」

 ジークは来るな、と言ってアルベルトの付き添いを断った。今は顔でも洗って気分転換したかったのだ。人気の無い水場で早朝の冷たい水を汲み上げ血で滲む手をつけた。


「つっ・・・・・・」


 手のひらの皮を剥いでしまった状態では当然だが突き刺すような痛みが走りジークは思わず手を水桶から引き上げた。そのうえ滴る水で袖口が濡れてしまった。冬物に変わったばかりの近衛服は生地が厚く水を含めば早々に渇かないだろう。ジークは仕方なくその長衣を脱ぎ内側に着ていた薄手のシャツ姿となりそれ以上濡らさないようにと袖を上までたくし上げた。そして勢い良く顔に水をかけ出した時だった。

「へぇ~勇ましい傷痕だな」

 ジークは、ぎくりとして振向いた。いきなり声をかけて来たのは皇子に挨拶をした後、何処かに消えていたオイゲンだった。彼は退屈そうに欠伸をしている。

「ふぁ~あ・・・それって獣か何かにでも襲われたのか?それとも妖魔?ガブッてやられた感じだな―――あ?それ・・・」

 オイゲンは何かを思い出すかのように考え込み始めた。そして段々と怪訝な顔をしだした。ジークは、はっとして側に掛けていた長衣に手を伸ばしかけたがそれに届かなかった。オイゲンがジークのその手を掴んだのだ。


「これを何処かで見た・・・まさか・・・あれは女だった。間違い無く・・・」

「手を放せ!」

 ジークはオイゲンの手を払い除けようとしたが無駄だった。更に力ずくで引き寄せられ背後から片腕で完全に押さえ込まれてしまった。そして彼の片方の空いた手がジークの胸に伸びてきた。それは指を大きく開いてジークの胸をまさぐった。

「胸が無い??」

「止めろ!」

 ジークの悲鳴のような制止の声と同時にシャツのボタンが引き千切られる音がした。そして早朝の冷たい外気が肌蹴られた皮膚を撫でジークは全身総毛立った。それは外気だけのせいでは無い。身の危険を感じる女の性が恐怖を感じた瞬間だった。剣を持てば並の男には負けないが素手では男の力には敵わない。最近特に感じていたものが身を持って思い知った。


「やっぱり女か・・・こんなに布をグルグル巻きにして勿体無い・・・本当にぺったんこになったらどうする?女の胸は大きな方が良い。そう思わないか?ジーク・クレール?」

 オイゲンは、ねっとりとした口調でジークの耳元で囁いた。ジークは更に、ぞっとして身体が自然に震えそうだった。

「私の見合い相手のお前と皇子の護衛官が同一人物とはね・・・女が男装して近衛隊に?もちろんアルベルトは知っているのだろう?それにライナー・ベルツは確か・・・親戚。奴も知っている訳だ・・・」

 ジークは息を呑んだ。

「皇子は知っているのか?」

 オイゲンの核心を突いた質問にジークは本当に、ビクリと震えた。

「その様子だと・・・皇子は知らない訳か。皇子を騙している・・・三人で?」

「わ、私は――」

 ジークは騙してなどいないと叫びたかったが嘘をついてはいなくても本当の事は言っていない・・・だから言葉を呑み込んでしまった。


「これは傑作だ!皇子は知らないんだ!知っていたなら怪しい噂まで出るくらいのお気に入りならとっくに手を出して護衛官どころか花嫁候補にでもなっているだろうし。はははっ、傑作!傑作!」

 ジークはもう駄目だと思った。オイゲンに会った時から嫌な予感はしていたが・・・こんなにあっさり正体を暴かれるとは思わなかった。

 全てが露見しクレール家には泥を塗り家族に悲しい思いをさせてしまうのだ。それよりも皇子の下を去らなければならない事が何よりもつらく感じた。ずきりと胸に何かが刺さるような感覚だった。ジークは抵抗する気力が失せオイゲンの腕から逃れようともがいていた手足の力も、ガクリと抜けてしまった。

「アルベルトも・・・もちろんライナー・ベルツも只じゃ済まないな。爵位剥奪か流罪?」

「 ! そんなこと!」

「有りだよ、お嬢さん。大事な、大事な皇子の近辺に素性を隠すような者を黙認していたのだから大きな罪だ。それに騙されていた皇子が一番お怒りになるだろう。からかわれて馬鹿にされたとしか思えないからな」

「私は皇子を馬鹿になどしていない!」

「じゃあ何の為に?皇子を暗殺?」

「なっ!」

 ジークはオイゲンの飛躍した考えに驚き言葉を無くしてしまった。違う角度から見ればそんな発想にもなると言うことを初めて知ったのだ。


「はははっ、嘘、嘘。皇子を殺しても何の利益も無いことは誰だって知っている。皇帝派でさえもそういう考えは無い。と言う事は・・・近くに侍って皇子のお情けを受ける機会を狙っていた?狙うは第一皇后の座・・・信頼を得て毒見無しの酒でも酌み交わす。それにはたっぷりとした媚薬入り・・・正気だと目の前でチラつくそんな醜い傷痕の女を抱く気にもならないだろうし。素晴らしい計画だ」

 ジークは更に驚いて、わなわなと震えだした。

「オイゲン殿!私にはそんな考えも企みも全くありません!」

「では、皇子に言おうかな?私はお前達がどうなろうと関係無いしどういう罰が下るのか面白いからな。退屈しのぎに丁度いい」

 オイゲンの言うお前達とはもちろん家族にアルベルトやライナーも含まれる。ジークは自分だけが処罰を受けるのなら構わないが自分以外に累が及ぶのは避けたかった。オイゲンの言う通り、皇子は騙されたと激怒するに違いない。女性蔑視の傾向のある皇子は快く思わない筈だ。

「オイゲン殿、お願いします!この事は黙っていて下さい!私は何も含むものはありません!ですから早々に護衛官を辞して城から去ります」

 オイゲンは嗤いながらジークの縛めを解き正面から向き合った。

「黙っていてもいい。ただし条件がある」

「条件?」

「そう、条件。こんな面白いことを黙っていても私には何の益も無いだろう。だったら益になる条件を付けよう。皇子のお気に入りの護衛官殿―――その立場を利用して此方の指定する皇子の花嫁候補との仲を取り持って欲しい」

「えっ?それは・・・花嫁候補の後押し?」


 皇子の花嫁候補者は神殿側が吟味を重ね政治的な要素を排除した選抜だったと聞く。勢力争いをするような貴族が次代の皇后を得て更に力を付けないようにと言う狙いだ。だから候補者達と野心の強いドレーゼ公爵家とは無関係な筈だった。しかも意地悪く微笑むオイゲンが指定した人物はジークを驚かせた。

「エルナ・ベルツ・・・彼女を皇子に気に入らせろ」

「エルナ・・・」

 エルナこそドレーゼ家とは全く縁が無い筈だった。ベルツ家は貴族達の勢力争いに加わらない中立な家だ。

「そう・・・ライナー隊長の妹君だ」

「な、何故?」

「言っただろう?妹が愛妃になればその兄は元帥閣下に直ぐ昇進だ。空いた近衛隊の隊長にはこの私がなる。栄えあるこの役職はドレーゼ公爵家の私がするのに相応しい」

「そんな自分勝手な筋書き!」

「そうだとも。私が書いた筋書き通りに駒は進める。すっかり除け者にされた我々にも少しくらい甘い汁は吸いたいからねぇ~もちろん協力してくれるだろう?誰も損する訳じゃないのだし?」

 すんなりと聞けばオイゲンが隊長になるという件は別として彼が言うように誰も損をしない。


(―――皇子とエルナはお似合いかもしれない。でも・・・)


 そんな予感は前々からあった。皇子とエルナなら上手く行く―――ジークの胸がまた、ちくりとした。そのせいもあるのだろうか?オイゲンの理由を素直に聞けなかった。嫌な予感がするのだ。

「気持ちを操作するような真似は断る!」

「断る?そんな事を言える立場だと思っているのか?利口じゃないなぁ~この私が折角助けてやろうと言っているのに?良いのか?皆に罰が下っても?」

「・・・・・・・・・」

「まぁ~いい。少しは考える時間をやろう。どうするかはまた聞く」

 オイゲンは愉快そうに嗤いながら去って行った。残されたジークは一度断ったもののそれが正しいことだとも思えなかった。自分は良いかもしれないが結局皆不幸になってしまうのだ。オイゲンが提示する条件以外に何か無いものだろうか?誰かに相談したくても出来ない。これ以上迷惑をかけられないし関わりを深くしてもっと悪い状況に落ちてしまうかもしれないのだ。


「落ち着けジーク、ジークリンデ!何かある筈だ。何か方法が・・・」


 ジークはガタガタと震える指でシャツの乱れを整え始めた。一番上のボタンは千切れ飛んで無かったが他は大丈夫だった。そして上着の長衣に手を掛けた時にジークを呼ぶ声が聞こえた。それは今一番会いたく無い皇子とアルベルトだ。


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